08.哀れな贄

 立ち上がったロビンが、サイドテーブルに置いた白骨を手に取る。そっと慈しむように撫でて、再びコウキへ向き直った。


じっと続きを待つ蒼い瞳の青年に、三つ編みを弄りながら近づく。


鉄格子に遮られるぎりぎりまで近づいて、足を止めた。


「オレが初めてベスを見たのは、殺す2時間前だった。ぼろぼろの服を纏い、まるでホームレスのように汚れて……泣きながら歩いてくる姿は、哀れを通り越していてね。その格好ではあんまりだろうと上着を貸した。途端に縋って泣き出した彼女は、酷い目に合ったことを告白し始めたよ」


 淡々と話す表情や口調と正反対の、優しい眼差しが骨に注がれる。


「彼女には、リンと呼ぶ友人がいた。社交的な友人に憧れるベスは、リンに誘われるまま夜の街へ遊びに行く。それが罠とも知らずに……」


 ロビンはゆっくり椅子に腰掛けた。それから、看守にコーヒーを持ってくるように頼む。頷いた看守が手配する隣で、焦れたコウキが口を開いた。


「続きは?」


 促すコウキの手に、ボイスレコーダーを見つけたロビンが目を細める。


嫌がるかと思ったが、彼は特に何も言わなかった。



「リンは麻薬に手を出していたらしい。その代金を払いきれず、呼び出したベスに支払わせようとした。ところが拒否したベスに、集金係の男達が求めたのは金ではなく身体だ。当然ベスは逃げたが、屈強な男達より彼女の足は速くなかったらしい。結局、ベスの純潔を神は守ってくれなかったのさ」


 何がおもしろいのか。ロビンはくつくつ笑い出した。


大げさなジェスチャーで、天を仰ぐ。それはベスを守らなかった神を嘲笑うようだった。


「悲鳴を上げて逃げたベスは、4人の男に犯される。彼女の祈りは届かず、助けを求める声は無視された。信じていた神に裏切られた羊は、悪魔に縋り、死神に助けを求めるしかない。だから、オレは願いを叶えてやったんだ」


 最初に彼が口にした『可哀想なベス、彼女は悪い友人に捕まった』という言葉が、マザーグースの表現と重なってコウキの心へ届いた。


騙され生贄として、獰猛な獣に捧げられた彼女を――ロビンは『神への供物』に例えたのだ。


ノアの方舟を比喩として使ったのも、残酷にして偉大なる『カミサマ』を皮肉ってのことだろう。


「彼女の願いはささやかなものだった。処女を失った自分を誰にも知られたくない。もう両親の元にも帰れない。でも自殺は出来ない……悩んだ彼女を救ったのは、地上にいた死神だけ。彼女の死体が出なかったのは、ベスの願いを聞いた結果だ。オレの最初の殺人は、母親じゃない。正確にはベスでもないけれど……」


 それは、秘められていたベスの殺人より以前に、すでに誰かの命を奪っているという告白だった。


「最初の殺人について、聞きたいか?」


 誘導されている。ロビンは、コウキの聞きたい事を5つ答えると約束した。


それはベスの骨を見つけた褒美だと匂わせて、実際は別の意味があるのだろう。彼の中でしか理解されない、特別な理由が……。


 嘘なしで答えると約束したロビンの誘導は、つまり彼が話したいことだけ話すという事だ。それはコウキが聞きたい事実とは限らない。


「またにする」


 断りを入れたことすら予想していたのか、ロビンは表情を改めると天窓を指差した。


「そうだな。月の女神がお出ましだ。夜の気配が強くなった今、闇の話は控えるとしよう」


 神話のような言い回しをして、ロビンは手を差し伸べる。


「その箱、看守に預けてくれないか? 検査後に我が手に届くように……」


 頷いたコウキが看守に預けた箱を見つめるロビンの元に、先ほど注文したコーヒーが届けられた。


薫り高い琥珀色を覗き込み、彼は躊躇いなく口をつける。先日毒殺未遂されたばかりなのに、まったく気にした様子なく……。


「お前は毒殺を怖れないのか?」


 コウキの呟きに答えず、連続殺人犯は青紫の瞳を細めて……やがて静かに目を伏せた。

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