絶対城先輩の妖怪学講座 補講 「鍛冶屋の婆」(3)

     ***




「村上さん、オカルト信じてるのかと思ったら、意外に現実的な人なんですね」


机の上に残された「村上弁護士事務所」の名刺を見つつ、あたしは先輩の向かい側のソファに腰を下ろした。ついさっきまで久美ちゃんが座っていたおかげで、まだ少し暖かい。


「で。どうするんです、先輩?」


「どうするとは何がだ」


「そりゃ、狼の呪い対策の話ですよ。せっかく村上さんも口裏合わせてくれるって言ってるわけですし、インチキで呪いを演出してお祓いのふりでもします?」


 長い前髪越しに先輩の目を見つめ、あたしは「いつもみたいに」と付け足した。怪異の演出は、依頼を受けた怪奇現象の正体が現実的な物事であり、なおかつ、その事実を明かさない方がいい場合、先輩がよく使う手だ。仕掛けと弁舌を使って妖怪をでっちあげ、それを依頼人の前で退治してみせることで、一件落着したと思わせてしまうのである。


と、それを聞いた先輩は、不満そうに眉をしかめた。もともと陰気な顔が、いっそう陰気になったもんだから、幽霊みたいになっている。


「あのなユーレイ、インチキと言うな。あれは俺なりの妖怪の啓発だ。滅んでいく妖怪を現代に少しでも残すべく、俺はだな……」


「その理屈は知ってますけど、やっぱインチキはインチキだと思うんですよね」


「他に言い様があるだろう。第一、呪いの原因が分かってもいないのに、仕掛けだけ施しても仕方あるまい。原因を処理するのが先だ」


「はい? 原因って、ストレスから来る幻なんじゃないんですか?」


 さっきの村上さんの話を聞いてなかったのか、この人は。あたしがきょとんと目を丸くすれば、それを見た先輩は、やれやれと言いたげに首をゆっくり横に振った。


「あんなに無根拠な意見を聞かされて、はいそうですかと信じられるわけがあるか。確かに、思春期の妄想に狼が関わりやすいのは事実だろう。人狼や狼憑きの伝承が生まれた背景には、心を病んだ若者たちの存在があったと言われているくらいだからな」


 村上弁護士の説を一蹴しつつ、一理あるとも言いたげな知識を披露する先輩である。否定するのか肯定するのか、どっちかにしましょうよ。心の中でつぶやきつつ、あたしは「だったら」と応じた。


「久美ちゃんを苦しめてるのは、ほんとに呪いってことですか? まあ、狼のお札なんて、いかにも珍しいし怪しいですけども」


「馬鹿を言え」


 何気なくあたしが漏らした言葉を、先輩がすかさず断ち切った。どういうことです? 意味が分からず口ごもるあたしを、長い前髪に隠れた双眸が、哀れむようにまっすぐ見据える。


「狼を描いた護符が珍しくて怪しい……だと? それを本気で言っているのなら、見下げ果てた馬鹿だな、お前は。狼信仰は、今でこそほとんど残っていないが、数世代前までは全国的に見られた、極めて一般的な宗教だぞ」


「そ、そうなんですか……? でも先輩、さっきはそんなこと全然言いませんでしたよね」


「とりあえず依頼人の言い分を全て聞かないことには、依頼の全容が把握できまい。だが、かつてのこの国では狼は山の神として畏怖を集めていたし、狼の護符が珍しいものかと聞かれれば、答は間違いなく否だ」


「……言いきりましたね」


「事実だからな。そもそも狼の名前の語源が『口の大きな神』であるくらい、狼信仰は古いんだ。基本的に草の根的な信仰形態だったから、明文化も体系化もされず、記録も少なく、故に知られていないだけだ。この狼信仰は国家神道や仏教の組織力に圧倒されて衰退し、近代にはほぼ消滅したのだが、反面、特定の地方には現代まで残っていたとも聞いている」


