第7話

「くっ、進みずれぇ」


手首程の深さの穴に足がハマり、歩みを止めた。


「わ! こっちもだ……」


見ればルシーも同じように足を取られ、足首から下が地面に埋まっていた。


「抜けそうか?」


足を掴み、地面から引き抜く。

付着した泥を足を振って落としながら、俺はルシーに声を掛けた。


どうやら俺よりも深く穴にハマってしまったようで、草の根を引っこ抜くように顔を真っ赤にしながら足を引っ張っている。


その草原は国から数時間歩くと見えてくる。

広く、どこまでも続いていそうな草原は一つ特徴があった。


その場所を歩く旅人が必ずハマる穴。


草原の至る箇所に罠のように仕掛けられた穴が通る者を捕らえ、その進行を妨げるというのはここらでは有名だ。


穴は草に覆われていて、気づくことが難しい。

そして、硬い地面と柔らかい泥上の土が混在するこの草原では踏み込んだ場所が自重で沈むこともままある。


それは自然が作る落とし穴だ。

幸い、ハマってもさほど深くなければ自力で抜けるため進行するのに問題はないが。


「ぬっらぁ!」


ルシーの腰を抱え、勢いよく後ろへ引っ張る。

ごぽんと音を立ててルシーの足が穴から抜けた。

ぽっかりとルシーの足の大きさにかたどられた穴はぐちょりと水けを帯びている。


「足が泥だらけだよ……」


はぁ、とため息をつくルシー。


穴ぼこ草原と揶揄されるこの草原の真骨頂を今、俺たち二人は味わっていた。


すでにこの穴に入るのも何度目か。

前もって知ってはいてもこれだけ頻繁に足を止められては気分も落ちる。


「めんどくさい場所だな、全く」


この感じ、仲間たちとの旅を思い出す。


「今までこんな風な場所へは行かなかったの? 素材屋だったんでしょ?」


「まぁ、行ったことはあるし、もっとひどいとこもあったがそれとこれとは別だ。面倒なところはいつ、何を経験したってめんどくさいことに変わりねぇ」


ふーんと声を出すルシーはふと考える動作を取った。


「グロストはさ、どうしてパーティから抜けちゃったの?」


一瞬、躊躇ったような顔をしつつ、ルシーがそんなことを聞いてくる。

髪の先を指でくるくると巻きながら、何の気なしに。


なんで抜けた、か。


はっきりとした理由は今になってもわからない。

仲間に不満があるわけではなかった。

むしろ気の合う、最高の仲間だったと言っていい。

俺が十代の頃からずっと旅を続けてきた、共に感動を、興奮を、困難を、共有し、乗り越えてきた。


そんな仲間達。


俺は何が気に入らなかったのだろう。


「それだけ強いんだもん、結構有名だったんでしょ?」


ルシーが見た戦闘は俺からすればまだまだ全然大したことのないものだ。

あれくらいそれなりに経験のある奴なら誰でもできる。

だが、たしかに俺たちはそこそこ名の知れたパーティだった。

まあな、と返す俺にルシーは続けて問う。


「依頼だっていっぱい来るだろうし、危険な場所にだっていける。お金だって、たくさん手に入るのに、なんで?」


その顔は心底不思議だと、純粋な疑問を浮かべている顔だった。


なんで。


それだけ良い条件の場所を何故捨ててしまったのか。


「なんでだろうなぁ」


側から見れば確かに何故そうしたのか知りたくなるのもわかる。

あの時の俺は確かにパーティを抜けるという決断を選んだ。

モヤモヤと自分でもわからない気持ちを抱えたまま。


何がしたいという訳でもなく漠然と。

このままでいるのは違うと、思ったんだ。

だが、そんな曖昧な気持ちは解消される事なくまだ俺の中に存在し続けている。


俺は、今も。


自分でも何をしたらいいかわからない、答えを探している。

結局俺はその問いに答えることができないまま、ルシーはそんな俺の様子を見て

「まぁそんなこともあるか」と一人で何か勝手に納得していた。


俺も彼女に聞きたいことがあった。


だが、そんなルシーを見ていたらなんとなく言い出すタイミングを逃してしまった。


お前こそ、なんであの国を壊したいんだ、と。


あの国を憎む理由が気になる。


彼女の抱えるものの正体が何なのか、無粋だが興味があった。

俺が一体何の為に行動しているのか、その本質を知りたかったのかも知れない。


気持ちを燻らせたまま、俺たちは先を進む。

長く、広い草原は歩いても歩いてもその景色を変えない。


「うぉっ」


またしてもガクンと足が取られる。

ぬかるみにハマった。

足を取られた俺を見て、ルシーが話しかけてくる。


「手貸すよー」


穴にハマったらお互いに手を貸し合い、足を抜く。

この数時間に二人の間で生まれた共通認識だった。

