第16話

龍谷。


国の北から東にかけて広がる巨大な渓谷。


人が立ち入るのを拒むように、険しく、特徴的な環境にある。

この渓谷を踏破するくらいならば迂回した方が良いと人々に伝わったのは随分昔のことらしく、今ではこの谷に立ち入るものはいないとされる。


この谷からはしばしば強烈な風が吹き、日によっては人が浮くほどの風が吹き付ける場合もあると言う。

龍が住むと呼ばれ、実際に見た人物が存在すると言われているがはっきりと正確な情報を話した人物は見つかっていない。

故にあくまで噂の範疇に過ぎないが、先の風の正体がこの龍であるとされている。


龍が動くたび、風が生まれ。


龍が怒るほどにその激しさを増す。


言い伝え程度の情報だが、実際に向かう身となってはどんな些細な話も身を救う助けになる可能性がある。


そんな龍谷までの道中、俺たちは特に障害もなくたどり着いた。


「でけぇ」


「近くで見ると深いねー」


谷の底は今いる場所からでははっきりとは見ることができない。

崖から突出した部分に見える草木が邪魔をして一層下の景色を見にくくしている。


まるで深淵でも覗き込むかのように暗い谷底は不気味な雰囲気を醸し出していた。


谷底を覗いていると、顔をふわっと冷たい風が通り抜けていく。

今はまだ大したことなくても、穴ぼこ草原まで届く風だ。

タイミング次第では激しい風を浴びる可能性が高いはずだ。


ーー人が入る場所じゃないな


これは誰も谷を超えてこないわけだ。

普通のやつならこんなところを通るくらいなら迂回したほうが良いと思うに決まってる。


「この下にいるんだよな、龍は」


「この風を出してるのが龍だって言われてるくらいだし」


だが俺たちはそんな場所へ向かわなくてはならない。

この谷を見て顔色一つ変えずに話しているこいつは中々肝が座っている。


「怖気づいた?」


「ざけんな」


からかってくるルシーのその表情は俺がそう返事するのをわかり切っていて、


「だよね」


それでも言葉で確認できたことで安心したのか微かに笑顔が柔らかくなる。


「よし、じゃあ行こうか」


「おう」


この深い谷を一体どうやって降りるのか。

それはルシーが仕入れて来た情報によって解決策が見つかった。


それは風の民と呼ばれる者の話だ。


この谷の近辺にはそう呼ばれる民族が存在しており、風の民達はある特殊な力を持っていると言われる。


その力とは、『風を操る』力である。


この谷はただ降りようとすれば途中の突き出た地形に着地するか、そのまま谷底まで一直線に落下して死ぬかしかない。

崖途中の突き出た部分に足を乗せることができてもその場所から動くことができなくなる。


そして立ち往生しているところに身体を巻き込んで吹き飛ばす突風が吹くことで訪れたものの命を残酷に刈り取っていくのだ。


だがこの風の民達は独自の力によって風を操り、崖から飛び出た地形を渡り移り、谷底に落下することなく谷を移動できると言うのだとか。


その風を操る力というのがどうやら魔導具のようなものを使用しているらしく、どうにか交渉して借りる、もしくは譲って貰えないかと俺たちは考えた。


なのでとりあえずは谷を降りるなら風の民に接触しなければ話が進まない。

俺たちは風の民が暮らしているという場所を目指して、森の中を歩く。


「毎度毎度よく調べたよな」


一体どこの誰から聞き出したのか。

こんな薄暗い森の中に人が誰かが住んでいるなど、話を聞いていなければ耳を疑っているところだ。


「伊達に色んなところで働いて来てないよ。接客の時はお客さんから色んな話しを聞いたし、休みの日には聞き耳立ててあちこち巡ったんだから」


そう胸を張って語るルシーには苦労の影が見えた。

ただの一市民だったルシーが国を相手にしようと日々コツコツと頑張った結果がこの知識の蓄積。


誇らしげなその姿は見えない努力の日々が重なってできているのだ。


※※※※※※


風の民の集落へは魔物に襲われることなく辿り着けた。


木を切り倒して作られた集落は幾つかの家がぽつぽつと集まってできている。

街で見る雑多な景色とは違い、木だけを使って作られた住居はこの森の中に綺麗に溶け込んで見えた。


俺たちの存在にいち早く気づいたのはやってきた方向から見て一番手前の家の住人だった。


「何用?」


木の実で作られた装飾品を首からぶらさげた男は口を開き、か細い声でそう言った。


「ここは私が」


ルシーが振り向いて俺にそう言うと風の民の男に向かってハキハキと快活に話しかける。


「私たちあの龍谷に用があるんですけど、ここの皆さんならあの谷を渡れると聞いて、協力してくれませんか?」


「谷に……?」


男が眉をひそめた。

あまり好ましい反応ではないか?


