第9話
もちもち草。
その群生地に足を突っ込む形となった俺たちは正面に出現した巨大なそれを見上げる。
「今度は気をつけようって話した側からこれだ」
「まさか落下地点にこんな群生地が広がってるなんて思わないから、今回は仕方ない、よね?」
ルシーを掴んで落ちたのは俺だから今回はルシーのせいではない。
だが、この一息ついてからやってきた厄介ごとに思わずうんざりしてしまうのもまた仕方のないことだ。
ーー最悪の形で見つけちまったな……
ルシーはすでに足を掴まれ、そして俺はもちもち草の生える一帯の中にいる。
ルシーを見るに、あれは踏んだらそこで足が使えなくなると思った方がいいだろう。
落下の衝撃で吹き飛んだのかどうかはわからないが、ちょうど今俺が立っている場所だけは何もない。
抉れただけの地面。現状、ここだけが俺の動ける範囲。
ルシーのように少しでも進めばあの草に捕まってしまう。
「どうすんだ、これ」
跳躍ではこの群生地は飛び越せない。
そもそもどこからどこまで群生地なのか正確には把握できていない。
それでも飛び越せないとわかる理由は、
ーーーー地面に生える草が揺れる。
音とともに足に草が伸びてきていないか、警戒は怠らない。
一度足元に視線を落とし、そのまま周辺を見回す。
草原の一部、他の雑草に混じってもちもち草が震えている。
「びっしり生えてんなぁ、どこまで広がってるんだ?」
跳躍しようと飛び越せない理由、それはあのどでかい草とつながっていると思しき地上の草。
そいつが生えている範囲が尋常ではないからだ。
空へと伸びる草が揺れると、連動して地上に張られた草も震える。
さっきからザワザワと音を立てて揺れ続けているのを見て理解した。
動けない。
迂闊に動いてしまえば足を取られ、動けなくなるだろう。
だがそれはこの草に捉えられないようにする場合だ。
逆に、捕まってからなんとかできるならやりようはある。
ーー見る限りはあまり他の雑草との違いはない
足を掴まれたらその都度ちぎり、切り裂いて帰ればいい。
「そううまくいけばいいんだがなぁ」
だがそれはあくまであの草が何もしてこないならできることだ。
無抵抗に斬らせてくれるなら、可能なこと。
「っ、まぁわかってたけどよ」
早速その考えを否定するように、もちもち草が動き始める。
縦に伸びた草の部分からしゅるりと腕のような蔓が現れる。
その数二本。
左右に一本ずつ、うねうねと蠢くその蔓はしばらく宙を彷徨っていたかと思うと、唐突に動きを止め、こちらにその先端を向けた。
明らかな攻撃の気配。
「っとぉ!」
瞬間、大きく凪いだ蔓をしゃがんで避ける。
空気を分断するような大きな音とともに、しなる蔓が頭上を通り過ぎた。
僅かな間を置いて二本目の蔓が到達。
「っ」
伏せたままやり過ごす。
風切り音というほど鋭くはないが、長い蔓を力任せに振り回すこの感じは当たればかなりのダメージを負うと想像できる。
「完全に狙ってきてるな」
今度は蔓を上に振り上げ、縦に振りかざしてくる。
半身で避けるには少々危険か。
そう判断した俺は一歩分多めに距離を開け、みちみちと鈍い音を鳴らす蔓を躱す。
地面を叩く蔓の衝撃が泥を跳ね上げ、飛び散ったそれが飛沫のように身体にかかる。
遅れてきた二撃目も乱暴に地面を叩いた。
「ちっ、全身泥だらけだ」
跳ねた泥が目に入らないように腕をかざしていた俺は頰に付着した泥を手の甲で拭う。
この攻撃を躱すのは余裕だ。
身体を自由に動かせるなら何時でも余裕で躱すことができるだろう。
ルシーに視線を向ける。
横薙ぎの範囲にいたルシーは頭を抱え、地に伏している。
俺を狙っている間はあの体勢をとっておけば攻撃を食らう心配はない。
だが、どうやって奴がこちらを認識しているのかわからない以上このままではいずれ縦の振りおろしがルシーに向けられるかもしれない。
それに、
「このまま避けてても、何の進展もないか」
相手は植物。
疲れもなければ逃げていくこともない。
倒すか、こちらが逃げるしか選択肢は存在しない。
「っ」
三度、攻撃が迫る。
横薙ぎ。
足首辺りを通過する、低い軌道。
思考しながら攻撃を跳んで避ける。
もちもち草の中心は腕のような蔓を振り回しているあれだろう。
確かルシーが成長したもちもち草は縦に伸びて鳥を捕まえるようになるとか何とか言っていた。
鳥どころか自分から獲物を取りに行っている姿は魔物のそれと違いない。
今のところ攻撃はあの蔓だけだが地上に生えている草も操れるのだろうか。
ーーよく見ろ
観察する。
どこを崩せば奴は動かなくなるのか。
見極める。
魔物ならば頭を潰せば片がつく。
なら奴は……?
