第6話 勇者としての一歩



 重力に支配され、森へと真っ逆さまになった俺の視界は、ザザザザザ、というノイズ音と同時に緑に埋め尽くされる。木々の葉っぱだ。背中や後頭部を打つ硬いものは枝だろう。

 

 ああ、もうジ・エンドか。俺の異世界冒険譚はここで終わりか。時間にして10分足らず……なんとも不甲斐ふがいないリザルトである。こんな物語、ラノベだったとして誰が読むか、って話だ。


 悪いな、女神様。アンタが選んだ男はとんだ見込み違いだったようだ。

 悪いな、親友。心機一転、頑張ってみようと思ったけど……やっぱり俺は物語の主人公になれるような男じゃなかったよ。

 

 ――と、頭の中で辞世じせいの句を詠んでいた俺の体は、最終的になんか柔らかいものに受け止められた。

 

 「…………………………あ?」

 

 生きてる? え? 俺、生きてる? あんなに高いところから落ちたのに?

 

 それはおそらく、この妙にフカフカしている地面のおかげだ。木々の枝によって落下の勢いが殺されたのもあるだろうが、最大の要因はこれに違いない。

 

 しかし、この高級絨毯のような手触りたるや……頬ずりしたくなるほどきめ細かで、しかも温かい。こんな絨毯が部屋にあったら、ベッドなんか捨ててしまっても構わないくらいだ。

 

 「なんだろうなコレぇ~…………え゙っ?!」

 

 居心地良いフカフカの感触を楽しみながら下を確認して、仰天する。

 枝葉の合間から差し込む陽光に映し出されるのは、地面に横たわる獅子舞のような化け物。

 

 「うわあっ?!」

 

 そこで俺は、自分が化け物の腹の上にいることを知って、急いでそこから飛び降りた。

 化け物は死んだのか、もしくは気絶しているのか微動だにしない。とにかく、今のうちにさっさとここから立ち去ろう。

 

 俺は足早で歩き出し、草木を掻き分けて森の中を突き進んでいった。分厚い葉の層に包まれた森はとても物静かで……しかし、前進するにつれて地鳴りのような足音と悲鳴がどんどん大きくなってくる。

 

 間も無く、舗装された一本道の前まで来た俺は、そこで足を止めて草垣に身を隠し、状況の観察に入った。化け物はなおも村中で暴れ回っているようだが、幸いにも近くにいる気配は無い。

 

 さて、ここからどうしようか。さっきの神殿に向かった方がいいのか。それとも、騒動が終わるまでここに隠れておくべきなのか。

 

 うんうん悩んでいると、一軒家の陰から人影が現れた。それは白い祭服を着た同世代くらいの少女だった。幼い女の子の手を引いて懸命に走っている。まるで、何かから逃げているように。



 否、逃げているのだ。


 

 ドオオオオオオオオオオオオン!!


 「なんだ?!」

 

 少女たちが駆け抜けた一軒家が突然、崩壊する。粉塵の中から姿を現したのは、獅子舞のような化け物。さっきのヤツよりかは小さいが、それでも象くらいのサイズで、人を踏み潰すなど訳も無いだろう。

 

 「走って! 早く!」

 

 祭服の少女が声を張り上げる。幼い女の子は頷くが、すでに体力が限界なのか足つきは覚束おぼつかない。もはやジョギング程度のスピードしか出せていなかった。

 

 当然、そんな2人を化け物が見逃すはずもなく。


 化け物は地面を蹴って高く飛び上がり、走る少女たちの目の前に着地する。ズドォン! とミサイルが着弾したかのような轟音が響き、その衝撃と風圧で2人は吹き飛ばされてしまった。

 

 「あうぅっ?!」

 

 地面を激しく転がる少女たち。そんな2人に、化け物がゆっくりとにじり寄っていく。


 体力が尽きたのか、それとも観念したのか、祭服の少女は立ち上がろうとしなかった。だけど、女の子に覆い被さるように抱き着き、最期まで庇おうとしている。

 

 ドクン! と心臓が強く胸を打った。

 

 化け物がまさに今、襲い掛からんとする絶望的な状況で、自分よりもか弱い存在のために身をていす、同世代の少女。

 

 それに引き換え、俺は? 草陰に隠れて、理不尽な惨劇をただ傍観するだけ。

 

 俺は何のために異世界転移した? 俺が力を求めた理由はなんだった? もう二度と助けを求める人を見捨てない。そのためにセルフィスに力を願ったんじゃなかったのか?


 なのに、また繰り返すのか? 安全な場所で保身をねぶり、全てが終わった後で後悔に浸る。そんな日々にまた戻るつもりなのか?

