第10話
大きく地面を凹ませた太蔓が緩慢な動きで本体の下へもどっていく。
その大きな影が消えた跡。
小さく丸まった状態の俺は間一髪防御が間に合ったことに安堵した。
身体に掛かった粉を振り落とす。
先ほどまで全身を皮ごとはがす勢いで引っ張り続けていた粘液がぽろぽろと固まって崩れる。
身体を動かす度、身体に付着した固まった粘液が地面へと落ちる。
「い、つぅ」
身体を起こした俺は肩に走る激痛に思わず苦悶の声を漏らした。
さっき痛めた方を再び打ち付けられ、じんじんと痛みを訴える肩が熱い。
ルシーの投げた除草粉のおかげで、ギリギリ防御姿勢を取ることができた。
視線をやれば押し潰された俺を見て悲壮な顔を浮かべていたが、俺が生きているのを確認して心底ほっとしたような表情を浮かベるルシーの姿が。
笑って、大丈夫だと伝えようと思ったが口の中の違和感を感じて眉を顰める。
今ので口の中を切ったらしい。
舌で少し触れると、鉄臭い味がする。
ぺっと吐き出した唾は真っ赤に染まっていた。
痛む肩を押さえながら一番初めの安全地帯へと跳躍し、後退する。
どうやらある程度距離を離せば著しく攻撃間隔が伸びるようだ。
回復の時間を稼ぐ意味を兼て今は奴を倒し切る策を考えなくてはならない。
ーーもう一度切ってみるか?
そんなことを考えたが、それが現実的でないことは本能が悟っていた。
あの蔓は今の装備では切れない。
リーチがあまりにも足りなすぎる。
よしんば、回数を重ねて削いでいったとしてもあの粘液で修復されるのならば持久戦にすらならない。
切る以外で、奴を倒す方法。
何か案はないかと、思わずルシーの顔を見る。
一瞬気遣わしげな表情を浮かべたが、俺の姿をじっと見つめた後、よくわからない笑顔を向けてきた。
どんな意図があるのか、さすがに表情だけでは正確には伝わらない。
だが、おそらくいけるぞ、的な事を伝えたいのだろう。
この状況であってもなんとかなると、なんとか出来ると思っているのだ、あいつは。
ーーこりゃ逃走はなし、だな
あんな顔を向けられては敗走の提案など口に出来ない。
ならば、意地でも奴を倒す策を考えなければ。
斬る以外の手段。
へし折る……そんな力はない。
ハンマーも持ち合わせはない。
繰り返し叩くにしても実質俺一人では不可能……ダメだ。
溶かす……そんな劇薬に心当たりはない。
腐らせる……植物は水を与えすぎたりすると根腐れが起こるという。
ーーこれなら……
そう思ったところで、全体を見渡して首を振った。
湖をひっくり返しでもしないとこの範囲は無茶だ。
ならば燃やす……
これは道具さえあれば、
「着火の道具! なんか持ってるか?」
「発火石ならあるよ!」
発火石は文字通り火をつけることのできる道具だ。
周囲の魔力に反応して発火するからどちらかといえば魔道具よりの物。
ともあれ、発火石があるなら火をつけることは可能……。
後はその火力を高められれば。
「油は二瓶! 除草粉の布袋は後三つで終わりだよ!」
俺が何をしようとしているのか、今のでわかったらしい。
懐から出した瓶を本体に見えないように気を遣いながら掲げている。
というかルシーは攻撃されてないのは何故だ。
植物だから目で見て判断してるってことはなさそうだが、何の器官を使って俺を探知しているんだか。
まぁ、それは一旦置いておくとして、
ーー油が二瓶か。
使うとすればあの本体に二つともぶっかけて着火するしかないか?
だがそれで足りるのか。
わからない。
燃えるものを探してかき集めるか?
何が正解だ?
