第14話

ガン、ガン、と大きな音が鳴り響く。

熱の篭った一撃は強く岩を叩きつけ、岩の表面に叩きつけられた槌がその硬度に跳ね返り音が生まれる。


「はぁっ、はぁ!」


呼吸の整っていない状態で、ルシーはがむしゃらに槌を振るっている。


汗を滝にように流し、一度槌を振るっては体勢を調節しまた槌を振るう。


繰り返し繰り返し、修行でもするかの如く。


もう何度挑戦しているのか。


はじめは耳がきんと痛かったが、

既にこの音にも慣れ始めていた。


あれから四日経った。


まだ滑り石は砕けていない。


滑り石は意中の相手以外からの攻撃からは特に身を硬くするらしいが、それは意中の相手に対し身を柔らかくするということではない。


ルシーはあくまであの滑り石を、あの巨大な岩を、自力で破壊しなくてはいけないのだ。

動かないから攻撃は必ず当たる。

止まっているのだからどこに槌を叩きつけるのかは容易に操作できる。


俺なら目を瞑ってでも同じ箇所を叩き続けられる。


だが、ルシーはそうでは無い。


あの華奢な体で重い槌を振るわなくてはならない為に体を動かすときに軸がブレ、叩きつける場所が定まらない。

故に力は分散し、破壊力は小さくなる。

身体の使い方がバラバラで溜めた力を上手くぶつけられていない。


筋力も足りない。


大男であれば一日、二日、無心で槌を叩き続ければその筋力によって破壊することもできるだろ。


しかしルシーは違う。その辺の女と比べれば足腰もしっかりしている方だとは思うが、さすがにあの巨大岩を叩き壊す程鍛えてはいない。


きっとルシーも自分で分かっている。

だからこの三日、あいつは常に滑り石を叩き続けた。


休憩もそこそこに、息を荒げながら槌を振るい、叩きつけた反動に歯を噛み締めて耐え続けた。

それでも。


ーーこのままじゃ難しいな


砕ける気配はこれっぽっちも感じない。

無常に時間だけが進み、流した汗の分だけ疲労が蓄積していく。


おそらく今のままでは……。


その時からんと何かが落ちる音と共にルシーが倒れた。


「! おい!」


慌ててルシーの元へ駆け寄る。


「っ、はぁ。はぁ」


槌を落とし、苦しそうに喘ぐルシーは眉を顰め、疲労でふるふると腕を震わせながらも落とした槌に手を伸ばそうとしている。


ーー呼吸が浅い。


俺はその手首を掴む。

どう見ても限界だ。


「今日はここまでにしとけ」


汗で額に張り付いた髪すら払えないほどルシーは疲労しきっている。

代わりに髪を払ってやると俺の目を見て少し微笑む。

よく見れば顔色も悪い。


少し休ませなくてはまずいと判断した俺は落ちた槌を拾って取り上げる。

頭と膝裏に腕を回し、少しでも寝やすそうな場所へルシーを移動させた。


「ほら、水だ」


荷物から取り出した水袋を口元に運んでやる。

小さく開いた口にゆっくりと水を流し込む。


袋の半分程を飲み終えたところでかくりとルシーは意識を失った。

まずい傾向だ。


自身の限界ギリギリまで必死になって。


既に記念祭まで二週間を切っている。

だから急いでいるのだろう。

自分の身体など顧みず、こんなになるまで……。


「……」


俺はルシーの側に座り込む。

これ以上無理をさせては国潰しの前に身体を壊す。


その夜はルシーが動き出さないよう見張りながら、一夜を過ごした。



夜が明け、ルシーは起き上がれる程度には体力を回復した。

まだ調子は優れないようだったがひとまず何ともなさそうだ。


「いいか、今日はとりあえず休んでろ。焦っても逆に効率が悪くなるだけだからよ」


すぐにでもまた滑り石を叩きだしそうだったルシーに釘を刺し、俺は少なくなってきた水を調達するために辺りを探索しに出た。


この平原はとにかく魔物の数が少ない。

否、少ないというよりかはほとんど見かけないといっていい程だ。


だからこうしてルシーを置いて離れてもある程度は安心だし、この静けさ故にかなり距離の開いた場所の音でも耳に届く。


だがその代わり、魔物や獣の類がいないということは食料の当てがないことを意味する。


持ってきた食料は節約しながら食べれば優に後五日はしのげる。

