第28話

「修正完了っと、形はかなり良く出来たし、着心地も完璧!」


まだ残暑の厳しい季節、横に置かれ空になったアイスコーヒーの氷がパチパチと音を立てて溶け始める。外はまだ暑いが会社の事務所はクーラーが利いて涼しい風が心地よい。部屋の中央では扇風機を回して部屋の空気を巡回している。


「生地の勉強はまだまだだけどパターンもだいぶ形になってきたかな」


完成したパターンをもう一度端から端までをみる。縫い目は綺麗に隠されてるし形も綺麗。我ながら良く出来た方だと思う。


「……デザインも久しぶりに一枚描いてみたけど……これでいいのかな?」


流行にそった定番のデザインのジャケットとパンツ。悪く言えばありきたりでつまらないデザイン。大きく人を惹きつけるような魅力も無ければ嫌われるような欠点もない。咲ちゃんはデザインを出し続けて、このままのペースで行けば順調に終わりそうだ。


「あとはデザインの微調整と……」

「モデルに合わせた服の調整っていつやるのー?」


急に後ろから現れて振り向くと社長の妹さんの瞳さんが後ろに現れた。花さんも付いてきていた。


「先に行かないでくださいよ……」

「んーハナちんこの人がデザイナーさんだよね」

「そうですけど、ごめんなさい才川さん仕事中にお邪魔してしまって。直接話を聞きに行くって言って聞かなくて」


話を良く良く聞くと瞳さんから急に電話がかかってきて、事務所まで行くのに車を出して欲しいと言われ渋々社長も許可を出したという事らしい。


「瞳さんは」

「瞳ちゃんでいいよー優ちんだよね。確か同い年でしょー?」


急な距離の縮まり方に驚いて花さんの方を見るとすでに頭を抱えていた。多分そういう人なんだろう。なら、私は瞳さん。いや瞳ちゃんに合わせていくとしよう。


「瞳ちゃんは何を聞きに来たんですか?」

「まだ固いなー、それに言ったじゃん。モデルっていつ服の調整するの? 」

「え、基本的には当日やってしまうつもりですけど」

「じゃあわたし、当日までめっちゃ暇じゃん」

「まぁ……そうなります」


もし服が出来上がっていたとしても当日にも服の調整をしなければならない。なにせモデルの当日の身体に合わせた調整を加えるだけで出来栄えがはっきりと見て違う。人の身体なんて頑張っても―良くなるにせよ悪くなるにせよ―必ず少しは変化してしまう。それなら当日に少しでも微調整をして身体に合わせた服にした方がいい。


「じゃー、着る服見せてよ。あ、この服いいじゃん」

「あー……それはまだ作るかどうかわかんないんです」


この服と言って手に取ったデザインは私が作った至って凡庸なデザインだった。見栄えがして印象に残るような服じゃない。コレクションで出すには少し微妙に思えてしまう。


「なんでー?いいと思うんだけど」

「少し地味じゃないですか?、派手さが無いというか……特徴が無いんですよね」

「あー、有名なデザイナーさんの服ってすごくダサいよね。あんな服デザイナー絶対着て街中歩けないでしょ」

「ダサっ……いや、そっか。でもあれは次の時代の新しいデザインを創作してるって言うか……」


ダサいと言われると心に衝撃が走るが、彼女の言っていることも確かにもっともらしく感じる。なんだか私が言っていることも言い訳がましく感じる。デザイナーの本来の仕事は次の時代の最先端を作り上げる事だから。


「まぁ、仕事だからモデルも着こなそうとはするけど。正直、芸術家気取りのデザイナーの服なんて興味ないよ」

「そんな芸術家気取りだなんて」

「スカートの縁がフリルだろうが女がズボン履いていようと気にしない世の中だしね。そう意味じゃ確かにデザイナーの功績は大きいかもね」


机に広がったデザインの草案を見比べながら瞳ちゃんが言うことはデザイナーにとっては大間違いで。他にとっては当然の事実なんだ。どれだけ私達が新しいデザインを追求していると言っても伝わらなければ『芸術家気取り』と言われてしまっても確かに耳が痛くなるだけだ。瞳ちゃんは気にした様子もなく椅子の背もたれが折れてしまいそうなほどに後ろに倒す。


