第四章 第二話
狭い作業場の裏口にもたれ、勇太は煙草を吸っていた。
小さい頃から、父が働く作業場で時間を過ごし、小学生の頃には自分で父の真似をして和菓子を作り始めた。勇太が作った不細工な和菓子を、母親は美味しいと笑って食べてくれた。その頃から、和菓子を作る事の拘りのようなものを持ち始め、高校の時に和菓子のコンクールに初めて出品した。勿論、このコンクールは和菓子職人のためのもので、勇太は最年少の参加者だった。
勇太は、他の参加者の作品を見て、自分の技術不足を痛感したものの、「最年少、高校生」 の肩書が敢闘賞と言う褒美をもたらした。それから、父と作業場に籠る時間も増え、短期間に驚くほど腕を磨いた。そして、高校卒業と同じ年、二度目のコンクール参加で優秀賞を受賞。しかし、受賞の三か月後に病床の父が他界し、「和菓子 草加」 を思いもよらない事情で引き継ぐことになった。それ以来、父という師匠を失った事で、歩むべき和菓子職人としての道を模索し続けている。
一哉が死んでから、手を染めた煙草。どうする事も出来ない、焦りに似た感情が、煙草でいくらか紛れる。それでも、決して忘れる訳では無く、煙草を吸う度に、亡くした友を思い出した。
「すみませーん」
店で客の声がする。
勇太は、吸いかけの煙草を灰皿代わりの空き缶に放り込み、ちらっと棚に置いた時計を見た。一日が終わる。しかし、仕事を終える気もしなかった。
「かあちゃん、お客さん!」
勇太が作業場にいる間は、母親が店番をする。居間でテレビでも見ているのか、店にはいないようだ。
「ごめんください!」
再び客の声。勇太は仕方なしに、店に急いだ。
「はーい!」
店と作業場の間には、台所と屋号の入った藍染めの暖簾がある。
勇太は、台所からちらっと居間を見ると、母親が、テレビの前でテーブルにつっぷして眠っていた。
「お待たせしました」
暖簾を上げると、ガラスケースの前で蛍子が笑っていた。
「なんだ、蛍子か」
「何だ、はないでしょ? これでもお客よ」
「ほーそりゃ珍しい。で、何だよ」
「だから、客だって。お願い事もあるんだけどね」
「ほら、客はついでだろ?」
蛍子が笑った。
勇太は、人の笑顔を見るのが、凄く久し振りのような気がした。懐かしい笑顔。見慣れた笑顔。そんな当たり前が、とても久しく感じた。
勇太は不思議に思ったことがあった。
高校からいつも四人で一緒にいて、蛍子の噂話一つ聞いたことが無かった。美人で頭も良く、面倒見の良い蛍子は、男女問わず人気があった。それなのに、勇太の知っている限り、誰かと付き合ったなど耳にした事も無かった。勇太の知る限り、蛍子に言い寄った男たちは一人や二人ではない。そして、その全てが、体よく断られたと知っている。ただ、一度だけ、蛍子が誰かにフラれて泣いていたと、聞いたことがあったが、誰にフラれたのか、判らないまま忘れてしまった。
「で、頼みって?」
「明日、ドライブしよ?」
「ドライブ? また突然、どうした」
「うん、菜摘と三人でね。気晴らしにどうかなって」
「そう言うことか。判った」
勇太は、人の笑顔がこんなに嬉しいものだとは思わなかった。小さなささやかな約束が、沈んだ気持ちを軽くした。
勇太は、売れ残りの和菓子を適当に詰めて蛍子に渡す。蛍子は、小さく微笑み「ありがと」と言った。
「やっぱ、客じゃねぇな?」
また、蛍子はふふふっと、笑った。
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