V. 権威の威光
「さて……。いくつか意見は出てきましたが、皆さんバラバラといった感じで、これではなかなか結論に結びつかないようですね……」
女性職員は赤いスーツの女性をチラチラと見ながら、いささか困った表情で次の展開を探っている様子でしたが、ふと思い出したように言いました。
「ところで、肝心の『絵の専門家』はいないのでしょうか?いろんな見方がありますが絵の専門家がこれをどう評価しているのか知りたいですね。せっかく芸術振興会の面々がいるわけですから、画家として、芸術としてどう仕分けするのか聞きたいところです」
「では画家として一言言わせていただきます」
赤いスーツの女性が何か言いかけたのを押しのけるように、それまで腕組みをして黙って目を閉じていた強面の男性が、円卓に力強く手をつきながら、太く低い声で発言しました。
オールバックの白髪によく日焼けした顔肌。グレーのスーツと水色のシャツが少し小さめに見えるほど胸板が厚く体格のいいその男性は、あまり画家とは思えない印象ではありました。スーツの襟には金色に縁取りされた紺色の丸いバッジが、光の当たり具合によって時々キラキラと輝いていました。
赤いスーツの女性は何か言いかけた挙動を元に戻しつつ、男性の方に目を向け、なにやら安堵の表情を浮かべていました。
「芸術、美術の分野において、この絵をどう分類するかと問われれば、一流の有識者が一堂に会しても意見が割れるのは必至です。それは、もしこの作者が現れて、その人がこの絵をどう説明するか、それによって如何様にも変わってくるからです。たとえば、何か対象物を具象化したものなのか、そうではないのか、単にデザインや模様として描いたものなのか、等によって変わってきます。それはこの作者の主観によってすべてが変わるということなんです。ですから、この絵をどう分類するかをここで論じても意味はありません。むしろ重要なのは、まさに先ほどそちらの職員の方がおっしゃった通り『いろんな意見があってまとまらない』という点です。芸術というのはまさにそういうものなんです!特に今回は非常に抽象的な絵ですから、人それぞれ見方が異なるのは至極当然なわけで、いろんな解釈ができます。先程からいくつか挙がっている意見も然り。その他にもたとえば、歴史家であれば『戦争の悲劇』、医者であれば『不治の病』、教育者であれば『子供の無垢』を表していると言います。例を挙げれば枚挙に暇がありません。この絵は物理的には一つですから、当然見る人へのインプットも一つです。しかしながら、アウトプットは人の数だけ異なるということなんです。私は、そのアウトプットの幅が広ければ広いほど、その芸術的価値は高いと考えています。幅というのは横の広がり、つまり解釈に多様性がある、というだけではありません。縦の広がり、つまり時代を越えて認められるという意味になります。一言で言えば普遍性ということです。普遍性の高い芸術は人々を魅了して止みません。そして今回のこの絵ですが、昨日一日だけでもたいへん多くの人達がこの絵に引きこまれています。もちろんただの悪戯という意見も多々あります。ただの落書きにすぎないと。しかしながら!ぜひ皆さんにも一度試してみていただきたい。皆さんにも実際に筆をとって描いてみていただきたい。ただ無茶苦茶な絵を描くだけなら誰にでもできます。では、その絵が人々を魅了する力を宿しているでしょうか?これほど多くの人達を惹きつけ、想像力を掻き立て、心を揺さぶり動かす力を持っているでしょうか?」
声量のある威圧的な話しぶりが、会場内の全員を圧倒していました。男性の話が論理的で説得力があるというよりは、有無を言わせぬ威光を放っているためのようでした。赤いスーツの女性は何度も大きく肯きながら、うっとりと画家の演説に聞き入っていました。
「以上、これが画家としての意見です。そして、画家だけではありません。我々芸術振興会は、今日こうしてここに出席したメンバー以外にも、様々な見地からこの絵を高く評価しています。冒頭の説明にもありましたが、一旦美術館で適切に保管した上で、引き続きこの絵の出処を明らかにしていきたい。それが我々のきっての要望です」
職員の女性は特に何も言わず、他に誰かまだ意見があるか探ぐるように周囲を見渡しました。そして、もはやそのような空気ではないことを確認すると、腕時計に目をやりました。そろそろ会合も終幕を迎えようとしているかのように思われました。しかしその直後、事態を一変する展開となったのです。
私のすぐそばの扉が開きました。そこにはゆっくりとした足取りで入ってくる三人の姿がありました。
三人とも白地に黒い縁取りをあしらったローブを身に纏い、前に一人、その後ろに二人が付き従うように列んでいました。先頭にいた美形で中性的な顔立ちの若い男性が、臆することもなく、透き通る声で言いました。
「協議中のところ失礼いたします。教会からの伝令で参りました」
すると職員の女性は「教会……」と、ため息混じりに小さく呟きながら肩を落としました。白髪の男性は、薄目を開けて三人の方をチラッと見やると、渋い顔をして舌打ちしました。
「今回の広場の絵に関して、管長からの教令をお伝えします。端的に結論から申し上げますと、この絵は、異教徒による布教活動だと私達は考えています。どういうことかと申しますと、この絵は、今まで見たことのない異国の信仰を表している、ということです。その信仰は、私達の概念とはあまりにも遠くかけ離れたものであるがゆえに、私達にはこの絵を理解可能なものとして認知することはできません。また、もし理解できたとしても、私達を破滅に陥れる邪悪な信仰であることには間違いありません」
「だとしたら、絵だけしかなくて、その異教徒がどこにもいないのはおかしくないですか?布教活動にならないですよね」と職員の女性は指摘しました。
「はい、今回、このように絵だけが放置されているのは何故かと申しますと、布教活動の命を受けたある異教徒がいましたが、この町に堂々と姿を表す勇気がなかった。そして図らずもその異教徒は自分の命に背き、まずはこの絵だけ残し逃げ去った、ということです」
「はぁそうですか…それは何か確証があるのでしょうか?」
「はい、私達の古い書物にはその予言がはっきりと記されています」
「予言ですか…」
「さらにその書物によると、その異教の使者はその後改心し、ちょうど3日後に再び現れる、とも書かれています。そのため、明日、その者を捕らえ、すべてを明るみに出すべく、私達は特別警戒態勢を敷きます。この絵は私達の信仰に対する警鐘です。早急に浄化する必要があります。ですから、今、皆さまのお手元にある写真も、速やかに回収の上、残らず焼却してください。以上です」
手にしていた紙を思わず手放す人もいました。
三人は会場を一通り見渡してから軽く一礼すると、すぐに向きを変えて、足早に部屋から出ていきました。
それから少し間、誰もが押し黙ったたまま、座り直したり背筋を伸ばしたりしていました。職員の女性は三人が完全に見えなくなったのを確認すると、椅子の背もたれから体を起こして言いました。
「それでは、そういうことですので……。これで閉会とさせていただきます。皆様お疲れ様でした」
女性職員は残っていた水を飲み干すと、係りの人達に紙を回収するように指示しました。何とも言い難い重苦しい雰囲気が漂う中、紙を返却した人から三々五々に部屋を出始めました。
そして人々が立ち去る、その傍らで、詩人の男性は、席に座ったまま天井を見上げて言いました。
「やはり僕の詩は結実した!」
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