 

 「いやだ」

 

 屋上への階段を上る自分の姿が脳裏をかすめた時、その想いは自然と口から零れていた。

 すると、どうだろう。体の奥底から灼熱の何かが湧き上がってくる。心臓は高鳴り、血液が加速していく高揚感が心にこびりつく恐怖や不安を消し飛ばしていく。

 

 ふと、視線を落とす。俺の両手が光に包まれていた。いや、手だけではない、全体から光が溢れ出ていた。この現象はそう、ついさっきも経験した。俺がセルフィスからマギナの塊を与えられた、その時だ。

 

 「そうだ……俺は、選んだんだ……!」

 

 勇者になることを。この世界を救うことを。だから、セルフィスの左手を掴んだんだ。

 

 立ち上がる。もう隠れる場所は必要ない。誰かを助ける。その強き意思は俺の足を動かす原動力になった。

 

 「やめろおおおおお!!!」

 

 叫びながら草垣から躍り出て、俺は少女たちの前に駆けつける。化け物はいきなり現れた俺を警戒して足を止め、前傾姿勢になって唸り声を上げ始めた。明らかな戦闘態勢。

 

 「だ、誰っ?! 危ないから逃げて!」

 

 後ろから必死な声が飛んでくる。危ないなんて百も承知だよ。逃げ出せるものなら逃げ出したいよ。

 でも、そしたらお前ら死んじゃうじゃん! だったら俺が立ち向かわなくちゃいけないじゃん!


 策なんて無い。勝てる見込みもこの場を切り抜ける算段も無い。


 だけど、俺は勇者だから。そうなると決めたから。困っている人を見捨てるわけにはいかないんだよ!

 

 そうやって今にもヘタレそうになる自分を心の中で奮い立たせる度に、強くなる体の光。それに伴って体にこもる熱量がどんどん上がっていく。

 それは、まるではち切れんばかりに自分の中で暴れ始めて。今すぐこれを解き放ちたくて仕方ない。

 

 化け物はそんな俺に脅威を感じたのか、牙を剥き出しにすると、後ろ脚を蹴って飛び掛かってきた!

 

 「うわああああああああ!!!」

 

 一気に迫ってくる化け物の形相。それに焦った俺は咄嗟に両手を前に突き出した!

 

 その瞬間、ヴォン! という音と共にガスバーナーを巨大化したような青い光の奔流ほんりゅうが俺の両手から放出され、化け物を周辺の建物ごと一瞬で焼き尽くした。

 

 「お! お! お! お! お! お! お! おお゛っ?!!」

 

 なんだこの力は! ってか、どうやって消すんだこれ?!

 

 訳も分からず、俺は力に振り回されて体を揺らしまくる。そのせいで光が四方八方に飛び散り、ただでさえ半壊状態にある村をさらに傷つけていった。

 

 「おああっ!!」

 

 このままではいけない。そう思った俺は仰向けで地面に倒れ込んだ。その際に両手が離れ、そこでようやく光の奔流が収まり、最後に残りカスのような光の玉が打ち上がる。それは崖に衝突、大爆発を起こし、俺の出発点である高台の花畑一帯を粉々にしてしまった。

 

 「あいててて……」

 

 背中の痛みに耐えながら体を起こす。光の洪水によって辺りは更地同然となっていた。立ち込める粉塵の向こうには、走り去っていく化け物の姿。俺の力にビビッて逃げ出した……ということだろうか。

 何はともあれ、とりあえずピンチは脱したらしい。よかったよかった。

 

 そう思って一息ついていると、

 

 「あなたは……いったい……」

 

 背後からの声がする。そうだ、2人のことを忘れてた。

 

 俺は慌てて振り返る。祭服の少女は、女の子を抱き締めた体勢で俺をぼんやりと見つめていた。その瞳は鮮やかなみどりで、高い鼻やふっくらとした唇など、西洋風の顔立ち。二つに束ねたセミロングのブロンドは多少、乱れているものの綺麗で、いっぱいいっぱいだったから今まで気付かなかったけど、めちゃくちゃ可愛い子だ。

 

 思わず彼女に見惚れて、そして気付く。女の子の肩に掛けた左手の甲にある、大きな傷痕の存在を。単なる切り傷や火傷のたぐいではない、象形文字のような複雑な形。

 

 それを見て、俺はピンと閃いた。

 

 「……それは、『聖痕』? じゃあ、まさか……!」

 「異国の服……信じられない量のマギナ……それじゃあっ」

 

 俺は叫ぶ。少女もまた、俺の声に重ねるように。

 



 「もしかしてアンタが神祝巫ソラリハ?」

 「もしかしてあなたが勇者サティルフ様?」

 



 全てはここから始まった。人類を救うため、七つの世界をまたに掛ける俺と仲間たちの冒険の日々。

 


 ――これは、勇者として転移した俺が、本当の意味の『勇者』を目指して歩き続ける物語である。


 


 



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