第20話
奴らの進路。
どう見ても俺たちへ向かって飛んできている。
今は風が無いため、前に遭遇した時よりも遅い上、あの縦横無尽に飛び回る変則的な飛び方もしていない。
少し不格好な鳥が群れをなして飛んでいる、そんな感じだ。
――――戦うか?
今はあの時と違い地に足も付いているし、風の操作に気を回す必要もない。
振り払える火の粉はここで振り払っておくほうが良い……。
そう考え、今まさに戦闘態勢に移行しようとした時。
コウモリ達が陣形を変化させた。
真っ直ぐ一列になっていた形から横に大きく広がったのだ。
「っ! ルシー! 走るぞ!」
それを見た俺はすぐに踵を返し、呆けたルシーの背中を押して走り出す。
「何!?」
急に背中に衝撃の走ったルシーが目を丸くして驚く。
「良いから! お前は俺の先を走れ! あれに絡まれるのはまずい!」
はじめに目にしていたコウモリ達の陣形は真っ直ぐ一列だったために正確な群れの数が把握できていなかった。
だが、陣形が変わったおかげでその全体の数が知れた。
――――あの時の群れより何倍もいるぞ、どういうことだ?
ここにくる時に絡まれたあの群れのおよそ三倍はいるかという数。
あれとやりあうには単純に手数が足りない。
――――逃げてばっかりだな、くそっ
ここまで逃走ばかりする依頼はこれまででも中々経験がない。
魔物に襲われようが何だろうが皆で一斉に戦闘ばかりしていたあの頃が脳裏に浮かぶ。
例え危険だろうが関係ねぇと息巻いて傷だらけになったあの頃。
「……」
いや、甘えるな。
逃げるのも大事な選択だ。
わざわざあれとやるのは後々を考えても不利益しかない。
倒しても追い払っても無傷ではいられない。
そうすればまた探索に支障が出る。
「走れ走れ!」
随分と様になった逃げ足を披露するルシーの背中を見つめながら、近づいてくるコウモリから逃げ続ける。
「一体どこまで逃げればいいのー!?」
ぜーはー息を乱しながら、懸命に足を動かすルシーが叫ぶ。
「意外と余裕ありそうだなっ、もちろん逃げ切るか、龍を見つけたらなんとかしてやらんでもない!」
「なんとか、出来るの!?」
「何とか、するんだよ」
口にしたもののルシーの視線は懐疑的だ。
そろそろ俺が適当な事を言うタイミングがわかってきたらしい。
「こんな走ってばっかじゃムキムキになっちゃうんだけどー!」
「足は鍛えておいて損はねぇぞ。いざって時役立つからな」
例えば今みたいに、と笑ってやると息が上がって苦しそうだった表情がさらにぎゅっと歪んだ。
こうして考えるとルシーも随分この素材集めの冒険に慣れて来たと見える。
そこまで余裕はなさそうだが、この状況で軽口が叩けるようになるとは。
いよいよきーきーと耳障りな鳴き声がすぐ背後まで迫ってきた。
「いいか、そのまま走れ!」
俺は背負った剣の柄を握りしめると振り向き様に一閃。
背中越しに感じた気配の場所へと剣を振り下ろした。
翼の根本から鮮血が飛び散り、地面へ落下していく先頭のコウモリ。
「おらぁ、おらぁ!」
縦振り、横振り、飛び上がり、旋回して一閃。
群れの先頭部分を薙ぎ払い、俺はすぐさま剣を背負い直す。
今ので大体二十は持っていったはずだが。
ちらりと後ろを見る、が。
――――全然減ってねぇ……。
群れはまるで何も起きていなかったとばかりに変わらず背後に迫ってくる。
その後も、立ち止まっては群れの先頭を蹴散らし、走り、立ち止まっては蹴散らす。
四度、そんな事を繰り返したがコウモリ達はまるで逃げ去る様子も見せず、執拗に俺たちを狙っている。
だが、数度の戦闘を挟んだ事で少し分かったことがある。
――――こいつら、随分消極的じゃねぇか?
