二部 第一章 第二話

 ほんの一時間足らずで、波は驚くほど静かになった。

 波が引くと同時に、一哉と勇太は陸に上がった。ボードや他の荷物を友人に預け、カジュアルな服に着替える。いつものダウンジャケットとジーンズ。一人で夕日を見ていた菜摘の傍に一哉は向かった。半分ほどになってしまった夕陽を見ていた。楽しい時間は、すぐに過ぎてしまう。

「綺麗ね」

「ああ」

「あのね」

「ん?」

 菜摘は、絞りの赤い巾着から、小さな紙袋を取り出す。二つ折りに封をされた紙袋。白く細い指の手の平に、紙袋の中身を受ける。

「さっき、八幡さんで蛍子と買ったんだ。蛍子は勇太に、私は一哉にって」

 小さな手の平に乗る二つの小さな御守り。

 一つはオレンジ、もう一つは、淡い緑。それぞれに銀糸の入った白い紐と小さな鈴が付いていた。

 菜摘は、緑の方を一哉に渡した。

―― ちりん……

 海風が揺らした。御守りに付いた鈴が鳴る。

「ありがとう」

 風に揺れる。鈴が鳴る。夕日が、淡い影を落とす。お守りを見ていた一哉が、菜摘に言う。

「菜摘?」

「なぁに?」

「あのさ」

 一哉が御守りの裏を菜摘の目の前にかざす。

「変だと思わない?」

「あっ? ああぁ」

「どうして、家内安全なんだよ。普通、交通安全か学業成就じゃねぇ?」

 菜摘は小さな手を握り締めて、身体の後ろに隠した。

「ごめんなさいっ! 一哉に似合う色だから」

「色? まじ? 菜摘の見せてみろ」

 一哉は、後ろ手に隠した菜摘の手から、御守りを奪う。そして、それを見て笑った。

「ぷっ!」

「どうして笑うのよっ!」

「ちょっと早くね? いくら何でも、安産の御守りは?」

「もうっ! 一哉のイジワル」

 拗ねて背中を見せる菜摘。背中からそっと菜摘を抱き締める一哉。冷たい海風の中、背中に一哉の温もりを感じる菜摘。耳元で一哉の呟きが聞こえる。

「ごめん……な?」

 菜摘の目の前で揺れる御守り。菜摘は小さな両手でそれを受け取る。また、鈴が鳴る。

「うん」


 駐車場の出口で、勇太と蛍子の声がする。

「いつまでじゃれてんのぉ?」

「次、行くぞ!」

 振向いた菜摘。少し拗ねたように、一哉に尋ねる。

「次って?」

 突然、近付く一哉の唇。

「かず、……んんぅぅぅ」

 いつもの感触。

 いつもの感覚。

 居心地が良くて、安心していられる。

 不安なんて、何一つない。

 一哉がいれば、それだけで良い。

 それが全て……。

 菜摘は、そう思っていた。


「もうっ! 恥かしいじゃない」

 菜摘は、顔が紅潮して行くのを自覚する。胸が高鳴り、呼吸でさえ熱い。

「御守りは、間違いじゃないよ。俺と菜摘には、ちょうど良い」

「うん」

「今年は合格して、菜摘とずっと一緒」


 長くなった影。菜摘と一哉の影も長くなる。結んだ手。握りしめていたお守りが、影と一緒に鈴が鳴る。

―― ちりりん



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