だが水はそうもいかない。

水はただでさえかさばり、消費する量も多い。


俺たちが持ってきた水はすでにそのほとんどを飲みつくしてしまっている。

ルシーがあれだけ汗をかいていればその消費速度にも拍車がかかるというものだ。


雨が降ってくれればまだなんとかしようもあるのだが、ここのところ一滴の雨粒すら降っていない。


この岩や石の転がる何もない平原には一見して水の存在する場所はないように見える。


「多分、この辺に……」


だが、得てしてこういうところには思わぬところに水のたまる仕組みが存在しているものだ。


素材屋とはこのような場所でこそ情報をかき集める。

現地で動く日数が多ければ多い程にその場で食料や水を調達する必要があるために、自然と何か方法はないかと情報を探すものなのだ。


「お、あった」


そして俺が今見つけたもの。

見た目は普通の岩だが、注視すれば表面が少し湿っている。


お目当てのものを見つけたので荷物を一度下ろし、中から太い鉄の釘と槌を取り出す。


「ここか……?」


コツコツと釘で岩を叩きながら割りやすそうな場所を探す。

岩の周りを半周したところで表面に小さく窪みが出来ているところを見つけた。

この部分ならちょうど良さそうだ。


左手に掴んだ釘をその窪みに突き立て、その釘を槌でぶっ叩く。

二度、三度と繰り返すうちに岩に割れ目が生まれ、その裂け目から一筋の水が流れ出た。


この岩の名称は「雨岩」


名前の通り雨を蓄えるのが特徴の岩でこうして叩き割ると中に貯め込んだ雨水が取り出せる。

知識がなければこんなところに水があるなんて思わないだろう。


出発前に調べた情報が今回は役に立った。

砕いた岩の破片が入らないように調節し、中身のない水袋を割った裂け目に押し当てる。


水の確保は上手くいった。

この作業を繰り返せば食料が尽きるまではここで粘れる。


「ふぅ」


じっと、水が袋に流れ込むのを見つめながらため息を一つ吐く。


俺はまだ迷っていた。


あいつに最後まで協力するかどうか。


今、滑り石が砕けないせいで国潰しの準備が滞っている。

そもそも滑り石の使用目的は何なのかと道中ルシーに聞いたところ、


『あの国壁。あれをぶっ壊すためだよ』


滑り石には魔力に反応しその対象に引き寄せられる特性がある。

何でもあの国の中心、王居には国お抱えの魔法使いがいるらしく、国の外側で滑り石を使えばその魔法使い目掛けて転がっていくはずという作戦らしかった。


国の破壊を謳うルシーの目的は少しでもあの国へ損害を与えること。

あの壁を破壊し尽くせばその損害は計り知れない。


万が一作戦が失敗してもあの壁がなくなることで付近の魔物への盾が存在しなくなり、被害は大きくなる、と眼を爛々と光らせていた。


全くその特攻精神には舌を巻く。

故にあのとき話していた熱量からして、壁を破壊する役割を持つ滑り石を早々に諦めるとは思えない。

ルシーの筋力、身体の使い方等をみてこのままいけばあの滑り石を砕くまでに相当の時間がかかることは明白。


筋力はどうにもならなくても身体の使い方、軸の動かし方、どうやって全身の力を上手く運ぶかといった技術であれば俺が教えてやれば何とかすることはできる。

腐ってもそれなりに名を知らしめた素材屋だ。

それくらいのことは可能だ。


身体の使い方を身につければ今のルシーでもあの滑り石程度たやすく破壊できる。

だからこそ俺は今悩んでいる。

手を貸すことで、ルシーは死への道を一跨ぎで進んでしまう。


もしこのまま、滑り石を砕くことができなければ、あいつは諦めるだろうか


ーーもし、そうなら


何もしなくても、あいつが死ぬことはなくなる。


「……」


いや、やっぱりそれはダメだ。


あいつの執念は異常だ。


理由は分からない。


だが、滑り石が期限内に砕けないとなったら不利になるのを承知で攻め込むだろう。


それは分かる。


そうなったらどうする。

説得するか?


そんなことが俺に出来るのか。


そもそも何故あいつはそんなにあの国に拘るのか。


あの国がクソったれだから?


だがそれだけか?

それだけでここまで執着して、国を滅ぼそうとするか?