それは、執拗に追いかけまわして来る割に、コウモリの攻撃性が低いという事だった。
道中に遭遇したコウモリ達はどの個体も狂ったように突撃を繰り返し、牙を剥き出しにして、こちらを攻撃してきたが、こいつらは俺が立ち止まって迎撃している最中も何匹かで囲おうとはするもののあまり熱心に攻撃をしようとはしてこない。
しかし、道中の奴らと比べて気性が大人しいというだけで攻撃をしてこないわけではない。
奴らの目にはしっかりと俺が餌に見えていることは間違いない。
「グロストーー!」
先に走らせていたルシーの声。
「洞窟があるよー!」
視線を向ければこちらへ振り返り、指を指している。
見慣れた仕草の先を辿れば、そこには随分と大きな洞窟の入り口が。
「どうする!? 逃げ込む!?」
洞窟の中は暗い。
比較的地上と比べて暗いこの場所ではあるが、それ以上に暗闇に包まれている。
開けた場所を行くよりは狭い空間の方が戦いやすいが、この洞窟の広さではさほどこちらに有利とは言えない。
この暗闇を加味すればむしろ……。
「――――っ!?」
ふっと、気配を感じて振り向くと一塊になって飛んでいた筈のコウモリの群れから一匹のコウモリが飛び出して来ていた。
その距離はもうすぐ目の前だ。
眼前に迫ったコウモリの顔が、その口がかっと大きく開かれた。
――――こいつ、ほかの個体よりもずっと大きい。
開かれた口の大きさが大きい。
通常の個体では握り拳すら入らないはずの口はこいつに限っては頭を丸ごと包めてしまいそうなほど。
翼も他のコウモリより倍は大きく発達している。
視界の端に映る群れはまだ距離がある。
この巨大な翼のおかげで他のコウモリよりも速く、俺の元へ近づいてこれたのか。
何故こいつだけ孤立して攻撃して来たのか分からない、わからないが、
「くっ」
すぐに身を守らなくては。
大きく開かれた口から覗く牙が俺の首元に狙いを定めて近づいてくる。
ほんの少しの油断。
仰け反って回避しようにも距離が縮まりすぎている。
――――間に合わないっ
間に挟もうとした剣を握ったまま、首元に不快な感触が――――。
――――突風が駆け抜けた。
「――――!?」
翼を広げたままの巨大コウモリが瞬く間に視界から消える。
突風をもろに受けたことで勢いよく吹き飛ばされた。
旋回しながら上昇していくコウモリを茫然と見上げながら、
――――助かった、が。どうしてこんなに早く……。
俺は辛うじて助かったことに安堵しながら飛ばされないように姿勢を低くする。
突風ならさっき吹き抜けたばかりだ。
この数日を考えればいくらなんでも間隔が短すぎる。
「わぁ――――!!」
間抜けな声を上げながら飛ばされかかったルシーが俺の腰へ手を回す。
「やば、飛ばされちゃ――――」
俺の腰に手が回ったと同時、ルシーの両足が浮く。
大慌てでぎゅっと抱きつかれ、薄らと柔らかい感触が押しつけられた。
あちこちで起こる想定外の事態に半ば混乱しながら、俺は握った剣を深々と地面へ突き刺した。
なんだ、この風は。
今までの突風と何かが違う。
カラッと冷たい風ではなく、少し湿った温い風。
そして突風が来る前に感じる空気の変化がない。
と、そこでこの風がどこから吹いているのか気づいた。
洞窟だ。
今見つけた洞窟の中から、この風は吹いている。
「きー! きー!!」
俺の背後でコウモリ達の群れが悲鳴のような鳴き声を上げているのが聞こえる。
コウモリ達は翼を畳み、地面へと降りていた。
細い足を、その爪を必死に地面に食い込ませている。
一箇所に固まり、身を寄せ合うことで風圧を和らげようというのか、互いに何か声を掛け合うようにきーきーきーきーとやかましく鳴きあいながら飛ばされないように耐えていた。
しかし、俺たちと比べ奴らの体重は軽い。
翼を畳んだところでその事実は変わらない。
一匹一匹の隙間に入り込んだ風が群れの一角の態勢を崩す。
強烈な風圧はよろけたコウモリ達の身体ごとを持ち上げて、無情にも遥か彼方へと吹き飛ばしていく。
風が止む。
あれだけいたコウモリ達の数は、最後には十数匹
になるまで減っていた。
「ほぅ……」
どさりと腰を落とし、力の抜けた様子のルシー。
「何だったんだ……」
呼吸の荒いルシーは苦しそうに、胸を押さえてはいるがコウモリ達に襲われてはいないようだ。
見たところ治りかけの傷以外、負傷した様子はない。
――――危なかった
一方で、俺はどくどくと鼓動の早い心臓を落ち着かせるべく、深呼吸を一つ。
喉に手をやり、傷がないか確かめる。
大丈夫だ。
掠ったりもしていない。
ほんの少しの油断で致命的な一撃を貰うところだった。
遅れて滲み出てきた冷や汗を拭いながら、謎の突風が吹く洞窟へ目をやる。
今の風は一体何なのか、この洞窟の中には何があるのか。
光で照らせば何か見えるだろうか。
「ん?」
洞窟の入り口の所。
影に隠れているが、何かいる。
――――獣だ。
昨日、同じ種類を捕まえたからわかる。
尻尾の生えた、コロコロと妙な鳴き声を上げる獣。
だがその見た目は昨日と少し違う。
「色が薄い……?」
昨日みた時よりも身体の表面の色が薄くなっている。
と、
再び洞窟内から風が吹く。
「またぁ!?」
後ろで座り込んでいたルシーからうんざりした声が上がる。
――――またこの湿った風……
先程と同じ妙に温い風だ。
「あ?」
目が乾く前に閉じようと態勢を変えた瞬間、気付く。
洞窟から吹く風が消えている部分がある。
それは左手から先。
何故だと視線を動かすと、獣の姿。
「あいつか」
獣の背後には風が吹いておらず、無風の安全地帯と化していた。
よく見れば獣は大きく口を開き、まるで洞窟から吹く風を吸い込み待ち構える態勢をとっている。
獣の口元を注視すると、吹き付ける風が獣に吸い込まれているのがわかる。
そして、風を取り込む程に獣の姿はどんどんと色を薄くしていく。
――――あの獣、風を食っているのか?
