第17話

「お邪魔します」


 日曜の昼頃、私は水城さんの家を訪れた。


「……あの、その」


 うわーすごく帰って欲しそうな顔してる。でも、こっちにも秘策がある。


「今までこれが私が作ってきたパターンです。それでこっちがその基となったデザインです。目を通していただけませんか?」

「ほんとに私なんて独学でやっただけだし……ちゃんとしたところで覚えた方が……」

「見込みがないなら、断って頂いて貰ってかまいません。ただ……少しでも可能性があるならお願いします。私にパターンを教えてください」


 ゆっくりと腰を90度曲げて頭を下げる。


「それは……」


 顔を少し上げてみると水城さんは少し目を背けながらも手に取ってパターンをみてくれ用としていた。そして、一言


「凄く……いいとは思う。けど」


 前に水城さんが言っていた通りまだ私にはパターンの引き出しも足りない、それは私もよくわかるだからこそなのだ


「……確かにプロに依頼するのに見返りがなきゃ失礼という物ですね。良かったらパターン見てもらってる間、私に家事のお手伝いさせてもらえませんか?」

「か、家事?」


 少し驚いた表情を浮かべる。部屋の様子や家をよく見てもお金に困ってるようには見えない。でも、使われた形跡のほとんどない台所。溜まりきったゴミ箱。


「これでも炊事洗濯掃除の家事は人並み以上出来る自信があるので」


 一息置いて強気で言い放つ。

「任せてください」


 ―――


「す、すごい」


 ご飯を作る、その間に風呂も洗い洗濯物も回す。ゴミの分別も忘れずゴミごとに分けて袋を作り、ゴミ箱には新しいごみ袋を設置する。


「これでも一応学生時代色んなバイトやったことあるんですよ。その時家事代行の仕事があってそれで覚えました」


 皿に料理をよそい、テーブルに並べていく。


「一応自信作ですが、口に合わなかったらごめんなさい」


 どうしてもそこに不安が残る。濃い味が好きな人もいれば薄口が好きな人もいる。そういう好みまでは初見ではどうしても見分けられない。ただ、冷蔵庫やごみ箱に入ってる物の傾向からは濃い口が好きそうではある。それに塩分が多めの方が好みであっても健康のことも考えると気安く大目には出来ない。今回は手軽に作れてまぁ、嫌いな人はあんまりいないだろうと思ってハンバーグにしてみた。赤ワインを隠し味に入れ普通のハンバーグよりも柔らくてジューシーな味わいに仕上がっている。


「……食べても、いい?」

「もちろんです。どうぞ」


 たどたどしくもナイフとフォークで切り分けていく。フォークで刺した小さなハンバーグの一欠けらをゆっくり、ゆっくりと口に入れる。


「あ、美味しい……凄く……凄く美味しい」

「それは良かったです」


 私も自分の分を作って食べる。


「うん、やっぱり美味しく出来てる。会心の出来です」


 と言って笑う。一緒に食事をするとやはり心の距離は近づくと思う。水城さんには悪いけど、無理矢理でも距離を詰めないとドンドン人との距離を置こうとする人だと私は勝手に思ってる。


「水城さん料理だと何が好きですか?」

「え、っと、パスタとかよく食べる、かな?」

「じゃあ、次はパスタ作りますね。ボンゴレとかいいかもですね。あー、でもこの時期だとトマトが美味しいからトマトの冷パスタなんてどうです?」


 もうそろそろ夏を迎えてトマトもおいしい季節へと変わっていく。一応、シジミも旬ではあるが……大事なのは今回そこではない。


「……うん、そうだね。どっちでも美味しそう」


 次回の約束を取り付けるということだ。


「じゃあ、来週来て見て暑かったら冷パスタにして気持ち涼しかったらボンゴレにしましょう!」

「ふふっ、楽しみ」


 ここで初めて私は思った。


(あ、水城さんが笑ってるの初めて見た。いつも困り顔や泣きそうな顔しか見てなかったから、なんか新鮮だな)


