フェチ10:ヤギと犬の邂逅

「あぁ、危ないぃですーっ」


 小鳥居さんがこちらを見た。正確にはオレの後ろだろう。振り向くと、黒いなにかが猛スピードで駆けていた。

 わりとフカフカの黒い毛並み。ぬいぐるみのような顔。

 一見、愛らしい犬だった。

 一見な。


「でけぇ!!」


 走る姿はまさに地獄じごく黒犬こっけんヘルハウンド。腰の折れ曲がった老婆の横を通り過ぎる。

 その巨大さがはっきり判る。

 足から頭までの高さが一メートルは確実にあるぞ!?

 立ち上がったら、下手するとオレの身長以上かも知れない。

 威圧感では、ナックルと同等……いや、それ以上か!?

 あっけに取られていたが、まずいと悟り、オレは駆けだした。


「うおおお、仙人ぃぃんー!」


 オレを導くはずのおきなが腰を抜かしている。

 犬は一直線に向かってくる。

 思わずオレは犬と翁に割って入った。


「やらせはせんぞおぉ!」


 迫りくる黒い悪魔。

 でかいっ。

 近づいて判る、その迫力。

 スピードも半端ではない。なんなんだ、あの脚力は!?

 あれにぶつかったら……

 いや、オレは勇者だっ。

 あ、でもオレ、なんでここにいるんだっけ?

 一瞬でオレの思考回路はあっちに行ったり、こっちに来たり。

 これが混乱というものなのだな……と気づく頃には事態が収集していた。


「あれ?」


 犬はとっくに通り過ぎ、小鳥居さんの元へ戻っていた。

 両腕を広げ、老人を守る形のオレは、まことに恥ずかしいが、無事である。無傷である。


「おお、ありがとねぇ、すまんねぇ」


 腰を抜かしていた翁がお礼を言ってくる。


「……い、いや、礼など……」


 恥ずかしい。

 犠牲になろうとして、なれなかった英雄ほど恥ずかしいものはない。

 しかも、その場に小鳥居さんがいる。

 逃げたい。

 だがしかし、選ばれたオレ、いや、勇者が逃げ出すわけにはいかないっ。

 そうだ、英雄候補である勇者なのだから、まだ恥かしがらなくてもいいのだ。

 この試練を乗り越えてこその英雄ではないかっ。

 恐れるな。いける、やれるっ。


「あ、あのすみませんでした……」


 と、考えごとをしている間に小鳥居さんが間近に。

 今までの恥ずかしさは全て消え去った。

 今は、運命が確かめられるかも知れないことへの期待、高揚感こうようかんで心が満たされる。


「大丈夫だっ。全てはゆう……」


 勇者オーラと言いかけて止めた。高慢こうまん、ダメ、絶対。


悠々自適ゆうゆうじてき。なんら障害はないっ」


 自分でもなんのこっちゃと思いながら誤魔化ごまかす。


「ホ、ホントにすみませんでした。この子、滅多に走り回ったりしないのに……」

「しかし、でかいのぅ」


 腰を抜かしていた翁は近くの婆さんに肩を貸してもらい、立ちあがっていた。

 巨大な犬の頭をナデナデしている。


「アイリッシュ・ウルフハウンドっていう犬種なんです。普段おとなしいんですけど、道端におっきなツノのヤギがいて……」


 んなあほな!

 と、ツッコミたかった。しかし、思い当たる節がある。

 絶対、ナックルだろ、それ……


「……で、そのヤギ、は……?」

「ええっと、塀に登って、どこかへ消えてしまったので……」


 んなあほな!

 と、ツッコミかけたが、あの聖法院の飼いアイベックスだ。ひょっとしたらそんなことが素でできてしまうのかも知れない……


「……まぁ、とにかく、そのヤギ、に驚いて……?」


 ヤギ、と言った瞬間になにかに見られている気配がした。後であやまっとこう……


「多分、そうです……もう、クライムったら」


 犬の顔を固定して「めっ」と軽く怒る小鳥居さん。

 子供に言うことを聞かせるお母さんみたいで、ちょっといいな。


「本当にすみませんでした」


 しばらくした後、小鳥居さんは再び謝ると、犬の散歩に戻った。

 大きな犬に引っ張られていく小鳥居さんもまた可愛い。

 ああ、しかし、なんという運命の出会いだったのか。

 これも勇者となったオレの力なのかっ。

 はっ、しかし、運命のキーワードを確かめるのを忘れていた。

 追いかけよう……とした時だった。


「はっはっは。どうだったかね。朝の出会いのひと時は」

「――この声は聖法院!? どこだ!?」


 辺りを見回せど、姿はない。


「ここだよ、ヒロ氏」


 パッと扇子せんすが開かれる。

 その扇子を持っていたのは、先ほどの翁に肩を貸していた老婆だった。


「………………聖法院?」

「何度も確認しなくても大丈夫だ。間違っていないよ」


 声が聖法院だ。しかし、外見はスチールウールを被った高級梅干だ。


「ま、まさか、普段若作りなのか!?」

「……普通、逆だと思わないのかね?」


 聖法院はたるんだほほを引っ張り、ちぎって見せる。怪盗顔負けの仕上がりだ。


「おそろしいコスプレ力だな……」

「変装、と言って欲しいね。こいこ、いこいもお疲れ。君の演出はいつも見事だね」

「「ありがとうございますーはぁはぁ……」」


 垣根の隙間すきまからコイコイが現れる。ナックルもいた。明らかににらんでいる……!

 が、それよりもコイコイの反応が気になる。


「……素直な疑問なんだが……なぜ二人は興奮しているんだ?」

「ふむ、二人のフェチの話していなかったね。二人はずばり『未使用フェチ』なのだよ」

「み、未使用フェチ……? ああ、だから新品のお札に反応していたのか?」


 新車のシートに張ってあるビニールとか、はがせないタイプに違いない。


「いや、でもまて。今、手元に未使用のものなんかないぞ?」

「「佐藤さん……小鳥居さんの前で顔、真っ赤でした」」

「……どういう意味だ?」

「はっはっは、なるほど、つまり……あ、ああーっと、その……」

「なんだ、聖法院。なにか判ったなら教えてくれ」

「「佐藤さん……ウブ……はぁはぁ……」」


 コイコイの視線はオレに向いている。


「………………えっと、つまり、なんだ……」


 オレ自身が、未使用な雰囲気ふんいきをかもし出していた、ということか?


「はぁはぁ……」

「ぅううん! ああ、連動しているよ! 実に今、私は連動しているよ!」


 聖法院がオレを見るのをやめた。

 この空気、どうしたらいいんだろ……?

 空気、それは大魔王よりも手ごわいのかも知れない……

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