第6話 当たり前のことができないのは人をパニックに陥らせる

 意識が途切れるほんの一時の中で、俺はふと自分の今までの人生を振り返っていた。




 ごく普通の家庭に生まれごく普通の教育を受け、とりわけ目立った生き方はしていない。




しいて言うならば、面倒なことはすべて人任せであった。




 できれば目立ちたくない、ゆえにデメリットを抱えながら物事を推し進めるのは大の苦手であった。




 学生時代ではリア充とは一線を画す独自の路線で常にボッチぎみな日々を送り、学校が違う幼なじみの直樹と遊ぶくらいの人付き合いしかできない存在。




 社会に出てもその性格は治らず、就職先の工務店では自分に与えられた仕事だけをこなし残業は極力避ける。ただでさえ定時内にこきつかわれてるのに、これ以上会社に仕えるのは愚の骨頂というのが俺のモットー。




 だれに媚びるわけでもなく、誰よりも目立とうと思うこともなくただ生きてきた俺。




 社会に出て2年の若造ながら将来に対して多くを求めず、適当に生きていければいいかと飄々とした物の見方しかしない。いや、そんな見方しかできない今時の若造。




そんな俺に人生の選択肢が拡がったわけだ。




 何にも縛られることなく、まさに自分の力だけで生きて行くんだ。俺のことを誰も知らない異世界で!














~~~・~~~・~~~・~~~・~~~・~~














匂いがする。




懐かしい匂いがする。




子供の頃によく嗅いでいた匂い。




土の匂い。草木の匂い。潮風の匂い。




車の排気ガスやアスファルトの鼻につく匂いはまったくない。




ただの自然の匂い。








 深い眠りから目覚めるかのようにゆっくりと瞼を開けると目の前に広がるのはなだらかな丘陵。深い木々が生い茂っているわけではなく、丈の低い草が風になびいて、まるで緑の絨毯のようにその地を揺らめかせている。


 その風に乗りほのかに海の匂いが俺を包む。人間が排出する汚れた生活汚水が混ざっていない、本当の海の匂いだ。




「マジで来たんだな。異世界。」




 そうつぶやくと俺は自分の服やズボン靴、そして手の平を眺める。うむ。どんどんから帰ってるときのままだ。店の中で染み付いた他の客が吸っていた煙草の匂いまでそのままな感じまでする。




 しかし、不思議な事に携帯や財布、家の鍵等は手元にない。マジックバッグの中を覗いても確認できるのはネットショッピングに使う銀色のプレートだけだ。




「まぁ、この世界じゃ役に立たないだろうし持ってても未練がましいからなくなってちょうどいいか!」




開き直った俺はこれからどうしようかと軽く悩む。




 とりあえず人気のあるとこを探さないといかんな。


異世界だからってモンスターが必ずいるとは限らないけど、野犬とか猪なんぞはいてもおかしくないからな。


 とにかく今の俺には武器や身を守るものはないし、同じ人間にさえ出会えばなんとかなるだろう。




 うし。まずはこの辺りで一番高そうな丘に登ってみようか。人が住んでるような形跡が見つかればいいんだけどな。




 俺はしばらく歩いて、目に入る小高い丘に登り周りを見渡した。すると、肉眼でようやく視界に入るくらいの所に整備された道を見つけた。




「まずはあの道まで行ってみようか。誰かに会えたらラッキーなんだがな……」




 そう呟くとバッグを肩にかけ直し、遠くに見える街道を目指し歩き始めた。








「まだか……まだ着かねぇか……」




 どれくらい歩いただろうか。街道には近づいている。確かに近づいてはいる。が、まだたどり着きそうにない。以前の仕事柄、足腰には自身があったのだがいい加減疲れてきた。正直なところ乳酸溜まりまくりで、ふくらはぎはぷるぷるしている。




「ちょい休もう。休まんと、いざってときに足が動かなくなるかもな……」




 おもむろに靴を脱ぎ、柔らかい草の上に大の字になる。清々しすぎて思わず叫びたくなる。そして思った。




喉乾いた……




 しかしながら見渡す限り草原のような景色。小川や池もなさそうだ。うん。これはよくないぞ。てか、あかんぞ!




水……水は……そうだ! ネットショッピング!




 慌ててバッグがプレートを取り出し起動する。


見慣れたトップページからミネラルウォーターを検索。


いつも飲んでいる銘柄をクリックすると1L入り1本で180Gと表示されている。




 なるほど。円ではなくGが通貨なんだな。それに数字を見る限り円と変わらない単価みたいだな。とりあえず1Lのこれを買っとこうか。お金はどこにいれるのかな? っと、ああ! これかな?




 そう呟きながら、プレートの画面より下に現れた札入口、小銭入口に目を留める。そして小銭を入れようとし……




あ……お金ない……




うわあぁぁぁぁぁぁ! 金がねえぇぇぇぇ!




なんということでしょう。


お金がありません。


今の俺は水を買うことすらできません。


おいおいおい! どうすんだ!?


このまま水分摂らないと俺死ぬよ! 干からびて死ぬよ! 転移して何もやらずに死亡だよ!




ヤバい! ヤバすぎる!




 今までなら喉が乾けば自販機でなんでも買えたがここじゃそんなことはできないんだ! 舐めてた……異世界行けるってだけで浮かれてた……




 とにかく今は金だ! 金さえあれば水が飲める! どっかに誰かが落とした小銭ないかな…


 ここで拾っても警察いないから使っても大丈夫だよね!? うん! 大丈夫大丈夫! さぁさぁきらっと光ってみせるんだ! 拾った瞬間このプレートにぶっこんでやるからね~~~






 ってこんな草まみれのだだっ広い草原から小銭探すほうが奇跡に近いわっ!






 などと、謎の1人ボケツッコミをしていると、ふいに背後から話かけてきた人物がいた。






「何しとんのじゃ?」


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