そう。


俺はあいつのことを知らない。


何をしたいのかは知っていても。


何故そうしたいのかを知らない。


何をかんがえているのか。


ーーどうしてあの国に執着するのか。


答えは出ないまま、歩き続ける。


「ーーーー」


と、野営地に近づくとくぐもった音が聞こえてきた。

同時にがらんと何か硬いものがぶつかり合う音。


「あいつっ!」


急いで音の出所へと駆ける。


そこには、よろよろと力のない立ち方で滑り石の前にたっているルシーがいた。


やはり音の出所はルシーだった。


「っ」


痛みに顔をしかめるルシーの視線を辿れば、手のひらが真っ赤に染まり、地面にはポタポタと手から落ちた血が垂れていた。


痛ましいその状態に思わず眉が寄る。

と、がくりとルシーが崩れ落ちる。


「おい、今日はやめろって言っただろ」


地面へ倒れる寸前で受け止めた俺は弱々しく、されるがままになっているルシーに語気を強めて言った。


「……ぅぅ」


俺に気付いたルシーが呻く。

ぎゅっと目を瞑り、


「だって、もう時間が……」


痛みを堪えながら、ルシーは平坦な口調でそういった。


時間。


何の時間かは言われずとも分かる。


だがルシーがこんなになってまでそれに執着するのは何故なのか。


それが分からない。


いくら考えても。


分かるはずはない。


だから、


「なんで、あの祭に拘るんだ?」


気づけばそう聞いていた。


何故、どうしてか。

ルシーが考えていることは何なのか知りたい。

どうして国に執着するのか、理由を聞きたい。


あくまで俺が受けた依頼は素材を集めること。

依頼者が何故その依頼をするかは本来聞く必要はない。


「お前はなんで、あの国を滅ぼしたいんだ?」


だが、これだけ手をボロボロにして、息を荒げて、そうまでして成し遂げたいと思う理由を知りたくなった。


必死になる理由。


この熱量はどこから来るのかを。


「なんで、か」


小さくルシーが呟く。

そして僅かに逡巡した後、口を開いた。


「私さ、お姉ちゃんがいるって言ったでしょ?」


「あぁ」


確か同じ金髪でどうとか言っていた。


大きく息を吸い込み、ルシーは一度目を閉じる。

頭の中でその時のことを思い出しているのだろうか。


ふぅ、とゆっくり息を吐き出しながら、ルシーは感情が昂らないようにする為か、取り繕ったような声音で喋りだす。


「5年前に私とお姉ちゃんはこの近くの村から出て、お金を稼ぐためにあの国に入ったの。ある程度お金が貯まったらもっと遠くの国へ、もっともっと違う景色が見えるところまで行くのが私とお姉ちゃんの目標だった」


「国に入ってからはまず働く場所を探したんだ。何軒か巡って、あるお店で働くことになった。そのお店は色んな道具を扱うお店だったから、私とお姉ちゃんは道具の名前を覚えたり、それがどんな効果のある道具なのかを理解しなくちゃいけなくて、朝から晩まで頭に叩き込まなくちゃいけなくて大変だったなぁ」


おまけに一部の素材や薬草なんかはお客さんからどこで取れるんだって聞かれることもあったからもう、ね。

と、冗談っぽく話そうとするルシーだったがその声音は硬い。


ルシーは続ける。


「でもなかなか仕事を覚えられない私と違ってお姉ちゃんはすぐに仕事を覚えて、遅くまで私に教えてくれた。そのせいで身体の調子が悪くなっても、少しも辛そうにしないでいつもニコニコ笑って話してた……。お店の仕事は今言った店のものを売る仕事と、あとは仕入れた荷物を店の中に運び込んで並べる仕事。私そっちの仕事は得意だったから少しでもお姉ちゃんを助けようと思って、うんと頑張ってやったんだ」