考えろ。
距離を取り、攻撃間隔が遅くなったとはいえ奴はまだ俺を狙っている。
「いけそう?」
ルシーが問いかけてくる。
期待のこもった目。
二回助けたことで随分信頼してくれたらしい。
俺なら倒せるだろうと確信している目つきだ。
だが、
ーー本来ならパーティ単位で狩る相手だぞ……
全く無茶をいってくれる。
あんなもの、明らかに一人で対処するような奴ではない。
名前の間抜けさ加減からすっかり油断した。
ーーあの目
やれると信じて疑わない目。
自分がどれだけ難しいことを期待しているのか、理解しているのか怪しい。
もし理解していないのだとすれば、もしかしたらこの先もこんな感じの相手が、いやむしろそれ以上の難度のものを取りに行くつもりなのかもしれない。
それなら、全くもって……。
「はっ、いい感じだ。滾るってもんだよ」
久しく感じなかった熱が、戻ってきているような気がする。
蜘蛛を狩ってから、少しづつ思い出し始めた。
惰性で過ごしていた最近の日々とは違うこの感じ。
ここに来て、楽しくなってきた。
投げるように言った油瓶を受け取って懐に入れ、発火石をぐっと握る。
ーーーーいけるかどうか、突っ込んでみてから決めりゃいい。
「行くぜぇ!」
先の道を再び進む。
一部虫食いのように白道が緑に侵食されている。
それは俺が斬り散らした場所を埋めるためか。
周りのもちもち草が俺が斬った場所を、まるで手でも繋ぐように千切れた箇所同士が近づいて、再生しようとしているのだ。
怪我をした場所を治すように。
そのせいで、白道は白い線ではなく、もはや、点と化していた。
「広いなっ」
一歩。
跳ぶ距離が広がったことで細かな動きはできなくなった。
「っ、来たか」
だがそんなことは関係ないと、先ほどの光景をなぞるように蔓の攻撃が迫り来る。
先と同じ手順をたどって近づいているせいか、先よりも攻撃の頻度がさらに高く、攻撃の回数が多い。
敵がどのようにやってくるのかわかっていれば対策の立て方も、攻撃の仕方も難易度が下がる。
果たしてあの植物がそんな知能を持ってこの攻撃を繰り出してきているかはこちらからでは判断できないが、結果として先ほどよりも攻撃が激しくなっているのは確かだ。
「きちぃ、な!」
歯を食いしばりながらその猛攻をしのぐ。
左手に握った発火石を使うタイミングは至近距離から叩きつける以外には考えていない。
この一回で仕留めるために、遠くから投げつけたくなるのを我慢しながら、太い蔓を躱す。
「ぐっ」
躱した直後、真っ直ぐ突き進んできた細い蔓が脇腹を抉る。
蔓に生えた棘が擦れるたびに皮膚が破れ、血が吹き出る。
一歩の間隔が広くなったということは宙にいる時間が増えるということ。
自然、蔓を躱し、受け流す回数も限界がくる。
太い蔓を躱し、いなせばその後に迫る細い茨蔓は防ぐ暇がない。
攻撃を芯に喰らわないようにしても、直撃、最大限に身を捩っても身体に当たり掠めていく。
増える出血が、傷が、熱を発して全身が熱い。
「はっ、これくらいじゃ止まらねぇぞ!」
だが、それでも前へ。
後退という言葉なぞ忘れたように、正面を見据え続ける。
身体に垂れるのは血か汗か、皮膚を流れる感覚がむず痒かったが、やがてそれすら感じなくなり、視界に捉える巨蔓が次第に大きくなる。
ーー跳躍。
右手のナイフの先端を強く、差し込んで引きおろす。
凝縮された蔓を引き裂き、懐の油瓶を叩き壊す。
漏れた油が染み込むように引き裂いた部分へ流れ込む。
ここだ。
「これで、どうだ」
左手の発火石を埋め込む。
ナイフを引き抜いて蔓を蹴りつけ大きく後退。
くるりと宙を舞いながら、頰を炙る熱波を受ける。
「やったぁ!」
白道の中程に着地して奴を見る。
「……」
喜びの声を出したルシーとは違い、俺はボロボロと焼き焦がした葉を落とし、勢いよく燃えるもちもち草を睨む。
火の勢いは強い。
