第11話
「下がれ」
王の言葉により、一人の男が部屋を退室した。
不服そうな王の表情に
側に控えていた家来たちはビクビクと怯える。
そこは煌びやかな装飾の施された広間。
十ではきかない人数が入るであろうこの大きな部屋は、この国で一番大きな建造物である王居、その中でも最も広い部屋であった。
「この我の話を断るとは、不愉快な奴め」
「『万盾』はこの辺りでは大変有名な素材屋ですので……」
冷や汗を滲ませ、なんとか王のご機嫌を取ろうとする側仕えの男。
「ふん、何が有名な素材屋だ。この国の王たる我が、直にその家臣として迎えると言っているのだぞ。光栄の極みとして話を呑むのが当然だろうに」
「ええ、全くそうです。奴は所詮少し名が知れている程度の只人です。陛下のお言葉にどれ程の価値があるかなど、想像出来ないのでしょう」
立ち去った男に対し、酷く不満だと腹を立てている王はその後もしばらく男に対して怒りを露わにしていた。
「まぁいい、それで記念祭の方はどうだ」
「はっ、皆各々準備を進め、当日はさぞ盛り上がることかと」
「そうか」
そこで王はようやくにやりと機嫌良く笑った。
「
「はっ、しかと準備を整えておきます」
ーーあれ、か
立ち去った筈の男は閉じていた目を開ける。
扉を警護する衛兵二人の間でしゃがみこみんでいた男。
明らかに怪しいその挙動に、しかし衛兵は何も言わない。
空な瞳はどこを警備しようとしているのか、男には目もくれず、二人して虚空を眺めるように顔を上げて呆けていた。
ーー一体どこへ隠しているのか……
真剣な表情の男はそして、はっと弾かれたように顔を上げた。
「ここまでですかね」
扉に聞き耳を立てていた男は王がこちらの扉へ近づいてきたのを察知し、その場を離れた。
あとには未だ呆けた表情で視線の定まらない衛兵が二人。
緩んだ手から槍が離れ、からりと音を立てて地面に転がった。
米米米米米米米米
「そうじゃなくて、ここはこっちの蔓をこの穴に入れて引っ張るんだってば」
燃え広がった炎は消え、足の踏み場もないほど生い茂っていたもちもち草は目に見えてその数を減らした。
焼けた跡には黒く焦げきった燃えかすが、そしてモグラ穴の近くでは焼け死んだモグラの死骸が力つきるように転がっていた。
だが、もちろん全てが燃えてしまったわけではない。
俺たちが必要な分を摘んでなお、充分すぎるほどのもちもち草が残っていた。
モグラの穴付近には焼け死んだモグラが力つきるように転がり、ざっと見ても数十は超える数の死骸があち
こちに横たわっている。
今回、ここまでうまく炎が広がったのは間違いなくこのモグラのおかげであり、俺が睨んだ通りあのでっぷりした身体の中には通常の獣などよりも多くの油を蓄えこんでいた。
モグラの穴に油を注いだのはもちろん火をつけて燃え広がるようにするためでもあったが、一番の狙いはこのモグラを燃やせるのではないかと考えたからだ。
もちもち草の生えている範囲、この草原と同じようにその地中にモグラたちの道が存在するならばこれは使えると思った。
道の途中にいるモグラに火がつけば燃えたモグラは間違いなく暴れまわる。
火のついたまま暴れまわるモグラはそれ自体が種火となり、各場所に火をつけてまわるはず。
道の繋がっているモグラ穴の何箇所かに油を引いておけば火のついたモグラによって引火し、違う道にいる
モグラにも火がまわるのではないか。
そうして連鎖するように火が周り炎と化せば、根からエネルギーを吸収し、再生していたもちもち草は逆に根から炎が伝って燃える。
ただ火がつくだけでなく、周りの草も一緒に燃えることで再生を封じる。
まぁこの辺は偶然そうなったというかんじだが。
そうして本体は根から燃えていき、絶えることなく燃え続けあの巨大なもちもち草は焼け倒れた。
あれはあの時、ほとんど動けない俺が取れる唯一の手段だった。
結果的に俺自身びっくりするほど上手くいき、今こうして二人で草を編んでいられるのだからまったく運が良かった。
そうしてひとまず持ってきた薬や軟膏などで簡易的な治療をした後、
火のかかっていないもちもち草を摘み、