見た目の色は薄くなっていくが、風を吸い込むごとに身体は僅かに膨らんでいる。
ただ空気を入れただけの膨らみ方とは違う。
あの獣にとって風は餌なのだ。
人間が肉やその他もろもろを食べて育つように奴はおそらく風を栄養として成長している。
――――もしかしたらここにいる他の獣も……。
こんな何もない大地に何故あれだけの獣が住み着いていたのかと不思議だったが、こんな不可思議なものを餌として生きている生物がいるとは。
この場所の空気に何か特別なものが含まれているのか。
「っと、今度は早かったな」
二度めの突風は思いの外すぐに止んだ。
風が消えたことで二、三歩タタラを踏む。
さて、それでこの洞窟をどうするかについて
ルシーへ尋ねようとしたところで、
「え……?」
風が止むのと同時、後ろでぐちぐちと言っていたルシーが驚きの表情で固まった。
「どうした?」
「今、何か唸り声みたいなのが」
瞬間、衝撃音が響く。
「っ」
音の出所は洞窟の入り口だった。
今の今までじっと風を吸い込んでいた獣の場所に血だまりができていた。
身体を三つに分けられ、死んでいる獣の死体。
目を離した僅かの出来事。
「誰が……」
地面には鋭い爪の痕がくっきりと残っている。
「ゥゥゥゥ」
今、俺の耳にもはっきりと唸り声が聞こえた。
随分と太い、重量感を感じさせる声。
獣を殺した犯人は間違いなく今、洞窟の中にい
る。
そしてそれはおそらく……。
「ルシー、戦闘準備だ」
「え、戦闘?」
「いいか、絶対死ぬんじゃねぇぞ?」
洞窟から腕、いや前足が伸び出た。
暗闇から現れた巨大な前足には鋭く発達した爪。
この硬い谷底の地面を容易く抉り、三本の痕が新たに生まれる。
「ゥゥウウウ」
唸り声が迫ってくる。
「これは随分立派な奴が出てきたな、ったく」
見上げるほどに巨大なそいつをみて思わず笑みが出る。
今からこいつと戦わなくちゃいけないということを考えると身体が震えてくる。
その姿をみたルシーは口元わなわなと震わせていた。
現れたこいつの圧に呑まれている。
それも当然。
ついこの間まで店で働いていたような人間がこれを目の前にして平然とできるわけがない。
「龍……」
洞窟の天井を潜るように外に出てきた緑色の龍は三つに割いた獣の死体をひょいと口に入れる。
その巨大な口は中型の獣を容易く丸呑みにし、その爛々と輝く黄色の瞳が洞窟の前で構える俺たちを捉えた。
ポツリと小さく呟いたルシーは龍の瞳に睨まれ、完全に硬直してしまっている。
龍の動きをじっと観察しながら、俺は手にした剣の柄で固まってしまったルシーの脇を突く。
「うっ」
我に帰った様子のルシーが俺の顔を見るのが伝わってくる。
視線は龍から外さずに、俺はなるべく落ち着いた声で話しかける。
「少し、距離を取れ。こいつがどんな攻撃をしてくるかわからねぇ。隙を見てどうに一撃入れてさっと血を回収するぞ」
「う、うん」
「距離は取る必要があるが、離れすぎるのもダメだ。俺の助けが間に合う範囲にいろ。
そしてお前はとにかく死なないことだけ考えるんだ、できるな?」
「できる!」
元気のいい返事だ。
「ーーーー」
緑の巨大な龍はその声に反応するように大きく口を開いた。
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