そこから少し言いづらそうに、こちらをちらりとみる。


「何だ?」


「何も気にならない?」


気になること……。


「その、私が荷物運びが得意だって……」


確かに、ルシーの身体は華奢だ。

荷物運びが得意だという割に筋肉はないように見える。


だが嘘をついているのではないのだろう。

おおよそ見当はついている。

むしろなぜルシーが言い淀むのか俺にはわからない。


「魔法だろ?」


言った直後、大きく目を見開いたルシーは何で知っているんだと言いたげな顔をした。


「消し水の川でお前、俺に魔法使ったろ」


川で水をかけあっていた時、身体が急におかしくなり俺は川の中へ転がった。

あの時感じたあの感覚は魔法を、魔力が空間に広がる感覚だった。


「おまけに」


くっと滑り石を指差して俺はいう。


「こいつが俺を無視してお前に突撃してったのも、お前に魔力があるからだろ?」


滑り石は魔力に反応して転がっていく特徴がある。

あの時俺を躱すように避けて行ったのもそれだ。


「そっか。バレてたか……」


へへっと僅かに照れたような、しかしどこか不安げにも見えるような笑み。


それからちらちらと俺の方を見て、何も言われないのか確かめた後、仕切り直すように続けた。


「そう、私には魔法が使えた。一つだけなんだけどね。その魔法は対象の重さを変える魔法」


ーー重さを……。


だからあの時俺の身体がおかしくなったのか。


「その魔法を使って私は店の道具を軽くして運び込みをしたの。多分店の奴は私が怪力の持ち主に見えてたでしょうね。時々気味が悪そうにこっちを見てたから」


「お前が魔法を使えるってことは」


もしかしたら姉の方も何か使えたのだろうか。

魔法を使える人種には血筋が大きく関わると聞いたことがある。


「ううん、お姉ちゃんは魔力はあったけど魔法は使えなかったんだ。だからいつも私にすごいねって。ヒロ

インは魔法が使えるんだねって……、褒めてくれてた」


その声は途中、か細く震えていた。

一拍、間を開けてぐっと唇を噛みしめたルシーは続ける。


「そのまま三ヶ月くらいその店で働いてるとだんだんあることに気づいてきたの。店にくるお客さんや、国の奴らに違和感を感じた」


違和感。


「言葉に、暖かさがまるでないんだ。ううん、言葉どころかその雰囲気が、私を見る目が。その態度が。まるで虫けらでも見るように、ゾッと冷たかった。」


「それでも私たちはお金が貯まるまで一緒懸命働いて、後少しで旅に出られるまでお金を貯めた」


そこでルシーの口調が一変した。

硬く、強い憎しみに満ちた刺々しい声に。


「その時だったの。国から魔力禁止令が出たのは」


「魔力禁止令?」


なんだそれは。


「五年前に『魔力感染』から国を守るんだって王から出された、国に住む魔力を持つもの全てを捕らえ、駆除するっていうとんでもない命令のこと」


「全て……」


「通称、魔力狩り」


……魔力狩り。


「なんでそんな命令を……。待てよ、記念祭ってのは五年前の、災害からの健康祈願を兼ねての祭りだって言ってたよな」


「うん」


酒場で、ルシーから聞いた。

だがその時聞いたのは、


「感染者を追い出したって話じゃ」


魔力を持つもの全てが対象というのは初耳だ。


「表向きにそう言ってるだけ。今じゃあの国の奴しか本当のことは知らない。あの時国にいた魔力持ちはみんな殺されたんだから、なんとだって言える」


「みんな、殺された……」


衝撃的な内容が底冷えするようなルシーの声を通して耳に届く。


そんなめちゃくちゃな命令が通るのか。


唖然とする俺にルシーが話を続ける。


「突然だった。国の中に存在する魔力持ちを悪きものだと呼んで、抵抗すら許さずに徹底的に狩っていった。でも魔力を持ってるかどうかなんてその人が魔法でも使ってない限り分からないんだ。だから国は怪しい人は片っ端から拘束して王居に監禁したの」


ルシーは身体を震わせながら話す。


思い出すことで当時の感情が蘇るのか、いつものルシーとは思えないほどに目は釣り上がり、怒りを露わにしている。


「その時初めてこの国の人間の本質を知ったよ。自分以外の人間を、魔力持ちだと断定して嬉々として衛兵に告げ口する。魔力持ちを一人見つける度に金がもらえたらしくてね、皆ここぞとばかりに周りの人間を売ってた」


「私たちは店の奴に売られた。なるべく人目につかないようにしてたつもりだったんだけど、どっかで私が魔法を使ってるのを見てたみたい。

いつも通りに開店の準備をしてたら店の前に衛兵が集まってきて……」


拳をぎゅっと握りしめ、わなわなと震えるルシーはひどく悔しそうに表情を歪めていた。


「私たちは逃げた。大事に貯めてた金を急いで持って、どこか違う国に行く為に、走って走って走りまくった。もう誰も信じられなかった」


「門の側まで来て、そのまま走り抜けようと思ったんだ。でもダメだった。衛兵の隙をついていこうと思ったんだけど、門のところに集まってた人だかりの中に店の常連客がいたんだ。あいつは私たちを見て口角を上げて叫んだ。『魔力持ちが逃げるぞー!』って。あいつには荷物を運ぶところは見られてないし、魔法を使うところも絶対知られてない。なのに逃げようとしてる私たちを見て嬉しそうに言うんだ。そこで気づいたんだ。あの時の違和感の正体に」