ルシーがふわふわ草に飛ばされたさっきの場所まで戻って残っていたふわふわ草を刈り取った。
一つ採り損ねたとはいえ、手分けして探せばそこそこの数は集まった。
「あればあるだけいいのに」と未練がましく呟いたルシーには気づかないふりをした。
さっき俺が言った言葉は果たしてちゃんと伝わったのか……心配になる。
そして見つけたふわふわ草を全て刈り取った所でルシーが提案した。
「じゃあ戻る前にここで組ませちゃお」
ふわふわ草ともちもち草の使用方法は互いを組み、編み込むことで一体化させもちもち草の面を対象に貼り付けて使う。
「風がないと飛ばないんだろ? あの国は壁に囲まれてるし、滅多なことじゃふわふわ草の意味がないんじゃねぇの?」
そう問うた俺に対し、ルシーは案はある、大丈夫だと返す。
こいついっつも大丈夫とか言ってるなと思わなくもなかったが、そもそもそれくらい考えた上で採取しにきてるだろうと変に追求するのはやめておいた。
なんだかんだいってこの数日で、国堕としに関係する話では信頼できると俺は思っている。
ルシーの熱意。
ここに疑問を持つことはない。
ーーさっきも、下手したら死んでたわけだしな
強い意志にはそれなりの説得力がついてまわるものなのだ。
そして、二つの草を編み込む作業が始まったのだが、
「ここか? ちっ、うまく曲がらねーぞっ」
「引っ張り方が……あ、違うってこっちの蔓をここに……」
「くっ、うぅ」
「不器用だねー」
指がつりそうになるのを、耐えながら唸り声を上げる俺に、ルシーが茶々を飛ばす。
思うようにならない蔓。
それを掴む指に思わず力が入る。
――――どうなってるんだこれは……
微妙につかみにくいこの太さが蔓を操るのを邪魔する。
ここを折りまげて、こっちの隙間に差し込んで……。
「ぬあー!」
まるでうまくいかないそれに苛立ちが募る。
「ふふっ、苦戦しているねぇ」
何がそんなに楽しいのか、俺がイライラしている様子を見てルシーは実に楽しそうにしている。
「俺はこういうちまちました作業が嫌いなんだっ」
昔からこの類の作業は性に合わない。
どれだけ丁寧に教えられても上手くいったためしがない。
今回のもまた例にもれず隙間なく交互に蔓を重ねて編む部分がほつれ、隙間がばらばらと空いて不格好になった。
「だぁー、ムカつく……!」
このままやっていたら止血した傷が開きそうだ。
そもそもこれ、手で持ってるがまたさっきみたいに飛んで行ったりしないのか。
指でつかんだ蔓を凝視する。
こうして手に持って作業している次の瞬間にはいつの間にか空へ飛び立って……ということは。
そんなことをルシーに聞くと、
「ふわふわ草は根から切り離しさえしちゃえばとりあえずしばらくはほとんどただの草だから平気だよ?」
イライラしている俺を見るのが楽しいらしく、ケラケラと笑いながら説明した。
だから採取してすぐに加工してしまうのが一番楽なんだとか。
ちなみにもちもち草も根っこから引き抜いてしまえば少し時間を置けば自然と粘液が止まるとのこと。
設置するときは接着面のもちもち草に傷をつけ、草の内部に残った粘液でくっつけるのだという。
二つの草を編み込んで使うこの罠はかなり有用だが、素材となる二つの草の入手難度が高いためにあまり知られていないとルシーは言う。
「あの蔓の猛攻をくぐるなら別の手段を考えた方が早そうだしな」
「でも手に入れられたよ?」
「俺が頑張ったからな……」
明らかに一人で挑むものではなかった。
実際身体をボロボロにされ、危うく死にかけたのだから他の奴が労力に見合ってないと考えるのも仕方ない。
「ん?」
と、思い出したように痛み出した肩を押さえ視線を下ろした先、ルシーの手元に目が止まる。
見れば見事な指捌きで見事な編み込みを作り上げていた。
「上手なもんだな」
その手際の良さはこれを仕事にしていると言われても納得してしまいそうなほど。
自分ができない分、ルシーの動きがより際立って見えた。
「ふふふ、お姉ちゃん直伝でね、昔はよくこうして草冠とか花飾りとかを作ったんだよ」
ルシーは口元を緩め、嬉しそうに語る。
「意外なところで役に立ったな」