ーーやっぱり狙うならあの中心部分しかないか
地上の草の動きはない。
ただ身体と繋がっているだけか?
ひとまず狙いを中心のあの草に、あれを本体だと仮定する。
俺とやつとの間には少し距離がある。
一息では届かない。
何歩かこの草原を駆けなければ。
「ちっ」
縦の振り下ろしが来た。
ーー二つ目を避けて、突っ込む。
少し手間取っても、草を切り裂きながら無理やり接近する。
それしかない。
一撃目を横に動いて躱し、二撃目が地面を叩く。
「ふっ」
小さく息を吐き出して、前方に突っ込む。
足場を強く蹴り、なるべく地上を走らなくて済むよう宙で距離を稼ぐ。
ーー着地より、早く斬る!
足が地面に、もちもち草のしげるそこへ着く前にナイフを構え、振った。
着地。
横に薙いだナイフを引いて二歩目を蹴ろうとした瞬間。
「っ!? ナイフが、くっ付いた!?」
振ったナイフは威力を殺され、草の葉の部分に絡め取られた。
振り払おうとしたナイフが止められ、込めた力の反動が身体に返ってくる。
「ぐっ」
体勢が崩れた。
とっさにナイフから手を放し、顔から突っ込みそうになるのを阻止する。
「っぶねぇ!」
急制止した反動で体がみしみしと軋むがそんなことに気を向けている場合ではない。
何とか両足で着地したがそこはもちもち草の範囲。
「くそっ、動かねぇ」
足裏にぺたりと張り付く感触と共に、地面に縫い付けられたように足が動かせなくなった。
何より問題なのが
「俺の斬撃が……、通らない?」
刃は葉から分泌される粘液によって止められていた。
当たり所が悪かったわけでも刃の入り方が上手くいかなかったわけでもない、きちんと力の乗った一撃だった。
考えが甘かった。
足止め程度にしか考えていなかった草の吸着力がよもや斬撃を止めるほど効力の強いものだとは。
当てが外れ、思考が止まる。
打開のきっかけを作るどころか、状況が悪化してしまった。
足元に視線をやり、しっかりと足にへばりついたもちもち草を見て舌打ちをする。
だが、向こうの攻撃は止まってはくれない。
お構いなしに薙ぎ払いが迫る。
――――ひとまず躱してからなんとかっ
腹の位置を通過する軌道。
跳ぶか、しゃがむかの二択。
だが足が動かせない以上跳ぶことはできない。
先ほどと同じように体勢を低くしてやり過ごそうとする。
「っ」
――――動きにくいっ
地面に張り付いた足は一歩動くどころか足の向きを変えることすらできない。
身体に枷をつけられたいつもの感覚との差異は、自分が思っている以上の違和感を伴って俺を襲う。
「このっ」
一つ一つの動作がもどかしい程にぎこちなく、体勢を崩さないようにするので精いっぱいだ。
悠々と躱していたはずの薙ぎ払いが髪を掠める。
――――次は、振り下ろしが来る。
横の攻撃は避けれても縦の攻撃は躱しようがない。
通過していった蔓が本体に戻り、軌道を変えて俺の頭上にかざされる。
――――来た、構えろ
躱せないのなら、腹をくくって受けるしかない。
予備のナイフを腰から外し、上段に構える。
ぎちぎちと音を立てながら蔓が降ってくる。
「ぐぅ!」
叩き付けられた蔓の衝撃が、全身に広がる。
重い。
でかい岩でも降ってきたのかと感じるほどの威力。
落下の勢いに加え、蔓自体がよくしなり、威力を増幅させているのか。
続けて二撃目がやってくる。
ナイフを握る手が痺れ、攻撃を受け止めきれない。
「づっ、あぁぁ!」
刃で受け止めた部分を軸に、大きく曲がった蔓が俺の肩を強く打った。
威力を殺し切れなかった。
力を受け流す姿勢も、力を込める構えも、足が固定されている為に上手くいかない。
蔓が再び本体に戻っていく。
おそらく、こうして獲物が動かなくなるまで攻撃を繰り返すのだろう。
そして死体はこの草原の、もちもち草の養分となって吸収されるのだ。
「くそ、冗談じゃねぇ」
草なんかの養分になってたまるか。
痛む肩を押さえ、闘志を灯す。
あんな植物になぶり殺しにされるなど認められない。
あの攻撃をそう、何度もは喰らうわけにはいかない。
受け流すこともできずに真正面からあれを受け続ければその内にナイフを振れなくなる。
ーーそのまえになんとかしねぇと
考える俺の視界に何かが飛んでくるのが映った。
それは黄土色の布袋。
「あいつの」
ルシーが素材集めように腰につけていたものだ。
封の開いた布袋からは中身がこぼれ、ばらまかれた白い粉がパラパラと舞い散りながら俺の足元へと落ちていく。
「?」
何の粉だ。
この布袋を投げたであろうルシーに視線をやる。
「それ! 除草効果があるから! 粉の掛かった草だったらキミなら切れるはずだよ!」
地面に伏せたまま、ぐっと親指を立てている。
何故かその言葉からは信頼が感じられたが、その不格好のせいで締まらない。
「そんなものがあるなら早く言え!」
――――本当に効果あるのか
足を拘束する草に雪でも積もるように降り積もった粉。
見た目には特に変化はない。
効いているのか?
絡めとられ、葉についたままになっているナイフの柄を握る。
「っ」
と、空気を掻き分ける鈍い音。
またあの蔓が来る。
「試してみるか」
柄を握る手に力を込める。
ここはあいつを信用してみよう。
力強く引き寄せたナイフは僅かな抵抗の後、もちもち草を切り裂いた。
この感触からして刃を押し付け、力を入れなければ切れないだろうが、それでも切れる。
「あそこまでの道を作れるか!?」
ルシーにもちもち草の本体を指差して問う。
地についたこれが切れるのならば、あの本体も切れない道理はない。
このナイフが届く範囲にさえ行ければチャンスはある。
「任せて!」
元気の良い返事と共に先ほどの布袋が飛ぶ。
一つ、二つ、三つ。
いったいいくつ布袋を用意していたのかと言いたくなるほどの布袋が一定の間隔を空けて落下する。
空中でその中身をぶちまけ、周辺を白い粉で色付けする除草粉は一面緑の景色の中でよく目立った。
真っ直ぐとはいかないまでも、宙へ舞う粉は本体へ向かう道しるべのようにその白色を繋げていく。
伏せたままで良くあれだけ遠くまで飛ばせるものだ。
最後の一つが本体のすぐ側へ飛び、迫ってきた蔓をくぐるように低く、俺は地を蹴った。
最初の関門だ。
粉の降り積もった白き道へ足を踏み入れる。
跳躍で地を蹴った足とは逆の足で地を踏みしめた。
獲物が掛かったとばかりに付近の草が絡み付こうとするのをナイフを振るって防ぐ。
ぎちぎちと音を立てる草。
斬るというよりかは、くっ付いてくる草を無理やり引きちぎるような感覚で足場の草を散らす。
一連の動作を瞬時に行い、着地した足にぐっと力を込めて次の一歩。
足裏につきまとう草を渾身の力で振りほどき、びちりと草をちぎる音を立てながら次の場所へ。
点々と目印のように色の変わっている場所をたどりながら本体へと接近する。