吐き気を堪えるように、怒りを堪えるに、様々な感情が混ざりあった表情でルシーは呟く。


「あいつら他人の不幸を見るのが楽しいんだ。自分は関係ないやつがボロボロになってくのを見たくて見たくてしょうがないクズ野郎なんだよ。

あの冷たい目。この国の奴らが決まって瞳に映してたのはそういうものだったんだ。自分以外を虫けらとでも思ってるクソ達なんだってその時はっきりわかった」


「衛兵に見つかった私たちはそこで捕まった。

逃げ道を塞がれて、手を押さえつけられた。

この時私は精々荷を軽くするくらいしか魔法を扱えなかったから衛兵には到底太刀打ち出来なかった……」


「私、そこで怖くなっちゃった。これからどうなるんだろうって、身体がすくんじゃって。衛兵に手を掴まれたまま呆然としてた」


「でも、そこでお姉ちゃんが叫んだの。聞いたこともないくらい大きな声で、誰に言うわけでもなくただただ大きな声を出して。衛兵はビックリして耳を塞いだ。その一瞬の隙をついてお姉ちゃんは私を取り押さえてた衛兵に突撃して押し倒したの」


堪えていたものがそこで溢れ出たように、一層声を震わせた。


「でも私、鈍臭いから、お姉ちゃんの意図がよく伝わらなくて、ぼーっと、固まっちゃって」


ルシーはそこで声に詰まった。


「ゆっくりでいい」


落ち着けるように一言告げる。

頷いたルシーは深呼吸して気持ちを落ち着かせようとした。

三回繰り返し呼吸をして、もう大丈夫だと目元を拭った。


「ようやく私はお姉ちゃんがなんとか逃げる為にやってくれたんだってわかってがむしゃらに門の外に走ったんだよ。後ろからお姉ちゃんが『そのまま走って!』って言い続けてた。おかげでわたしは逃げられた。でもお姉ちゃんは……」


ルシーは口元をきゅっと噛みしめ、当時を悔やむように下を向いている。


血だらけの掌をキツく握り、ポタポタと血が垂れるのも意に介せず佇むその姿はただ、自分の無力を嘆き、抑えきれない怒りを燃やしているように見えた。


「お姉ちゃんの言葉通り、私は逃げた。衛兵に捕まらないように慎重に動いて、泥を啜って、草を噛んでお腹が空くのを我慢してた」


「苦しくて、悔しくて、なんで私が、お姉ちゃんがこんな目に合うんだって呪いながら必死に生きようと……」


「私は近くの街にたどり着いてなんとか生き延びた。運良く働かせてくれるところがあって、そこはあの国とは比べ物にならないくらい優しい街だった。それからしばらくそこで過ごしてた」


「でも私はずっとお姉ちゃんのことが気になって、日に日にあの時一人で逃げたしたことを後悔して……」 


「半年くらいして、私は思い切ってもう一度あの国に行こうと決意したんだ。お姉ちゃんを助けて、それ

で、またもう一度旅に行こうって」


そこで、震えていたルシーがぴたっと止まり、下を向いていた顔を上げてこちらを見た。


その瞳には激しい怒りが、憎しみが灯っている。

思わずこちらが気圧されるほどの威圧感。


呪いの言葉を紡ぐように、ルシーは語る。


「あそこにいく商人は滅多にいないから機会を伺って、荷台に潜り込んで潜入したの。半年ぶりに来たあの国はあの時の狂騒が嘘みたいに最初来た時みたいに、私たちが働いてた時みたいに落ち着きを取り戻してた。何でだろうって不思議だった。あれだけ騒いでたのに、一瞬で違う国みたいになってた場所がたった半年で元通りになるなんて意味がわからなかった」


でも、と血走った目でルシーは言う。


「すぐに何でか分かったの。道を進んで広場まで進んだ時だった」


「そこには張り付けにされてる人たちがいた」


「一瞬目を疑ったんだよ、何これって。でももちろん見間違えるような距離じゃないし、そこにはずらっと今まで捉えられた人たちが見せ物にされてた」


「皆、笑ってた。『自分はああならなくて良かった』ってニコニコと張り付けにされた人たちを見ながら……。私は気持ち悪くなって、それでも端から端まで張り付けにされてる人たちを見て回ったの」