「ほう。じゃあ、久美ちゃんがお祖母さんから受け継いだお札に狼が描いてあるのは、別段おかしな話でもないってことですか……?」


「そういうことだ」


 あたしの問いかけを受け、先輩がけろりと首を縦に振る。狼信仰なんて聞いたこともなかったが、そんなにメジャーなものだったのか。そう驚いていると、先輩は「強いて言えば」と言い足した。ほうほう、何でしょう。


「今回の件の、何匹もの小さな狼が大きな一体の狼を囲んでいるという意匠は、あまり見ないものではあるな。現物を見ないと何とも言えないが、千匹狼を模したものなのだろう」


「せんびきおおかみ?」


「群れを成した狼を畏怖を込めて呼ぶ時の名前だ。昔話や伝説の中では、人食いの妖怪のような役割で登場することもあって、代表的なのは『鍛冶屋の婆』だな。有名だから、さすがにユーレイも……その顔を見る限り全く知らないようなので、説明するから聞いていろ」


 その話は知らないですと口を挟む暇もなく、呆れた声が耳に届く。いやはや、いつもすみません。無知を詫びつつ苦笑しつつ聞き入っていると、先輩は溜息とともに口を開いた。


「全国的に分布する昔話だから、バリエーションが多いが、大まかなところは共通している。まず、山中で野宿していた旅人が、千匹狼と呼ばれる狼の大群に襲われるんだ。旅人は、狼が木に登れないことを思い出し、木の上に逃れるが、狼はやぐらを組んで襲ってくる」


「やぐらって言うと」


「狼の上に狼が乗り、その上にまた狼が乗る、という形態だ。これを繰り返して木の上にまで迫った千匹狼は、一匹ずつ旅人に飛びかかるが、旅人は刀を抜いてどうにかこれを撃退する。すると、狼の群れから『手強い。鍛冶屋の婆を呼ぼう』という声が聞こえてくるんだ」


「え。狼がそんなベラベラ喋るんですか?」


「だから妖怪みたいなものだと先に断ったろうが。と言うか、不自然さを指摘するなら、やぐらを組んだ時だろう」


「狼にはそういう習性もあるのかなと」


「あってたまるか、阿呆」


 突き放すような一言とともに、冷たい視線が飛んでくる。知りませんし、そんなの。小声で反論するあたしを呆れた顔で見つめると、先輩は「ともかく」と解説を再開した。


「そんな声が聞こえてしばらくすると、『鍛冶屋の婆』と呼ばれる巨大な狼が木の下に姿を見せるわけだ。『鍛冶屋の婆』は千匹狼の組んだやぐらを上り、旅人に迫る。大きいだけでなく、金属製の兜を被った鍛冶屋の婆は手強いが、旅人がやみくもに払った一撃が、運良く兜を跳ね上げて相手の頭に命中する。鍛冶屋の婆は木から転落し、千匹狼は姿を消してしまうんだ」


「で、めでたしめでたし、と。要するに山の中の野宿は危ないよって話なんですかね」


「勝手に終わらせるな、気が早いぞ。翌朝、旅人が『鍛冶屋の婆』の血の跡を追うと、麓の村の鍛冶屋に続いていた。婆はいるか、と尋ねれば、鍛冶屋は『昨夜に鍋を洗いに行って、頭を怪我して寝ている』と答えた。この意味は分かるな、ユーレイ?」


「馬鹿にしないでくださいよ」


 出来の悪い生徒を案じるような問いかけに、あたしは思わず即答していた。そりゃあ確かに頭脳労働は全般的に苦手だが、これでも大学生だ。それくらいの理解力は持っている。


「あれでしょ? 鍛冶屋の婆と呼ばれた鍛冶屋の婆は本当に鍛冶屋の婆だったんでしょ?」


「……表現が下手すぎるが、まあ、そういうことだ。真相に気付いた旅人が、婆の寝床に踏み込むと、婆は巨大な狼の本性を現して襲いかかってくる。これをどうにか退治した後、寝床の床下を調べると、婆の骨が見つかった。あの狼は本当の婆を食い殺し、入れ替わっていたのだ、と一同が気付いて、そこでお終いだ」


