第6話

 一等地に建っている大きなビル『西園寺ビル』ここの12階に私達の新しい職場がある。ビルの下で待ち合わせをしている。


「……」


 この手にじんわりと汗をかく感覚は凄く懐かしい。去年の入社式も凄く緊張していたのを覚えている。

 去年の私は緊張で逃げ出したくなったけど、横には咲ちゃんがいて私には「最高の友人が付いてる」そう思って少し胸を張って会社に入ったんだ。


「優ちゃん、後悔してない?」


 不安で思わず零れたような声で咲ちゃんが聞いてくる。


「……なんで?」


 咲ちゃんが転職を決意してそれに付いていくくらいの気持ちしか無かった。いや、この質問は咲ちゃん自身に対する自問自答なのかもしれない。だったら……


「大丈夫。なるようにしかならないよ。もし駄目ならまた転職すればいいし、気負うことは無いんじゃない?」


 私は出来る限りの不安をなくせるような言葉を選ぶ。駄目だった時の転職先が私にはあるのか怪しいけどね。


「時間通りですわね」


 ビルの中からスーツを着た西園寺先輩が同じくスーツを着た河内先輩と共に出てくる。


「おはようございます。今日からよろしくお願いします」


 頭を下げて挨拶をすると私に続くように咲ちゃんも「よ、よろしくお願いします」と頭を下げる。


「はい、よろしくお願いしますわ。それでこれがお二人の社員証になりますわ」


 目配せをされた河内先輩が私と咲ちゃんに社員証を一つずつ渡される。


「これがビルに入るのにも必要になるので無くさずに持っていて下さい」

「では、私も中を案内して差し上げたいところですが、所用がありましてここらで失礼しますわ。代わりに河内に任せますわ」

「あっ、そうなんですか?」


 よく考えればこんな大きなビルを持ってる社長さんが暇なわけはないか。逆に今までがおかしいのだ。


「ええ、一応一目でもお二人を見ておこうと思いましてね。河内準備は出来てるのよね?」

「必要な荷物も全部向こうに運んでいますので」


 河内先輩が西園寺先輩に伝えると、「ありがとう、河内」とだけ言い

「それでは、今日からよろしくお願いしますわね」と軽く頭を下げた。


「こちらこそよろしくお願いします」


 こちらももう一度頭を下げる。顔を上げると少し西園寺先輩がこちらに微笑んだ後小さく手を振って車に乗ってどこかに行ってしまった。


「……では、行きましょうか」


 残された三人でビルへと入っていく。中には電車の改札口のような物があり、それに社員証を認証させると、入り口が開くようになっている。


「それで一応始業時間と終業時間を記録してますが、家に社員証を忘れたりした場合はそこの警備員に伝えてくれれば記録して仮のカードで中に入れてくれるので安心してください」


 改札口を越えてエレベーターに乗り込む。そこでもまた社員証をかざすとボタンが押せるようになっていた。


「そういえば始業時間っていつなんですか?聞き忘れていたんですけど?」

「好きな時間に来ていただいて構わないですわ、だそうですよ。ちゃんと結果さえ出してもらえるなら何も言うことはないそうです。そして、その結果を出す能力があると確信しているそうですから」


 それはまた……期待されていると取るべきか、放任されていると怒るべきか……


「まぁ、そうなりますよね」


 少し変な顔でもしてしまっただろうか、河内先輩も少し困ったような顔をして笑う。実際いつ来てもいいと言われても困る。指定されたほうが楽に感じてしまう。それにそこまでの期待に私は答える自信がない。


「少しずつでも慣れていってください。さぁ、着きましたね」


 ピコーンとエレベータの到着を知らせる音が鳴る。とても静かで揺れなかったのでエレベータが動いていることすら全然気づかなかった。


「この階に仮眠室と給湯室も付いていますが好きに使って構いません。ただ、ここに寝泊まりする場合は許可がいるので気を付けてください」

「このトルソーって前の会社と同じ物ですよね」


 咲ちゃんが一つのトルソーを見て言った。


「あぁ、そのマネキンですか。それはそうですよ。この前に社長が二人の会社に行って色々使う道具を買ったそうですから」


 この前会社に来た時だろうか。よく見たら机まで前の会社と同じものだ。


「あと、他の人はいつくるんですか ?」

「お二人だけですよ?」

「えっ」


 さも当然というような反応が返って来た。


「パタンナー方とかいないんですか?」

「えっと、パタンナーって何ですか?」


 河内先輩はあまりデザインのことを知らないみたいだ。


「私達は服のデザインを考える仕事で、パタンナーは平面のデザインを起こす仕事です。これが上手くいかないと着心地が悪かったりするので結構専門的な技術がいるん

 ですけど……」


 そう河内先輩に言うと少し顔色が悪くなってきている。

 百歩譲って他にデザイナーの人がいないのはともかくパターンを作るパタンナーがいないのは不味い。


「えっ……っと……出来ないってことですか?」

「少し厳しい……ですかね……」


 そう告げるとますます顔が蒼白になってくる。


「……とりあえず、社長に連絡に聞いておきます……」


 大慌てで河内先輩が、西園寺先輩に電話を掛けようとスマホを鞄の中から取り出そうとしていると。


「……わたしがパタンナーもやります」

 咲ちゃんが声をあげた。


「旭川さんは、そのパタンナーというのが出来るんですか?」

「パタンナーの方に色々教えて貰いました」


 パターンを起こす作業は私達デザイナーと一緒にやる。そこで少し教えて貰ったのだろう。けれど……それはあくまで齧った程度に過ぎない。もちろん基礎の基礎くらいなら、専門学校でも一応触れる。


「そうですか……では、旭川さんにとりあえずお任せしますが、どうしても無理ならば早めに言ってください。多分社長が策を講じますので…………多分」


 少し安心したような表情へと変わったがそれでも少し心配そうな河内先輩が聞こえないくらい小さな声で不安な一言を付け足した。


「出来る限りなんとかします」


 私も少し不安だが咲ちゃんがやると言ったのだ。私はそれを手伝うしかない。


「……案内もこんなものですかね。では、私もそろそろ失礼しますね。社長に色々言いたいこともありますし」

「はい、ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ今日から頑張ってくださいね。では、失礼します」


 エレベーターで河内先輩が帰っていく。


「どうするの咲ちゃん?パタンナーなんて引き受けちゃったけど」

「大丈夫。絶対何とかするから」


 いつにもなく強気。

(というよりこれは……)

 気負い過ぎている。なんでも頑張る咲ちゃんが私は好きだ。だけど、それで潰れる咲ちゃんは見たくはない。

(何とか……私の方でも考えとかないとなぁ……)

 溜息が出そうになるのをぐっと堪える。


「……とりあえず、これからの予定の確認とデザイン画を仕上げなきゃね」

「次の展示会に向けての衣装のコンセプトくらいは今日中には決めたいね」


 今から一年後新ブランドとして初めての展示会を行うことになっている。宣伝とかは全部西園寺先輩がしてくれるらしい。曰く、世の中コネがあれば大体何とかなりますわ、らしい。


「来年の春かぁ……」


 合同展示会と呼ばれる、色々なブランドが集まってやる展示会に出展する予定ではある。当然西園寺先輩からの期待に応えたい思いもあるが、一年でブランドの顔となる商品を作らなければならない。

 試作などを考えると結構ギリギリだとは思う。咲ちゃんの気合いを見れば行ける気がするけど、なんだか嫌な予感がする。


「じゃあ優ちゃんとりあえずデザイン描いてきたから見てくれる?」

「あ、見して見して」


 新しいデザインがいっぱいファイルに挟まれている。

 咲ちゃんらしいデザインで可愛らしくて、抽象的な表現しか出てこないけど甘いスイーツを感じるようなデザインなのだ。


「うん!今回も凄くいいデザインだと思うよ」


 私みたいな身長の高い女が着たら違和感があるかもしれないけど、普通に可愛らしく春を感じさせる衣装で次の展覧会にもピッタリだと思う。

 私も一応デザインを描いては来ているので、咲ちゃんに見せようと、鞄からファイルを取り出す。


「一応私も描いてきたから咲ちゃん見てくれる?」

「うん!見して!」


 無邪気な笑顔を振りまく咲ちゃん。だけど、私のデザイン画を見ている時の表情は真剣そのものでますます緊張する。


「……うん、凄くいいと思う。これとかわたし凄く好き」


 いつもとは全然違う一人言のような落ちついた声で私のデザインを評価してる咲ちゃんが今見ているデザインは私の中でもよく出来た方で自信作だと思っているやつだ。

 咲ちゃんにデザインを見せるのは「私のデザインなんか……」と思ってしまうけど、咲ちゃんからアドバイスを貰えるとすごくためになるし、実際に成長してる気にもなる。


「もう…っと…も……なきゃ」

 小さな声で咲ちゃんが呟いた気がする。


「なんていったの咲ちゃん?」

「……ううん、なんでもないよ。さて細かい修正案とか一緒に練ろうよ」


 いつものような笑顔を向ける咲ちゃんの顔には少し陰りが見えた気がした。

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