離れているここですら熱を感じる程、本体はよく燃えていた。
しかし、おそらくだが
ーー足りない。
轟々と燃え盛ってはいるがそれは一部だけだ。
予想していたよりも燃え広がる範囲が狭い。
よくみてみれば焼き焦げているのは表面と、ナイフを突き刺した箇所の内部のみ。
あの腕のような太い蔓や茨蔓などはうねうねと宙を漂っている。
火から遠ざかるようにあるいはこの火を放った犯人の姿を探すように。
「ん……?」
炎はその勢いを小さくしていきやがて鎮火した。
全体まで燃え広がりはしなかったものの燃えた箇所は黒く炭化し、身悶えるように本体は身を揺すった。
だがもちもち草はそのまま奇妙な動きを取り始めた。
ただ身を揺らすのではなく、その長大な身を左右に振り始めたのだ。
そして、その揺れに呼応するように地上の草までもが動きをなぞるように揺れる。
本体と繋がっている地上のもちもち草すべてがまるで共鳴するように揺れ始めた。
ざわざわと始まった草葉の合唱。
「ーーーー」
すると本体に変化が現れる。
草葉の合唱の音が変わり、だんだんと乾いた音に変化していく。
「次は何が起きる?」
見れば葉は水分を抜かれたように乾き、ぽろぽろと身を崩し始めた。
連動して地面が脈動し、びくびくと心臓の鼓動の如く本体に向かって隆起するなにか。
「栄養を、吸い取ってるのか」
焼け焦げた本体が休息に再生していく。
端から中央に向けて隆起する地面。
おそらく地中からくみ上げたエネルギーを自身の身に吸収しているのだろう。
広大な草原に張り巡らせ、成長した身体の一部から緊急用として集めたエネルギー。
魔力とはまた違う、この植物特有の再生方法。
かき集めた大量のエネルギーによって、炎による損傷も急激に修復されていく。
傷だらけになり、血を流しながら与えたダメージがまるでなかったことのように。
「ふーー」
それでも、引くことはしない。
気合を入れなおすように深く息を吐く。
「いくら治っても限界はあるだろ」
周囲の草からエネルギーを吸収できなくなるとき、それが奴の限界。
おまけに、
「これだけ足場が広がれば、こっちが有利と言っても過言じゃねえ!」
周囲の草が枯れたということはこちらの行動範囲が広がったということ。
もう白道はほとんどもちもち草に飲み込まれ、着地出来なくなっている。
「関係ねぇ!」
草の枯れた場所を踏みしめ、跳ぶ。
カサカサと乾いた葉残がいに滑らない用に足裏に力を込めながら駆ける。
どくどくと地中からエネルギーを吸収していた本体が俺の接近に気づいた。
蔓が振り回される。
――――さっきよりも動きが鈍い。
果たしてそれは再生後による消耗のせいか。
いやそうではない。
この感じはそう、俺がどう動くかわからない為に攻撃の合間に一瞬静止しているからだ。
さっきは白道をたどるしか接近する方法がなかったために動きが制限されていた。
攻撃を読めるということはその分対策も取りやすい。
この植物はそれをおそらく本能で行っていた。
だからさっきの攻撃は鋭かった。
俺がどう動くかがわかりやすかったから。
およそ知能なんてないように見えるもちもち草にも行動が読まれるほどに。
だが今回は違う。
俺がどう進むか、どう近づくかがわからない。
だから攻撃も、
「躱しやすい!」
拍子抜けなほど容易く接近し、本体の蔓にナイフを突き立てる。
突き刺してから体重をかけて本体を引き裂いていく。
一撃を食らわせたタイミングで体についた虫を振り払うように、細い蔓がとんでくる。
いくら太蔓よりも取り回しが良いとは言え、接近戦においては避けるのは容易い。
地上へ着地し、そのままもう一撃を食らわせるために地を蹴る。
本体にとりついてはナイフで切り裂き、蔓をよけてまた切り裂く。
時間が経つにつれて、もちもち草の傷が目立ち始める。
それは、俺の攻撃が再生を凌駕し始めた証。
――――いける、か?