「はー、なるほど。ありがとうございました。結構よくできた話ですね」


 素直な感想が自然と漏れる。ミステリーとしては分かりやすすぎる気もするが、狼のボスの名前をきっかけにその正体に辿り着く展開とか、ラストで本当のお婆さんが既に殺されていたことが分かる展開とか、なかなかゾクゾクさせる筋書きだ。というわけで面白かったのだけれど、だが、気になる点が約一つ。


「……先輩。今の話を聞く限り、千匹狼が信仰されてたとは全然思えないんですけども。完全に悪役だったじゃないですか」


「狼は畏怖の対象だったと言ったろう。信仰の衰退につれ、危険な害獣という側面が強調されるようにはなったが、秩序を重んじる性格は不変だ。故に、タブーを犯したり、境界を越えてしまったものを処罰する性格が極めて強い」


「秩序とか処罰って……旅人を夜中に襲うのが、その役割とどう結びつくんです?」


「夜の山は人ならざるモノの世界だからな。人間が入り込めば、攻撃の対象にもなろう。ちなみに、鍛冶屋の婆が最終的に退治されるのも、同じ理論で説明できる。鍛冶屋の婆、即ち千匹狼の首領は、山に属する身でありながら、人に成り変わって里に入り込むというタブーを犯したため、最後に殺されてしまうわけだ」


「へえ」


 流暢に語られた解説に、あたしはすっかり感心していた。単にスリリングな昔話だと思ったが、いろんな見方があるものだ。


「鍛冶屋の婆だけが退治されて、千匹狼が生き残るのが引っかかったんですが、そういう解釈もできるんですね。勉強になります」


「これくらいは妖怪学の基本だぞ」


「あたしは別に妖怪学やってるわけじゃないですし……。で、その千匹狼って、ほんとに千匹もいたんですか?」


「そんなわけあるか」


 もう一つ気になっていたことを尋ねれば、呆れた顔で即答された。ですよね、とうなずくあたしの視線の先で、先輩は腕を組んだ。


「この場合の千は、大量という概念を示すもので、具体的な数を意味したものではないと見るべきだろう。ただ、昔話や伝承において、大量の意味で使われるのは、 九十九つくも神や百鬼夜行のように、多くて百なんだがな」


「千匹狼の千は、例外的に数が多いってことですか。なんでです?」


「それは俺も知りたいところだ。以前から気になってはいたんだが、この部屋の資料には答はなかった。何か、特別な理由があるはずだと思うんだが……」


 そう言って首を左右に振ると、絶対城先輩は目を閉じて黙り込んでしまった。熟考モードに入ってしまったらしい。こうなると長いのだ。


「まあ、今は別に急ぎの用もないし……って、なくはない! 先輩、久美ちゃんのお札の呪い、どうするんです?」


 自分で自分に突っ込みつつ、あたしは慌てて向かいの席の妖怪学徒に問いかけた。


鍛冶屋の婆のおかげですっかり話が逸れていたが、そう言えば依頼はどうなったんです。放っておくわけにもいかないですよね? そう訴えてみたのだが、聞こえているのかいないのか、先輩はぴくりとも反応しない。どうしたものかと悩んでいると、資料室のドアが開き、聞き慣れた柔和な声が耳に届いた。


「こんばんはー。ちょっと時間ができたから、寄らせてもらったよ」


 優しい口調とともに、眼鏡と白衣の似合う男子学生が現れる。絶対城先輩の極めて貴重な友人、杵松きねまつ明人あきとさんだ。元演劇部の演出担当であり、先輩の行うインチキお祓い用のギミック設計係もやっている杵松さんは、大きな紙袋を手に提げたままあたしたちの前までやってくると、挨拶も返さない友人を見つめて微笑んだ。