「ふっ、くっ」
その間に蔓の攻撃は続く。
宙にいるときは体を小さく、なるべく的を小さくするように、地面へ着いたら叩きつけを待たずに素早く跳ぶ。
川の岩に乗り移る要領で、俺は移動を続ける。
除草粉はもちもち草を枯らすことはないが、その粘度を下げ、吸着力を著しく低下させた。
そのおかげで、粘液に絡め取られていた俺の刃が草に当たる。
「数が、増えやがったか」
本体に近づくほど、蔓の攻撃間隔は早くなり、すぐ側へ接近するとあの腕のような蔓とは別の蔓を出現させた。
その数三本。
前の二本に比べれば急造感が溢れているが、代わりに茨の棘のようなものを携えている。
鋭く尖った棘は食らえば激痛は必至、避け損なっても手痛い傷を負うだろう。
軽視するにはいささか危険だ。
おまけにあの太い蔓に比べて取り回しが速く、繰り出される回数が多い。
その軌道は直進。
正面から、俺の背中に抜けていくように真っ直ぐ伸びてくる。
だが、
「この程度で、止められるか!」
足場に少し余裕ができた今、攻撃を躱すのにゆとりがある。
屈むか、受け流ししかできないさっきとではそれだけで天地の差だった。
半身で躱し、刃を叩き付け、俺は猛攻をくぐり抜ける。
「らぁっ!」
最後の一歩。
白道の終着点を蹴った。
間近で見る本体は束ねられた蔓がねじれ巨木のように分厚い。
正面に躍り出た瞬間、蔓にぽふりと布袋がぶつけられる。
降り注ぐ間もなく、こぼれた粉がかかり、色を変えた。
――――良い援護だっ
タイミングは完ぺき。
「はあぁぁぁぁ!」
変色した箇所へと狙いを定め、引き絞った筋肉を解放し、渾身の力でナイフを叩き付けた。
刃の通る手ごたえ。
「よしっ…………」
どうだ、と今切り裂いた箇所を仰ぎ見る。
しかしナイフを振りぬいた俺の視界に映ったのは、感じた手ごたえとは裏腹に表面程度しか削れていない本体の姿。
「うそだろ」
渾身の一撃だった。
攻撃はしかと粉のかかった箇所を切り裂いた。
だが両断するには程遠い。
「っ」
唖然とする俺を巨大蔓が薙ぎ払う。
胴を捕らえられ、俺は大きく吹き飛んだ。
「グロスト!」
耳を打つ風に混じりルシーの悲鳴が聞こえた気がする。
飛ばされた体は、地面に衝突した瞬間にその勢いを止めた。
これだけの勢いをもってしても地上のもちもち草の吸着力は俺の全身を掴み、離さなかった。
――――い、てぇ
息が止まる。
ぐらついた視界が静止したことで、一瞬飛んだ意識が戻る。
「か……、げほ、げほ!」
胸を叩いて無理やりに呼吸を戻す。
じんわりと滲んできた涙越しにもう一度奴の傷を見る。
――――浅い。
束ねられた蔓はあまりにも分厚かった。
ナイフのリーチでは到底両断まではいかない。
どれだけ鮮やかに刃を切り入れたとしても無理だ。
今傷をつけた場所からはどろどろと透明な粘液が滴り落ちている。
「修復もできるってか」
粘液が薄く広がり、皮でも被せるように膜を張る。
見かけは元通り、時間が経てば中身の方も元に戻るのだろう。
しかめっ面で睨んでいた俺の頭上に影。
頭をかち割らんと振りかざされた蔓。
「く、おぉぉぉ!」
起き上がろうと力を入れる俺の全身、その背面ほぼすべてに張り付いた粘液が俺の邪魔をする。
上から蔓が落ちてくる。
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