「それ以上は言い過ぎですよ。瞳」


花さんが倒れかかった椅子の背もたれを戻す。


「ん?そう?まぁ、どっちでもいいけど。多分間違ってないし」

「間違っている間違っていないではなく人がどう思うかがコミュニケーションでは大事ですよ。姉妹そろってそういうところが苦手なんですから」

「むっ」


社長と一緒にされてあからさまに眉をひそめ不機嫌な顔をする。最初にレストランに行ったころ社長も似たような表情していた気がする。姉妹揃って花さんには頭が上がらないのかも知れないと思うと思わず笑ってしまいそうになる。


「でも、確かにいいデザインだと私も思いますよ。シンプルで。だからこそ、難しいともおもいますけどね」

「それも正直それもあります。わたしじゃ多分パターンしても上手く行かないと思いますし、上下の形のバランスなんかを考えて作るのは私には難しいです」

「……私が着たらどんな服でもオシャレに見えるし」

「はいはい、論点が違いますね。そうじゃなくて自分一人でやらなくても出来る人に頼ればいいんですよ。丁度パターンが得意な人材もいることです」

「水城さんのこと、ですよね」

「はい、というかそろそろ仕事して欲しいのが正直なところですね。社長はゆっくりでいいとは言っていますが、時間が経てば経つほど経営部からの立場は悪くなりますし、本人の気持ち的にも復帰しにくくなるでしょう」


花さんが冷静に水城さんの今の状況を伝えてくる。職場に出ていない水城さんの状況というのは好ましくないに違いない。水城さん自身実は個人からの依頼は幾つも請け負っているが大きな実績と呼べるものは無い。(まぁ、それは私もだけど)実力があると言ってもそれを納得させるほどの材料というのはかなり薄いものとなっている。


「……花さん個人的にはどう思ってるんですか?水城さんがこう、中途半端な立場でいる事」

「個人的にですか?さぁどうでしょう。どっちでもいいというのが本音ですね。これから一緒に仕事をするにしてもしないにしても。社長がいいって言ってる以上悪いようにはならないでしょうし」

「意外とドライだよねー、花ちん。どっちでもいいなんて。あー、違うか。おねーちゃんに対する信頼の裏返しかな」


うげーっと、気味悪そうな顔をしかめて姉への嫌悪を隠すことなく露にする。姉妹仲はそこまで上手く行っていないようだ。舌を見せて吐くような姿はモデルには見えない。心底嫌そうな顔を見せたかと思うと


「ねー、優ちん独立しよーよ」

「独立ですか……独立!?」


急に何を言い出すのかと思ったら今度は独立の話をされてしまった。


「おねーちゃんなんかに頼らないで自分の力でのし上がっていくの。もちろん私が専門のモデルになってもいいよ。日本一、いや、世界一のモデルになるの手伝ってあげるから」

「はいはい、瞳は引き抜きやめてくださいね」

「引き抜きじゃないって。優ちんが独立するだけだって」

「一緒ですよ。そういうそそのかすようなこと止めて下さい。社長に言いつけますよ」

「社長だなんて言っちゃって百合子さんっていつも呼んでるくせに」

「……仕事中ですから」


なんだか場の雰囲気が険悪な物へと移ろっている。


「ねぇ、優ちん。私と一緒におねーちゃんを倒そうよ。あの傲慢な顔に一泡吹かせてやりたいでしょう?」

「……私は」

「もう一人のデザイナーでしょう?その子とも一緒にやろうよ。もちろんそれでいいんだよ何だったらパタンナーの人も呼ぼう。んー、おねーちゃんが集めた人材でおねーちゃんと戦う。凄く


今までで見たことのない恍惚な笑みを浮かべて妄想を浮かべて妖艶に身体をくねらせる。彼女は、姉を嫌っているにしては行き過ぎた感情を持っている。彼女は姉に対して妄執にとりつかれている。


「……今日はここまでにしましょう。帰りますよ。瞳」

「ふっ、今日は気分がいいし見送りいいや。タクシーで帰る。じゃあね、優ちんいい返事を期待してるね」

「えっ……ええ。それではまた。コレクションでよろしくお願いします」


思わず敬語に戻ってしまったがそれでも満足そうに笑って鼻歌を歌って事務所の外へと出て行った。しかし、取り残された花さんの心なしかいつもはクールな表情も疲れている表情をしている。


「瞳は……いえ、今、優さんに言う事ではないですね。また機会があれば社長の口から言ってくれますよ。優さんいつも通りコレクションに向けて頑張ってください」

「……はい、そうですね。私達も余所見出来る程の余裕があるわけでもないので」


どこか心に尾を引いて花さんが出て行くのを見届けると机へと視線をゆっくり落とした。


(……このデザイン通そう)

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