第8話
一時間、いや二時間ほど経っただろうか。
その後もモグラ追い回し続けたが、結局奴らを仕留めることはできなかった。
鬼気迫る表情で追い回していたルシーも体力が切れ、やむなく俺も攻撃を中断した。
「はぁ、はぁ……」
曇天に加え、風も程よく吹いて涼しいというのに上から下まで汗だくである。
ぽたぽたと汗を垂らしながら俺たちは未だ穴から顔を出し、挑発を続けるモグラ共を睨みつけた。
「ちっ」
逃げ足ばかり達者な奴らだ。
俺たちは必ず奴らを血祭りにあげると約束して、元の目的を果たすことにした。
追うのをやめた俺たちにモグラたちはしばらく付きまとっていたが、俺たちがこれ以上反応を示さないとわかるやすぐにどこかへ行ってしまった。
ルシーが無視していればそのうち飽きる、と言っていた通り、俺たちに興味をなくしたモグラたちはまた次の標的を見つけに行ったのだろう。
その身勝手さもまた苛立たしい。
ーーいや、いつまでも引きずるな、平常心だ
気を取り直し、次の採取目的であるもちもち草を目指し俺たちは進む。
「しかし変な名前だよなもちもち草……」
「ふー、ふー、変じゃないよっ。名前の通りの草だからっ」
「……大丈夫か?」
ルシーの目がどこか血走っている。
明らかにモグラたちへの怒りがいまだ身体に籠っていた。
興奮が冷めやらないといった風に呼吸が荒い。
「待って、落ち着くから……」
大きく、草原の空気をめいいっぱい肺に吸い込んでルシーは深呼吸する。
豊かに膨らんだ胸を上下させながら、何回か繰り返すと、ようやく表情に余裕が出てきた。
「こらえ性がなさすぎるんだよ、もっとクールにいかなきゃな」
俺からアドバイスしてやると、ルシーの眉がぐっと寄った。
「人のこと言えないでしょ、最初ブチギレてたくせに」
「ブチギレてねえ。ありゃただの攻撃。ちょっと気合いが篭りすぎちまったが」
言うも、ルシーは訝しげな目で俺を見てくる。
なんだ、本当だぞ。
「怒鳴り散らしてたのは?」
「気合いだ、斬るときには力を入れないとだろ?」
あくまで気分の問題だ。他意はない。
「まぁ、今回はそう言うことにしとく。でも次はムキになって突っ込んじゃダメだよ」
「ムキになんてならねぇよ」
どの口が言うんだか。
さっきの姿を鏡で見せてやりたい。
一回転ばされただけで激昂してたくせに。
が、そう思っても俺は口には出さない。
ムキになっているわけじゃないからな、ここらで折れておいてやろう。
「成長してれば空に向かって伸びてるから見つけやすいけど、地面に生えてる分は注意しないと引っかかるからね」
俺のやさしさも知らずルシーはどうだか、とでも言いたげに肩をすくめながら言う。
こいつ……、帰り道覚えとけよ……。
俺は引き続き、足場に気をつけながら、
「この落とし穴といい、今回は足場に難ありだな」
もちもち草の特徴はへばりつくような吸着力だ。
この間手に入れた蜘蛛の糸以上の強力な吸着力は、その草に触れた生き物を釘付けにする。
地面に生えるもちもち草を踏んでしまえばそこから動けなくなり、そのまま脱出することもできずに餓死する。
もちもち草はその餓死した生物の死体から栄養を吸収し、成長する。
成長したもちもち草は縦に、空へ向かって伸び、今度は空中の鳥や魔物などの獲物がかかるのを待つ。
葉から枝、根に至るまで獲物がくっついたら離れない性質をもつそれは注意しなければ命の危険があるのだ。
そのため森の中でのような走り回っての戦闘や、この草原を駆けることができない。
迂闊に動くと身動きが取れなくなる恐れがあり、どこに穴があるか、もちもち草に足を取られるかと考えると……、後はお分かりだろう。
「見た目で分かればいいんだがな」
「よーく見れば分かるかもしれないけど、これだけ草が生い茂ってたら難しいね」
言ってルシーは周りを見渡す。
一面の緑。
大地を覆い隠す草たちは落とし穴もその他の植物もわからないほどに良く育っていた。
「元気に育っちまって……、何もわからねぇ」
「とりあえずは一番育ってる草を見つけよう。縦に育ったもちもち草なら地面近くに生えている奴より分か
りやすいし」
「そうだな」
