絶対城先輩の妖怪学講座 補講 「鍛冶屋の婆」(4)

***




「失礼しまーす……」


 そして数日後の昼下がり。先日受け取った名刺を頼りに、駅前のビルの二階を訪れたあたしは、「村上弁護士事務所」と書かれたドアをくぐっていた。


「すみません、急にお邪魔しちゃって」


「いえいえ。絶対城くんに依頼したのはこちらですからね。ええと、君は……」


「あ、名乗ってませんでしたっけ。経済学部一年の湯ノ山礼音です。絶対城先輩の手伝いみたいなことをしています」


「手伝い『みたいな』? ともかく、中へ」


 昨日と違うスーツとネクタイの村上さんが、礼儀正しく迎え入れてくれる。すみません、と繰り返しながら、あたしは部屋の中を見回した。


一人でやっている事務所なのだろう、こじんまりとした部屋ではあったが、整理されているせいで、あまり狭くは感じない。本棚と古本だらけの資料室に馴染み過ぎたせいで、そう思ったのかもだけどね。そんなことを心の端に浮かべつつ、案内された椅子に腰を掛ける。


革製の椅子は、高級なのかもしれないが、やや硬くて座りにくい。座りやすい場所を求めてごそごそとお尻を動かしていると、村上さんが湯飲みを二つ手にしながら現れた。


「粗茶ですが」


「ありがとうございます、いただきます……。この事務所、お一人で?」


「週に三日、事務員のおばさんが来ますが、今日は彼女は休みなんですよ。フルタイムで雇えればいいんですが、何しろ貧乏弁護士ですからね。人が良すぎるのが駄目なのかな」


 自嘲しつつ、村上さんがあたしの向かいに腰を下ろす。まあ、人が良いのは立派なことだと思うけど、でも、それを自分で言うのはどうなんでしょう。自己申告することじゃないのでは? などと内心でつぶやいていると、村上さんは「それで」とあたしに顔を向けた。


「今日は何の用で? 先ほどの電話では、依頼したのとは別の件とのことでしたが」


「あ、はい! 実は、東勢大学の学生委員と同窓会の合同企画で、大学のOBの活躍についてまとめた冊子を作ることになったんです。あたし、学生委員をやっているんですが、社会に出て活躍されているOBの方を当たって、インタビューすることになっているんです」


「ははあ。それで、僕の話を聞きたいと?」


「はい。恥ずかしい話ですが、インタビューのことをすっかり忘れていて……先日、村上さんが帰られた後に思い出したんです。弁護士として活躍されている村上さんなら、是非紹介させていただきたいし、お話を伺えればと思いまして、電話させていただいたんです」


「なるほど、それは光栄だ。そういうことなら喜んで協力させていただきますよ。その冊子はいつごろ出るんですか?」


「再来月を予定していますが、編集の進捗状況で遅れるかもしれません。今でも少し遅れてしまっていますから……」


 絶対城先輩に叩き込まれた設定を引っ張り出しながら、あたしはにこやかに話を続ける。できる限りの営業スマイルを浮かべているが、ややぎこちないのは許してほしい。


 ……なお、言うまでもない気もするけれど、同窓会のOBへのインタビュー企画など、どこにも存在していない。全ては絶対城先輩が考案した嘘である。


 しかし、村上さんに話を聞くなら、普通に問い合わせればいいものを、何でこんな面倒な設定を? そう思って尋ねてみたが、例によって答はなく、代わりに返ってきたのは「反論すると今後お前に飯は作らん」の無情な一言だった。そんな風に言われてしまえば、もはや逆らう術はないわけで。……ああ、餌付けされてるなあ、あたし。自分で自分を憐れみながら、あたしはバッグから手帳とペンを取り出した。


「では、ご質問よろしいですか?」




「──大学時代に所属されていたサークルはカヌー同好会、と。では次の質問です。学生時代、コンパや飲み会での持ちネタはありましたか? ほら、手品とかモノマネとか」


「はい? そうだな、先輩から声帯模写を仕込まれました。いわゆる声真似ですが、そんなことまで聞くんですか?」


「ええ、あたしも何でこんなこと聞かせるんだか意味が分かんな……じゃない。ええと、人となりを掘り下げる企画ですので、なるべくいろいろなエピソードを集めてこいと言われてまして、はい。では次、ペットはいますか?」


「いませんが」


 事務所の窓際に立つあたしに向かって、応接セットの村上さんは、やや苛ついた声で即答した。インタビュー開始から三十分近くが経過し、最初は快く応じていた村上さんの機嫌は、目に見えて悪くなっていた。


まあ、意図のさっぱり分からない質問に延々付き合わされたら、いくら自称お人好しでもそりゃ腹も立つだろう。すみません、文句は絶対城先輩に。内心でつぶやきながら答をメモしていると、村上さんは窓際から入口方面へと歩くあたしを見据え、首を傾げて問いかけた。


「さっきから気になっているんですがね。君はどうしてそんな部屋の中をうろつくんです? 座っていればいいでしょう」


「え? ええと、これもアレの命令で──っと、その、OBの仕事場の雰囲気を体感して掴もう、というコンセプトでして、はい」


「分かるような分からないようなコンセプトですね……。まだ続くのですか? 仕事中なので、そろそろ解放していただきたいのですが」


「そろそろ終わりのはずです……あ、すみません。質問は今ので最後です! それで、最後にちょっとお願いというか」


 そそくさと応接コーナーに戻ると、あたしは村上弁護士に向き直った。何ですか、とこちらを見据える顔を前に、あたしは「実は」とおずおず切り出す。


「ご存知かもしれませんが、同窓会の活動は、OBの方の援助と寄付で成り立っています。それでですね、その……村上弁護士にも、是非、ご協力をいただければと思い」


「……は?」


静かな憤りに満ちた声が、あたしの言葉を遮った。合気道で鍛えた格闘家の勘が、怒りと蔑みをキャッチし、背筋に悪寒が走る。


……え、な、何? 急にどうしたんです? 一瞬前までも機嫌は悪かったですけど、それにしたってこの変わり様はただごとじゃないですよ? いきなり排他的な感情を向けられ、あたしは思わず固まってしまう。と、そんな後輩を前に、村上弁護士はゆっくりと首を左右に振り、


そして、静かに口を開いた。


「申し訳ありませんが、そういうお話なら、お断りさせていただきます」


「え? いや、でも、そんなあっさり」


「聞こえなかったんですか? お断りしますと言っているんです、僕は」


ドスの効いた声が、目と鼻の先から突き付けられる。かろうじて穏やかな表情こそキープしていたが、村上さんの声の重さときたら、見知った少女に振りかかった呪いのことを親身になって心配し、後輩のインタビューに快く時間を割くお人好しのものとは思えない。その凄まじい迫力に気圧され、あたしは逃げるように事務所を後にしたのだった。


「しっ、しし、失礼しました!」




【次回更新は、2020年1月21日(火)予定!】

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