二章 幽霊
二章 幽霊(1)
【二章 幽霊】
怨みを残して死んだ人間の霊魂が、生前の人格や記憶、容姿を保ったまま現世に現れたものをいう。足がなく、白の経帷子を身に纏い、額に三角紙を付けた姿が一般的。
*****
「だからマジだっての。オレ、マジで
「私、そういう話大好きなんですけど?
「見たから言ってるに決まってるっしょ、
ざわつく居酒屋の一角のお
「えー、ほんとですか? 信じちゃいますよ、私」
「信じてよ。うちの大学、そう広くもないくせにさ、文学部と図書館の間が、意味もなく森になってるんだよね。昼間から薄暗いし虫も多いし、
「いきなり怪しいんですけど。何でわざわざそこ行っちゃうんです?」
「バイク停めてある
「手招き……ですか? おいでおいで、みたいな?」
「そ。白いワンピに白の
「え、えっ? どういうことです?」
いいところで話を切られ、友香が目を丸くする。そのリアクションが期待通りだったのだろう、軽部さんはニタッと笑うと、友香に顔を近づけ、言った。
「食いつくなあ。この後、聞きたい?」
「当たり前じゃないですか! そこまで言って止めるなんてありえませんけど!」
「だよねー。だったら、友香ちゃん! もう一杯行ってみよう!」
「結局そうなるんですかー? 私、もうふらふらなんですよー」
「
軽い口調で語りつつ、軽部さんは慣れた手つきで友香のグラスにビールを勢いよく流し込んだ。ぶばっ、と
隣の友香同様、「新入生の場所!」のポストイットが貼られた席で、あたしはウーロン茶のグラスを手にしたまま、乱暴に注がれたビールを
てか、それ以前に、未成年に堂々と飲ますのってどうなのよ。
「あの……軽部さん、でしたよね? やっぱりこういうのは良くないと」
「固いこと言わないの! はい、行きますよー!」
口を挟んだあたしを軽くいなし、軽部さんが大きな声を発した。
「皆さんもご一緒に!
軽部さんの
……ああ。駄目だ。馴染めない。
友香に
無論、このノリというか空気に
──湯ノ山、気さくなくせに、変なところで真面目で強情だからな。
高校時代の恩師である合気道部の
で、その理由は置いておくとしても、である。適当な普段着でいいよ、とか言ってたくせに、女性
……やっぱり、友香に誘われた時、きっぱり断っておくべきだったよね。
再びこぼれる小さな溜息。ふらつきながら軽部さんにもたれかかる小柄な同級生を横目に、あたしはウーロン茶を再び飲んだ。あのさ、その先輩にあんまり甘えない方がいいと思うよ。軽そうだし、下心丸見えだし。つい、そう声を掛けそうになったが、やっぱりやめておく。友香は楽しそうだし、こういう場の空気に慣れてないあたしがおかしなこと言って雰囲気
講義の始まった日の昼休み、学食で一人でカツ
友人知人というよりも、一方的に
こんなふうになれればいいな、可愛いな、楽しいだろうな、とは思うが、あたしには無理だってことはわかってる。背が高くて
「よーし、飲んだぞー! で、さっきの続き聞かせてほしいんですけど」
「泡めっちゃ残ってるじゃん。オレらのルール的にはナシだけど、友香ちゃん可愛いからまあいいか! おめでとう!」
勢いよく手を伸ばし、友香の肩をぐいっと
「でもさ友香、やっぱりこういう飲み方は……」
「んー? 礼音、にゃんか言ったー? そんなことより礼音も飲めえー」
あたしの言葉を遮りながら、友香がろれつの回らない口調で問いかけてくる。と、軽部さんは、お目当ての後輩が取られてしまうと思ったのか、「オレの方見てよ」と強引に友香の肩を引き寄せた。
「何でそっち行っちゃうのさ。霊の話の続き、聞きたいんでしょ?」
「軽部センパイがなかなか話してくれないからなんですけどお」
「ごめんごめん。でも実は、そんな話すことなかったりするんだわ。白い着物でおでこに三角形で、しかも足がないわけっしょ? うわこいつ生きた人間じゃねえ、って思ってさ、全力で走って逃げただけだし。以上、おしまい!」
「お、おしまいって──えー! 何ですか、そのバラエティの放送終了
「まあまあそう怒るなって。その時はそれで済んだけどさ、オレ、気になって調べてみたわけよ。あそこで何かあったのかなって。ほら、オレ、昔っから霊感ある方だったから、そういう背後関係とか気になるんだよね」
「……それ、霊感関係なくないですか?」
