09.毒の味

 反射的に出た言葉を、5つの質問に相応しくないと感じたのか。ロビンはしばらく無言だった。やがて、彼はゆっくり顔を上げる。


「死を怖れたことはないな」


 青紫の瞳は、不思議と凪いでいた。


感情を一切排除した、ガラス玉のような瞳が瞬く。


「逆に好ましい。だが、まだ眠る時期じゃない」


 焦がれるような色を一瞬だけ浮かべ、ロビンは表情を作った。


いつも笑顔を浮べている印象があるロビンだが、そのほとんどの表情は作られているのだろう。本心を反映した表情や感情など、他人に見せることはない。演じられる『死神ロビン』という役を、彼は楽しんでいるようだった。


「コウキは死を怖れるのか?」


 問われて、少し考え込んでしまう。他人に問うたくせに、己の立場となれば答えられない。


死にたいと思うことはないが、いつ死んでも構わないと考えるのは……怖れとは違うだろう。


「死にたいとは思わない」


 素直に答えたコウキの否定交じりの声に、ロビンは興味を惹かれた様子だった。身を乗り出すようにしてコウキを覗き込み、蒼い瞳に浮かぶ感情を読み取ろうとする。


居心地悪さに目を逸らせば、彼は「失礼」と謝罪して椅子を引き寄せた。座らずに手を触れたまま、椅子の背を撫ぜ続ける。


「毒殺を怖れないかと聞いたのは、出会った日の騒動を思い出したからだろう?」


 こくりと頷くコウキへ、ロビンは子供に教え諭す父親のような眼差しを向ける。


「あの日、新人の看守が持ち込んだカップに入れられた毒は、無味無臭、無色の砒素だった。オレが毒に気づいた理由を、コウキは勘違いしている筈だ」


「ネクタイピンが原因ではない……と?」


 変色した銀のネクタイピン、カップの中から取り出して寄越したのだから、あれが判定の基準となりロビンの命を救ったのだと考えた。


コウキの推理は当然だ。しかし、ロビンは『勘違い』と表現した。それはまったく別の要因で、ロビンが毒に気づいたことを示している。


「あの看守は、オレを憎んでいた。ネクタイピンを掠め取られるようなミスを犯すわけがない」


 確かに手が届くところまで近づく理由がない。飲み物のカップは専用の入り口から渡せばいいのだから、彼がネクタイに手の届く場所まで近づく必要はなかった。


「反応から毒の種類を判別する為、オレはカップの中身を飲んだ」


 とんでもない発言に、コウキは目を見開いた。驚きに声が出ない。


 砒素は猛毒だ。体内に入れば、嘔吐や吐き気、腹痛にのた打ち回ることになる。事実、看守はあの場で苦しんでいたではないか。


様々な意味を含んだコウキの眼差しに、ロビンはなんでもないことのように平然と答えた。


「見た目や味に変化はないが……軽い吐き気に襲われた。苦しんでるフリをすれば、彼は容易に近づく。愚かな男だ。死神と呼ばれた男を軽く見過ぎた」


 軽く溜め息をついて首を振る姿は、悪戯をした子供を叱るような余裕があった。どれだけの量を飲んだか、近づいた男にどんな手段で逆に毒を飲ませたのか。ロビンはそれ以上説明しようとしなかった。


 あの日のロビンは苦しむ様子はなく、初めて顔を合わせたコウキへ興味を示しながら近づいた。その直前に毒を飲んだようには見えなかったのに……。


記憶を浚うコウキの耳へ、さらにロビンの声が届く。


「人間は普段から服毒していると、耐性が出来る。毒殺を怖れないかと聞かれれば、怖れない為に服毒していたと答えるのが正解だな」


「命を狙われると知っていた……」


 ぽつりと零れたコウキの声が、夜の帳に染まる室内を震わせる。


月光が差し込む天窓の真下で、くすくす笑うロビンが鉄格子へ右手を伸ばす。触れた冷たい鉄を握り締め、逆の手で前髪を掻き上げた。


「人殺しは狙われる。カインもそう言っただろう?」


 再び創世記の一説を滲ませ、ロビンは口角を持ち上げた。


「殺されない為に捕まったという事か」


「違うな。無能な警察や公安に頼るぐらいなら身を隠す。どうせ誰もオレを捕まえられやしないんだ」


 それは事実だ。ロビンが自ら死体の傍で自白しなければ、彼を捕まえることは出来なかった。捜査線上に存在しなかったロビンの自首は、彼自身の考えで公安に身を預けたと考えるのが正しい。


「ここは快適だぜ」


 だから自首したと言わんばかりの発言に、コウキは眉を顰めた。ぐるりと見回した灰色の壁と鉄格子に、とても快適という表現は使えそうにない。


「ここが……か?」


「見解の相違だよ。視点をずらせば、コウキにも理解できる筈さ」


 それだけ言うと、興味を失ったようにロビンは踵を返した。右手の鎖をじゃらりと鳴らし、放り出してあった本を片手にベッドに腰掛ける。



意識から排除されたと知りながら、コウキは立ち上がることが出来なかった。


 不思議な存在――今までに出会ったことがない人種を前に、探究心と好奇心が抑えきれない。初めての経験に戸惑うコウキは数分後、看守に促されてようやくその場を離れた。

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