第16話 ケルベロスの弱点



 足音が鳴る方へ駆けるミヤビ。

 

 「さて……チャヤにはああ言ったが、どうしたモンか……。だが、勝機が全く無いわけじゃない」


 チャヤとの距離を十分、開けたところで少しペースを落とし、辺りを窺いながら慎重に歩き始める。

 

 「ケルベロスの優れた嗅覚。それは、犬が普遍的ふへんてきに持つ鋤鼻器じょびきによるものだ。ケルベロスの三つの頭にはそれぞれ脳があり、鋤鼻器を始めとした感覚器官から得た情報を処理する。しかし、それら独立した三つの脳をさらに制御する器官がある。それが胸髄きょうずいの第一胸椎きょうつい、『スパイラクス』という異常発達した脊髄せきずい部だ」

 

 ケルベロスの高い索敵能力は三つの頭をその事由じゆうとしている。しかし、頭に対して胴体は一つしかないので、通常の神経系の構造だと電気信号の錯綜さくそうが発生して頭と体がうまく疎通できなくなる。

 

 この事態を防ぐために、ケルベロスは脊髄部の脳化という答えを手に入れた。三つの脳から送られてくる情報を比較・検証し、そこから導き出される最適解を肉体に適用するシステムを構築したのだ。

 

 そのため、ケルベロスの本体はこのスパイラクスと言える。三つの頭は、実は大きな感覚器官に過ぎない。各あしのそれぞれに脳を持ち、それにより8本の足の複雑な挙動きょどうを実現させているタコのように、ケルベロスもまた四つの脳を持っているのだ。

 

 このような特殊な生態は、想生獣のほぼ全ての種族に見られる。そもそも想生獣は第一世界アマニチカイを統べる夢幻むげんの王が創造した生物であり、その目的は人類の殲滅せんめつである。

 自身の存在意義を果たすため、原種である第一世代は攻撃性能力に特化した能力を備えている。それはしばしば自滅を招くほどに強力で、かつ物理法則を完全に超越した現象ばかりである。

 

 そんな特質を持つ原種から変異したのが第二世代。その生物は、原種の特質を受け継ぎつつも、より生物的に適応化した。要するに、原種の特異かつ科学的実現不可な能力を自然法則に適した形に収まるよう、したのだ。


 ケルベロスのスパイラクスがまさしくそれなのである。

 

 「ここに外部からの強い衝撃を与えれば、脳震盪のうしんとうのような状態を起こすことができるはずだ。不安なのは、それほどのダメージを俺が与えられるか、ってところだが……タイタンボアとは違い、敵の感知と俊敏性に特化しているケルベロスには余計な脂肪も毛皮も無いから、ルイワンダの打撃でも十分にいけるはず!」

 

 スパスからルイワンダを取り出し、ミヤビはそれを固く握り締める。

 

 「残る問題は、どうやってヤツの隙を突くかだが………………、あれ?」


 そうしてしばらく歩き続けていると、不意にある違和感に気付いた。

 


 先ほどまで聞こえていた唸り声や足の裏に伝わっていた振動が、なぜか全く感じない。



 「……………………ヤバい!」


 それが何を意味するのか。

 森のど真ん中で立ち尽くし、ただ頭の回転にのみエネルギーを傾けるミヤビ。そうして一つの答えに至った時、思いっきり地面を蹴って宙を舞った。

 

 「「「ガアアアアアアアア!!!」」」


 次の瞬間、三つの頭が闇の中から現れ、ミヤビの真下を通過して地面や木々を食い破っていく。


 「くそ! いつの間にか近くまで接近していたのか!」

 

 ミヤビは空中でルイワンダを振り、木の枝にからませた。

 素早く首を引っ込めたケルベロスは、三つの頭で振り返り、木の枝に飛び乗ったミヤビに対して前傾ぜんけい姿勢を取る。


 明らかな追撃の様相ようそう

 

 「やべっ!」

 

 ミヤビはさらにルイワンダを振り、別の木に飛び移った。その直後、地面を抉りながら猛進するケルベロスの巨体を浴びせられて、ミヤビがいた木は大きな音を立てながら地面に崩れていく。


 しかし、ケルベロスは木の上で器用に方向転換。振り子の運動で次々と木の間を飛び移っていくミヤビへと再び襲い掛かる。タイタンボアとは比較にならないほどの俊敏性とスピード、そして三つの頭による絶え間ない猛攻。

 

 いつ、その牙に体を貫かれてもおかしくない恐怖が、どこまで逃げても離れない。

 

 「はっ、はえぇええっ?! こんなモン、攻撃とか隙とか言ってる場合じゃねえぇえ!!」

 「「「ガアアアアアアア!!!」」」

 

 そしてまた、歯を剥き出しにした三つの頭が同時に迫ってくる。ミヤビの逃げ場を奪うように、それぞれが異なる軌道を描く攻撃。

 

 「ちく、しょお!」

 

 これは避けられないと悟ったミヤビは空中で素早く反転し、キューブを一つ、放り投げた。

 

 淡くきらめくキューブは三つの頭の前でほとばしり、ケルベロスの前方が白い水蒸気に包まれる。

 

 「「「ギャゥア?!」」」

 「ぐうぅっ!」


 咄嗟とっさの判断でケルベロスの攻撃を止めることはできたが、至近距離であったため、ミヤビも爆発のあおりを避けられなかった。爆風を全身に受け、対処する暇もなく地面に叩きつけられる。

 

 「いててて…………あ? あいつは、どこだ?」

 

 痛む体を強引に起こし、ケルベロスの次の行動に備えるミヤビ。しかし、その時にはもう、ケルベロスの姿は無かった。忽然こつぜんと目の前から消してしまったのだ。

 


 ――爆発におびえて逃げ出してしまったのだろうか?