「ツッコミ厳しいねえ友香ちゃん! まあいいじゃんか、そんなこと! それより調べた結果の話、させてよ。ゼミの先輩とか教授に聞いてわかったんだけど、うちの大学──東大って、創立は昭和だけど、土地には、意外に歴史があるんだよね……」
もったいぶった声で語る軽部さんだが、ここの学生ならそれくらい知ってて普通じゃないんでしょうか、とあたしは思った。大学案内のパンフにも書いてあったし。
ちなみに大学の名前は、私立東勢大学。M県の県庁所在地の隣、
元々ここには、戦前に何とか
「……そんで、その戦に負けた領主がひどい奴でさ。自分の隠れる先を漏らすかもしれないって、逃げる前に、治めてた村を全部焼き払えって命令したらしいのよ。
「さっき軽部センパイが白い女を見たところ……?」
「正解! 友香ちゃん意外に
「これくらい誰でもわかるんですけど。私馬鹿にされてます? てか軽部センパイ、今時、白い着物に頭に三角形の霊って、古いように思うんですけどー」
「あ、友香ちゃん、もしかして信じてない? 戦国時代の霊だからスタイルが古いのは当たり前じゃん。それにさ、考えてみなよ。昔からそういう姿だって伝えられてるってことは、そういう霊を見た人が多いって
「あ、そっか!」
そうかそうかと繰り返しながら、何度もうなずく友香。さっきのビールが回ってきたのだろう、体が左右にふらふらと揺れ、視線が定まらなくなってきている。
「それもそうですねー! 軽部センパイ、頭良いんですねえ」
「まあね? それにさ、オレがそれ見たのって、夜中の二時半くらいだったのよ。昔で言う
軽部さんの自慢げなトークが、聞きたくもないのに耳に
「歴史の長い国だけど、霊の記録も古くから山ほど残ってるのな。
「何そのオチ! 結局誘ってるだけなんですけど! てか確かに見たいですが、
「いやです」
いつの間にか空っぽになったグラスを片手に、あたしは首を横に振った。霊なんて実在するとは思わないが、実在したらしたで、興味本位で見に行くべきものではないだろう。と、あたしの態度が予想外だったのか、友香は軽部さんと顔を見合わせ、そして同時に笑い声をあげた。
「やだもう! きっぱり断りすぎなんですけど!」
「ねえ? てか、礼音ちゃんだっけ? キミさあ、さっきからずーっとその調子じゃんか? こんなこと言いたくないけどさ、
「自己紹介の時に言いましたが、お酒は飲めません。未成年ですから」
なじるような視線を受け、あたしはきっぱり言い返す。意外に強い口調になってしまったせいか、軽部さんは一瞬だけひるんだが、すぐにやれやれと苦笑した。
「だーかーらーさー。そういうノリがコンパの空気壊すって言ってるの。……友香ちゃん、キミの男友達みたいな女友達、どうにかしてよ」
「軽部センパイ、その言い方ひどいんですけど! 礼音は確かに男の子みたいですけど、面白いでしょ? 実家は飲み屋さんなのに飲まないんですよ?」
「飲み屋じゃなくて酒屋だから。それに、酒屋だからこそ年齢制限守ってるんです」
「飲み屋も酒屋も似たよーなもんだと思うんですけど! てかね、もう、そのブッキラボーな口調が! ツボすぎてウケる!」
何がそんなにおかしいのか、軽部さんにもたれかかりながら爆笑する友香である。別にウケませんけども。そうぼそっとつぶやけば、それがさらにツボだったらしく、呼吸困難になるほど笑われた。
「あのさ、友香? それ、いくら何でも笑いすぎじゃ──」
「まあまあ、そう怒らない怒らない。楽しい新歓でマジになってどうすんの。ほら、新しいウーロン茶頼んであげたからさ。これでも飲んで落ち着きなよ」
「……はい」
ありがとうございます、と小さく頭を下げ、あたしは突き出されたグラスを受け取った。確かに、この場でキレるのはあんまり
「……ん?」
「実はそれ、ウーロン茶じゃなくて、ウーロンハイなのでした! どうよ友香ちゃん、オレの飲ませテクニック!」
「今のって軽い
「でもさ、そうでもしないと友香ちゃんの友達飲んでくれないっしょ? で、礼音ちゃんだっけ? どうかな、アルコールの感想は──」
「……何てことするんですか」
押し殺した声とともに、中身が半分以上が残ったグラスを、叩きつけるようにテーブルに置く。「やだもう、飲んじゃったじゃないですかー」とかそんなリアクションを期待していたのだろう、
──ざわ。
──ざわざわざわざわ。
──ざわざわざわざわざわざ、ざわざわざわざわざわざわ……!