「私達だけではとてもあの深い谷に降りることは……。どうしても、どうしてもあそこにいかなくては行けないんです」


感情を込めた言葉で揺さぶろうと声を震わせてルシーは訴える。


しかし突然やってきた人間がそんなことを言っても戸惑うだけだ。

明らかに警戒した面持ちとなった男が一歩後ずさる。


「あ、ちょっと待って。待ってください!」


男が近くに仲間がいないか確認しだす。

何人かは何事かとこちらのやり取りを見ている者もいた。


――――なんか皆顔が赤いな


足取りもおぼつかない。上半身の重さに引きずられるようにふらふらと歩いている者が多い。

病でも流行っているのか?


「お礼! お礼あるから!」


と、騒がれたら不味いと焦ったルシーが慌てて懐に手を突っ込む。


ばっと取り出したお金を目に見えるように手を振るが、反応が悪い


「なら、えーと……」


そういってルシーは背嚢からごそごそと地面に交渉に使えそうな品を並べ始める。


すると、後ずさっていた男が何かを凝視したままゆっくりと近づいてきた。

鼻をひくひくと動かして一点を見つめながら、誘われるように。

そして地面に並んだ荷物の内の一つを指さして口を開く。


「これ」


「え、これ?」


男が指さしたのは水を入れている布袋よりも少し生地の厚い布袋。

その中には度数の高い酒が入っている。


――――食いついたっ


鼻をすんすんと鳴らし臭いを嗅ぐような仕草。

これまでで一番反応が良い。


「お酒で良いの?」


ルシーが言うと、さらに男は指をさす。


「二人だろ。ならそっちの刃物もくれ」


「いいよ、酒とナイフね!」


渡された品を確かめた後、男は少し待っていろと思いのほか機敏な動きで家の中に戻っていった。


肌が白く、妙に血色が悪く見えるために不健康そうに見えたが、ただ静かな男なだけのようだ。


「見た? 私こういうの得意なんだ!」


俺はルシーが自慢げにするのを微妙な顔で見ていた。


――――あまり交渉したって感じじゃねぇが……


だがまぁ結果的にうまくいきそうなのは確か。


そうだなとひとまず頷いてやると満足そうに腕を組んで見せた。


そのまま他の風の民たちから視線を浴びながら、男が戻ってくるのをしばらく待っていると。


「おら」


戻ってきた男は手に何かを持っていた。


それは手から肘くらいの長さの鉄の棒。

太さは力を入れれば折れそうに細い。


男は俺とルシー二人に一つずつその棒を渡してきた。

受け取った棒には何か力が宿っているのがすぐにわかった。


冷たいような、不思議な感覚。


握った掌から身体に伝わってくるこの力が話に聞く風の民の力なのだろうか。


「刃物と酒の分。それでいいか?」


「いいっていうか、これ何なの?」


鉄の棒を陽にかざして眺めていたルシーが、男に質問する。


おさらく俺たちが求めていたのはこの棒なのは間違いない。だが、使い方はおろか、これがなんなのかすらわからない。


「俺たち風の一族の力を移したもんだ」


ルシーの問いに男が答える。


「所詮力を移しただけの道具に過ぎないが、三日は持つ」


三日も持てば十分。

後は使い方だが。


「どうやって使うの?」


「俺たち風の一族の力は風を集め、操る。この棒にも同じ力が宿っている。一度棒を振れば近くを流れる風を集められる。風はお前たちの意思を組んでくれるはずだ。大人しく身を任せれば良い」


