第8話
「お待たせ優ちゃん」
ラジオをかけてパターンの技法書をよみながら車で待っていると、スーツケースを引いて咲ちゃんがマンションから降りてくる。
「大丈夫だよ。ちょっと買い物するのに車使ったからそのついでだよ」
咲ちゃんが来るから買う少し食材が多くなって車が使いたくなったのも本当だ。ちょうど本屋に参考資料とかを買いに行きたかったのもあってちょうどよかった。
「どう?パターン何とかなりそう?」
助手席と運転席の間に置いた本を見ながら咲ちゃんがそんなことを聞いてくる。
「うーん、学生の頃も咲ちゃんとかに頼りっぱなしだったから自信はあんまりだけど……」
「けど?」
「引き受けた以上は私なりの最高を出そうと思うよ」
中途半端な仕事はしたくない。それになによりも咲ちゃんから引き継いだ仕事に手を抜くのはありえない。
「……そっか」
一瞬だけ暗い顔をした後「優ちゃんのパターン楽しみにしてるね」と言って笑った。
……もしかしたら、外されてしまった咲ちゃんにも思うところがあるのかも知れない。
車のアクセルを踏んでエンジンを回す。
「とりあえず家の前に着いたら、車を返してくるから先に家に帰っといて」
ハンドルから片手を離して鞄の中から鍵を探して渡す。
「うん、じゃあそうさせて貰おうかな」
「あ、一応それスペアキーだから、咲ちゃんそのまま鍵持っといていいよ」
「そうなの?じゃあ、ありがたく借りるね」
咲ちゃんは自分のキーホルダーに私の家の鍵を付ける。
そこでちらりと見えたピンク色のクマのキーホルダーが可愛らしかった。
「そのキーホルダー、可愛いね」
スタンプくらいなら即買いするけど、流石にキーホルダーまで一緒にすると咲ちゃんに気味悪がれたりしそうだ。いや、咲ちゃんそんな子じゃないけど。
「でしょ~。最近のわたしのお気に入りなの。青色なんだけど余ってるから優ちゃんもいる?」
「あ、いいの?欲しい!」
運転中なのであまりよく見ることはできないけど、青色はちょっと嬉しい。私にはちょっとピンクは可愛すぎる気もしてたし、青色くらいが私にはちょうど良かった。
「おっと、危ない」
急に飛び出してきた道路の物陰から飛び出してきた人とぶつからないようにするために、急ブレーキを踏む。咄嗟にその時助手席を庇うように腕を出す。
「大丈夫だった?」
「うん、大丈夫だよ」
怪我も物を足元に落としたりもしてないようだ。急ブレーキに気づいて飛び出してきた人が頭を下げて謝罪してきた。
「なら、よかった」
そのままもう一度アクセルを回して車を再発進させる。
「危なかったね。飛びだしてくることってよくあるの?」
車を運転しない咲ちゃんが聞いてくる。
「うーん、どうだろ。そんな毎日乗るわけじゃないけどたまにああいう、飛び出してくる人はいるね」
一人で事故するわけじゃなく咲ちゃんも乗っている時に事故なんて出来るわけがない。いつも以上に安全運転を心がけている。
「……事故って怖いよね」
「そうだねー。貰い事故とかもあるし、怖いは怖いけど運転してる以上は気を付けるしか出来ないからね」
「そうだよ、ね」
咲ちゃんはそう呟いた。
―――
「ん、おいしい。お店の味みたいだね」
トマトソースにソーセージやピーマンなどなど、鍋に入れて一緒に混ぜて軽く火を通すだけの簡単レシピだけど咲ちゃんにおいしいと言ってもらえるならそれだけで本望だ。
明日からもちゃんと気合い入れて料理をしようと決意しながら少しタバスコを自分のとりわけ皿にかける。
「優ちゃんって偶に辛いの食べるよね。好きなの?」
「好きってわけじゃないけど……うーん、食べたくなる時があるんだよね」
激辛料理なんかは食べれないんだけどこういうパスタに少しタバスコを掛けて食べれるのは好きだったりする。
一口食べてみてもやはり、今日は辛くして食べたかったのもあっておいしい。
「ちょっと食べてみる?」
私の取り皿を咲ちゃんに差し出してみると「ちょっとだけ……」と言ってフォークにクルクルとパスタを巻き付けて一口サイズを取り食べる。
「んん~っ!!!」
少し咲ちゃんには辛かったみたいで目が涙目になっている。すぐに飲み干して空になってしまったグラスにオレンジジュースを注いでいく。
「大丈夫?」
「うっ……ん、だ、だ大丈夫!ちょっと舌がひりひりするけど」
一気にオレンジジュースを飲み干す。
「ホントに大丈夫?もう一杯オレンジジュースいる?」
「大丈夫だけど……もう一杯貰える?」
もう一杯グラスへと注いで、私の取り皿を優ちゃんの手元から自分のところに返してもらう。
「優ちゃんは辛いの食べてるとこそういえば見たことなかったね」
「食べれるようになってるかなと思ったんだけど、やっぱり駄目だったみたい……」
辛い物食べれない人はホントに食べれないみたい。そこまで辛くはないと思うけど優ちゃんにはちょっと辛すぎたみたいだ。
「あ、そうだ。先にお風呂入る?私洗濯物干さないといけないから」
お風呂に二人入るにはちょっと狭すぎるので一人づつ入らないといけないのが少しこの家の難点に思う。
「そうだね。先に入ってもいい?」
「もちろん。シャンプーとか好きに使っていいからね。わかんなかったらまた聞いてくれればいいから」
「うん!ありがとっ!じゃあ先にお風呂貰うね」
そう言って自分の着替えを持ってお風呂場へと向かう姿を見送る。