「阿頼耶はまた妖怪学で黙考中かい?」


「そうなんですよ、杵松さん。お祓いの依頼を受けて、相談してた最中だったのに……。どうしましょう?」


「考え始めた阿頼耶は置物みたいなものだからね。大丈夫、この感じだと、あと二分もすれば反応してくれるよ」


 付き合いの長さを匂わせる台詞を口にしながら、杵松さんは手にしていた紙袋を壁際に置いた。容量も大きいが、どさり、という音からすると、重さもそれなりにあるようだ。


「けっこうな大荷物ですね。何です、それ」


「ゴム製のシートとか、怪獣の口の部分の組み立てセットとか。知り合いの劇団で余った資材や道具をもらってきたんだ」


いつか、阿頼耶の仕掛けに使えるかと思ってさ。穏やかな声で言い足し、杵松さんはコーヒーメーカーをセットした。ほどなくしてドリップ音が響き、かぐわしい香りが漂い始める。


あたしもコーヒーもらおうかな、などと考えつつ、あたしは杵松さんの持ってきたゴムシートを眺めていた。一メートルほどの棒に巻かれたシートは、一見すると壁紙のようだ。先輩のためにこんな大きなものを持ってくるなんて、相変わらず友人思いの人である。


「ほんと、いい人ですね、杵松さん」


「好きでやってることだからね。湯ノ山さんこそ、いつも阿頼耶のお世話と相手、御苦労さま。友人としてお礼を言うよ」


「いえいえ好きでやってることですから」


「へえ?」


「はい? ……って、あ! いやいや、今のは別にそういう意味じゃないですからね? 何でそんなニヤニヤしてるんですか杵松さん!」


「別にニヤニヤしてないよ?」


「ものすごくしてるじゃないですか!」


「おいユーレイ」


「ちょっと待っててください絶対城先輩! 今は先輩の相手より杵松さんの誤解を解くのが先何です、って、え。先輩?」


 杵松さんに詰め寄っていたあたしは、投げかけられたドライな声に、一テンポ遅れて我に返った。慌てて声のした方向に向き直れば、黒の羽織の妖怪学徒が、ソファに座ったままあたしをまっすぐ見据えている。いつの間にか黙考が終わっていたらしい。その様を眺め、ほらね、と言いたげに微笑んだのは杵松さんだ。


「ほら、言ったとおり、二分くらいだったろ? お帰り、阿頼耶」


「さすが杵松さんですね。あたしからも、お帰りなさい、絶対城先輩」


「何なんだお前ら。俺はずっとここにいたろうが……。そんなことよりユーレイ、狼の護符の呪いの件だが、やってほしいことがある」


 こっち側への帰還を喜ぶあたしたちを冷たい視線で見回すと、先輩はあたしにまっすぐ目を向けた。千匹狼問題に掛かりっきりだったのかと思いきや、ちゃんと依頼についても考えていたらしい。さすがだなと感心しながら、あたしは先輩へと近づいた。


「内容も言わずに頼まれるのには慣れてますし、よく分かんないけど、できることならやりますよ。何すればいいんです?」


「話が早くて助かる。幾つか調べたいことがあるから、実際に動くのは数日後になるが、問題ないな?」


「はいはい。あ、その代わりと言うわけじゃないですけど、晩御飯を……」


「……今日はなかなか帰ろうとしないと思ったら、そういう魂胆か。お前、最近俺に食生活を頼り過ぎだぞ」


「そう言わずにそこを何とか。自炊スキルのない下宿生を助けると思って!」


 露骨に呆れてみせる先輩に、あたしは頭を下げて食い下がった。この人、生活力なんかからっきしっぽい外見の割に、料理の腕は確かなのだ。お願いします、と駄目押しすれば、観念したのか、先輩はゆっくり立ち上がった。


「リクエストは聞かんぞ。冷蔵庫にあるもので適当に作る。それでいいな?」


「それはもう! こんなこともあろうかと、食材はこっそり補充してありますし……って、杵松さん! だから何でそんなニヤニヤしてるんですか!」


「別にニヤニヤしてないよ?」


「ものすごくしてるじゃないですか!」


「うるさいぞ、お前ら」




【次回更新は、2019年1月17日(金)予定!】

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