歩いていると火照った身体に風が当たり、なんとも心地よい。
時々また穴に足を取られながらも俺たちはもちもち草を探す。
遠くを見据え、足元を警戒し、時に魔物を退けながら。
しかし、
「ないな……」
すでに探し始めてからかなり時間が経っているはずだが、それらしきものは見当たらない。
「はぁ……、ふぅ……」
加えて数歩歩くごとにずるりとぬかるんだ穴に足を取られるせいで必要以上に体力が奪われていく。
ルシーも穴から足を引き抜くたびに、ふらふらと身体をよろめかせる。
そして日が真上に到達した頃、ルシーが声を上げた。
「あれ見て!」
声に従い視線を向ける。
すると視界に移ったのはもちもち草ではなかった。
魔物でもない。
――――巨大な岩が宙に浮かんでいた。
「は?」
岩が浮かんでいる。
浮かんでいるのだ。
謎の光景に思考が一瞬、停止した。
風に少し流されて、その岩は宙を移動している。
「……どうなってるんだ?」
どう見ても自然に浮くような大きさの岩ではない。というかそもそも小さくても岩は浮くことはないだろう。
竜巻に巻き上げられたとしても一抱えある岩がようやく飛ぶかどうかと言ったところだろう。
視線の先にある岩は優に人の大きさを大きく超え、城壁の破片の一部と言われても納得する大きさだ。
混乱する俺を横目に、目を細めたルシーが何かに気づく。
「岩だけじゃない、魔物も、木も、いろんなものが飛んでる……」
言葉通り、目をよく凝らしてみれば岩の周りにも大小様々なものが浮かんでいた。
そのどれもが翼を持たない、浮くという現象から離れたものたちだった。
魔物は死んでいるものが多かったが、中には何匹か生きている魔物の姿もあった。
どの魔物もじたばたと足や手を振り回し、暴れているように見えた。
「あれ! 多分ふわふわ草だよ!」
意外なものを見つけた、と喜ぶルシーが言う。
「ふわふわ草? 知らねぇな」
初めて聞く名称だ。
もちもち草といい、いったい誰が名前をつけたんだか。
「あれはね、普通の草と同じように地面に生えてるんだけど、強い風を受けると高く舞い上がるんだよ」
――――風?
きっと訝るような表情が顔に出ていたのだろう。
ルシーが続けて説明してくれる
「魔法に近い現象だと思う。あの草は身体の中に蓄えた魔力を風が吹いた時に浮力に変換して上空高く上がっていって、生息地を広げるんだって。魔物は多分なってる木のみを食べに来た時に絡みつかれたんじゃないかな」
なら岩や木も同じように絡みつかれたというわけか。
「迂闊に近くと俺たちもあんな感じに飛ばされるかもな」
笑って言ってやると、ルシーは大丈夫だと言葉を返した。
「ようは風を草に当てなければいいんだよ。身体で覆っちゃえば平気なはず」
わざわざ言うまでもないがこの感じだとやはり取りに行くのか。
「おぉ……」
近づくと、それはやはり異様な光景だった。
大小関係なく、様々な魔物が宙を浮かび、岩や木と共に当てもなくふわふわと宙を漂う姿はおよそこれまでに見たことのない光景だ。
ルシーの言う通り、宙浮かぶ物体の下、地面付近に少しだが宙に浮かぶのと同じ草が見て取れた。
見た目はそこらの雑草と変わらないように見える。
「あれが、ふわふわ草……」
警戒する俺を置いてルシーはずんずんと進む。
そしてふわふわ草と思われる草の近くまでいくと屈んでこちらに手を向ける。
「ナイフ、後、袋もちょうだい」
そんなに大胆に近づいて大丈夫なのか。
もちもち草の話を聞いた後だからか、そんな風に感じた俺は不用意に採取しようとするルシーに疑いの視線を向ける。
「それ、近づいても大丈夫な奴か?」
視線だけでなく、口にも出した。
実は毒とかあったりしないのか。
「言ったでしょ風が当たらなければ取るのは楽だよ、ほらこんな風に」
そう言って彼女は地面に生えた草を自分の身体で覆うように囲い、風が当たらないように被さった。
小動物が自分の獲物を取られまいと丸くなっているような姿に見える。
ルシーの背丈はそれほど高くない。
そのため草を囲うための大きさが少し足りていない。
脇の締めが甘いし、足の間にも空間ができている。
そのガバガバな対策を見て少し不安が増した。
ーー大丈夫か?
