09.言葉という毒

 装飾華美な短剣を手に、ロビンはうっそり微笑を浮かべた。返り血を浴びて立つ姿は、どこか人間離れしている。


「ロビンッ! っ……まさか」


 言葉が掠れる。叫んだ声は尻すぼみに小さくなり、見開いた目に映る光景に意識が奪われた。教会の質素な木製の椅子に腰掛ける神父が、己の胸を押さえて崩れ落ちる。恐ろしい状況に、右手で口元を押さえた。


 吐き気に襲われて、膝から力が抜けてしまう。崩れるように座り込んだコウキの足は震えていた。いや、全身が小刻みに震えて止まらない。



 過去の恐怖が過ぎった。


 倒れた母と、庇うように上に覆い被さった父……伸ばされる手。



「落ち着け、おまえは殺さない」


 コウキの安全を確約する男は、背で揺れる三つ編みの穂先を指で弄る。優しく響く声に促されて顔を上げたコウキへ、ロビンはいつもの自信に満ちた笑みを向けた。


 すぐに振り返って膝をついたロビンは、手にしていた短剣を足元に置く。肩で息をする神父の顎に手をかけ、強引に視線を合わせた。怯える神父の瞳を覗き込みながら、穏やかに語りかける。


「さて神父様、まだ聞いていただいていませんよ」


 丁寧な口調が厭味に感じられた。


「神は言葉を乱された……人間を脅威と感じたのでは? バベルの塔を崩した愚かな行為の代償は、神であっても払いきれない」


 神父の唇が震え、反論を吐き出そうとした。それを指先で簡単に封じてしまう。にっこり笑ったロビンは、幼子に言い聞かせるように続けた。


「カインがアベルを憎んだ理由、諍いの原因を作ったのも元を辿れば神自身だ。殺人が原罪だと言うなら、どうして神は『憎しみ』を人間に与えたのか。最初から感情を制御しておけばいい。与えておいて、翻弄される人間を高みから見下し、挙句に罪を挙げ連ねて責め立てる。それが『慈悲』と『愛』を説く聖職者に矛盾を植え付け、『救済』という名ばかりの免罪符に縋らせた」


 言葉遣いが普段の傲慢さを取り戻した。


 身を起こしたロビンが、青紫の瞳をマリア像に向ける。オペラを演じる俳優のような大げさな身振りで、聖母マリアへ嘆きを訴えた。


「マリアには婚約した男がいた。そしてキリストが神の子だというなら、神は他人の妻となる女を強奪したのだ。貞淑を美徳としながら、夫以外の男に身を委ねた女が聖母と崇められる矛盾―――何を飾ろうと、キリストは私生児に過ぎない。哀れで愚かな女マリア……おまえが産んだ不義の子は世界をペテンにかけた」


 ひとつ大きく息を吸って、演じる俳優の断罪が響く。


「見るがいい、詐欺師の母は後世まで他者に尽くす罰を科せられ、常に人目に晒され続けている」


「……悪魔…よ、去れ」


 震える手で胸元の十字架を握り、ロビンへ翳した神父がついに床に滑り落ちた。蹲る体を激痛に染められ、指先が白くなるほど十字架を握り締めている。


「悪魔は蛇……しかし蛇を生み出したのも神だ。貶められた堕天使ルシファーは、人間にとって唯一の味方だった。火を与え、寒さに凍える人間を救った罰に翼をもがれ、名を汚され、地の底に堕とされる。暁の名を持つ、明けの明星…彼は人々を解放しようとしたのでは? 神は己に逆らう天使を見せしめに、権力の保持を計った」


 神父の抵抗を嘲笑うように、ロビンはくすくす笑いながら悪意で装飾された毒を吐き出す。


「反逆する人間を洪水で沈め、言いなりに出来る数名をノアの方舟で救う。これこそが神の本心さ。『救済』など、所詮まやかしに過ぎない」


 神父の黒い服が、血に濡れててらてら光る。


 その光源は、祭壇に灯された多くのキャンドルだった。コツコツと靴音を高らかに響かせたロビンが近付き、銀の三又燭台を掴んで振り返る。中央の蝋燭を吹き消し、残る2本が燃える様に目を細めた。


 表情が凍りつき、連続殺人犯としての貌が表に出る。


「救いは与えられるのではなく、己で奪うものだ」


 ごくりとコウキは喉を鳴らした。


 強引な理論は頭をすり抜け、残るのは『恐怖』という形の感情だけだ。後退りたい気持ちが膨らむが、弱々しい呻き声に我に返った。


 椅子で見えにくいが、神父はまだ生きている。


 這いずって近付くコウキへ、ロビンは静かに告げた。


「まだ『早い』が……もう時間がない」


 燭台に残る2本の蝋燭を吹き消し、足元へ燭台を投げ捨てる。


 硬い金属音を響かせて転がる銀は、昔から魔除けの象徴だった。砒素毒を検出する為に古代から用いられた銀食器、狼男を射抜く銀の弾丸、吸血鬼を判別する銀の鏡、そして……宗教儀式に使われる様々な道具。


 きらりと光を弾く、丁寧に磨かれた燭台がコウキの少し先に転がった。


「神父様、あなたが敬愛する無様な『神』の御許へ送って差し上げましょう」


 優雅に片足を引いて、舞台俳優も敵わぬ嫣然とした表情で一礼したロビンが、ゆっくり祭壇を後にする。


 彼が向かう先には、傷ついた神父と短剣―――。




「やっ、やめろっ!!」


 叫んだコウキは必死だった。


 神父を……否、目の前で殺されようとしている『死神の獲物』を助ける。意識がその一点に集中して、長いブラウンの三つ編みが揺れる背中へ飛び掛った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る