「まぁね、手先は器用な方だし」
そこで言葉を切り、再び俺の作っている罠を見てルシーが、
「そんなんじゃ料理とかどうしてたの?」
指を唇に当てて不思議そうな顔で問いかけてくる。
「そりゃ適当にとりあえず焼いたり、煮たり……」
今までの旅を思い出しながら俺が口を開くたび、ルシーは嫌そうな顔をして表情を歪める。
「なんだよ……、あくまでたまにはって話だ。仲間に一人料理できる奴がいたから料理は大体そいつがやってたよ」
そう、そいつは実に料理が上手かった。
そいつの飯を食ってる間は比較的おしゃべりな仲間達も誰一人しゃべらず、黙々と飯を食っていた。
と、そこでルシーが羨ましそうな顔をした。
「仲間かぁ、一緒に旅とかしてたんだよね……。いいなぁ」
「……? 何が良いんだよ」
「私このあたりから離れたことないから、そういうの憧れる」
遠くを見つめ、目をきらめかせているルシー。
随分と旅に夢を見ているらしい。
「そんな良いもんでもねぇぞ? 下手すればその日の飯にも困るし、大体命がけだ。満足に寝れる日は運がいいってな具合なことがほとんどだ」
俺と、俺のパーティは偶々うまくいった例に過ぎない。
貧乏な奴らはあふれるくらいいたし、俺たちも初めのころはそんなかんじだった。思っていたのと違うと別の仕事を始めるやつ。
食うに困って辞めていくやつもいた。
辞めていくやつなんかは自分で道を選べる分だけましで、ほとんどの奴はどこかで壁にぶつかり、身体のどっかを欠いたり、死んじまう。
それでも、外から見れば魅力的に映るのだろう。
どれだけ大変さを騙っても、ルシーの目に映る輝きは消える気配がない。
そんな目を見て、俺は思った。
「そういうおまえはどうなんだ?」
「え?」
「国をぶっ壊そう、なんて言いだす前は何やってたんだ?」
思えば俺はルシーの事をまるで知らない。
だからこの問いに深い意味はない、なんとなく気になっただけだ。
「えー、私に興味津々~?」
自分の肩を抱くような仕草を取りながら、ルシーが茶化してくる。
実にうっとうしい態度だが、とりあえず話が進まないので頷いておく。
「っ、そ、そう。そんなに知りたいならまぁ、話すけど。グロストって意外とこう、ズバッと言ってくるよね」
照れながら言うくらいなら、何故初めからあんな態度をとるのか。
「いいから、続き」
顔を赤くしたルシーにため息をつき、先を促す。
「そんなに急かさなくても話すってば……。グロストもほら、手が止まってる!」
作業の進んでいない俺の手元を見ながら声を荒げる。
「あぁ、わかったわかったやりながら聞くからよ」
投げやりに答えつつ、渋々手を動かす。
本当に完成するのか、自分でも怪しい。
咳ばらいを一つして、恥ずかしそうに髪を手で整えた後、ルシーがはなしだす。
「なんか変にもったいぶった感じになっちゃったけど、別に特別凄いことをしてたわけじゃなくてね。あなたに会うまではこの辺りでずっとお金を稼いでた」
「ほう」
「雇ってもらえるとこならとりあえず雇ってもらって……店の給仕とか、料理をつくったり、物を売ったりなんかもしたかな。私、器用だから。ある程度はこなせるんだよね」
ルシーは続ける。
「五年前に姉を亡くしてから、ずっとそんな生活を続けてきた。朝起きて、顔を洗って、働いて、寝て、ご飯を食べて、働いて、仕事を変えて。働いて。ずっとずーっと。その繰り返し」
作業を止め、左右の指を組み合わせ、ぎゅっと握り合わせながらルシーは話す。
その時のことを思い出しているのか、視線は一点を見つめている。
「だからここ以外の遠くへ行ったことがないんだ。そんな時間、私にはなかったから……」
「そうか」
身内の不幸はいろんな場所へ転がっている。
ルシーの零す言葉は、その口調は淡々としたものだったがそれはきっと当時のことを思い返したことで、想いが、漏れそうになっているから。
乗り越えた悲しみがぶりかえさないよう、耐えているからだ。
ーーその表情には僅かな陰りが見えた。
そこで言葉を切ったルシーが少し声音を高くする。
「だから誰かと一緒に料理を食べて、あーでもないこーでもないって喧嘩して、一緒に冒険なんかしたりして。すごく楽しそう」
