第三章 第一話

 事故から一週間が過ぎた。

 夏が夏らしく、朝顔が軒を飾り、打ち水が青空を写していた。この一週間、良い天気が続いている。そして、菜摘の髪が、また短くなった。

 仕事を再開した菜摘。水が流れるように、毎日をただ過ごしているだけ。同じ時間に部屋を出て、同じ時間に戻る。寄り道をすることも、誰かと遊びに行くこともない。まるで、誰からも忘れ去られたいと、願っているようだった。

『逢いたい』

 たったそれだけの感情だけが、菜摘の心に残っていた。叶わない願い。でも、もし叶うなら、何を犠牲にしてもいい。例えそれが自分の命であっても、逢いたいと願う感情だけが生きていた。

 あとは飾り。

 ただの飾り。

 隠すための飾り。

 タダノカザリ……。


 そして、最初の休日前夜。

 ベッドに胡座をかき、夜の小さな海を見ている菜摘。窓は大きく開き、潮の香りと涼しい風が流れ込んで来る。遠くの海に漁船の灯り。ゆっくりと動いている。波の音は聞こえてこない。

 傍らに木製のトレーがあり、その上に小さな四角い箱と二つのロックグラスが乗っていた。ロックグラスには、クラッシュアイスと琥珀色の液体が注いである。

「一哉、お母様のプレゼント。何だと思う?」

 一哉の好きだったWILDTURKEY。

 古き良きアメリカの誇るケンタッキーバーボン。大きなクラッシュアイスが、琥珀の液体の中でコトリと踊る。

 菜摘は、小箱を手の平の上に置き、じっと見詰めて蓋を開けた。中には、くすんだビロード、紺碧色の指輪ケース。箱からケースを取り出し、再び手の平に乗せる。ケースには、金細工の止め金があり、蓋にロックが掛けてある。人差し指の爪の先で止め金を外す。蓋は自然にゆっくりと開いた。

「凄いっ! ほら、見て一哉」

 三つずつ二段に並んだ小さくないダイヤモンド。イエローとブルーとホワイト。キラキラと見事なまでの輝きを放つ。

「うわぁ、綺麗……」

 菜摘は、指輪をケースから取り出すことなく、蓋を閉じた。カチッとロックが掛かる。ケースを箱に戻そうとした時、箱の中のメモに気が付いた。美しい文字があった。

―― 母から、娘へ


 トレーの上のグラスを人差し指で掻き回す。カチンカチンと音を立てて、氷が回る。菜摘は、人差し指を口に咥え、ベッドに寝転がった。

 見慣れた天井を見詰め小さく溜め息をつく。指輪ケースをもう一度見詰め、そして胸の上に置いた。涙が溢れ、こめかみを流れ落ちる。自分のすべき事が見付けられない。何をすればいいのかも分からない。お礼の返事すら、出来ない。

「お母様……」

 涙は、溢れ出るばかり。決して戻ることの無い時間を望む。



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