絶対城先輩の妖怪学講座 補講 「鍛冶屋の婆」(6)

***




 そして、二日後の夜のことである。


「絶対城くん。今……何と?」


 文学部四号館三階の空き部屋で、村上弁護士が困惑した声を発した。たった今耳にしたばかりの言葉が理解できないのだろう、大きく首を傾げている。


 隣では、村上さんと同じように絶対城先輩に呼び出された久美ちゃんもまた、きょとんと目を丸くしていた。そんな二人と、傍らのあたしを見回すと、黒の羽織の妖怪学徒は「聞こえませんでしたかね」と肩をすくめてみせた。


「殺風景な部屋に呼びつけてしまってすみません、と申し上げたのです。先日来られた四十四番資料室は、今、整理中の資料が山になっていましてね。とても人を呼べる状態ではないので、こちらの空き部屋を選んだ次第で」


 そう言って小さく頭を下げると、先輩はがらんとした室内を見回した。


 この部屋で目に付くものは、出入り口と窓、あたしたちが腰掛けている丸椅子を除けば、あとは無地の白い壁だけ。なるほど確かに殺風景な部屋ではあるが……でも、村上さんが指摘したのはそこじゃないと思います。あたしがつぶやくまでもなく、村上弁護士が口を開く。


「誰がそんなことを聞きましたか。僕が言っているのは、その後に君が口にした言葉です」


「『狼の護符を手放す必要はないし、お祓いの類も一切不要。狼の呪いは人為的なものだ』……ですか? 何か異議でも?」


「大いにありますよ。遠吠えも庭に現れた狼も、誰かが仕掛けたものだと言うんですか?」


 分からないな、と言いたしながら、村上さんが大きく首を左右に振った。


 あたしは事前に先輩から話を聞いているけれど、村上さんと久美ちゃんにしてみれば寝耳に水の話なのだから、そりゃ驚くのも無理はない。二人の気持ちを思えば、順を追って説明してあげるべきなのだろうが、この変人にそんな思いやりがあるはずもなく。


 というわけで、先輩は村上弁護士をじっと見やると、ふいに大きな溜息を落とし、ぞんざいな口調で言い放ったのだった。


「もったいぶるのも面倒だ。一連の呪いは、久美君にお札を手放させるため、あんたが仕組んだことだろう、村上」


「え。な……何を!」


「そうなの?」


「違う久美ちゃん! 僕はそんな」


「黙れ。そして聞け」


 村上さんが目を見開き、その隣の久美ちゃんが弾かれたように問いかける。村上さんはまだ何か言おうとしたが、そこを先輩がすかさず黙らせた。反論を長い前髪越しの視線で封じつつ、先輩は「いいから聞け」と繰り返す。


「まず毎夜の遠吠えだが、あれは要するに声真似だ。そこの弁護士は、久美君の家の周りで夜な夜な狼の鳴き真似をしていたんだろう」


「ふ、ふざけないでください! だいたい、狼の声なんか、人間が出せるはずも」


「練習すれば可能だ」


 席を立ちそうな勢いで食い下がる村上さんを、再びバリトンの効いた声が遮った。羽織の懐からメモ帳を取り出すと、先輩はそれを見ながら先を続ける。


「時に村上。大学時代の飲み会では、声帯模写が持ち芸だったようだな。レパートリーには動物の声もあったと聞く。その技術を使えば、狼の鳴き声を響かせることも可能だろう」


「なぜそれを──あっ!」


 お前が教えたのか、この野郎! そんな憤りを込めた視線を向けられ、あたしは思わず視線を逸らした。まあ、確かにあたしが聞いたことですが、あの質問にこんな意図があったなんて知りませんでしたし。


「……だいたい、自分から話しておいて、今さら睨まれても困りますし」


「ユーレイの言う通りだ。しかし村上、地声とは考えたな。音響機材を仕込む必要もないし、人が通りかかったら止めればいいだけ。弁護士ならば夜に顧客の家を訪れることや、その途中で道に迷うこともあるだろうから、万一、不審者扱いされても理由は立てられる」