「さっきも言ったがな、実際はもっと大変だ。戦闘力のろくにないお前だと、なおさら」
そういうと、静かに言葉を紡いでいたルシーの顔がむくれる。
「もう、何回も言わなくたってわかってるってば! 例えばの話なんだから!」
お前は自分で思ってるよりも危なっかしいぞ、そんな言葉が出かかった。
明らかにわかっていなさそうだし、無茶をすればするだけ俺に負担がかかるってのに。
だが、彼女の願いが叶わないということはない。
「そんなにしたいなら、すればいい」
目を丸くしたルシーに向けて俺は言う。
「あの国をぶっ壊して、それからゆっくり旅でもなんでもすれば良いじゃねえか」
「簡単に言うなぁ」
「自信がないのか?」
聞いたものの返ってくる答えは分かりきっていた。
「まさか、絶対成功させるから」
想像に違わず、ルシーはそう言い切った。
「ならそう羨ましがることはねぇ。最悪失敗しても逃す手伝いくらいはやってやるから、安心して派手にやれよ」
「だから失敗なんてしないって!」
頰を膨らませたルシーが睨んでくるがまるで怖さを感じない。
子犬に絡まれているような気分でその頬をつつく。
むっと手で押しのけてきたルシーとじゃれついていると、不意にルシーが声の調子を落として言った。
「でも、なんで急にそんなことを?」
「酒場で話を聞いた時は馬鹿なことをと思ったが、存外なくもないかもしれない、そう思ってな」
ルシーの熱量が、俺の思っているそれをはるかに超えていた。
端的に言えば軽く見ていた。
だが、もしかしたらもしかするかもしれない。
あの国のことは全く詳しくないが、そう思わせるものがルシーに見えた気がした。
俺の言葉を聞いて、しばらくルシーは黙っていたがおもむろにすぐそばまで近寄ってくるとその端正な顔を近づけて、
「じゃあ、その時はキミが面倒見てね」
一瞬、目を奪われそうになるほど力強い瞳が俺を射抜く。
息をのみ、わずかに時間が引き延ばされるような感覚。
そのきれいな瞳を見つめ返し、俺はやっとの思いで口を開く。
「あぁ。約束する」
そう答えた俺の答えを聞き、少し間を開けてからルシーは満足そうにうなずいた。
そして魅入られたように固まった俺の手元を見て、
「完成したみたいだね、どれどれ、はー」
俺の手からj出来上がった罠をすっと取り、あらゆる角度から眺めたのち、
「下手っぴ」
からかうようにそう笑った。
※※※※※※※※※※※※※※
採取した全ての草の編み込みが完了し、帰るか、と歩き出したその帰り道。
もちもち草のところでかなりの数のモグラを燃やしたせいか、全く姿を現さないモグラたちに少し拍子抜けだと話していた時だった。
「なんだ?」
穴ぼこ草原をちょうど抜け、国から伸びる道に差し掛かるところに大きく破損した獣車の残骸が横倒しになっていた。
ルシーと顔を見合わせ、足早に近づく。
近づくにつれて僅かに血の匂いが香った。
獣車の獣は何かに襲われたらしく、首を鋭利な爪のようなもので割かれ、腹を食い破られて死んでいた。
いや、よく見れば腹どころか至る所を食われている。
足や胸、食いごたえがありそうな部分はほとんどに食いちぎった跡がある。
襲撃者は途中で満腹になったのかわからないが獣は身の半分程を食われたまま残されている。
流れ出た血が大きな血だまりを作ったようだが今は乾いていた。
俺たちがこの場所を通ったのが二、三日前だがら死んでから一日といったところか。
ここ数日曇っていたおかげで気温は低く、さほど腐っていないとはいえ、それでも少し鼻にくる。
ルシーを見ればぐっと眉間に皺を寄せてしかめっ面をしていた。
「魔獣の類?」
「多分な、見た感じ護衛もいなさそうだからかなり急いでたんじゃねぇか?」
御者と積荷だけで素早く移動しようとでもしたのか、だがそれにしては周囲に積まれているはずの荷は散らばっていない。
「襲われた時に落としたとか?」
顎に指を当ててルシーが首をかしげる。
荷を落として逃げたが、結局ここで捕まってしまった……そんなところだろうか。
「御者がいねぇな」
獣車を操っていたはずの人間がいない。
丸ごと食われたか?
