時がとまる現象

おちょぼ

第1話

(暇だな)

 俺は数学教師が黒板によくわからない記号の羅列を書き連ねるのを眺めながらそう思った。

 季節は5月も半ば、奇跡の連休が明けたばかり。

 世のマトモな高校生なら五月病になる頃だろう。

 ちらりと周囲の様子を窺う。

 やはり他の生徒もどこか授業に身が入らないのか、あくびをしたり、外を眺めたり。

 教室にはどこか弛緩した空気が漂っていた。

 

 いつもと変わらない平和な日常。

 こんな穏やかな陽気の中では、俺がうたた寝してしまうのも仕方のないことだろう。

 俺はぬるい睡魔に身を委ね、瞼を下ろそうとする――そのときだった。

「……?」

 微かな違和感に瞼を開く。

 そしてすぐにその違和感の正体に気づいた。


 授業中でも教室というものは音に溢れている。

 教師の解説、生徒が板書を書き写す音、外からは体育に励む生徒達の声も聞こえてきていた。


 それら一切が止まっている。

 止まっているのはそれだけではない。

 教師が板書を進める手も、生徒が板書を書き写す手も、何もかもが静止している。

 まるで時が止まったかのように。

 ――いや。

 まるで、ではない。

 本当に時が止まっているのだ。


 思わずため息を吐く。

 俺の順風満帆で穏やかな生活に陰る一つの悩み。

 俺はこの一年間、『唐突に時が止まる現象』に悩まされている。


 ○


 この『現象』の明確な原因はわからない。

 だが切っ掛けならば心当りはある。

 一年前、普段は通らない裏道を通って帰路についていたときだった。

 うっかり千鳥足の酔っ払いに肩をぶつけたら顔面をぶん殴られた。

 それ以降、右手の甲に時計を模した魔法陣のような痣ができ、さらにあの『現象』に遭遇するようになった。


 普通の人なら時が止まったら喜ぶのだろうか。

 確かに、もしも時を止める力があればやりたい放題できるだろう。

 あんなことやこんなこと、男の子の夢も叶え放題。

 だが勘違いしてはいけない。

 これは時を止める力ではなく、『時が止まる現象』だ。

 俺自身では時が止まるタイミングも、動き出すタイミングも操作できないのだ。

 よってもし俺が、時が止まっていることをいいことに好き勝手――例えば覗きとかしている時に時が動きだしたら大変なことになる。

 少なくとも社会的に死を迎えることは間違いないだろう。

 当然ながら俺にそんなリスクを抱えながら動く度胸はない。


 それにしてもこの『現象』が起きている時は非常に暇だ。

 下手に大きく動くと、時が動き出した時に周りに不審がられるから動けない。

 さらに俺が身につけている服や小物以外はまるでコンクリートのように固まってしまう。

 だから本を読んで暇を潰そうにも、服の中にあらかじめ入れておくとかしない限り、本を開くことすらできないのだ。厄介すぎる。

 ちなみに空気とか光は特にその制限には引っかからないらしい。

 よく分からんがそういうルールなのだ、と納得するしかない。


 早期の原因究明と解決が急がれるが、誰かに相談しても「中二病乙」と言われるのが関の山だ。

 まあ今は誰にも邪魔されない昼寝時間ができたと思うことにしよう。

 俺は問題を先送りにすると、腕を枕にして瞳を閉じた。


 ○


 それは俺が人気のない裏路地を通り、学校への道のりを歩んでいた時だった。

「チッ、またか」

 周囲から音が消え、あらゆる物質の動きが止まる。