「あっ、なるほど! じゃあ、やっぱり、あの狼の呪いは全部……?」


 先輩の話に信憑性を感じ始めたのだろう、村上さんの近くに座っていた久美ちゃんが、椅子ごとあたしの傍へと移動してくる。その姿に悲痛な目を向けると、声真似が特技の弁護士は、「待った」と叫んだ。


「確かに僕は動物の声真似が得意ですよ。それは認めましょう。ですが、遠吠えの主が僕だったという証拠はないはずだ。ですね?」


「ああ。物証を残さない手口は、さすがプロと言うべきだろうな」


「これはどうも。こんな嬉しくない評価をいただいたのは初めてですよ。それに──そう、庭に現れた狼の謎は? 久美ちゃん、君は本当に狼を見たんだろう?」


「え? そ、それは……見た、けど」


「ほら聞きましたか絶対城くん? あれはどう説明するんです? 呪いか、幻覚としか」 


「あれはシベリアンハスキーだろう」


 目撃証言を得てヒートアップする村上さんを、先輩の冷たい一言が切り捨てる。意外な単語に、久美ちゃんがきょとんと目を瞬いた。


「……シベリアンハスキー?」


「鼻先が長く大柄な犬種だ。暗いところで見ると──しかも『自分は狼に呪われているかもしれない』と思っている時なら特に──狼に見えてしまっても不思議ではない。それとも久美君、君は自分が見たのが間違いなく狼だったと……正確に言うならば、ニホンオオカミだったと言い切れるか?」


「いや、それはできないけどさ……。そもそも、本物のニホンオオカミ見たことないし」


「そう。村上弁護士はそこに付けこみ──」


「──シベリアンハスキーを久美ちゃんの家の庭に放して脅かし、犬を連れて逃げた。そう言いたいのですか? あいにくですが、僕はハスキー犬どころか、何もペットを飼っていませんよ。残念でしたね!」


「何を偉そうに。一時的に犬を用意する方法はいくらでもあるだろうが。実際、お前の取引先のペットショップが、シベリアンハスキーを一体、どこかに貸した記録を、俺はしっかり入手している。奇しくも、久美君の家に狼が出たという、その日にな」


 胸を張る村上さんを前に、先輩がドライに言い放つ。全く予想外の答だったのだろう、それを聞いた弁護士は、ぎょっと目を見開いた。


「な……何でそんなことを? というか、どこでそれを知ったんですか!」


「依頼を受けてから数日間調べた結果だ、としか言えないな。今まで解決してきた依頼の数だけ、俺には俺の情報源がある。アマチュアの探偵ごっこだと思って甘く見ていたか?」


「そんな……たかが学生が……いや、待った!証拠はあるんですか? その犬を借りたのが僕だという証拠は!」


 冷静さを保ったままの先輩に、村上さんが切り返す。先輩が答えないのを見ると、弁護士は狼狽を深呼吸で押さえ込み、「それはないんですね」と鼻で笑った。


「まったく、これだから素人は。最終的に物を言うのはあくまで物証ですよ」


「なるほどな。ところで話は変わるが、お前の事務所に落ちていたこの毛は何だと思う?」


 相手が勝ち誇るのを待っていたかのように、羽織の懐から小さなビニール袋を取り出す絶対城先輩。五センチほどの袋の中には、よく見れば褐色の毛が入っていた。


「先日、お前の事務所を訪ねたユーレイの──ああ、つまり、こいつの靴に付いていたものだ。


 理工学部の知人に鑑定してもらったところ、イヌ科の哺乳類のものと断定された」


「え」


「ペットがいないと言うのなら、どうしてこんなものが事務所に落ちている?」


「な……そ、そうか! あのインタビューの時、妙に事務所をうろうろすると思ったら……こういう魂胆があったわけですか……!」


「はい? いやいやいや! あたしはほんとに知らなかったんですからね?」


 恨みがましい視線を向けられ、あたしは慌てて首を横に振った。信じてもらえないとは思うが、一応言うべきことは言っておかないと。だが村上弁護士はそれに反論することもなく、がっくりと大きく肩を落とした。