とりあえずナイフと布袋を渡す。
道具を受け取ったルシーが自分の身体で作った空間の中に手を突っ込んでゴソゴソと手を動かしている。
少しの時間の後、ルシーが満足げに顔を上げた。
「取れた! グロスト、持ってみて!」
手には刈り取った草。
一見普通の草だからこそこのまま触っても大丈夫かと心配になる。
ルシーが突き出した草を恐る恐る受け取る。
そんな俺の姿を見てルシーは平気平気と笑う。
ちょっとビビりすぎか?
少し警戒しすぎかもしれない。
しばらく仕事から離れ、依頼を受けていなかったことで弱気になっているのか。
前は情報がなかろうと、何でも手で掴みかかり、何なら口に入れ、そして時々毒を食らったりした。
あの時は仲間に解毒系の魔法を使える奴がいたから適当にやってても何とかなった。
――――よく生きてたよな。
今思えば何も考えずにとりあえず味見してみるなんて馬鹿な事をしていたものだ。
周りから見れば赤子よりも危なっかしく見えたに違いない。
「ほら!」
嬉しそうなルシーの顔を見て、俺は手を伸ばした。
まぁ言っても急に吹き飛ばされるなんてこともないか。
「ほう……」
外見は普通の草。
指で触れるとツルツルと肌触りが良い。
――――軽い
それは、羽根のように軽かった。
感触がないと錯覚しそうになる程に。
だが、脆いわけではない。
上を見る。
ああして宙に浮かぶふわふわ草は重い物体にも耐えられる強度がある。
軽くて丈夫。
鎧の売り文句にでもありそうなその草は手に持っただけでその異質さを感じることができた。
存在すら疑いたくなるほどの軽さは、手に何も持っていないのではないかと思ってしまうが葉を触れば確かな感触が返ってくる。
奇怪。
今自分が触れている草が巨大な岩を持ち上げ、暴れる魔物を捉えたまま浮かんでいられるということが不思議でならない。
「奇妙な草だな、落としても気づかないかもしれねぇ」
手に乗った草が知らぬ間に無くなっていてもその変化に気づかない可能性がある。
いや、間違いなく気づかないだろう。
「くっ……、んで軽さの割に丈夫と……」
ぐっと、力を込めて引っ張ても容易には切れない弾力。
素材としてはピカイチの品だ。
だが、
「取れたはいいけどよ、これ何に使うつもりなんだ?」
この草の使い道が浮かばない。
何かの道具に?
いやこの葉を使ってなんの道具をつくる……?
空を飛ぶ……。
しかし飛んでから何をする……?
そもそも自由に飛べるのか。
わからない。
訴えかける俺の視線に、ルシーはニコリと笑って答えた。
「もちもち草とこれを編み込んで建物にくっつけるんだよ!」
スッキリすると思うと語るルシーの目は真面目な色を示していた。
「人数が少ないから大きな建物とかに籠られたり、そこで粘られたりしたらしんどいからねぇ」
本気か?