 『現象』のお出ましだ。

 俺はこの『現象』が起きてからというもの、あまり人通りの多い場所を使わないようにしている。

 なにせ疲れるのだ。

 人間、ただ立っているだけでも疲れは溜まる。

『現象』の最中は大きく動けないから座り込むなんて以ての外。

 外でいつ終わるかも分からない『現象』が終わることを祈りながらぼうっと立ち続けるのは、精神的にも肉体的にも辛いものがある。

 まあそれも人の目があるときだけ。

 今みたいに周囲に人の目さえなければ問題無し。

 俺は周囲を見渡し、人がいないことを確認すると、鞄から本を取り出して再び歩き出した。

 時間が止まっていて便利なことと言えば、歩きながら本を読んでも誰にも文句を言われないことだろうか。

 人の視界には入らないように気をつけなければならないが、それさえ念頭に入れれば何をしていても大丈夫だ。

 なにせこの『現象』と付き合い始めてもう一年経つ。

 流石にそれだけ時間が過ぎればある程度は慣れるものだ。


 そんな油断があったからか。

 俺は曲がり角を曲がった時、目の前に見えた影を避けることが出来なかった。

「いづっ」

「きゃっ」

 鼻っ柱に強い衝撃。

 どうやら目の前にいた人の額と俺の鼻が正面衝突したらしい。

 慌てて頭を下げる。

「すいません大丈夫ですか?」

「あ、いやこっちこそサーセン。ちょっち急いでたんで」

 女性特有の鈴のような声と共に目の前の人が頭を下げた。


 すると、その動きに合わせて活発そうなポニーテールがふわりと揺れた。

 着ているのは高校の制服のようだが、この辺りでは見かけない白い制服だ。もう五月で暑い日も多いというのに、極端まで露出を減らすように冬服を着ている。極めつけには手袋だ。よっぽど寒がりなのだろうか。

 そういえば急いでいると言っていたな。きっと忘れ物でも取りに戻っている最中なんだろう。

 だとしたらあまり引き留めるのもかわいそうだな。


「ケガが無いなら良かったです。それじゃ俺はこれで」

「はい、本当にサーセンした」


 そう言って俺たちはお互いの進むべき道へと歩き出した。

 それにしても驚いたな。

 安いラブコメでもあるまいに、曲がり角で女生徒とぶつかるなんて。パンでもくわえながら走ってきてくれたら、もっと良かったのに。

 いやいやそんな下らないことを考えている場合じゃないか。

 いくら時が止まっているからといって、二宮金次郎スタイルの登校はやはり危険だ。反省しよう。

 俺はため息を吐くと、本を鞄にしまい、


「…………ん?」


 奇妙な違和感に固まる。

 待てよ。

 まだ時は止まったまま、『現象』の最中だよな?

 じゃああの女生徒は一体なんだ?

 思わず後ろを振り返る。

 すると、件の女生徒もこちらを振り向いたところだった。

 

 彼女は錆付いたブリキを思わせる、ぎこちない動きでこちらを見ると、俺の右手の甲を見てギョッとした。

 そして慌てたように自らの右手の手袋を外すと、わなわなと震えだした。

 なんだ、一体どうしたというんだ。

「ん?」

 よく見れば彼女の右手に、俺の手の甲についているのと同じような、時計を模したような魔法陣の痣がついている。

 驚き、俺の右手の甲の魔法陣と見比べようとして気づいた。

「あれ、光ってる?」

 俺の右手の甲の魔法陣は青白い光を放っていた。

 なんだろう、これは。

 知らん間に蛍光塗料でもついたんかな?