「馬鹿な……どうして事務所に、そんな毛が」


「俺が知るか。大方、シベリアンハスキーの毛がお前の服にでも付いていて、それが事務所に落ちたんだろう。悪いことはできないな」


 しれっと語る絶対城先輩である。もっとも、実を言えば、あたしの靴に犬の毛なんか付いてなかった。先輩の持ってるあれは、あたしが農学部で拾ってきたヤギの毛だ。


 ……まあ、正式な裁判でもないのだし、相手が気付かれなければ大丈夫だろうが、それにしても恐いのは、でっち上げの証拠を自信満々に掲げて相手を追い詰める絶対城先輩という人だ。しかし、そこは相手も弁護士。簡単には負けを認めず、「待った!」と再び顔を上げた。


「呪いが全て僕の仕掛けだったとしても、動機がないじゃないですか。久美ちゃんにお札を手放させるためと、君はそう言いましたが、そんなことをして僕に何の得があります?」


「分かっているくせにそれを聞くのか? 正式な遺言状に基づいて久美君に渡った札を第三者が手に入れるには、持ち主が自主的に手放すよう仕向けるしかなかったからだろう?」


「だから、そんなことをする理由を──」


「そもそも、だ。遺言には本当にお札を久美君に譲ると、そう書いてあったのか?」


「え? そ、それは間違いないよ? 私も見たし、あれは祖母ちゃんの字だった。神棚のお札は孫の久美に、って」


 先輩の唐突な質問に、久美ちゃんがきょとんとしながら応じる。それは前にも聞いたのに、どうして今さらそんなことを? そう疑問を浮かべていると、先輩は「これは俺の想像だが」と口を開いた。


「遺言は漢字で書かれており、しかも振り仮名はなかった。違うか、久美君」


「え? それはそうだけど」


「なるほど。護符は持ってきているな?」


「あ、うん……?」


 話の先が見えないのだろう、困惑したままの久美ちゃんが、傍らのバッグから例の狼のお札を取り出す。裏表に千匹狼が描かれたお札を前に、先輩は小さくうなずき、言った。


「やはり、貼り合わせた二枚の護符の間に、別の何かが入っているな。中を確認しても?」


「あ、ああ……」


 おずおずと久美ちゃんがお札を手渡す。先輩はそれを受け取ると、羽織の懐から取り出した十得ナイフを使い、張り合わされた部分を器用に剥がしていった。


「あの羽織、何でも入ってるんだね」


「そうなのよ」


 しみじみ感心する久美ちゃんに同意しつつ、開封作業を見守る。ややあって、先輩は二枚のお札の間から、折りたたまれた紙片を一枚取り出し、あたしたちの前にかざした。色はくすんだ灰色で、いかめしい字で「二拾円」と書いてある。えーと、これはどう見ても。


「昔の紙幣……ですよね?」


「ユーレイの言う通りだな。正確には、明治時代に発行された旧国立銀行券の二十円札。現在の市場価値は、そうだな……」


 先輩の言葉がいったん途切れる。驚くあたしや久美ちゃん、そして、いつの間にか青ざめていた村上さんをゆっくりと見回すと、黒の羽織の怪人は、バリトンの効いた声で続けた。


「安く見積もっても、五百万円は下るまい」


「そんなに高いんですかっ?」


「二十円なのに五百万って……ほんとかよ!」


「古銭というのはそういうものだ。ところで久美君、再度確認するが、遺言の『お札』は漢字で書かれていたんだな?」


「さっきも言ったじゃん──って、あっ! そ、そ、そうか! もしかして……!」


「理解したようだな。……そう。久美君の祖母が孫に譲ったのは、『おふだ』ではなく、『おさつ』だったんだ。お金に困った時はこれを使えと言いたかったのだろう」


 目を丸くする久美ちゃんをまっすぐ見据え、先輩が満足げにうなずく。なるほど、そういうことか。納得するあたしの視線の先で、先輩は黙り込んだままの村上さんに向き直った。