頭の中で建物を鷲掴みにした草がメキメキ音を立てながら宙へ飛んでいくのを想像する。
恐ろしい光景だ。
だがその威力はおそらく並みの兵器よりも高い。
「ふわふわ草だけじゃくっつかない所や場所でももちもち草を利用して強引にくっつければ大抵のものは飛ばせると思う」
自信満々な言葉。
この顔から見てルシーの中では成功は確実なのだろう。
「重要施設を飛ばせば戦力はかなり減らせるな」
見た目のインパクトも強い。攻めにくい場所もこの方法を使えば攻めやすくなる。
人数がいなくてももしかしたら……。
「いけるかもな」
「でしょ? キミも協力してくれれば確実だよ?」
俺が肯定的な言葉を話したからかルシーはひどく嬉しそうにこちらを見る。
「いや、協力するのはあくまでも素材集めだけだ。攻め込むのはどうぞ一人でやってくれ」
言うと、ルシーはけち臭いなぁとぼやいて地面へ八つ当たりするように軽く蹴った。
あくまでも初め聞いた時よりかはの話だ。
無謀だと思うのは今でも変わりない。
「祭りまでは後一ヶ月と少ししかないし、この調子でどんどん集めなきゃ」
だがふわふわ草は見たところ数えるほどしか生えていない。
あまり数には期待できなさそうだった。
もそもそとうずくまりながらその数少ないふわふわ草を刈り取っていくルシー。
妙に滑稽な姿を見ながら俺は今の言葉について一つ、ルシーに聞きたいことがあった。
「少し引っかかってたんだがよ、俺の他には素材集めの依頼しなかったのか? これだけ急いで素材集めすることもないだろ」
ルシーの目的は明らかに国を壊すことだ。
俺と会った時には楽しいを教えてあげるなどと言っていたが、要するに協力者が欲しかったのだろう。
もう少し事前にコツコツと準備をしていれば簡単なものなら揃っているだろうに。
そう考える俺の顔を見ながら、口を閉じ、何を言おうか明らかに今考えているルシーが小さく唸る。
と、何か閃いたのか表情を明るくさせると
「お金あんまりないし、キミくらいだったんだよ私の頼みを受けてくれたのは」
「てことは一応他にも声を掛けたことはあったのか?」
ルシーは再び考えだすと、もごもごとはっきりしないような口調で答えた。
「い、一応ね。私他にもやる事あったから……、あははっ」
誤魔化すように言葉尻を濁し、曖昧に笑った。
このあからさまに怪しい態度は何を隠そうとしている。
見当がつかない。
他の奴に頼まないことにどんなやましいことがあるというのか。
数はいた方が良いに決まっている。
と、その時だった。
強く、身体を飛ばす勢いで風が吹いた。
「くっ、これは……」
龍谷の方からの突風だ。
俺は腕を顔にやって風を受ける。
「ひゃあっ!」
甲高い声。
ルシーの方を見ると風に煽られて尻餅をついていた。
少し離れたところに先ほど刈り取った草を入れた布袋が転がる。
草からは手を離していたか。
「あはは、危ない危ない……」
尻餅をついたのが恥ずかしいのか照れ臭そうに笑いながらルシーは立ち上がろうとする。
尻に着いた土を叩き、泥落としながらぐっと立ち上がったルシー。
「っ」
その足元から上空へ向かってふわふわ草が浮かび上がる。
自分の眼前を通り、空へ飛んでいこうとするふわふわ草を見て、
「ダ、ダメ!」
あろうことか手を伸ばし浮上し始めているふわふわ草を掴んだのだ。
「何やってんだ!」
「だって、まだ全然取れてないのに!」
ルシーはぎゅっと目をつぶったままふわふわと空へ昇っていく。
急速に浮上したルシーは一瞬で俺の遥か頭上へ。
跳躍してもギリギリ届くかどうかの距離。
「いいから! 早く草を切れ!」
ルシーの掴んだ手を包むようにふわふわ草が絡みつく。
「これがあれば! あの国――――! 少しで、多く――」
そんなことを言ってる間にも地上との距離はどんどん離れていく。
遠ざかっていくルシーの声は途中で聞こえなくなった。
「くそ、なにやってんだ!」
必死に草にしがみつこうとするルシーを見て思わず悪態をつく
いくら貴重だからと言って、こんな真似をするとは。
上昇していくルシーは空中で大きく揺れる。
だらりと草にぶらさがるような恰好のまま、身体が前後左右に風に揺られる。
どうしたらいい。
何かの拍子にあそこから落ちれば死ぬ。
あそこまで昇ってしまったら自力ではどうにもならない。
受け止めなければ、いやむしろ何か引きずり下ろす方法を。
――――くそ、止まらねぇ
あの様子だと意地でも自分で草を切り離すことはしないだろう。
ならここで待ち構えていても取り返しがつかなくなるだけ……。
姿さえ見えなくなる前に手を打つ必要がある。
ふと、ルシーの上昇が止まった。
これ以上上へ昇るなと念じる俺の思いが届いたのか、いやそんな馬鹿なことはない。
偶然か?