「あっ、こっちに血の跡があるよ!」
ルシーが痕跡を見つけたらしい。
手をぴんと上げてこっちに、続いていると知らせてくる。
血の跡、ということは傷を負いながら必死に逃げていたのか。
とはいえおそらく死んでいるはずだ。
獣車をおそうようなものから徒歩で逃げ切れる可能性は低い。
「まぁ大したものはなさそうだな」
あわよくば何か頂いてしまおうと思ったが期待はできなさそうだ。
「どれどれ」
壊れた荷台に被さっている木片をどかす。
屋根に当たる部分が壊れ、荷台の中に入り込んでしまっている。
食べ物じゃなさそうだな。
そんなことを思いながら一番大きな木片を取り除く。
「ちっ」
死体があった。
頭から血を流し、事切れている子供の死体だ。
一番最悪なのを引いちまった。
「……」
残る木片も取り除いていく。
数は5人。
子供が四人に、大人が一人。
全員の手足に枷がつけられている。
獣車がぶつかった衝撃で身体を打ち付けたと見られる者や外傷は見当たらない者。
腕と足、腹などをこれまた何かに食われた者。
外傷がない者は恐らく弱り切っていたのだろう、衰弱死といったところか。
その死因はそれぞれ違うだろうが皆等しく死んでいた。
「なんだったの?」
近寄ってきたルシーが聞いてきたので俺は無言でその場から退いた。
俺の身体で見えなかったのだろう、口を結んだ俺に不思議な顔を向けつつ、彼女はそれを見た。
「これ……」
「人攫いだろうな」
来た方向から見るにあの国から来たのだと考えてまず間違いない。
「……どうする?」
「埋めてやるか」
身体はまだ痛むが、このまま放っておくのも寝覚めが悪い。
「はぁ、重労働だな……」
とんでもない貧乏くじを引いてしまった。
干物か干し肉でもいただこうとしただけなのに。
肩を落としながら一人一人荷から運び出していく。
そして三人目を担ごうとした時だった。
「っ! こいつ……」
その顔には見覚えがあった。
ここいらでの俺の知り合いはほとんどいないといってもいい。
それでもこいつを知っていたのはすぐこの前に会ったからだ。
「あの時衛兵に渡した……」
ーーそれは人攫いから助けたはずの少年だった。
突っ伏した少年の身体を仰向けにした瞬間にわかった。
僅かな時間とはいえ俺自身が助けようとした相手のことを間違えるわけもない。
この少年は間違いなくあの時の少年だ。
だが、何故。
「……衛兵がやったんだろうね」
肩越しに覗き見たルシーが低い声で言う。
「嘘だろ」
国は表向きでは人攫いを禁じているはず。
「もともと預かる気なんてなかったんだあいつ……、多分最初から売り飛ばすつもりで」
冷たい声で、ルシーが言う。
そこまでなのか、あの国は。
国の兵が人攫いと通じているなんて事が。
「表向きはちゃんとしてんじゃねぇのかよ……」
クズなのは国民だけじゃなかったということか。
「あの衛兵に渡したのが失敗だったのか?」
もしかしたら、他の衛兵に渡していれば。
たまたまあの時の衛兵がクズだっただけってことは。
「誰に渡しても一緒だと思う。あの国は、そういう国だから」
この目で見たはずなのに。
国民が他者を売り飛ばして金を貰う、そんな度し難い光景を目撃していたというのに、わかっていなかった。
国に保護されればしばらくはどこかの施設に送られて過ごすものだと。
あの物言いを愚直に信用してしまった。
ーーごめんな
すでに意識は失われている。
そしてもう戻ることもない。
心の中で謝りつつも俺は悲しさを感じてはいない。
俺とこの少年はあの時、一回や二回、話した程度の相手だから。
これくらいよくあることで、珍しいことじゃないから。
いちいち感傷的にはならない。