無理だと思っていた持久戦に突入し、息を切らしながら俺は駆け回る。
このままいけばいずれ倒せるのか。
蔓に刻んだ傷を時折確認することでなんとか気力を保ち続ける。
そうでもしないと、気を抜いてしまえば体が動かなくなるような気がした。
少しずつ足が重くなる。
自分の呼吸がやけに大きく聞こえる。
――――いつになったら……
気のせいか、蔓の攻撃が増えてきている気がする。
身体一つ分余裕を持って回避していた攻撃がいつの間にか一歩分。半歩と縮まり、今太蔓が耳を掠めていった。
「はぁ、はぁ」
息が上がる。
全身が熱の塊になったかのように熱くなっていた。
だが、ここで止まらない。
あと少しで、なんとかなりそうなんだ。
後何か一つ大きなダメージを加えれれば奴は倒せる。
確信があった。
気力を振り絞って地面を蹴る。
何度繰り返したわからないまた蔓にとりついて一撃入れるために。
「っ」
ーーその時だった。
蹴ったはずの地面が抜ける感覚。
これは
「穴かっ」
そう、ここはもちもち草の群生地だがそれと同時に『穴ぼこ草原』の一部。
そしてその草原には、その地中には独自の移動経路を取る魔物が存在する。
ーー『煽りモグラ』。
当然、草原の一部であるここも奴らの活動範囲に入る。
もちもち草を警戒して足場には最新の注意を払っていたが、本体が再生し始め、周囲のもちもち草が枯れ始めたことでその注意が、足場への意識が薄くなっていた。
なまじ強く踏み込んだせいで深くハマってしまった足は膝までが土の中に埋まってしまった。
そして足元に気を取られた瞬間、隙が生じた。
既に紙一重でギリギリになっていた回避は間に合わず、身体と蔓の間に辛うじてナイフを差し込む。
盾としたナイフの刃は蔓が擦れる衝撃に耐えきれず、折れた。
その勢いのまま、穴にハマった足を蔓が打ち付ける。
「っ」
さらにその後ろから突き進んできた茨蔓が太ももの肉を抉った。
「っぐ、あぁぁぁ!」
あまりの痛みに声が漏れる。
鋭い棘はまるでヤスリのように荒く、足の肉を削いだ。
痛みという感覚を直接脳みそに叩き込まれたような、強烈な痛み。
ぱちぱちと一瞬視界が点滅する。
ーーくそ、足をやられた。これじゃあ攻撃が……!
片足を負傷し動けなくなった俺に、容赦なく蔓の嵐が降り注ぐ。
それは鞭のように、あるいは棍棒のように強く身体を打ち付ける。
「がっ」
ーーまずい、このままでは
案山子のように、棒立ちになった俺は辛うじて動く上半身を反らし、腕を畳んで盾としながらなんとか攻撃
をしのぐ。
だが、こんなのは悪あがきに過ぎない。
このままでは確実に死ぬ。
打開策を、何か探さなくては。
「グロストーー!!」
滅多打ちにされる俺の姿を見て、ルシーが悲鳴を上げている。
俺を助けようとしているのか、あーでもないこーでもないと何か持っていなかったかと探すような気配を感じる。
しかし今は彼女の方を見る余裕がない。
彼女にはこの蔓の猛攻に近づくことは出来ない。
何か気を引く道具を持っていたとしても、それはまだ受け取っていない油瓶が一つといくつかの除草粉いりの布袋だろう。
ならば下手に手助けを期待してはならない。
その意識の乱れが今は命取りだ。
一人で、なんとかしなくてはいけない。
いつ致命傷を食らってもおかしくないこの状況、一刻も早くなんとかしないと俺も、ルシーも死ぬ。
ーー最悪だ。こんなとこに落とし穴があるとは、油断してたっ、くそ!
警戒を怠った自身への怒りをぶつけるように、力づくで穴にハマった足を動かす。
ーーーー抜けろ、この!