 そんなことを思っていたら、今日はパターンのこと聞かなくてもいいような気持ちになってしまった。なんだか水城さんのことを騙してるような気持ちにもなって来た。


「じゃあ、来週も来ますね」


 なんだか私はただ純粋に水城さんと仲良くなりたくなった。


 ―――


「ふーん、で今日は水城さんって人の所行ってたんだ」


 ハンバーグの残りを咲ちゃん用に持って帰ってきてレンジで温めたものを夕食に出した。


「うん、何とか仲良くなれそう」

「そっか、良かったね」


 咲ちゃんも新しいデザインを上げてくれた。


「……咲ちゃん、デザインの調子はどう?」


 聞いていいのかわからない。でも、聞かなきゃいけないと思った。


「ん……何かデザインに問題でもあった?」


 ほんの一瞬だけ嫌な顔をした。


「いや、そんなんじゃないよ。ただ咲ちゃん最近調子悪そうだから」

「……気のせいだよ!今日上げたデザインの他にもいろいろ実は描いたんだ」


 そう言って数枚のデザインをみせてくる。どれも凄く良い物ばっかりだ。商品化してもおかしくないレベルの物も多くある。


「ホントだ……」


 気のせいだった。良かった……っていつもならなるけど、これ一度見たことのあるデザインだ。私は絶対に咲ちゃんのデザインを忘れたりはしない。


「……?」


 西園寺先輩はこういうところも見て欲しかったに違いない。


「……明日の仕事早いし食べたら寝よっか」

「ちょっとだけでも仕事しない?」

「駄目」


 ここを譲らないのが私の友人としての務めだ。


「あと9か月近くで、展示会に出すためのデザインを決めなくちゃいけない。それだけじゃない、展示会より先にあるコレクションのテーマを決めて演出もちろんモデルの手配だって当然決めなきゃいけない」

「だったらなおさら……」

「そんな忙しい日々が待ち受けているのに今体力温存しとかないでどうするの?」


 短期的にはそれでいいかも知れないだけど今から半年以上はあるのだ。


「それもそう……だね」


 納得してくれてよかった。と言うより本当にコレクション前なんて地獄みたいな日々が続くのを咲ちゃんもよく知っているのだ。一週間前なんてほぼ寝れない状態に近い。もしそんな状況で倒れたりしたら、失敗どころじゃない。下手をすると参加自体出来なくなる。そうなってしまえばデザイナーとして終わりに近い。締め切りを守れないデザイナーに価値はない。


「咲ちゃんみたいなデザインを私が描ければもっと楽してもらえるんだろうけどなー。とりあえず、私はパターンの技術を極めないとだからね」

「が、頑張ってね。わたしもコレクションのこと考えとくから」


 少し笑いながら拳を握り頑張るアピールをする。


「……そういえば、咲ちゃんって自分のブランドが欲しいとか思ったりしないの?独立とか」


 ふと気になったことを聞いてみる。周りのデザイナーには独立して自分のブランドを立ち上げるのを夢に持つ人が多い。でも、咲ちゃんからそんな話を聞いたことがない。


「あー……たまに言われるけど、あんまり興味ないかな?こうやってわたしのデザインさせてもらってるし」


 苦笑いを浮かべ、人差し指で頬を掻く。デザインをすることにしか興味がないんだよね。というのが彼女の本心らしい。まぁ、咲ちゃんらしいといえば咲ちゃんらしい。


(私もそこまで独立に興味ないし別にいいんだけどね)


 咲ちゃんが独立するって言ったら私も一緒に雇って欲しいなと軽く思いはしたが、本人にそのつもりがないなら私も特に勧める様な事でもないだろう。


「ご馳走様、優ちゃん」


 手を合わせて食後の挨拶を済ませると、食べ終わった食器を食洗器へと持って行く。


「お粗末様、咲ちゃん」


 私もそれを追いかけるように食洗器に洗い物を入れていく。食洗器の扉を閉めてボタンを押すだけで洗い物が朝には完了している。


(うん、手軽で便利。水城さんの家にも一台置かないかなぁ。あったら楽なのに)