「村上弁護士。おそらくあなたは、遺言の作成に立ち会い、このことを知っていた。だが、事情を知らない者が見ると『おふだ』と読めることに気付いたあなたは、事実を遺族に隠蔽し、護符を自主的に手放させるよう、狼の呪いを仕掛けたんだ。違うか?」


「なっ! いや……そ、それは……」


「その様子を見る限り、違わないようだな。寄付の話を聞いたとたんに顔色を変えるほど、金に厳しい──汚い、と言おうか──あなたのことだ。数百万の価値のある古銭は、かなり魅力的に見えたのだろう。お祓いのために神社や寺に行かず、アマチュアの俺のところに来たのも、プロより与しやすいと踏んだからだろうが……あいにく、当てが外れたな」


 歯噛みする弁護士を前に、絶対城先輩が肩をすくめる。反論の手段が見つからないのだろう、村上弁護士は丸椅子に腰かけたまま耐えていたが、ややあって、ぼそりと声を絞り出した。


「……どうして気付いた」


「ようやく認めたか。怪異の相談を受けた時はまず関係者を疑うべき、というのもあるが……そうだな。違和感を覚えたのは、思春期の精神病理に詳しいと自称しておきながら、ベアリング・グールドの名前を知らなかった時だ」


「べ、べアリング……?」


「ああ。彼の著作『人狼じんろう伝説』は、精神医学の観点から狼憑きの伝承を探った、あの分野の草分けだ。思春期における狼の幻について学んだなら、名前は絶対目にしているはずなんだ。だが、お前はそれを知らないと言った」


「そ……そんなところから……?」


「怪しむには充分な理由だろう。グールドを知らないお前は、単なる無知か嘘吐きのどちらかだし、嘘だとすれば、そこには何らかの意図がある。もしやと思って探ってみたら、案の定だ。まったく、狼にまつわる怪異の犯人が身内とは、とんだ鍛冶屋の婆だな。正体を隠す手段がお粗末すぎるのも伝承通り。どうせやるなら、もっと上手くやってみろ、阿呆」


「ふ──ふざけるな! 人を馬鹿にするのも、いい加減に──!」


 怒りが沸点を超えたのだろう、椅子の上で震えていた村上弁護士が、弾かれたように立ち上がる。そのまま憤りに任せて先輩へと掴みかかろうとしたが──。


「任せた、ユーレイ」


「え、またですか? はいはい!」


 ──あいにく、そうはいかなかった。


 椅子を蹴って先輩の前に割り込んだあたしが、村上弁護士の両腕を掴んで止める。いきなり目の前に現れたあたしに面食らったのだろう、村上弁護士がハッと息を呑むその瞬間、抑えた腕をぐるんと捻れば、大柄な体はあっけなく宙に舞い、床に落ちた。


「がはっ……!」


「はい、そこまでです」


 受け身も取れず苦しむ弁護士を、後ろ手に捻り上げて動きを止める。全くもう、あたしの役目はこんなのばっかりか。呆れた声で「痛みで気絶させられたくないなら、お静かに」と宣告すると、傍観していた久美ちゃんが、感嘆の声をしみじみと漏らした。


「かっこいい……! 黒いおっさん、このお姉さんだかお兄さんだか、意外に凄いね!」


「ああ。このお姉さんだかお兄さんだかは、腕だけは立つんだ」


 しみじみとうなずく絶対城先輩である。評価されたのは嬉しくなくもないけれど、「だけ」ってのは心外です。あと、その呼び名もやめなさいね、君たち?




【次回更新は、2020年1月28日(火)予定!】

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