絶対城先輩の妖怪学講座 補講 「鍛冶屋の婆」(5)

***




「ああびっくりした……。でも、頼まれた用事は済ませたぞ、と。さて、次は」


 村上弁護士事務所を出た後、あたしは絶対城先輩との待ち合わせ場所である、駅の構内のコーヒーショップに向かっていた。


 レジでアメリカンのホットを頼んで受け取り、ほどほどに混んでいる店内を見回せば、黒の羽織を纏った背中が、誰かと相席しているのが見えた。相手はよく見えないが、明るい色の長い髪を見る限り、どうやら女の子のようだ。


「……あれ、先輩?」


 思わず怪訝な声が出た。ヤキモチを妬くわけではないが──ほんとですよ──あの偏屈で意固地で知り合いはほとんどおらず、妖怪にしか興味のない朴念仁が、女性と一緒にいるなんて、珍しいこともあるもんだ。しかし、誰かと相席中なら、お邪魔しない方がいいのかな。でも、ここに来いって言ったのは先輩なんだから別にいいよね。自問自答しつつ、そっと先輩の席に近づくと、先輩の向かいの席の女の子があたしに気付き、声を上げた。


「あ、こないだもいた人じゃん。こんちは」


「いや、あたしは初対面……じゃないね。何だ、誰かと思えば久美ちゃんか。こんにちは」


 今回の依頼人の少女に挨拶を返すと、あたしは同じテーブルに付いた。今日は制服じゃないので印象が違って分からなかったが、よく見れば確かに、昨日、狼の呪いの件で資料室に連れてこられた、あの少女だ。キャミソールがよく似合ってらっしゃるが、中学生にしては露出多すぎません? そんなことを心の中でつぶやきつつ、あたしは絶対城先輩へと向き直る。


「お待たせです、先輩。行ってきましたよ」


「見れば分かる。今は久美君と話しているところだ。話は後にしろ」


 メモを取り出して報告を始めようとしたあたしを、隣席の先輩が冷たい声ですかさず制する。はいはい、さいですか。


「まあ、別にいいですけど……。しかし先輩、どうして久美ちゃんと一緒なんですか? たまたまばったり会ったとか?」


「呪いに関して聞きたいことがあったので、俺が頼んで出向いてもらったんだ。当事者から直接話を聞くのは基本中の基本だからな」


「直接って、もう聞いたじゃないですか」


「馬鹿を言え。あの時喋っていたのは、ほとんどあの弁護士だったろうが。俺が欲しいのは、実体験に基づいた情報だ」


 そんなことも分からないのか、馬鹿め。そう言いたげな冷たい横目であたしを黙らせると、先輩は正面の久美ちゃんへと向き直った。


「話の腰を折ってしまったな。では、続きを聞かせてほしい」


「いいけど。どこまで言ったっけ?」


「毎夜の遠吠えが誰かのイタズラじゃないかと怪しんで、家の周辺を探ったが、スピーカーの類は見つからなかった、というところだ。その遠吠えは、家の外から聞こえたんだな?」


「うん。割と近くで吠えてるような感じなんだよ。信じられないとは思うんだけど」


「言ったろう。怪しい出来事はどこでもいつでも起こり得る、と。故に、俺は君の話を全面的に信じている」


「……ほんとに?」


「俺が嘘を吐くのは、騙す必要のある相手と嫌いな奴だけだが、今のところ君はそのどちらでもないからな。頼んでおいた例のものは」


「うん。持ってきたよ」


 こくりとうなずくと、久美ちゃんは傍らのバッグから、意外にファンシーなクリアファイルを取り出し、机の上に無造作に置いた。


 ファイルの中に挟まれているのは、一枚の古びた紙だ。サイズは葉書を少し縦に引き伸ばしたくらいだろうか。中央には犬のようなシルエットが大きく描かれており、その周囲には、これまた犬っぽい模様が無数に並んでいる。先日聞かされた通りのデザインを前に、あたしは思わず声を発していた。