「ごゆっくりー」
そう言って私も洗濯物を干す準備を整える。
ハンガーに服の腕を通していく。干している途中ふと自分の服の形について考える。
「こう腕を通すところがあって、首回りがこうあって……これがこうなって見栄えが悪くならないようになってるんだ……」
自分の服を今一度見てみると新しい発見がまたある。それと同時にパタンナーの人達の技術の奥深さに触れる。
「うーん、やっぱり肩の部分かなぁ……いやでも、首元の方も広げ過ぎてデザインが
が崩れたら本末転倒だし……」
ぶつぶつと口に出して頭の中を整理する。癖というわけではなく、あえて考え事を声に出してみると意見がまとまりやすくなる気がしてつい独り言が多くなる。
「優ちゃん?」
「っ!さ、咲ちゃんもうお風呂あがったの?」
と言ってからすぐに時計を見る。いつの間にか咲ちゃんがお風呂に入ってから、軽く30分以上が経っていた。
「も、もうこんな時間か。じゃあ次お風呂入っちゃうね!」
残っていた数枚のシャツを手早くハンガーにかけて慌てて着替えを持ってお風呂へと少し速足で向かう。
「いってらっしゃーい」
ひらひらと手を振ってくれている手に焦りながらも手を振り返してお風呂場へと駆け込む。
「早く入っちゃお」
服のボタンを外していくと洗面台に見慣れぬコップと歯ブラシが目に入る。
(そういえば咲ちゃんってお風呂場で歯磨きするタイプだっけ)
私のより少し小さくて柔らかい毛先の歯ブラシに薄いピンクの丸いコップ。
咲ちゃんが家に来ている、もっと言うと泊まりに来ているという実感が湧いてくる。
「……ふふっ……」
いやいや、少し自分でも気持ち悪いような笑みがこぼれてしまう。
私にとって咲ちゃんと暮らせるのは願ってもいない。なんだったら私が養ってもいいとすら思う。
シャワーからお湯を出して身体を濡らす。
頭の天辺から爪先まで、念入りによく洗う。
再度シャワーからお湯を出し、流し残しがないように全身の泡を流していく。
その後、ゆっくりと湯船に浸かる。
「……あっ、そう言えば温泉の素入れてって言うの忘れてた」
いつもはその日の気分によって色んな香りの温泉の素をお風呂に入れる。
「ま、今日はいっか。明日言おう。それにしても咲ちゃんと温泉行きたいなー」
今は忙しくて行けないから温泉の素で我慢。
(……でも、この仕事が終わったら少し温泉行きたいな)
―――
「はーい、お風呂あがったよー」
髪をドライヤーで乾かしてリビングに入ると咲ちゃんがノートに描いた自分のデザインを眺めていた。
「可愛いデザインだね。でも見たこと無いけどボツにしちゃったの?」
そう後ろから覗き込んで言うと、
「あ、うん。そうなの。自分でも嫌いじゃなかったけど……前に似たようなの作ってたから」
目線をノートに向けたまま会話を続ける。もう少しよく見ようと咲ちゃんの身体に寄せると
(ん?……あ、咲ちゃんからうちのシャンプーの匂いがする)
不覚にもドキッとしてしまった。自分と同じ匂いを自分の好きな子がさせていることに少しの興奮と背徳感を覚えてしまう。
「……優ちゃん?どうかした?」
急に話が途切れて心配になった咲ちゃんが私の方を振り返る。
真後ろにいた私の顔と咲ちゃんの顔が急接近する。
「っ……!ううん!何でもないよ!咲ちゃんのデザインいいなーって、だけ」
少し焦ってしまったけど、"そう?でもまだまだだよ"とだけ言って咲ちゃんはノートへと視線を戻した。
「明日のこともあるし。今日はもう寝ちゃおうか」
少し安堵し時計を眺めると11時を回っていた。「そう……だね。でも、わたしはもうちょっとだけまとめてから眠るね」
もう一度こっちに顔を向けて咲ちゃんは言った。
「そう?じゃあ私も少しだけやろうかな。あまり長くやっても明日に支障でちゃうし1時間だけにしよっか」
そういいながらタイマーをセットした。
咲ちゃんがやりたいなら私もそれに付き合おう。
「うん……」
その後は何も言わず黙々と咲ちゃんはデザインを書き下ろし、私はパターンの勉強を進めた。
―――
ピピピと1時間のタイマーが鳴り響く。本を閉じてタイマーの音を止める。
咲ちゃんと目があうもうちょっとだけやりたそうな顔をしているのがわかる。
学生の頃に試験直前、一生懸命にまとめたノートを試験開始ギリギリまでみようとしていた時の顔に似ている。
「もうそろそろ寝ようか」
「もうちょっとだけ……優ちゃんは寝てていいから」
「ダメだよ咲ちゃん。明日にしよ。私のパターンも咲ちゃんに手伝ってほしいし」
咲ちゃんのやりたいことはやらせてあげたい。でも、咲ちゃんが身体を壊しちゃったら本末転倒もいいところだ。
「……そうだね。うん。明日しようか」
私に続いて椅子から立って、寝室へ入る。
「この前は酔ってて気がつかなかったけど咲ちゃんのベッドふかふかだね」
ベッドの縁に寝転んで私の方をみる。
「でしょ。しっかり寝て疲れを取らないとね。あ、電気は豆電球がいいんだっけ?」
ほんの少し灯りを残して私も咲ちゃんの横で寝転ぶ。
私は真っ暗にするけど咲ちゃんは少しだけ明るくした方が眠れるって言ってた気がする。
「うん。ありがと。じゃあおやすみ、優ちゃん」
「おやすみ」
そう言って私は眠りについた。
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