しかしあの時この少年を助けたのは完全な気まぐれに過ぎなかったが、せっかく助けた命だ。
もっと生きて欲しかった。
こんな場所で、こんな姿で会いたくはなかった。
ーーーーせめて丁重に弔ってやろう
身体を蝕む激痛に苦しみながら何とか穴を掘り進め、死んだものたちを丁寧に穴の中に並べていく。
「火は使い切っちまったんだ、寝苦しいかもしれんが野ざらしよりはましだろ」
横たえられた死体に、静かに土をかける。
埋め終えた土を木片で叩いて固める。
柔らかい土のままでは獣に容易く掘り起こされるかもしれないからだ。
弔い終わり、掴んでいた木片を放ったところで一つ思い出した。
「そうだ、御者は?」
少年に気をとられ、忘れていた。
人身売買に加担する下衆野郎の顔を見てやらねばならない。
「多分あっち」
先ほどルシーが見つけた血の跡を辿っていく。
「随分遠くまで逃げたんだね」
ルシーの言う通り、血の跡はかなり長い距離に渡って続いていた。
「そんだけ生き残りたかったんだろ」
「御者はきっと自由に動けたみたいだしね」
それでもやはり手負いの身では逃げ切ることはできなかったらしく、ある地点でその血痕は途絶えていた。
代わりに見つかったのは惨たらしく食い荒らされた死体。
獣車の方は獣が先に食われたのか死んだ者たちの損傷は比較的少なかったが、こちらは身体のほとんどを食われている。
「うっ」
その凄惨な光景を見て、ルシーがえづいた。気分悪そうに腹をさすっている。
「見なくていいぞ、俺のが慣れてるだろうから、俺がやる」
かなり距離もあるし、食われた身体もほとんど残っていない。
ーーーー頭は硬ぇから残したのか
後頭部から千切れた首元までを血だらけにした頭を掴む。
「あ?」
予想外にそれは知った顔だった。
特徴的な鼻の傷。
それは武器屋の爺さんと同じ顔をしていた。
「なんで……」
人違い、ではない。
この鼻の傷にこの顔。
見間違えるわけがない。
爺さんが御者だったということは、つまり。
「グルだったってわけか」
今、爺さんがここにいる意味。
さほど考えずとも結論は出る。
同時にさっきとは違う、明確に裏切られたという気持ちが込み上げてくる。
衛兵はまだ、敵だという認識があった。
だが、この爺さんとはルシーに会う前に会っている。
あの国の奴らがクソだと知る前に知り合った。
いくら国の奴らがクソだろうと、全部が全部そうではない。
普通の人だっているのだと、この爺さんはそんなやつらとは関係ないものだと無意識に思っていた。
剣を売りにいった時もあの少年を助けた時も何も感じなかった。
ごく普通に会話をして、くだらないやりとりをした。
嫌な気配などなく、普通の人物に見えた。
「嫌になるな……ったく」
反吐が出そうだ。
こいつにも。
人を見る目のない俺にも。
あの子供達、そしてあの少年を奴隷のように荷台に乗せ、その御者をやっていたということは人攫いに加担していたということ。
何食わぬ顔をして、裏ではこんなクソみたいなことを。
「ちっ」
自然と舌打ちが出た。
表面だけじゃ、そいつがどんな人間なのかなんてわからない。
これまでにも何度か経験はあるというのに、自分が成長してないという事実に腹が立つ。
頭を掴んでいた手を離す。
ぼとりと落ちた頭はべちゃりと湿り気を帯びた音を立てながら血に染まった地面へ落ちた。
最悪の気分だった。
確認しにくるんじゃなかった。
獣車へ戻ろうと振り返ると、ルシーが薄めでこちらを見ていた。
死体の顔を確認したルシーは顔を歪め、
「腐ってる。国も、民も」
そう吐き捨てた。
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