「何人目かわからないくらい見て回ったところで胸がきゅっとなった。見覚えのある髪だと思って、近づいて……」


聞いているこっちが辛くなるほどにその光景がありありと想像できてしまう。


「ーーーーお姉ちゃんだった」


「綺麗だった金髪がどろどろに汚れて、身体はボロボロに怪我をしてた。血だらけで、よく見ないとわからないくらい、顔も腫れてて、ピクリともしなかった」


「身体に力が入らなくて、座り込んだ私に近くにいた連中が声をかけてきたのを覚えてる。

あいつらは言ってた。『これは見せしめなんだよ』って、『こんな風にならなくて良かったね、助かったね』って、へらへら、笑いながらっ!」


かっと目を見開いてルシーが叫ぶ。


「見せしめって!? 何でお姉ちゃんがあんな目に合わないといけないの!? 私は絶対に許さない! だから私はあの時誓った! こいつら皆殺してやるって! 全員! 形がわからないくらいぐちゃぐちゃにしてやるんだって!」


その咆哮は悲しいほどに痛々しく、同時に狂おしい怒りの篭った雄叫びだった。


「私はあの国をぶっ壊すよ、絶対に。これが、私の理由」


爆発した感情に呑み込まれて、俺は何も言えず、ただルシーの目を見つめ返すことしかできなかった。


――――なるほど、な


だが、何故こいつがこれ程までにあの国に執着するのか、合点がいった。


復讐。


最も納得のいく理由だ。

身を削り、命がけであの国を潰そうとするに足る動機。


はぁはぁと息を乱しながら、その鋭い眼光は消えることなくこちらを見つめている。


否、その瞳には俺ではなく、あの国が映っているのだろう。


「ふぅーー」


俺は天を仰ぎ、深く息を吐いた。

からりと乾いた空気が重苦しい身体の中を喚起するように肺いっぱいまで吸い込む。

ゆっくりと呼吸を繰り返し、ルシーの言葉をもう一度頭の中で考える。


ふわふわと、朧気だった気持ちが固まっていく。


なんとなく、こうなるんだろうという予感はあった。


口ではなんと言おうと、心の中では、きっと気持ちは傾いていた。


それが今、俺の中ではっきりした。


もしかしたら、この選択が俺に災いをもたらすのかもしれない。


だが、


――――後悔は、しない。


ルシーの言葉に偽りはなかった。


ならば、それで良い。


ぐっと拳を握ると、身体の端から力が湧いてくるような気がした。


気づけば長いこと話していたようだったが日没まではまだ時間がある。


俺は顔を上げ、ルシーに視線をやって言う。


「とりあえず、俺が良いと言うまで槌は握るな」


ルシーは俺の言葉を聞いて難色を示したが、


「良いから黙って従え。身体の使い方を教えてやる」


そう言うと不思議そうにこちらを見つめ返してきた。


「今のお前じゃどれだけがむしゃらに槌を振り回しても滑り石は砕けねぇ。でたらめに重い槌を振り回してりゃ身体を痛めるだけだ。だから先に身体の使い方を教えるって言ってんだ」


皮がめくれ痛々しく、血塗れになったルシーの掌を見て俺は再度言う。


「力の入れ方を学べばあれくらいすぐ砕けるようになる。だから一人で勝手にやるのはもうやめろ」


そこまで言ったところでようやく俺の言葉を噛み砕いたのか、こくりと頷いた。


ルシーを説得するのは無理だと今の話を聞いてわかった。

むしろ説得してはならないとまで思った。

こいつは復讐を果たす必要がある。


そして、何より俺自身が改めてこいつの復讐を手伝ってやりたいと思った。

ルシーの無念を、共に晴らしてやりたいと強く、強く思った。


『――――あくまで、一人なら、ですがね』


脳裏にエルの言葉がよぎる。

まるでこうなることを予見していたかのようなあの物言い。


「……」


が、俺は首を振る。


ーー俺は俺の思うままにこいつに協力する。


あいつの言葉は関係ない。

これは、俺の意思。

ルシーの話を聞いて俺が選んだ選択だ。


「まずは足の使い方から教えてやる」


ルシーはいつもの表情に戻っていた。

だが昂った感情がまだ尾を引いているらしく、えらく気合の入った視線を俺に送ってきた。


威勢の良い返事が返ってくる。


その日は夜が来るまでずっと、身体の動かし方を教え続けた。

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