「これって、呪いの……?」


「ああ。村上弁護士の言うところの今回の一件の発端にして、久美君が受け継いだ狼の護符だ。実物を見てみたかったので、持ってきてもらった。久美君、確認してもいいか?」


「別に減るもんじゃなし、いいよ。でも、その……呪われても知らないからね?」


「心遣いはありがたいが、心配は無用だ」


 けろりと即答し、絶対城先輩はクリアファイルの中のお札を手に取った。聞いていたように、裏表が同じデザインだ。


「そもそも、人が不必要に恐怖するのは、知識が欠如しているからだ。正しく知れば、正しく怖れることもできるし、無駄に怖がることもなくなる。あらゆる分野に通じる話だな」


 落ち着いた声で語りながらも、お札を眺め続ける絶対城先輩である。裏から表から上から下から、余すところなく視線を向けるだけでなく、照明にかざしたり、片手に乗せて重さを確かめてみたり、先輩の観察は終わらない。


 こんなにじっくり確認されると思っていなかったのだろう、久美ちゃんはぽかんと先輩を眺めていたが、ややあってぼそっと声を出した。


「……あのさ。持ってきた私が言うのもなんだけど、それ、そんなに面白いの?」


「実に興味深いな。まず、古い割には保存状態は悪くないのが素晴らしい。大事に保管されていたんだな。裏表が同じ文様なのかと思ったが、これは二枚を貼り合わせてあるようだ。なぜこんなことをしたのか知っているか?」


「え? なぜも何も、そういうものだと思ってたんだけど……。普通は違うの?」


「護符を貼り合わせるというのは、あまり見ない形式だな。狼信仰は地域差が大きいから、そういうルールがあったこと否定はできないが……。それはそうと、このデザインは良いな。初めて見る意匠だが、熊野大社の烏のように千匹狼をあしらった縁取りも、中央の一体も、素朴ながら荒々しい勢いに満ちている」


「マジで? おっさんもそう思う?」


 先輩の語る評価を聞き、久美ちゃんがハッと目を輝かせた。その食い付きにも驚いたが、気になることがもう一点。


「おっさんって。いいんですか先輩」


「誰のことを呼んでいるか分かれば問題はないだろう。今はそれよりこの護符だ。かなり古い形態のものらしいが、まさかこんなものが今も伝承されているとは」


「見る目あるじゃん、おっさん! 熊野がどうと古さとか知らないけどさ、かっこいいんだよ、これ。だから手放したくないんだ」


 共感者を得た喜びを満面の笑みで現わしながら、久美ちゃんが何度も首を縦に振る。あんまり行儀のよろしくない子だと思っていたが、笑ってる姿を見ると結構気さくで可愛く見える。第一印象で決めつけちゃいけないな、と自戒しつつ、あたしはおずおず口を挟んだ。


「今、かっこいいから手放したくないって言ったよね? お札を捨てないのって、お祖母さんが遺してくれたからじゃないの……?」


「何その決めつけ。そりゃ別に、祖母ちゃんが嫌いってわけじゃないけど、好きで好きで仕方なかったわけでもないもん。あ、それと、あの弁護士のおっさんが嫌いだってのもあるか。祖母ちゃんだけじゃなくて、親も完全にあのおっさん信じてて、だけど私は信用できないんだ。ベタベタしてくるし、家族の事にも首突っ込んでくるし、お人好しでーすって態度もムカつくし……。でもやっぱ、一番の理由は」


「かっこいいから、か」


「うん。黒いおっさんの言う通り」


「そ、そうなの……?」


 あっさり述べられた理由に、きょとんと目が丸くなる。お札を手放さないのはお祖母ちゃん子だったからだと思っていたが、そんな理由だったなんて。思わず呆れたあたしだったが、先輩は、なぜか満足そうにうなずいた。


「なるほど。それが本音だったか」


「ば、馬鹿にするなら勝手にしてよ? まあ、自分でも、ガキっぽい理由だと思うから」


「逆だ。気に入った」


「分かってもらうつもりは……はっ?」


 先輩の言葉がよっぽど意外だったのだろう、恥ずかしげに弁解していた久美ちゃんが、目を瞬いた。驚く久美ちゃんと、そしてあたしの見つめる先で、黒衣の妖怪学徒はもう一度うなずき、そしてバリトンの効いた声を発した。


「故人の遺志を重視して護符に固執しているのなら、理由を付けて手放すよう説得するつもりだったが、気が変わった。個人的な思い入れを優先させるその態度、大いに結構……!」