最初は小さかった耳鳴りは、一瞬のうちに
「……あ……うっ!」
あまりのやかましさに、あたしは思わず耳を押さえていたが、実際に音が聞こえているわけでもないので、そんなことで止まるはずはない。
「あ、礼音? 軽部センパイ何飲ませたんです?」
「え? いや普通のウーロンハイだけど……。ちょ、だ、大丈夫?」
今さらのように軽部さんがあたしを
今、「耳鳴り」という言葉を使ったが、これは、普通の耳鳴りとは全く違う。そもそも聞こえる音が違う。無理矢理何かに例えるならば、「いろんな国の言葉が、何重にも、何十重にも折り重なって圧縮されたような音」とでも言えるだろうか。何十人もの相手に同時に
体質なのか持病なのか、
そう。だからこそあたしは、お酒だけは飲まないように気を付けていたのだ。なのに……なのに!
「軽部さん、言いましたよね? あたし、お酒は飲めないって……!」
「そ、そんな怒らなくてもいいじゃんか、ね? てか、アルコール駄目な体質の人だった? でも、顔色悪いわけでもないし……」
「で、ですよね軽部センパイ? ほら礼音、みんな見てるしさ。とりあえず空気読んでよ、ね?」
「……無理」
戸惑いながらなだめてきた友香にそうとだけ告げ、あたしは自分のバッグを掴んで立ち上がった。ざわざわと
「あたしはお先に失礼します。会費はこれくらいでいいですか」
「え? い、いや、一年の女の子からは取らない伝統だから……」
「自分で飲み食いした分は払います。ここに置きますね」
「いやだからさ、そういうことされると伝統的に──」
「失礼します!」
「……っ」
「とにかく、どこか静かな場所へ行かないと……」
「だったら、近くで休んでいったらどうかしら」
「いや、アパートまで歩いて二十分くらいですから──えっ?」
反射的にそう応じたけど、誰だ今の。慌てて振り返れば、見たことのない女性が一人、あたしのすぐ後ろに立っていた。
「この時期には多いのよね、こうやって体調悪くしちゃう一年生。勢いで飲ませるのって、私は感心しないのだけど……って、ごめんなさい。びっくりさせちゃったかしら? あんまり調子が悪そうだったから、心配になって」
目鼻立ちの整った小さな顔に、面倒見の良さそうな優しい表情。長い髪は大きなバレッタでまとめられ、後ろにふわっと流れている。薄緑色のブラウスと水色のワンピースという組み合わせも相まって、いかにもいいところのお
「休んでいきなさい。二十分も歩けるようには見えないわよ。文学部の校舎はここからすぐだし、私の研究室には、今、誰もいないから。お酒に慣れないうちは無理しちゃ駄目よ、湯ノ山礼音さん」
「どうしてあたしの名前を? というか、えーと、どなたでしょうか……?」
「名前を知ってるのは当然でしょう? ついさっきまで同じお店にいたんですもの。自己紹介タイムには遅れちゃったし、席も離れていたから、私を知らないのは仕方ないかもしれないけれど」
小さな溜息を落とすと、その女性はあたしを見つめ、そして優しく
「東勢大学文学部国文学科
「あ、どうも。経済学部一年の湯ノ山礼音です──って、ええっ? せ、先生なんですか? てっきり先輩の学生とばっかり」
「よく言われる。童顔なのよ。これでも二十八なんだけど」
「は、二十歳そこそこだと思った……。でも、何で文学部の先生が経済学部のコンパに?」
「学生委員には親しくしてる子が多いから、今日みたいな場所に誘ってもらうことも多いのよ。呼ばれたからには、付き合いで顔を出しておきたいし」
もっとも、
「立ち話はここまで。さ、行きましょう、湯ノ山さん」
***
【次回更新は2019年12月18日(水)予定!】
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