第2話 救いますか? 救いませんか?



 「だけど、なんで世界は七つに? 最初は一つって言ってたが…」

 

 俺が訊ねると、セルフィスは悲し気に目を伏せた。

 

 「嘆かわしいことに……我が子のせいです。人の世の、なんと脆く、浅ましいことか。満足することを知らず、分け合うことをこばみ、平等であるはずの分際ぶんざいに地位を設けて弱者を作り、搾取する。その結果、争いが生じ、戦火はたちまち世界を覆って、我が子は他者を信じる心を失った。王はそうした歴史の中で生まれ、世界を脅かしてきたのです。そう、ほとんどの王は元々、我が子の1人でした。私はその都度つど、王を切り離し、我が子の世を庇護してきました。しかし、それももう限界。これ以上、細分化してしまうと世界は世界としての形を維持できずに崩壊してしまうでしょう。我が子が生き残るには王らを討ち滅ぼすしかありません」

 

 セルフィスは言い切り、そして、俺を見据える。

 憂いを帯びた、二つの碧眼へきがん。その一途な眼差しは、まるで何かをうているような…………って、え?

 

 「……ちょ、え? まさか、俺にそれをやれと?! ああっ、勇者ってそういうことか!」

 「はい。だからこそ、あなたの魂を異世界から呼び寄せたのです」

 「いやいやいやいや! 無理だって! なんで他所よその世界の俺が?!」

 「……本来ならば、この我が子の力だけで危機を乗り越えてほしかった。しかし、そう思って見守り続けた結果、世界は七つに分かれてしまった。認めたくはないのですが、我が子の力では及ばないのです。この事態を打破するには、全く異なる存在を連れてくるしかなかった」

 「それは分かるけど! どうして俺なんだよ?! 俺は別に格闘技を習ってるわけでもないし、専門的な知識とか技術とかもない! ましてや漫画みたいな特殊能力なんて持ってるはずもない! ただのアニメ好きの普遍的で凡庸ぼんような中学三年生男子でしかないんだよ! 明らかに人選をミスってるだろ! なんで――」

 「あなたが誰よりも悔いながら死への道を選んだからです」

 

 セルフィスの鋭い声が、高ぶっていた感情を一瞬でぎ払った。

 

 死への道。それを、俺が、選んだ?

 

 じわりと脳の奥が熱くなってくる。

 

 「……思い出してください。あなたが死んだ理由を。その間際に、何を悔い、何を望んだか」

 「おれ、は……」

 

 脳内に蔓延はびこる靄が、熱に煽られて消えていく。その先にそびえる記憶の扉。それが、ゆっくりと開いていく。

 

 そして、鮮やかに蘇っていく生前の日々。社会の縮図である学校の中で繰り広げられる生存競争に俺は負けた。そして、カーストの最下層に転げ落ちた。そう、俺はクラスメイトのほとんどから酷いイジメを受けていたんだ。


 だけど俺は、その境遇から逃げ出そうとはしなかった。別に「負けてたまるか」とか、そんな大層な気概があったからじゃない。罪悪感のせいだ。なぜなら、俺がイジメの標的になる前は、俺の小学校からの親友がその標的にされていたからだ。

 親友はかなり手ひどくやられていた。そして、そんなあいつを誰も助けようとはしなかった。そう、俺も。巻き込まれたくなかったから。結果、あいつは学校に来なくなり、獲物がいなくなったいじめっ子たちはその後釜を俺に選んだ、というわけだ。


 だから、俺は甘んじてその立場を受け入れた。そうすることがあいつへの贖罪しょくざいだと思って、抵抗することも戦うこともしなかった。


 でも、結局、何もかもに疲れてしまって。真夜中に住んでいるマンションの屋上に行って、その身を空中に投げ出した。

 

 急速に落下していく最中。硬いアスファルトが一気に迫ってくる瞬間のきわに、思った。

 

 もし、今度また人として生まれてくるならば。


 次は、間違いは間違いだと言える人間になりたい。この世に起こる理不尽な出来事を見て見ぬ振りせず、悪と立ち向かえるような人間になりたい。

 

 そう強く願ったのだ。

 

 「――そう。だから、私はあなたを選んだのです。故に、あなたは選択をしなければならない」

 

 セルフィスの声が、死の冷たさにひざまずく俺の意識を呼び覚ます。

 憂いを帯びた二つの碧眼。さっきと変わりないはずなのに、どこか慈しみに満ちているようで……震える体の強張りが少しずつ解きほぐされていく。

 

 そして、セルフィスはステッキをシャンと鳴らし、問うた。

 

 「私の世界を救いますか? 救いませんか?」

 

 左手を前に差し出して。

 それを気兼ねなく掴み取ることができれば、どんなに楽なことだろう。

 

 「…………でも、俺なんかじゃ……」

 「……悩む気持ちも分かります。強制はしません。救うのか、救わないのか。それだけを決めてください」

 「もし、救わない方を選んだら……?」

 「特に何もありません。あなたは元の世界の死者の国へと送り返されます。そこで次の転生先を選ぶのですが……残念ながら、あなたはそうならずに地獄送りとなるでしょう」

 「地獄……おくり? なんでっ!」

 「命という尊き灯火ともしびを自ら捨てた者に次の機会が与えられると思っているのですか? あなたは地獄に落ち、業火に焼かれて魂は浄化されます。そして、全てを失うのです。あなたという存在も……今わのきわに抱いた、たった一つの望みも、全て」

 「………………」

 

 セルフィスの言葉が胸に突き刺さる。なんて甘い考えをしていたんだろう。命という大切なものも。死ぬ寸前になって初めて抱いた、その望みも。

 

 次があると思っていたのか。なんら苦労も実績もなく、次の人生が当たり前に用意されていると思っていたのか。それは違う!

 今しかないんだ。俺には、これが最後のチャンスなんだ。ここを逃せば俺は正真正銘、死んでしまう。この世からいなくなってしまう。何も叶えられずに、何も成し遂げられずに、全てが終わる。そんなのは嫌だ!

 

 だったらどうする?

 そんなの決まっているだろう?

 

 だって、自分の目の前には、そのチャンスに挑むための道があるんだから。

 

 


 俺は奥歯を噛み締めて、セルフィスの左手を掴み取った。

 

 

 

 

 

 

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