 心底共感しているのだろう、腕を組み、しみじみと語る絶対城先輩。あたしにとっては拍子抜けだった久美ちゃんの言葉だが、名のある実家も家名も捨てて、妖怪学を選んだ過去を持つ先輩としては、かなりグッと来たようだ。


「家庭の事情は人の考え方はそれぞれですから何も言いませんが、家族の思いは大事にした方がいいとは思いますよ、あたしは」


「自身に害のない範囲でな。というわけで久美君、俺は君の味方だ。護符が呪われていようがいまいが、この札を君から手放させることはしないと誓おう」


「……ほんとに?」


「君に嘘を吐く理由はないと言ったはずだ」


「あ、ありがとう! ありがと、おっさん!」


 まさかこの怪しいのが賛同してくれるとは思わなかったのだろう、久美ちゃんは興奮気味に身を乗り出すと、先輩の手を取って引き寄せ、強く握った。先輩は少し驚いたようだが、拒むでもなく、手を振られるままになっている。


 ……依頼人と仲良くするのは悪いことじゃないけども。それにしたって、ちょっと騒ぎ過ぎで、近づき過ぎじゃないですかね?


「……あのね、久美ちゃん。お店の中なんだから、もうちょっと静かに」


「ん。何赤くなってんの。嫉妬?」


「違いますけどもっ!」


「店の中だから静かにね? おっさん、このお兄さんだかお姉さんだかがなんか怖い」


「落ち着け、お兄さんだかお姉さんだか」


「お姉さんです! どちらかと言うと!」


「うるさい。しかしこの護符、二枚を貼り合わせてあるのは間違いないが、そうなると、裏側の模様が気になるな。それにこの感触、二枚の間に何か入っているのか……?」


 昂ぶるあたしを受け流し、先輩は再びお札に目を向けた。知ってはいたがマイペースな人である。げんなりと溜息を落とすあたしを、久美ちゃんは楽しげに眺めていたが、ふいに「あ」と口を開いた。


「あのさ、おっさん、そろそろいいかな……? もう帰らないといけなくて」


「分かった。情報提供に感謝する」


 礼儀正しく一礼し、狼のお札を持ち主へと手渡す絶対城先輩。久美ちゃんはそれを受け取ると、クリアファイルに挟んでバッグに入れ、いそいそと立ち上がった。


「えーと……じゃあ、また」


「ああ。近いうちに連絡する」


「もう暗くなるし、気を付けて帰ってね」


「子供扱いするなっての」


 じろりとあたしを見やると、久美ちゃんは軽く手を振り、コーヒーショップを後にした。ばいばい、と手を振り返しつつ、あたしは先輩へと話しかけた。


「資料室で会った時は、とっつきづらい子かと思いましたが、そうでもなかったですね」


「嫌な男に、行きたくもないお祓いに連れてこられたんだぞ。不機嫌になるのも当然だ」


「そりゃそうかもですが、それにしたってずいぶん久美ちゃんの肩を持ちますね。そんな気に入ったんですか、あの子?」


「何だ、その目つきは」


「別に何でもないですよ? ただ、こっちは大変……というほどでもないですが、怖かったのに、って思ってるだけです」


「怖かった? 村上の事務所がか?」


 あたしがこぼした一言に、先輩が不可解そうに答える。そうですよ、他に何が。そう応じながら、先輩の向かいの席へと移動するあたしを前に、黒の羽織の妖怪学徒は首を捻った。


「まあ、村上は単純な善人ではないとは思っていたが、お前が恐れる相手でもないだろう。物理的には間違いなくお前の方が強いぞ」


「人を猛獣みたいに言わないでください。確かにあたしは、多少、合気道の心得はありますけど、ただの大学一年生ですし……。てか、こっちは言われた通りにやってきたんですから、成果を聞くとか労うとか褒めるとか、そういうのはないんですか?」


 声にドスを効かせ、じろりとまっすぐ睨んでやる。と、その要求が意外だったのか、先輩はきょとんをあたしを見つめ、こう応じた。


「成果は今から聞くつもりだったが、労え、褒めろと来たか。……まあ、考えておく」



【次回更新は、2020年1月24日(金)予定!】

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