 

 「…………いや、違う」

 

 ガサガサガサ、と草むらを突っ切る慌ただしい音。それがミヤビを中心とした円の範囲で鳴り続いている。

 うかがっているのだ。攻撃の隙を。ミヤビを仕留めるために、その強靭きょうじんあしを用いた機動力を発揮しているのだ。

 

 そして、周辺を埋め尽くす音の洪水は、間も無く止まる。

 途端に静寂が全てを呑み込む、僅かな物音すら許されないような緊迫の時間。ミヤビはゆっくりとスパスに手を忍ばせながら、何があっても動けるように警戒心を燃やし続ける。

 

 「ガアアアア!」

 

 その甲斐かいあって、右手に位置する木の裏から一つの頭が現れた時、ミヤビは冷静に対処することができた。反射的に地面を蹴り、空中に跳ねてその攻撃を避ける。

 

 しかし、飛んだ先に待ち構える別の頭を見た時、ミヤビの表情に焦りが生じた。

 

 「くそ! 今のはおとりだったのか?!」

 「ギャアアアア!!!」

 

 大口を開けて、ミヤビへと駆ける左の頭。


 だが、幾度いくども修羅場を潜り抜けたミヤビの頭は、この危機的状況に慌てる心とは裏腹に、明確な対処をミヤビにもたらした。

 スパスに入れていた右手。その手が持つスライマボムのピンを親指で抜き、迫りくる大口に向かってミヤビは投擲とうてきする。

 

 「ゴガアッ?!」

 

 パァン、とスライマボムが炸裂し、左の頭の口内は粘度の高いスライムで満たされた。気道が塞がったのか、左の頭は必至に咳を繰り返し、ミヤビへの攻撃の機会をみすみす逃すことになった。

 

 しかし、これで終わりではない。頭上でミヤビを見下ろす中央の頭がまだ残っている。

 

 「グァアアアア!!!」

 「でりゃああああ!!」

 

 叫びながら降り注ぐ中央の頭。されど、今度はミヤビは引かず、上空に向かってルイワンダを振り上げた。その動作で撃ち出されたルイワンダの先端が木の枝に絡まり、ミヤビの体を急速に持ち上げる。

 

 その結果、中央の頭の牙を辛うじて避けることができたミヤビは、ケルベロスの上空を初めて捉えることができた。

 そうして見下ろすケルベロスの全貌ぜんぼう。独立した動きをする三本の首の付け根には、不自然に盛り上がっている箇所がある。

 

 「見つけた! スパイラクスだ! あそこに一撃を加えれば!!」

 

 ルイワンダを両手に持って大きく振りかぶり、ケルベロスの首の付け根を目指して落下するミヤビ。

 

 しかし、上空にいるミヤビを発見したケルベロスは、すぐさま落下地点から距離を取り、落ちてくるミヤビを見据えて吠え始めた。

 

 「ちょ、嘘だろ?!」

 

 やはり、ケルベロスも自身の弱点を認識しているのか。あからさまにスパイラクスを狙い過ぎたようだ。

 そして、最後に三つの遠吠えを響かせたケルベロスは、射程しゃてい内に入ったミヤビを食い殺さんと走り出す。

 

 「だったら、これでどうだ!」

 

 すかさずミヤビはルイワンダを振り下ろし、三つのキューブを射出した。それらはケルベロスの鼻先、具体的には中央と右の頭の鼻口部びこうぶで爆発し、ケルベロスは悲鳴を上げながら森の中へと逃げていく。

 

 「よし! ケルベロスも所詮は犬! 鼻へのダメージは耐えようがないか!」

 

 犬や猫などの動物に見られる、前に突き出た鼻や口の部分を鼻口部といい、そこは視野しやの観点から死角、弱点とされてきた。

 さらに、犬の鼻は多くの神経が集中している場所である。その近くで爆発が起きれば、さすがのケルベロスもパニックを起こしてしまったのだろう。

 

 これで、多少の時間を稼ぐことができるはずだ。攻略法を纏めるためにも、ミヤビはルイワンダを駆使くしして急速な移動を開始する。

 

 「臭いでこちらの動きがバレる以上、視界の悪い森の中で戦うのは悪手だ。とはいえ……平原に出たら出たで、打つ手は無い。機動力は向こうの方が上。加えて、木の無い場所ではルイワンダでの回避も移動もできない……どうすりゃいいんだ……」

 

 そう広くない森では、ルイワンダによる移動法ですぐに端まで辿り着く。この先に出て平原で迎え撃つか。引き返して森の中で待ち構えるか。

 

 「どうすればいい……どうすれば……?」

 

 森と平原の境目さかいめをぐるぐると往復するミヤビ。早くしなければ、混乱状態から回復したケルベロスが追いかけてくる。

 

 「せめて、臭いだけでもなんとかできれば…………ん?」

 

 ぴちゃり、と足元で跳ねる水の音。何事かと顔を下げると、生臭い空気が鼻をいてミヤビは顔をしかめる。

 

 そこにあったのは、血溜ちだまり。

 


 そう。ケルベロスが馬を捕食した際に出来た、地面に広がる鮮血のプールだった。







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