08.神をも恐れぬ所業

 ふらりと外へ出たロビンを追えば、コウキを振り返り手を差し出す。


 意味を図りかねて目を細めたコウキだが、視線の先にある車に気づいて鍵を取り出した。ぽんと放れば、放物線を描いた銀色の鍵が彼の手に納まる。


 この行為が正しいのか……尋ねられたら『否』と即答するだろう。しかし、コウキにロビンを止めることは出来なかった。


 その意味を考える余裕すら失っている己に気づきながらも、コウキは無言で後に続く。単なる研究心だと言い聞かせる理性を、言葉にならない感情が嘲笑う。


 操り人形さながら、魅入られたようなコウキの行動にロビンの口元が三日月に歪んだ。





 月が雲に隠れた薄暗い夜道をスムーズに走り抜ける車は、やがて荘厳な建物の前で止まった。


 中央が塔のような形状をした建物は、正面から見れば三角に見える。頂点に立つ十字架を見るまでもなく、厳粛な空気を纏う教会は静けさに包まれ佇んでいた。


 ステンドグラスは聖母マリアに抱かれたキリストの姿を映し出す。


 犯罪者であり、神を否定し続ける男に似合わぬ場所――そう思ったコウキの脳裏に過ぎったのは、ロビンの言葉だった。


『神の羊飼い』とは、聖職者を指すのではないか?


 人間を羊に例えるなら、羊たちを導く役割を持つ者が『羊飼い』に当たる。それは牧師や神父を示す隠語の可能性が高かった。


 コウキを『稀有なる羊』と呼ぶロビンならではの……性質たちの悪い表現だ。


「ロビン…?」


「シッ、黙ってろよ。『おまえ』にはまだ『早い』が『特別』だ」


 ギィ……軋んだ音を立てて開いた両開きのドアを潜り、ロビンは嫣然と微笑んだ。呼び止めたコウキへ人差し指を口元に当てる仕草で、子供に言い聞かせるように告げる。


 名を知ってから『コウキ』と名前を呼ぶことはあっても『アンタ』や『おまえ』と呼びかける事は少なかった。それが再会してから増えている。間を遮る鉄格子がないことで、2人の距離感が変わりはじめているのだろう。


 入り口に一番近い椅子を指で示し、ここまで待つように眼差しで伝えるロビンに従った。


 夜の闇を従えるロビンの気配に逆らえない。コウキが知っているのは、穏やかで物騒で……鉄格子という安全な柵の向こう側にいた無害な彼だった。


 開放されたロビンの『野に放たれた獣』の恐怖が、じわりと肌を侵食するようにコウキを脅かす。


「神父様、おいでですか?」


 流暢な英語は訛りもなく、上流階級の紳士さながらに振舞う穏やかな男へ、奥から現れた神父は微笑んで椅子を勧める。どうやら初めての訪問ではないらしい。


「夜に申し訳ありません」


「いえ、教会はいつでも開かれています」


 迷える羊たちを導く聖職者に休日などない。夜中であろうと、明け方だろうと、助けを求めて飛び込む者に救済を与え、許しを与え、導くことが役目だった。


「決心はつきましたか?」


 穏やかな初老の神父は、ゆっくり切り出した。


 黒い神父服がよく似合う白髪混じりの男性は、何かロビンから相談されていたのか。促すように微笑んで答えを待つ。


 聖堂は音がよく響く造りになっている。その為、さほど大きな声で話しているとは思えない2人の会話も、コウキの元まで届いた。


 祈りの形に手を組んだロビンの背中をから少し視線を上げて、中央の十字架を見上げる。


 キリストが人々の罪を背負った十字架は、今もキリスト教徒のシンボルだ。人々を救う為に命を捧げたとされる神の子と、彼を授かった聖母の微笑み……様々な奇跡を記した聖書が、蝋燭の明かりに照らされていた。


 厳粛で荘厳な雰囲気を破る声が響く。


「ええ、ぜひ『聞いて』いただきたい」


 告解―――自罪(じざい:生まれてから犯した罪)を聖職者に告白することで、神からのゆるしと和解を得る宗教儀式。ロビンに似合わぬ行為が、さきほどの彼の不吉な言い回しに重なる。


『闇夜に相応しく、羊飼いを狩りに行くとしよう』


 止めなければ……何が起きるのか分からないが、急かされるように思った。閃きに近い啓示を信じて立ち上がったコウキの耳に、信じられないような絶叫が届く。


 見開いた蒼い瞳に映ったのは、まさに『神をも恐れぬ所業』だった。

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