既に浮かんでいた岩や、魔物たちよりもまだ低い高さなのに何故……。
視線の先、ルシーは身体を小さくし、風の受ける面を減らそうとしている。
下でも見たのか身体はすくみ、明らかに怖がっている。
それはそうだ、あの高さまで昇る経験などないだろうし、あったとしてもそんなのトラウマものだ。
だが、それほど恐怖しているというのにルシーは草を離そうとはしない。
遠目からではあるが草を掴む手のひらはあの状況でも固くにぎられている。
――――それだけ必死だってことはわかるけどよ、死んじまったら元も子もねぇ!
そうしている間にもルシーを掴んだまま、ふわふわ草はじわじわと風に流されていく。
――――こうなったら限界まで跳んで、あの草を切り離すしかない。
俺は足に力を溜めた。
膝を曲げ、筋肉が隆起する。
「また、この風っ」
しかし、跳躍寸前で二度目の突風が身体を襲う。
踏ん張らないと飛ばされてしまいそうな強さはただの風ではない。
何らかの力によって引き起こされた風だ。
――――くそっ、タイミングの悪い。
崩された体勢を元に戻す。
上を見上げればルシーは更に高い場所まで浮上してしまっていた。
――――そうか一度の風では上昇に限度があるのか
だから最初の風では今の高度まで上がり切らなかった。
「ちっ」
だが今それがわかったところで。
今の風によってルシーは俺の跳躍では確実に届かない場所まで行ってしまった。
遠目にはうっすらと風に煽られるルシーの姿が映るくらい。
もはや声も届かない。
――――どうする。
ボヤボヤしていれば更に高いところへ行ってしまう。
何か使えそうなものはないか。
ルシーを見失わないように背負った背嚢の中を手探りで漁る。
「っ!」
と、一つ使えそうなものを見つけた。
硬い瓶の中からものを取り出す。
「これならっ」
俺はそれを手に掴むと助走をつけて走る。
跳躍。
背なかを弓のようにそらしながら飛んだ俺は跳躍の限界地点までその体制を維持する。
「届けぇ!」
振りかぶった瓶は矢のように飛ばす。
同時に、瓶の中から飛び出た糸を素早くつかむ。
飛んでいった瓶が宙づりのルシーの腕に命中した。
衝撃で、ルシーの身体が揺れる。
「っつ」
着地の衝撃に足がじんとしびれる。
だが痛みをこらえている暇などないと、歯を食いしばる。
顔を上げ、未だ宙に浮かぶルシーを見上げる。
命中した瓶は……。
「しっかり掴んでいろ!」
身体を曲げぶらぶらと揺れるルシーに向かって叫ぶ。
聞こえているだろうか。
あの瓶の中に入っていた糸は瓶が上手く割れていればルシーの体に今もついているはずだ。
獲物を捕らえる役割の糸はその粘着力は相当のもの。
身体に着けばちょっとやそっとじゃ取れはしない。
ルシーから伸びる糸は俺のもとまで伸びている。
俺は手に持った糸を慎重に手繰り寄せる。
引っ張る感触はある。
ひとまずルシーの体に糸をつけることには成功した。
が、
「くそ、落ちてこない……!」
ふわふわ草の浮力が高すぎて、糸を引っ張ってもルシーの高度が下がらない。
手繰り寄せようとする糸は先に岩でもついているかのように重たい。
「く、ぐぅ!」
腕の筋肉が隆起し、全身が発熱する。
徐々に徐々に風に流されるルシーに引きずられる。
踵を地面に押し付けて、支えのようにしてもずるずると引っ張られてしまう。
周囲を見渡し、何か使えそうなものを探す。
少しでも重しになりそうなものはないか、手に巻き付けた糸に引かれながら探す。
しかしこの一帯はふわふわ草の生えていた場所。
大きなものはすでに上空へ浮かんでしまい、重しになりそうなものはすでに何も残っていなかった。
「くっそ!」
何もできないまま、ルシーは風に流れていく。
――――腕がっ
力を込め続けた腕も小さく痙攣し始めた。
本来剣士である俺は人並みよりは力に自信があるとはいえ、怪力を誇っているわけではない。
むしろ、力を込めるのは獲物を切る瞬間。
一瞬の間に全力を込める場合が多い、長時間の力比べはそもそもとして無理がある。
身体の限界が近い。
どれだけ根性だと自分に言い聞かせても、小さな震えはその振れ幅を大きくしていく。
――――駄目だ、持たない
手が糸から離れかかった時、頬にぽたりと何かが落ちてきた。
――――?
