07.破られた聖書

 夕闇が覆った窓の外は、雨天だった影響もあって闇が深い。


 同様に室内も暗く、立ち上がったコウキが照明のスイッチに手を伸ばした。だがONにする前に、背後に立ったロビンの手に遮られる。


 足をケガしているとは思えない、足音を響かせないロビンの動きに、自然とコウキの体は緊張を強いられた。


「罪を暴く無粋な明かりは遠慮しよう」


 芝居がかった言葉を吐きかけ、ロビンはあっさり距離を置いた。再びソファに腰掛けたロビンが、机の上に放り出した聖書を手にとって笑う。


「この聖書を読んだか?」


「……ああ」


 まだ壁際に立ったまま、コウキは掠れた声で答えた。


 ロビンが渡すくらいなのだ。


 何か特別な単語が書き加えられているのではないか?


 もしかしたら、皮の表紙の内側にメモを隠しているのでは?


 そう考えたFBIが調べつくした聖書は、何の変哲もない市販の聖書だった。一通り目を通したコウキだが、正直、内容には大して興味がない。


「『普通の』聖書だっただろ」


 くすくす笑いながら、ロビンは皮に手を滑らせた。意味ありげな仕草にコウキが目を細める。


「奴らはCTスキャンまで使い調べたようだが、そんなことじゃ何も出ないさ」


 何しろ、本当に仕掛けのない聖書だからな。


 彼一流のジョークだったのか―――この聖書は市販の物で、何も手を加えていないと告げる元死刑囚の目は楽しそうに煌いた。


「コウキに何か渡すとしても、連中の目に届く範囲で渡す必要はない」


 無言のコウキを他所に、彼はひどく嬉しそうに聖書を開いて数ページを破った。あまりに突然の行為に、驚いたコウキが目を見開く。


 思わず近付き、机の上に散らばった聖書の破片を手に取った。


「ただの書物だ、古い……詐欺師の記録を誰もがご大層な理由をつけてしまいこむ。本当に、人間とは度し難いバカの集団だ。未だに騙され続けているのだから」


 哀れむような視線を聖書へ落すロビンの呟きは、ほとんど独り言のようだった。


 普段から浮べる傲慢で不遜な笑みも、作った表情も消えた無表情。しかし、声に潜む様々な感情を強く感じる。


「……ロビン?」


 苦々しい響きに、思わず名を呼んだコウキへロビンは静かに首を横に振る。


「ああ、今日は月も見えない」


 窓の外を見やり、悲しそうに顔を俯けたロビンは子供のようで……コウキは「そうだな」と曖昧な返事をするのが精一杯だった。


 数分の沈黙が落ちる。コウキにとって居心地の悪い沈黙は、目を伏せていたロビンにより破られた。


「闇夜に相応しく、羊飼いを狩りに行くとしよう」


 散らかした聖書を一瞥する眼差しは、ひどく冷めていた。切り裂くような鋭さを秘めた青紫の瞳が孕む狂気に、気圧されたコウキがごくりと喉を鳴らす。


「羊飼い……?」


 繰り返された単語は、おそらく今夜のロビンの獲物を示す言葉だろう。ある意味、殺人予告とも取れる発言を無視できるほど、コウキは世界を憎んでいなかった。


「興味があるなら一緒に来ればいい」


 とんでもない提案に視線を泳がせたコウキだったが……数瞬の躊躇いの後、静かに頷いた。机の上には録音を続けるレコーダーが、小さな作動音を響かせている。


 立ち上がったロビンの、三つ編みを背に弾く仕草が妙に目に焼きついた。

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