ここにきての致命的なミス。
一番肝心なタイミングでとちってしまった。
「……かっ」
足を抜こうと意識を回し過ぎた。
防御の甘くなった脇の隙間をこじ開けるように蔓が叩き付けられる。
空気が、口から漏れる。
膝をつく。
衝撃で、呼吸が上手くいかない。
ジリ貧だ。
奴を倒す手段がなくなり、傷はどんどん増え、身体が思うように動かなくなっていく。
この状況を打破するものが、ない。
ーーーーこんな、モグラの穴に足を取られて、馬鹿みたいに死ぬのか……?
この滑稽な様で……。
頭に衝撃。
ぐわんと脳が揺れた。
視界が、めちゃくちゃになる。
――――あぁ、くそ……。
きっとあのモグラたちは地中に潜んでいるのだろう。
姿が見えないだけで、この地中の道のどこかに潜っているのだ。
むしろもちもち草と戦い始めてよく今の瞬間まで穴にハマらなかったものだ。
運が良いのか悪いのか。
いや、この最悪なタイミングで引いてしまうあたり運が悪いという他ない。
身体の感覚が、手足に力が入らない。
ーーこの穴さえなければ……。
そんな恨み言が頭をよぎる。
地上を埋め尽くすもちもち草の光景に落とし穴のことなどすっかり飛んでしまったのが悔しい。
もっと注意しておけば。
もっと強く斬りつけておけば。
ナイフをもっと買っていれば。
あの時剣を手放さなければ。
もっと準備をしていれば。
後悔が、波のように押し寄せる。
『ーーーー』
あのモグラの笑い声が聞こえる気がした。
無様に膝をつき、嬲り殺される姿を嘲笑うあの不愉快な声が。
あのでっぷりと太った憎たらしい姿が脳裏にちらつく。
「……」
ふと、その姿を思い出して思考が止まる。
もはや攻撃を防ぐという段階にはなく、首を折り、項垂れている俺の視界には穴があった。
――――何か、なんだ
今何か引っかかった。
地面に手をつき、膝をつき、ハマってしまった穴を見つめるような姿勢で、朦朧とする頭で考える。
と、ぽろりと懐から赤い何かがこぼれた。
こぼれ落ちたのはまだ未使用の発火石。
さっき受け取ったものの残り……。
「っ!」
急速に意識が覚醒した。
「ルシー! 油だ! 油を穴の中に入れろ!」
「え?」
ルシーが唐突に大声を上げた俺の声を聞いて素っ頓狂な声を出す。
「げほっ、モグラの穴だ! 何箇所かに油を注げ!」
口の中に溜まった血を吐きつつ俺は叫ぶ。
あえてルシーの方を向き、蔓に打たれながら声を出す。
「わ、わかった!」
何がなんだかわからないという風だったルシーだったが、俺の声の圧に気圧されてか慌てて足元を探し始めた。
もちもち草の標的は何故か俺だけだ。
この戦闘中、ルシーへの攻撃は一度としてない。
おそらく抵抗らしい抵抗をせず、うずくまってじっとしていたのが功を奏したのだ。
俺は足が動かせない。
油を撒くにしても一箇所では大博打だ。
だから成功率を上げるためにも俺が動けない今、彼女に任せるしかない。
ーーその間、俺は絶対に倒れない。
俺が倒れるか、意識を失えば動きだしたルシーへ標的が映るかもしれない。
彼女には戦闘能力も、攻撃から身を守るすべもない。
見つけた逆転の兆しを、逃すわけにはいかない。
「おおおぉぉ!!」
気合いを入れろ。
ここが正念場だ。
全身の骨が軋む音が、肉を打つ嫌な音が響く。
もはやナイフもない為に受け流すことすらできず、攻撃は全て真正面から防御する他ない。
ーーもう少し、もう少しで抜けるっ
小刻みに空気を入れ、少しづつ抜いていた足がくるぶしのところまで上がった。
片足で全体重を支えながら、身体を倒されないように軸足への攻撃は死ぬ気で防ぐ。
すでに両腕の感覚はない。
太蔓を受け止め過ぎたせいだ。
口の中は次から次に血が溢れ、鼻から抜ける鉄臭さが気に障る。
身体を叩かれるたびに血しぶきが舞い、身体を支える重みが失われていく。
それでも、歯を食いしばり、意識を繋ぎ止める。
「げほっ」
見出した光明を掴み取る為に、血反吐を吐いて粘る。
「流し終わったよ!」
声を聞くと同時に全身を倒し、足に力を入れた。
「あぁぁぁ!」
粘着質な音を立てて足が抜ける。
地面には型どられたように足の形の穴が。
ルシーがはじめ、うずまっていた場所と今俺が足を抜いた穴はおそらく繋がっている。
ならばこちらの穴の近くか、モグラ道のなかほどまでは油が流れているはずだ。
これは半ば賭けだ。
だが妙な確信をもって俺は今足を抜いた穴に手を突っ込み、地中に繋がる道に向かって発火石を放り込んだ。
ぱちぱちと何かが弾けるような音と共に周囲の魔力が集まっていく。
地中に散らばった魔力が、今放り込んだ発火石の元に。
その量に比例して穴から感じる熱が上がっていく。
ただ、待つ。
予想が合っていると信じて、穴を見つめる。
――――来いっ!