思わず上を見上げる。
と、同時に引っ張っていた糸の感触が一気に軽くなった。
「うぉっ!」
思わず転倒しそうになるの堪え、何が起きているのかを確認しようとルシーを見る。
上から、ぽたぽたと滴が垂れる。
雨……ではない。
これは、血だ。
――――なんで血が?
逸れそうになる思考を頭を振って戻す。
今はそんなことを気にしている場合じゃない。
エネルギーを補充するように、大きく息を吸い込み力を全て使い尽くすつもりで糸を引く。
ぐん、と引けば引いただけルシーの高度が下がっている。
なんだかわからないが、今なら
「おおぉぉぉ!」
引く。
手繰る。
全身を使い、より強く引き寄せられるように。
――――来た
小さくなっていたルシーの影が大きく、その姿がはっきりと認識できる。
ややぐったりと、足から血を流している。
先ほどの血はあれか。
そして、ルシーとの距離が近づいたことで
「届く!」
全力の跳躍でルシーの元へ飛ぶ。
流れながら地上へ下がっていたルシーの身体が、俺が糸を引くのをやめたことで再び上昇し始める。
だが、地上から斜めに飛ぶ俺の速度はその上昇速度を上回る。
下からすくい上げるようにルシーを抱きしめる。
「捕まえたっ!」
同時に、ルシーの手に絡んでいる草を切断する。
ナイフは思いのほかすんなりと草を切り裂いた。
「うぅ」
衝撃にルシーが呻く。
だが今からもっと強い衝撃が来る
人一人抱えた状態では綺麗に着地するのは無理だ。
ぐらぐらと揺れる身体は気を抜けば後ろへ回転してしまいそうになる。
頰を風が叩き、通り過ぎていく。
いや、俺たちが落ちているのだから通り過ぎていくのは俺たちのほうか、下を凝視しながらそんなくだらないことを思った。
「着地するぞっ、舌噛むなよ!」
小さく頷く気配を確認し、俺は腕の中で縮こまったをさらに包むように抱きしめた。
来たる衝撃に備え、ギュッと目を閉じた直後。
ドッという鈍い音が広がる。
同時、何かが小さく爆発したように土が舞い上がった。
全身を棍棒で殴られたような衝撃。
まるで叩きつけられたように地面に埋まる俺は泥まみれになりながら丸く、衝撃を少しでも柔らかくしようと耐えた。
「ぐっ、うぅ」
勢いが収まった。
舞い上がった土が雨のように降り注ぎ、身体にあたってぱちぱちと音を立てる。
口の中がじゃりつく。
弾みで大量の泥が口の中に入ってしまった。
ぺっと脇に唾を吐きながら、身体起こす。
あちこち身体は痛いが、どこも折れなかったようだ。
「まずまずってとこか……」
かなりの高さからの落下だったため地面にぶつかる衝撃はなかなかのものだったが、地面に残ったのは人一人分の凹みだけ。
「……っ」
同じく起き上がろうとしたルシーが足に手をやって表情を歪ませた。
手をやったそこはだらだらと血が流れている。
「悪い、切れたか」
これは俺が原因の傷だ。
瓶の中身をルシーに吸着させるためにわざと瓶が割れるように足を狙ったのだ。
狙い通り瓶は砕け、こうしてルシーは地上には戻ってきたが瓶の破片で大きく切ってしまうのは予想外だった。
「大丈夫。これくらいなら何とでもなるから」
ルシーは気丈に言った。
そのまま、少し意地悪そうな表情を浮かべ、
「というか、私としてはキミが躊躇なく瓶を投げてきたことの方がショックなんだけどなー」
怖かったー、とわざとらしく言ってみせるルシー。
がくがくと震えている足には気が付いていないのか?
