二部 第一章 第四話
商店街のアーケードが開いて、冬の星を切り取った『額縁』のように夜空を飾っている。その下に紅白のスダレや新春の飾りが、キンッと冷えた空気の中、凍えるように揺れていた。
吐く息は白く、凍りそうなほど寒い。一哉は、菜摘のすぐ前を大股でそれでもゆっくりと歩いている。両手を手持ちぶさたにぶらぶらさせて、何かの切っ掛けを待っているようにも見える。
ライブが終わった後、一哉は菜摘を楽屋に呼び、二人でこっそりとライブハウスを抜け出した。別に悪い事をしている訳でもないのに、何故か胸が高鳴り、二人手を繋いで走って逃げて来た。当然、追う者がいるはずもなく、商店街の入口で乱れた呼吸を整える時間も充分にあった。それでも、一哉は突然歩きだし、そわそわと辺りを見回したりしている。
すぐ前を歩く一哉に菜摘は声をかける。
「一哉? ねぇ待ってよ」
「……」
「ねぇ、一哉?」
「……」
菜摘は、両手で一哉の腕を掴む。
羽織袴から、いつものジーンズとダウンジャケットに着替えている一哉。振り袖の絹が、ダウンジャケットに擦れ、渇いた音を立てた。
「一哉ったら!」
「えっ? あ、ごめん」
「どうしたの?」
いつもの一哉らしく無く、歯切れが悪い。
「嬉しかったよ」
菜摘は、一哉の手を両手で捕まえながら言った。少し俯き加減で、恥ずかしそうに、身体を左右に揺すっていた。
「……」
「一哉があんな風に思っていてくれてるなんて、信じられないくらい」
「……」
「一哉?」
誰一人、すれ違う人もいない商店街。
時折、冷たい風が吹き抜け、二人の頬を撫ぜる。その度に首をすくめ、身体を強張らせる菜摘。一哉は突然立ち止まり、菜摘に向き直った。
「菜摘! 俺」
菜摘は、一哉のダウンジャケットの内側に両手を入れ、ギュッと抱き付いた。
「あったかぁい!」
一哉の胸に顔を埋め、頬擦りをする菜摘。菜摘の頭と背中を受け止める一哉。
「ねぇ? 何て言ったの?」
「うん?」
「Profileの入口で、何て言ったの?」
「えっ? ぁ、忘れちゃいました」
「うそ! 教えなさい!」
ゆらゆらと揺れる金色のかんざし。抜くと、結い上げた髪がはらりと落ちる。そして、一哉は菜摘の髪を、一度二度と撫ぜた。菜摘のおでこに頬を寄せ、一つ深呼吸。自らの両の手の平に大きく息を吹き掛け、菜摘の頬を包んだ。
「コンヤクユビワガワリ」
「???」
菜摘の頭の中で、言葉の意味が繋がらない。―― コンヤ? クユ? ビワ?
「結婚しよ、菜摘!」
何故だろう。
頭の中は混乱しているのに、菜摘の心は、一哉の言葉をしっかりと受け止めている。
―― 私、だめじゃん
返事をしようと思うほど、涙が止めど無く溢れて来る。
―― 頷くだけで良いのに……。それだけで、良いのに
「菜摘?」
「ティッシュ……」
「は?」
「ティッシュ! ちょーだい!」
一哉は慌ててポケットから、携帯ティッシュを取り出して、ティッシュペーパーを数枚抜き出し、菜摘に渡した。
「菜摘?」
「少しだけ、このまま……」
誰一人、通り過ぎる人もいない深夜の商店街。時折吹く風が、閉じられたシャッターをガタガタ揺らす。
一哉は、再び菜摘の髪を撫ぜる。
「まだ、どきどきしてる」
「……」
「一哉」
「うん」
「私も、いつか一哉と結婚出来たら良いなって思ってた」
「うん」
「ずっと、一哉のそばにいたい、一哉と一緒にいたい、そう思ってた」
「菜摘」
その瞬間、時間が止まったように静かになった。
吹く風の音も、騒ぐシャッターも、何もかもが演奏を待つ観客のように、じっと息を潜める。その中で、一哉と菜摘は、唇を重ねた。確かめるように、何度も何度も、唇を重ねる。
少ない商店街の街灯が、二人を包み浮かび上がらせ、開いたままのアーケードから、雪が舞い落ちる。
抱き合う二人の姿は、まるで、天使に祝福されたようだった。
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