「あああああああああ返してえ! 私の力っ!」

「うわっ」


 俺が魔法陣を眺めながらごしごし擦っていると、女生徒が奇声をあげながら突進してきた。

 俺は咄嗟のことに反応できず接近を許し、右手を叩かれてしまう。


「はあっ、はあっ、はあっ」

「ちょっと、いきなり何するんですか。初対面相手にそれは礼儀がなってないんじゃ、って、あれ?」


 気がつけば俺の右手の魔法陣は輝きを失い、代わりに名も知らぬ女生徒の右手の魔法陣が青白く輝いていた。

 これはもしや……。


「すいません。もしかして時が止まる現象について何か知ってたり」

「近寄んなっ!」

「あ、ちょっと!」


 女生徒は強い語調で叫び、こちらを鋭い目で睨みつけると逃げ出してしまった。

 俺と同じ魔法陣、『私の力』という発言、極めつけは『現象』中でも動けるという特異性。

 間違いない、彼女はこの『現象』を知っている。

 それだけではない。

 もしかしたらこの『現象』の原因という可能性も……。


「チッ、逃がすか!」


 俺は全速力で駆け出した。

 ようやく見つけた『現象』解決の糸口だ。

 みすみす逃したりはしない。


「おーいお嬢さーん! 少しでいいから話をさせてくれー!」

「ひいっ。なんで追ってくるんすか! ストーカーは犯罪っすよ!」

「そう堅いこと言わずにさあ! ホント少しだけ、先っちょだけでいいから!」

「ひゃあああっ! 変態だあ!」


 確かに大声を上げながら嫌がる女性を追いかけるのは変態のそれだが、今回ばかりは許して欲しい。

 俺だって死活問題なのだ。


「あーもう、しつこい! アンタがその気ならコッチだって考えがあるんすよ!」


 彼女はそう言うと細い路地に入りこんだ。

 当然俺もその後を追う。

 すると、彼女は道の少し先で手に水筒を持ち、こちらを待ち構えていた。

「ふう、なんだ。ようやく話を聞いてくれる気になったのか」

「んなワケ無いじゃないっすか」

「じゃあなんでそんな所で立ち止まってるんだ?」

「こうするためっすよ。『解除』」


 彼女が右手の甲の魔法陣に手を当て、言葉を発する。

 すると周囲に喧噪が戻ってきた。

 時間が動き出したのだ。


「今のは……やっぱり君が『現象』を」

「うるさいっすよ」

「うわっ、何を」


 唐突に彼女は水筒の中身を空に向けてぶちまけた。

 透明な液体が雨のように降り注ぐ。

 その液体達がアスファルトに染みを作る――その寸前。


「『停止』」


 再び時が止まる。

 液体は地に落ちる事無く、空中に留まった。

 液体は俺と名も知れぬ女生徒の間を、透明なカーテンのように遮る。

 いったい彼女は何をして……いや、そうか!


「くそっ」


 慌てて女生徒に近寄ろうとするが、液体のカーテンに阻まれる。

 時が止まると、物質はその場所にその形で固定される。

 一度固定されたものは再び時が動きだすまで、動かせなくなる。

 彼女はその性質を利用して即席の壁を作りだしたのだ。


「やってくれたな」

「はっ。人生諦めが肝心っすよ、ストーカーさん。それじゃサイナラ。もう二度と会わないことを祈ってるすよ」


 彼女はべッと舌を出すと、もうこちらを見向きもせずに駆けだした。

 彼女を追うには回り道をするしかない。だが迂回路を探しているうちに彼女のことは見失ってしまうだろう。


「くそっ。せっかく見つけた手がかりだったのに」


 逃した魚は大きい。

 だが悲観してばかりもいられない。

 『現象』の手がかりがこの近くにある。

 そのことが分かっただけでも大きな収穫だ。

「せめて名前ぐらい知りたかったなあ」

 俺は一つため息を吐くと、学校に向けて歩き出した。


 ○


 時が動き出したのを見計らって教室に入る。

 すると、なにやら教室が騒がしかった。

 特に男子を中心に、なにやら浮き足だっている。

 席につくと、興奮で鼻息を荒くしている前の席の奴が話しかけてきた。


「よう聞いたか? 今日うちのクラスに転校生が来るらしいぞ」

「転校生? この時期にか?」

「ああ。しかもその子な、女子らしいんだよ。楽しみだよなっ」

「なるほど、道理で男子連中が騒がしいと思ったよ」


 クラスに女子が一人増えるというだけでこの盛り上がり様。

 まあ刺激の少ない学生生活だ。何か特別なことが起きるだけでワクワクする気持ちもわかる。

 だが今はそれよりも、あの女生徒のことだ。

 なんとしても特定してやる。

 まずは制服から高校を特定して……それから……。


 キーンコーンカーンコーン


 そんなことを考えてしばらくすると、朝のSHRの始まりを告げる予鈴が鳴り響いた。

 あちこちに散っていた生徒達もそれぞれの席に戻っていく。

 教壇に立った先生が細々とした連絡事項を伝え終わると、ついにその時がやって来た。


「はい~、もう知っている人もいるかもしれませんがぁ、今日は私たちのクラスにぃ、転校生がやってきますぅ」

「「「「うおおおおおお」」」」


 途端にあちこちでざわつき始める生徒達。

 予定調和だというのに、盛り上げがいのある奴らだ。

 先生は生徒の反応にニコリと微笑むと、教室の外に呼びかけた。


「それではぁ、入ってきてくださぁい」

「はいっす」

(……ん?)


 どこか聞き覚えのある声。

 それをどこで聞いたのかを思い出す前に、声の主はポニーテールを揺らしながら姿を現した。


 前の高校のものだろうか、この辺りでは見ない白い制服に身を包んでいる。

 もう五月だというのに、肌の露出を極端まで減らした冬服に袖を通し、極めつけには手袋まではめているその姿は、寒がりにしても度が過ぎているように思われた。


 彼女は幾分の緊張をはらんだ顔で教卓の前まで来ると、ペコリと頭を下げようとし……俺と目が合った。


「ああああああっ! 今朝のストーカー!」


 自己紹介よりも前に、とんでもないことを大声で口走る転校生。

 他の生徒のギョッとした視線が俺と転校生の間を行き来する。

 正直どんなリアクションをするのが正解かわからない。

 だがまあ、転校生を迎えるのなら、これが一番だろう。


「これからヨロシク、転校生さん」


 いろいろと、ね。

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