「他に良い手が思いつかなかった」
「まぁそうだよね、てかそんな真面目に答えないでよ」
ルシーが冗談だと笑う……、否笑おうとした。
こわばった顔のせいで引きつっている。
「まぁ俺としても一応お前に傷はつけないように頑張ろうとは思うんだが……」
女の身体と男の身体ではやはり少し違う。
俺なら足にいくら傷がつこうと治りさえすればなんら問題はないが、ルシーの場合傷跡でもついたらことだ。
「私は目的さえ達成できれば良いの。だからその気遣いは要らない」
「……そうか」
こうは言っているが俺としてはやはりあまり傷を負わせるのは気がひける。
次もなるべく最善となるように頑張るとする。本当はその次がないのが一番いいがおそらく無理だろう。
「なら俺からも言っておく」
さて、ルシーの震えも少し落ち着いてきたところでこちらの言い分を言っておこう。
「お前が国堕としに真剣だってのはまぁわかった。だがな今のは命を懸けるとこじゃない。俺に依頼したのならもっと大人しくしておいてくれ」
今回といい、蜘蛛の時といい、もっと周りに注意してくれないと命がいくつあっても、という奴だ。
「だってあれがあれば…………」
「こんなとこで死んだら元も子もないだろ……」
「……」
「そもそもあれを見つけたのは偶然だろ? 魔物に襲われたわけでもなし、自分からほいほい命を放り出してたらいざって時まで生きてられねぇぞ」
無茶をするにしてもあそこは違う。
「命駆けるならもっと大事なとこにしろ」
輝くような金の髪を泥だらけにし、灰色のまだら模様のようになっているルシーは口を尖らせて視線を逸らした。
「ま、もうちょっと自分に気を使ってくれよ。せっかくこの俺が手伝ってんだ。大事な作戦結構の日まで大事にしとけって」
不貞腐れた様子のルシーにため息を吐きながら少し気まずくなった空気をごまかすように
「ほらせっかく綺麗な髪が泥だらけだ」
ちょっと茶化すようにぱぱっと手で払ってやる。
「……っ!」
と、酷くびっくりしたような顔をしたルシーが首をすくめ、目を伏せた。
なんだ?
「急に、褒められたから、驚いただけ」
……恥ずかしがってるのか?
頰を掻いたり、落ち着きない仕草。
初めて見る反応だが、照れてる……ように見える。
一歩半程後ろに下がり、距離をとったルシーがツンと尖った口調で喋り、
「でも……」
けれども思い直したように一言。
「ありがと」
照れ笑いしながら、言った。
「……おう」
正面から見つめてくるルシーにこっちまで恥ずかしくなる。
「よ、よしじゃあ行こう」
するとやはり恥ずかしかったのかルシーはいそいそと足を引きずりながら歩き出そうとする。
まだ治療してないだろ。
ルシーの手を掴もうとして、
「腕痛えんだろ? 治療してからゆっくり行こうぜ」
ピタリと身体を静止させたルシーに向けて俺は言う。
だが、ルシーはその場に固まっている。
ーーなにやってんだ?
「っ」
そこで、勘違いに気づいた。
ルシーは固まっているのではなかった。
むしろその場から動こうと足掻こうとしている。
だが、動かない。
足が、ピタリと張り付いてしまったかのように地面から離れないのだ。
これは、
「グロスト、まずいかも!」
辺りを見渡す。
落ちてきた事で警戒するどころの話ではなかったとはいえ。
これは……。
曇天だった空から一筋の光が差し込む。
それは徐々に太くなり、広がっていく。
雲の隙間から差し込んだ光は俺たちの周囲、このしっかりと地面に根を下ろす草達を照らした。
背中に当たる日差しに熱を感じる。
ざらりと葉が擦れる音。
それは、陽の光を浴びた事で姿を現わす。まるで人間が朝、起き上がるかのように。
陽の光を全身に吸収するように、空へと背を伸ばしていく。
俺たちの背丈を遥かに超え、伸びでもするかのように巨大な草が震える。
その震えは上から下、つまりはこの一帯の地面まで伝わる。
張られた罠に足を踏み込むような形となった俺とルシーを見下ろすようにそれは現れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます