主は来ませり


「シュワキマセリ〜シュワキマセリ〜」


「アブラカタブラ的な意味じゃないことは知ってるよね?知里ちゃん?」


博多の街をモコモコの赤いコートを着て歩く能天気な女の子、知里千景。

手に持ったケーキの箱をブンブンと回しているその姿はどう見ても少女、辛うじて高校生である。


が、これでも成人して既に一年経過している有様。

純真無垢が裏目に出た成れの果てである。


それに頭を抱える知里千景の彼氏、立花宗則。

頭の先からつま先まで何の取り柄も見当たらない、ジャンプのハーレム漫画でモテキ旋風を巻き起こしそうな程の可も不可もない、当たり障りなく読者に感情移入させるがためのデフォルト設定の青年。


そんな二人のカップルは、街がそろそろクリスマスビジネスに手を伸ばしかけるよりも早く、それを堪能していた。


主に知里千景立案の所業である。


「ねえねえ、知里ちゃん。何故に一ヶ月も前から毎日のようにブッシュドノエってんの?」


「愚問であるぞムネリン。予行練習は積み重ねが肝心なのである」


ピタッと止めた足を半回転し、立花に向き直った知里は、えっへん!と両腰に手をつき、ポーズを決めていた。


「とても素晴らしい心構えではあるけどね、いかんせんアホだよ」


「アホとは失敬な!天にまします我らが父に日頃からのご愛顧を感謝しているのだよ?」


「神さまからご愛顧頂くとかどんなパワーワードだよ!」


いつもの如く、夫婦漫才と呼ばれるソレをパブリックのど真ん中でやってのけている二人。

これも年末が近くなっている証拠とばかりに、行き交う人々は知らんふりを決め込んでいた。


十一月二十五日。

クリスマスまであと一ヶ月。


北海道出身の寒くなればなるほどテンションが上がる知里や、敬虔なる仏教徒の立花達は、来たるクリスマスに心踊らせて、時代を先取りし過ぎていた。


「まぁ楽しいならいいけど、今日はどっちの家で食べるの?」


「んー?どっちでもいいよー?わたしゃブッシュドノエれたらそれで良き」


遠心力のおかげか、ブンブン振り回すケーキの箱の中身であるブッシュドノエルは毎回原型を保てているから驚きである。


「じゃあ今日はウチにおいでよ。凛が鍋するって言ってたし」


「もつ!?博多っ子の鍋イコールもつ鍋!」


「キムチ鍋という可能性もあるからね!?まあ凛のことだからもつ鍋だろうけど」


愛しい愛しい妹である凛の事を思い浮かべながら、立花は寒くなった体に鍋の暖かさを恋しく思っていた。



「あ、あのぉ」


そんなバカップルの背後から、弱々しい声が聞こえてきた。


その声に物凄く嫌そうな顔をする立花。

彼はことこういう場面での勘は、常人を逸するほど冴え渡っている。


「あ、あのぉ」


再び聞こえる弱々しい声。

知里にもそれは聞こえており、立花の横顔を見つめて反応を伺っている。


対して立花。

足は止めているが、一向に振り向く素振りはない。


「知里ちゃん。身体強化で一気に逃げるよ!」


そう言うと真っ直ぐに前を向いて足に力を漲らせる立花。


「ま、待って!!待ってください!!」


二人よりも早く、両手を広げて立ち塞がった弱々しい声の持ち主。


「なんだねちみは!いや!名乗らなくていい!名乗ったらなんか始まりそうだから!」


「き、きいてください!お願いします!」


「い・や・だ!物語というものは基本背後から始まると言っても過言ではない!!せっかく長期休暇でコッチに来てんのに!たまにゃ平穏な日々を送らせろよ!」


頭をブンブンと横に振り回して、赤ん坊のようにイヤイヤする立花。


「まあまあムネリン。そう厄介ごととも決まったわけではなかろう」


ドウドウと暴れ牛を諌める知里。

普段にない、珍しい光景ではあった。


「知里ちゃん!?良く見なさい!?どこの世界にシカが喋りかけてきますか?しかも二足歩行で!!」


「シカではありません!!トナカイです!!」


「どっちもどっちだよ!!」


行き交う人々のまるで時間を止められたかのような微動だにしない姿が、この異常な展開をまるで当たり前のように物語っていた。

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