 ピロンと携帯の音が鳴る。それと同時に咲ちゃんの携帯電話も鳴る。


「誰だろ。あ、社長」


 スマホの画面には西園寺社長と送り人の名前が記されていた。


『来週の金曜日、朝10時頃に1時間ほど事務所に顔を出しますわ。時間を空けといてください。問題がありましたら、河内に伝えておいてください。日程を再調整しますわ』


 簡潔でわかりやすいメール。ただ、内容については一切触れられていない。


「何の話だろう?咲ちゃん心当たりある?」

「えっ、なんだろう。わたしもわかんない」


 二人して頭に疑問符を浮かべている。時間も10時だったら特に早く家を出る必要もないし、来客予定もない問題は一切ない。


「一応、河内先輩に了解のメール返しとくね」

「あ、お願い」

「はーい」


 咲ちゃんのことも含めて了解のメールを河内先輩と一応西園寺社長に送っておく。


(でも、少しなんだか嫌な予感がする)


 少し胸に不安を残しながらその日は眠りについた。


 ―――


「おはようございます。お二人さん」


 スーツ姿の社長が約束の金曜日10時ちょうどにやって来た。


「おはようございます」

「お、おはようございます」


 二人でそう返すとにっこりと笑みを返してきた。


「水城の話は後で詳しく聞かせてもらいますが、と

りあえずは『ありがとうございます』ですわ。彼女に仕事を振った責任者としも、彼女の友人としても」

「いえ、勝手なことしてすみませんでした」

「まぁ、確かに問題があるかもしれませんが、河内からすぐ話を聞きましたし問題ありませんわ。そんなことよりコレクションの話が先ですわね」


 社長から初めてコレクションの話が出た。展示会をするということはお披露目のコレクションがそれより前にあるだろうと覚悟していたが二人して緊張で身体をこわばらせる。


「コレクションの日付はちょうど8カ月後ですわね。『東京コレクション』流石に知っていますわね」

「……『東京コレクション』」


 やっぱりかという気持ちが大きい。西園寺先輩なら当然を抑えてくると思っていた。


「ちなみにですが飯田伊吹の『quality』も出ますわ」

「!!」

「私は基本的に放任主義ですの、多くを指示しませんわ。ただ一つだけ言いますわ。『東京コレクションで最も多くの拍手を掻っ攫いなさい』」


 それは私達に日本中のトップデザイナー達を抑えて、コレクションで最も目立てと言っているに等しい。

 確かにコレクションの出来は直接展示会での注目に影響する。展示会で注目されることで大手デパートなどの小売り店との契約につながる。元々、新ブランドということで注目は高いだろう。その分ミスは許されない。


「モデルや照明、服の素材に必要なものなどがあったら河内に言いなさい。いくらかかっても構いませんわ。ただ勝ちなさい」

「……が、頑張ります」


 咲ちゃんが声を震わせながら返事をするが自信はなさそうだった。正直、私も自信はない。咲ちゃんがいくら凄いとはいえ、いきなり日本一に輝くというのは難しいとも思う。


「頑張る、は要らないですわ。欲しいのは結果だけですわ。ですが、信用はしていますわ」


 にっこり笑う。さっきの見た笑みとさして変わらないはずが少しきつく、強い圧力を感じた。


「まっ、こんなとこですわね。これだけは直接二人に伝えて様子を見て置きたかったんですの。旭川さんはこれでいいですわ」

「は、はぁ……失礼します」

「才川さん、水城の話少し聞かせて貰えますか?」

「えっと、はい。私が伝えれることなら」

「えぇ、伝えれる範囲で構いませんわ」

 今度笑みは凄く柔らかく優しく感じた。


 ―――


「そう、あの子には貴方みたいな人が必要だったのかもしれませんわね」


 水城さんとあったことを喋ると昔を懐かしむような顔をしてどこか自嘲気味な顔をする。


「そ、そうですかね?西園寺先輩だったら、上手く付き合っていくんじゃないですか?」

「そうでもないですわ。私別に人間関係得意じゃありませんもの」

「そんなものですか?」


 でも、よく考えると前の会社でチーフと仲が悪そうだったし、もしかしたら西園寺先輩にも苦手はあるのかもしれない。


「あ、そうそう。そんな熱心に水城の所で勉強しているなら少しくらい手当をつけておきますわ」

「いえ、これは私が勝手にやってることなので」


 思いがけない提案を受けすぐに両手と首をブンブンと振り遠慮する。


「貰っておきなさい。要らないというなら水城にケーキでも買ってやりなさい」


 ニヤリといたずら少年のような顔を浮かべまた、笑うのだった。

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