身を任せる……。

要するに風を集めて、後は感覚でなんとかしろってことか。


「試しに今振って見れば良い」


言われるがまま握った鉄の棒を小さく振る。

すると、そよそよと流れていた風が足元に集まり始めた。

ちいさな渦から徐々に大きくなって、腰程の大きさの風の渦が目の前に出現した。


「おぉ」


思わず声が漏れた。

魔導具は魔力を使用するため、俺には使うことができなかった。だが、この鉄の棒は俺でも使うことができる。


自分が起こした現象を見て柄にもなく魔法でも使っている気分だ。


少し楽しい。


「私も!」


俺の起こした風の渦を見てルシーも同じように鉄の棒を振る。

俺とは違い大きく振ったことで集まる風も俺の時より量が多い。


「わ、すごー!」


ルシーがきゃっきゃと子供のように喜んでいる。

俺が作った渦よりも大きな渦を作ったルシーは満足気な様子だ。


そんな俺たちの姿を見て苦笑する男。

それを見て我に帰った。


「……この先は?」


俺が聞くと男が寄越せと手を出して来たので鉄の棒を渡す。


「風を作り……」


男が俺たちがやったように棒を振る。

風が集まりだす。


「自分の思う通りに動かす……」


集まった風ははじめ、一つの渦だったが男が腕を振るたびに別れ、三つの渦となった。

渦はそれぞれがぐるぐると回り、俺たちの側を行ったり来たりしている。


曲芸でも見せられているような光景に俺たちの目は釘付けになった。


「移した力じゃこんなもんか」


ポツリと呟きながら男は集めた渦に意識を集中させていく。


「コツは強く意識を集めることだ。この棒を握ったままな」


集まった風が薄く引き延ばしたように広がっていく。

風は男の足元の周りを包み出し、


「こうやってな」


言った瞬間、男の足元を渦巻く風が男の足を押し上げて空中へと浮上させた。

地面の砂をほんのりと巻き上げながら、宙に浮遊する男がこちらを見た。


「谷にはここ以上に風が強く吹いている。風を集まるまでは容易いが量が多ければその分操るのが難しくなる」


言いつつ、吹き上げる風の向きを操作して身体を移動させる男。


さらにひと際勢いが激しい渦を一つ作り出すとその頂点に足を乗せ、足場の代わりのように扱った。

そのまま風に押し出されるように宙で跳躍した男は近くの木を越える。


何度となくやってきた事だとすぐにわかる、慣れた動作。

宙を自在に移動し、軽やかに動き回るそれは、風を操る一族呼ばれるに違わぬ姿だった。


「どうだ?」


とすっと地面へ着地した男がもう一度棒を振ると、ざわめいていた風が紐が解けたようにどこかへ消えていく。


男の動きにはぎこちない動作がまるで存在しない。

滑らかに、地をあるくように空中を行き来していた。


「すごい! すごい! 私達もそんな風にふわふわ飛べるの!?」


大はしゃぎのルシーが声を大きくして男に詰め寄った。


握った鉄の棒を今にもブンブンと振り回しそうな勢いに面食らったのか男は再び後ずさるが、ルシーのキラキラした瞳を見ると肩を竦めて笑う。


「慣れの問題だな。俺や他の奴らには容易く出来る芸当だが、お前らには難しい」


男の話を聞いてがっかりしたように肩を落とすルシー。


「だが回数さえこなせばできないこともないだろ。谷に何しに行くのか知らんが頑張りな」


「そっか……わかった頑張って見る」


ルシーはぐっと拳を握ってそう答えた。


俺は男から再び鉄の棒を受け取る。


「同じ動きをするのは難しそうだが使い方はわかった。助かる」


「ちょうど酒が切れてた所だったし、もし棒の効果が切れたらまた来な」


一言、そう言って男は踵を返す。


「そのお酒、度数高いから一気に飲まないように気をつけて!」


去っていく男の背中にルシーが声を掛けると


「薄めて皆に配るから平気だ」


ひらひらと手を振って男が答える。


――――皆……?


見ると、周りでこちらを見ていた他の風の民達がふらふらと男の側に近寄って行く。


ーーもしかして、あいつらの顔色が悪かったのって……


頭でも痛いのか手で額を押しつつも嬉しそうな顔をしている奴が何人かいる。

反対の手には何やら空の容器を持っていた。


ーー単なる酒好きかよ。


しかもおそらくではあるが、あいつら全員大して酒に強くはなさそうだ。

出なければ薄めた酒であれほど影響が出るわけがない。


流行り病ではなかったようだが、なんだか力の抜ける思いを抱えながら俺たちは男達が家の中に入っていくのを見ていた。

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