第一章 第七話
葬式を見れば、その人の人生が判ると言う。
確かに、参拝者に少なからず傾向が出るだろう。しかし、米村一哉の葬儀に関しては、きっと誰も一哉の人となりは予測できないに違いない。老若男女を問わず、誰に対しても分け隔てなく接する一哉。最後の別れとなる葬式に訪れた参拝者は、葬儀社の予想を遥かに越える人たちで溢れた。
指導していた少年サッカーの子供達。サッカー関係者。大学の友人、教授たち。アルバイト先のパートの女性や仕事仲間。地元の友人・知人。音楽仲間。
並べればきりが無いほど年齢も性別のばらばらの人たちが、全員涙を流していた。それほど一哉は、あらゆる人々に愛されていた。
菜摘は、一哉の両親の意向で親族席に座り、勇太と蛍子は受付をした。列を作って焼香の順番を待つ人々。菜摘は、一滴の涙も流す事なく、ただじっと身じろぎせず俯いたまま座っていた。一夜中泣き通し、もう涙さえ枯れ果てていたのかも知れない。
長時間にわたる葬儀も無事終了し、菜摘と親族そして一哉は火葬場に向かった。その間に葬儀社は、一時間も掛からずに綺麗に後片付けを終える。勇太と蛍子は、春まで使っていた一哉の部屋で菜摘の帰りを待っていた。
窓際のベッドに蛍子は座り、勇太はテーブルを挟んだ反対側で胡坐をかいていた。何も話さず、もう三十分はじっと座っている。蛍子も勇太も、俯いたまま。
微かに残る線香の匂いが、居心地の良かった一哉の部屋を、まるで地下牢のように変えた。
広く開けられた窓から数台の車が停車する音が聞こえた。
「帰って来たみたいだな」
勇太がぼそっと呟く。
「うん……」
蛍子もただそっと呟く。
暫くすると、一哉の母親が菜摘を連れて部屋に入って来た。
「勇太くん、蛍子ちゃん、本当にありがとう」
一哉の母親が正座をし、礼をする。その横で、菜摘が無表情で一哉の部屋を見つめている。
「いえ、とんでもないです」
蛍子は勇太のそばで、同じく正座をして頭を下げた。
僅かな間に、一哉の母は憔悴しきった顔をしていた。笑っていても、悲しさが滲み出ている。
「お腹空いたでしょ? 仕出しだけど取ってあるから、持ってくるね。菜摘ちゃんも三人で食べれば?」
菜摘は、小さく頷き、蛍子が座っていたベッドに腰を下ろす。
病院を後にしてから、菜摘はまったく表情を変えていない。声すら聞いていない事に勇太はこの時気付いた。限界を超えた苦痛は、人から感情を奪うという。
一哉の母が去った部屋に、再び怖いような静けさが広がる。
菜摘は、一哉のベッドに横たわった。
うつ伏せになり、一哉が長い間使っていた枕に顔を埋めた。微かに匂う一哉の香り。菜摘の目から、また涙が溢れ出した。掛ける言葉もなく蛍子も勇太もただ見つめるだけだった。
しばらくして、葬儀の手伝いをしていた女性が仕出しの弁当を運んで来た。黙って三人分の弁当をテーブルに並べ、そしてまた、黙って部屋から出て行った。僅かに湯気を立てる茶碗を見ながら、勇太は呟く。
「あんな良い奴が、何でこんな目に合わなきゃならないんだ? 神も何もあったもんじゃねぇ」
苛立ちのあまり立ち上がる勇太。目の前にあったフォトスタンドの写真が目に入る。
今年の正月。四人で行った初詣。肩を並べ、楽しそうに笑う四人。勇太はそのフォトスタンドを手にすると、突然また涙があふれ始めた。
三人が三人とも、この現実から逃れたいと考え、それでもこの部屋から出て行くのを躊躇っている。ジグソーパズルの一番大切なピースを無くしたように、自らの人生がこのまま完成しないのではないかと怯えていた。
部屋のドアが開き、一哉の母が入って来た。手に大きな紙袋を持っている。
「菜摘ちゃん?」
枕に顔を埋めて泣いていた菜摘は、一哉の母の声でゆっくりと顔をあげる。
「これね、一哉の……」
一哉の母が、紙袋から割れたヘルメットを取り出す。
「形見分けって言っちゃ何だけど、菜摘ちゃん、貰ってくれる? それから、一哉の事故現場に落ちていたモノなんだけど、きっと菜摘ちゃんへの誕生日プレゼント」
ヘルメットと小さな化粧箱をテーブルの上に置き、一哉の母は目を伏せた。菜摘がゆっくりとベッドから起き上がり、ヘルメットと化粧箱を見詰める。そして、震える手でヘルメットに触れた。
「……」
菜摘はヘルメットをそっと引きよせ胸に抱いた。
一哉がいつも大切に磨いていた色鮮やかなヘルメットが、擦り傷だらけで、後部が大きくひび割れている。その割れ目に指を這わせると、胸の奥からの懐かしさを感じた。
「……一哉」
菜摘はテーブルの上の小さな化粧箱に手を伸ばす。
僅かに歪んだ化粧箱には赤いリボンがついている。ヘルメットを抱えたまま、化粧箱のリボンをとき、箱を開けた。中には、Nをアレンジしたイニシャルにハーフハートが絡み合ったデザインのシルバーペンダントが入っていた。
「きっと、菜摘ちゃんへのプレゼント」
「……」
本当なら、笑顔で『ありがとう』 と言えるはずなのに、菜摘はその言葉すら忘れ去っていた。出て来るものは、涙だけ。とっくに枯れ果てたはずの涙が、一哉の存在が消えた現実と向き合うたびに、止めどもなく溢れて来る。
流す涙の量だけ、一哉への思いは増して行く。それでも、菜摘は涙を堪え切れないでいた。
もし叶うなら、自分の命と引き換えにしても良い。そうまでしても、一哉には生きていてほしいと叶わぬ願いを祈る。しかし、現実は残酷までに菜摘を苦しめるだけだった。
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