07.七つの大罪

「Superbia(傲慢)、Invidia(嫉妬)、Ira(憤怒)、Acedia(怠惰)、Avaritia(強欲)、Gula(暴食)、Luxuria(色欲)」



 読み上げられた単語の響きに、コウキの眉が顰められる。


 聞き覚えのある単語は、キリスト教徒ならば誰でも知る戒めだった。だが異国の言葉は不思議な響きとなって部屋に反射する。


「七つの大罪――」


 我が意を得たりとロビンの口元が歪む。


「人類を滅ぼしかねない、源罪げんざい……神が戒める感情達。すべてを封じたなら、誰もが修道士のようになれるだろう。だが世界は資本主義を選んだ。神が唱えた大罪が身近な世界……選んだのは人間で、神はそれを許容している」



 ロビンは足を高く組み、膝の上で手を組み合わせた。祈りを捧げる形に組んだ指から力が抜け、腰掛けた椅子に寄り掛かる姿はひどく穏やかだ。


「共産主義は七つの大罪を犯さぬ為に最適の社会システムだというのに、人間は競争し、欲望や感情を開放する資本主義を選ぶ。『悪魔の仕業』と罵る修道士すら無視して暴走する人間が、安息日に神へ祈る行為は…それ自体が冒涜でしかない。そして人間風情の愚行を許す神は……矛盾の塊だ」


 ゆっくり組んだ指を解き、コウキへと左手の甲を翳した。薬指を見せ付けるように撫で、軽く首を傾げて問いかける。


「さぁ、コウキ。指輪の意味を考えてご覧。なぜK14なのか、宝石は埋め込まれている必要があるのか、結婚指輪に固執した訳も……ヒントはすべて与えた」


 見開いた目を逸らし、コウキは手元の資料を見つめる。手元にあるのは9人分の指輪の写真……足元に並べていく。立ち上がって眺めるコウキの指が、唇を擦るように動いた。


 真剣に考え始めたコウキの脳裏に甦ったのは、一見関係なさそうな言葉達だった。


『おまえは覚えているか? 可愛そうなベス。哀れな子羊を見捨てた神の与えた、むごい試練――』


『彼女は純粋だった。純粋だからこそ、僅かな傷も穢れも赦せなくて壊れてしまう……ならば純粋こそが罪なのだ』


「……指輪は幸せの象徴か。それを奪う……いや、『取り返した』?」


 以前に閃いた言葉を無意識に口にする。


 どこか嬉しそうに頷くロビンに気づかぬまま、資料の指輪を睨みつけた。


 埋め込まれた宝石の全てがダイヤモンドだ。婚約指輪や結婚指輪にダイヤが使用されるのは珍しくなく、誰も手がかりにしなかったが……『純粋』という単語が似合う宝石だろう。


「犯人は時間も場所も選ばない。ターゲットを見つけて追いかけ、隙が出来たところで誘拐して殺す」


 手に持ったレコーダーへ推理を吹き込む。


 後で矛盾点などを探すにしても、録音しておくことで容易になる。また無意識に感じ取った単語が事件解決の糸口になることも多い為だ。


 再び手を組んで目を伏せたロビンが「結婚と婚約の違いは?」と答え合わせを要求した。


「結婚とは……束縛、いや違う。そんな単純な問題ではない筈、そう……もっと」


 どろどろして醜く、誰の心にも潜んでいる悪意のようなものがチラつく。


「歪んだ、祝福……?」


 パンパンと拍手が響き、コウキは物思いに耽っていた自分に気づいた。顔を上げた先で、喜色満面のロビンが顔の高さで手を打ち鳴らしていた。


「さすがはコウキだ。オレが見込んだ『稀有なる羊』――余人が到達しなかった高みまで、あと僅か……」


 身を翻して背を向けたロビンの右手に絡んだ包帯に目を奪われた。今まで気づかなかったのが不思議だが、それだけ場に呑まれていた証拠だろう。注意力が彼の発言に向けられていた所為かも知れない。


 シャツ越しに傷を覆う包帯が解け始めていた。


「ロビン……包帯が」


「ああ。別に構わないさ」


 そして思い出す。あの日もロビンは己の傷に無頓着だった。右足の膝下を抉った弾傷に対し『見た目ほど酷くないさ』とうそぶいてみせた。


 強がりではなく、手負いの獣の拒絶でもない。


 他人事を語るような口調は、すでに人間を見下ろす領域にある彼特有のものだろう。


「だが今日は終わりにしようか? コウキの集中力が途切れてしまった……稀有なる羊、次を楽しみにしているよ」


 背を向けて一方的に終わりを切り出したロビンは数歩歩いて、ふと思い出したように振り返って笑った。


「その聖書は気に入っている。返しておいてくれ」

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