念を送った直後、穴から吹き出た熱波が身体を吹き抜ける。
導火線に火をつけたように流した油をなぞって火が広がっていくのが地上からでもわかった。
地中の道を駆け抜ける炎は地中に張られた根を焼き、地上に露出したもちもち草が連鎖するように燃えていく。
その炎の道の進む先、地中から苦しそうな悲鳴が聞こえた。
それは悲痛な鳴き声だった。
「っよし!」
しかしそれは俺にとって狙いどおり、上手くいったことを証拠づける声だ。
か細く泣き叫ぶ声は苦しさから逃れようと暴れ狂い、道を移動していく。
そしてその移動した先、ルシーが油を撒いて回った穴に繋がった。
その穴から這い出てきたのはモグラ。
「煽りモグラ……」
じゅうじゅうとその肉が燃えていく毎に炎の勢いが増し、付近の草に引火して炎が広がっていく。
その光景を見ていたルシーが小さくつぶやいた。
「これを狙って?」
問いかけてくるルシーに俺は頷いて答える。
見れば炎は今目の前で広がっているものだけでなく、地中の道を通してかなり先の方まで、爆発的に延焼している。
「煽りモグラの存在に気づいてピンと来た。あのよく燃えそうな体なら油の代わりになるかもってな」
あのでっぷりと肥え太った身体にはさぞ多くの油が蓄えられているだろうと、そして奴らが燃え、走り回ればその移動距離の分だけ炎が広がる。
地中から聞こえてくる鳴き声を聞く限り、この近辺にもかなりのモグラが生息していたようだ。
懸念点は一つ。
あの発火石を放り込んだ先に、地中の中に煽りモグラがいるかどうかだけが不安要素だった。
そしてその一匹がすぐに息絶えてしまえば炎は広がらない。
だからなるべく引火しやすいように、少しでも多くのモグラが燃えるように、ルシーに油を流して回るように頼んだ。
「あ、あれ!」
ルシーが指さす方向。
もちもち草の本体が根から燃え広がった炎に焼かれていく光景があった。
いつの間にか止んでいた攻撃。
燃えているのは本体だけでなく、本体から伸びている蔓も同様だった。
あのとんでもない威力の太蔓も、素早く、鋭い茨蔓も炎に焼かれ、黒く変色し地面へ崩れ落ちていく。
あれは魔物ではない。
限りなく魔物に近い存在の植物ではあるが、ただの植物だ。
当然、動きもしなければ声を出すこともない。
だが、あの巨大な蔓が倒れていく様は、身から伸びた蔓を振り回し、火を消そうともがくさまはどこからか悲鳴を上げる声が聞こえてきそうだった。
俺が油瓶を叩き付け、燃やした時とはまるで違う火の勢い。
それは根からもちもち草を焼き、蔓を伝い、あの長大なもちもち草の本体を包み込んでいく。
空気が揺らぎ、息が苦しくなる。
ぱちぱちと音を鳴らしながら、空へそびえ立つようだった蔓が倒れていくのを見て俺は身体から力を抜いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます