第15話 たった一つの生きる道



 「「「ガアアアアアア!!!」」」

 「まずい!」

 

 ケルベロスの三つの頭が大口を開けた瞬間、ミヤビは思いっきり後ろに飛びのいた。

 

 半秒後、ミヤビがいた場所に中央の頭が飛び込む。右と左の頭は全く違う軌道きどうを描き、逃げ遅れた二頭の馬をその大口で捕らえた。

 

 馬の悲鳴は鋭い牙の中に埋もれ、ボリボリと咀嚼そしゃく音が響く中、唯一、獲物を取り逃がした中央の頭が鋭くミヤビを睨み付ける。


 わずかに首を引いたのは、次の攻撃の予備動作か。

 

 「くそ!」

 

 直観的に駆け出したミヤビは、まだ馬を咀嚼している左の頭の下を迂回うかいするようなコースを辿って森の中へと突入する。ケルベロスのうなり声が届かなくなるほど奥へ奥へと入り込み、そして、近くの木陰こかげに身を潜めた。

 

 「はぁ、はぁ、どうして……はぁ、どうして、第二世代の想生獣がこんな所に……エレフトさんの時のように、どこかに潜んでたってのか……?」

 

 ミヤビは咄嗟に野営訓練での事件を思い返すが、すぐに「違う」と頭を横に振る。エレフト山はタイタンボアとそのコロニーを許容しきれるほどの広大な面積があった。しかし、この雑木林は平原に孤立した小規模な森林地帯だ。

 ナイト級の調査の目をあざむき、今日までその存在を隠し通せられるほどの広さも高さも無い。その上、この森林地帯には、木材や食料を求めてオグリの村人たちが日常的に通っているのだ。

 

 「だとしたら急に湧いて出てきたとでもいうのか?! う――っ?!」

 

 ズズン、と木々がぎ倒される振動が届いてくる。ケルベロスがミヤビを追って森に引き返してきたようだ。

 

 「見逃しちゃくれねえか……くそ、どうする? このままやり過ごすか? だが、ケルベロスは探索能力に優れている。だからといってオグリまで走るとしても、ケルベロス相手の速力に敵うわけがない……なにより、村にいるフィオを危険な目に遭わせかねない」

 

 ――ということはつまり、生き残る手段はたった一つ。

 

 「ここで、ヤツを倒すしかない……だが、倒せるか? 倒すことができるのか、俺に? あいつを倒せたら想生獣の希少な資材が手に入る。ルイワンダでヤツを仕留めることさえできれば……」

 

 ブツブツと、他ならぬ自分自身に問いかけながら、徐々に大きくなってくる足音と唸り声に意識を傾けるミヤビ。

 

 

 ――こつん。

 

 

 「ん?」

 

 その時、肩に何かが落ちてきた。足元を覗くと、ドングリが小さく揺れている。ケルベロスの足音によって木の枝からがれてしまったものか。

 

 「んん?」

 

 そう思った矢先、今度は頭にドングリが落ちてくる。しかも二つ同時に、ぶつかってくる、と言ってもいいくらいの勢いで、だ。

 

 さすがに不思議に感じたミヤビは頭上をあおいだ。そうして見つめる樹冠じゅかんの中、枝葉に紛れる何者かの影にミヤビは気付く。

 暗闇に目が慣れて、次第に鮮明になっていく視界に映り込むのは、太いみきにしがみついているチャヤの姿。

 

 「チャ……!」

 

 思わず大声を出そうとしたミヤビは、すぐに口を両手で押さえて自制する。そして、木の枝を伝って上に登り、チャヤの許まで向かった。

 

 「生きていたのか、お前」

 「あ、ああ……木に登って、なんとか……」

 

 カタカタと歯を鳴らしながら、チャヤはうなずいた。顔は森の闇の中でも分かるくらいに土気色つちけいろで、よほど衝撃的な体験したことがうかがえる。

 

 「し、小便してたら、なんか、でかい足音と獣の声が聞こえてきて。そしたら、後ろに、いて。おれ、叫びながら必死に逃げ回って……ほら、い、犬の……」

 「ああ。ケルベロス。主に他世界で生息している、三つの頭を持つ犬の化け物だ。非常に獰猛だが、一度、主人と認めた者に対する忠誠心が強く、その特性から要所の防衛を務める番犬として王連合軍で飼育されている……と言われているな」

 

 恐怖におののくチャヤとは対照的に、淡々と事実を語るミヤビ。

 

 「な、なんでお前、そんなに冷静なんだよ! ……み、見たんだろ、あのでかい体と牙を!」

 

 そんなミヤビを目にしてチャヤは声を荒げる。この危機的状況を共有するたった1人の人間が、自分と感情を共にしていないことに苛立ちを隠せないのだろう。そこまで彼は心理的に追い込まれているのだ。

 

 けれど、ミヤビはやはり冷静な態度を努め、人差し指を唇に当てて言う。

 

 「落ち着け。大声を出すな。居場所がバレるだろ」

 「ううぅ……」

 

 そうしてチャヤを黙らせたミヤビは、ひかえた声量で話した。

 

 「それよりも、これからどうするか、だ」

 「ど、どうするかもクソもないだろ。ここで助けが来るのを待つんだよ。きっと近くの村の人たちが周衛基地に通報してくれる。ナイト級が来てくれるまで……」

 「ダメだ」

 

 チャヤの返答を、ミヤビはすげなく否定する。

 

 「な、なんでだよ」

 「ケルベロスの最大の武器は探索能力だ。非常に優れた嗅覚。それを備えた頭が三つ。これにより広範囲かつ高精度の捜索が可能になっている。要所の番犬として重宝されているのは、単体の戦闘能力ではなく、敵を感知する力が他の想生獣より飛びぬけているからだ。大して広くも無いこの森の中では、どこに隠れたってすぐに見つかっちまう」

 「そんな……だ、だったら、オグリまで逃げるのはどうだ? あいつに見つからないように馬のところまで行って、それで一気に……」

 

 そう期待を込めた眼差しで言うチャヤだが、その想いにミヤビは応えることはできなかった。険しい顔を横に振り、淡々と告げる。

 

 「それもダメだ。すでに馬は二頭ともあいつの腹の中だ」

 「ウソだろ……」

 「もちろん、ここからオグリまで競争したところで負ける。逃げ場の無い平原に出ることは自殺行為に等しい」

 「………………」

 

 ミヤビの言葉を呆けた顔で聞いていたチャヤは、やがて、コアラのように幹を抱き締める腕をだらりと下ろした。

 土気色を通り越し、血色を感じさせない蒼白そうはくの表情でぼんやりとミヤビを見つめ、彼はささやく。

 

 「なら……それだったらもう、どうしようもないじゃんか。死ぬしか、ないじゃんか。おれたち」

 「いや、まだ手はある。戦うんだ」

 「は?」

 

 固定されたチャヤの瞠目どうもくが、さらに丸くすぼまった。

 

 発言の意味が理解できない――というより、了解できない、といった顔だろう。挫けずにミヤビは言葉を重ねる。

 

 「戦って、ヤツを仕留める。それしか俺たちの生きる道は無い」

 「……は? は? 馬鹿かよ。お前、ケロべロスだぞ。馬鹿か。普通の想生獣じゃない。第二世代の想生獣だぞ? 分かってんのか? ナイト級が10人でやっと倒せるレベルの化け物なんだぞ!」

 「落ち着け。声を抑えろ」

 「うるせえよ! さっきから妙に冷静なフリしやがって! お前の方が実は焦ってんじゃねえのか?! そうだろ?! なんだよ戦うって! お前みたいな工廠の役立たずに何が出来るんだって言うんだよバーカ!!」

 

 怒りに震えた声が森の静寂を打ち破る。その甲高い罵声ばせいはきっと、森の中をり歩くケルベロスの耳に届いたことだろう。

 

 つまり、話し合いはここで終わりだ。

 

 「そうか。だったらお前の好きにすればいい」

 

 そう判断したミヤビは、早々にチャヤへの関心を断ち切った。

 

 「別にお前の協力なんて望んでない。お前がどうなろうと知ったことでもない」

 「うわっ」

 

 そして、チャヤが持っているスライマボムの入った袋を彼からかっさらうと、ミヤビは枝伝いに木を降り始める。

 

 「ただ、俺はこんな所で終わるつもりは無い。俺の命の使いどころは決まっている。そのためなら、どんな事をしてでも生き延びる。まだ何の努力もしてないのに、やる前から全てを投げ出してたまるか」

 「…………っ!」

 「お前はそこで一生、何かの存在に怯えながら時間を無駄遣いしてるといい。やる前から何もかもを諦めて、そんな自分に言い訳をしながらグダグダと毎日を過ごしている、実にお前らしい最期だ。それじゃあな」


 

 悔しそうに口を引き結ぶチャヤに軽く手を振って、ミヤビは地面に降り立ち、急速に大きくなっている足音の方角に向かって走り出した。







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