初めはギャーギャー騒ぎ立てていた俺たちだったが、こうも何度もハマっていれば驚きも小さい。億劫な面持ちで足に手をやる。


「いや、大丈……っ!」


手を振り、その申し出を断ろうとした時だった


ぐっ、と今までに無いほどの抵抗を感じた。

首を傾げながら足元に目をやる。


ゆっくりと体重によって沈んでいくのでは無い。

力強く引っ張られている。

ただのぬかるみでは無い。

何かに足を掴まれているのだ。


「なんだっ!?」


俺のあげた声にルシーが反応する。


「どうしたの?」


「穴になにかいるっ」


引っ張る力はそこそこに強いとはいえ全身を引きずり込まれそうになる程ではない。

ルシーにその場で動かないように忠告し、視線を落とす。

足が膝まで沈んだあたりで引く力が止まる。


俺は片足を取られながら周囲を警戒する。

頭上にも、近くにも魔物はいない。

草に同化しているものもいなさそうだ。


穴の中にいる謎の生物に注意を向ける。


ここからどうする。

足はすぐには抜けそうにない。

がっちりと泥状の土にハマってしまっている。

ならばやられる前に、返り討ちにするしかない。


飛び出してくるか、足を抉りに来るか。

いずれにしろこちらの身体に触れる前に切り裂いてやる。


右手にナイフを構え、腰を落とす。

目を凝らし、待つ。


「っなに!?」


ハマっている足とは逆の足。

ひだりのふくらはぎにチクリと何か刺さる感触。


「あー、煽りモグラだ」


ルシーが俺の後方を指差して言う。


煽りモグラ?


「この草原地帯にいる魔物だよ。キミの足をはめたのも多分、同じ奴」


後ろを振り返る。

そこには穴から顔を出してこちらを見る茶色の生物がいた。


人の表情で言えば笑顔。

モグラの顔はそんな風に見えた。


笑っているといっても、それは嘲るような鼻に付く笑顔。

嘲笑し、人を煽るような顔だ。


「足を掴んで土に埋めては埋めた生き物を笑って楽しんでるだけだから、害はそんなにないはずだよ。さ、先に進も」


ルシーが饒舌に説明してくれる。

話を聞く分には危険な生き物ではないらしい。

危険ではない、さほど害ではない……。


本当か?


モグラは顔をこちらに向けながらコツコツと震えていた。

口をすぼめ、何かを吐き出した姿勢で、笑っていた。


俺を馬鹿にするように。

さらにその隣にもう一匹、「ださ、足引っ掛けてやんのー」とでも言いたげな顔のモグラ。


「ふふ」


口から笑いが漏れた。

俺もそこそこに長い間、旅をしてきたがモグラに笑われる日が来るとは。

俺が笑うのを見て、モグラが更にその体を振動させた。


そんなに俺の姿が滑稽か。

足を泥にはめた姿が間抜けに見えるか。


そうか。


「うらぁ!!」


予備動作なく投合したナイフは、しかし存外に素早いモグラの反応速度によって回避された。


「ちっ」


ハマった足を動かさないように気遣ったせいでいまいち力が乗り切らなかったか?

ならば、


「このぉっ!」


ハマった足を小刻みに動かし、グリグリと持ち上げる。

ぶぽんと汚い音を立てて足が抜ける。


――――奴はどこにいった……?


辺りを見渡す。

あのにやけ面……いた。


地中はおそらくモグラの穴だらけだ。

今ナイフを投げた穴とは別の穴に奴が顔をのぞかせている。

掘り進んだ穴は繋がり、行き来できるようになっているのだ。


咄嗟にナイフを投げてしまったが、残り本数は二本だけ。

今投げた分は後で回収するとして、統合するならナイフではなく、


「これで、充分だ!」


先日の蜘蛛の時と同じように石ころを力強く投擲する。

硬く、先のゴツゴツとした石ころは充分な勢いさえつけて仕舞えば手軽な武器となる。

補充も楽だ。


飛んでいった石ころをモグラが潜って躱す。

その隙に俺は距離を詰める。

びたびたと時々泥を跳ね上げながら駆けた。

モグラは一番初めの穴から顔を出した。


「はっ、間抜けがぁ!」


狙い通り、俺の一撃が奴の胴を両断……しなかった。

文字通り、後一歩のところで突然足元ががくりと沈み体のバランスが崩れた。

思わず地面に手をついて転倒を防ぐ。


く、穴に引っかかったか。


足元を見る。


そこにはにやにやと笑う茶色い生物の姿。

そしてちくりと首元にささる何か。


「煽りモグラは身体の毛を飛ばしてきて、その毛が刺さると身体が痒くなるから気をつけてね」


冷静なルシーの声。


――――被害に遭っていないからって他人事だな……


その説明を聞いた途端、ひだりふくらはぎがムズムズと疼く。

さっき刺された箇所だ。


「……」


なるほど、痒い。

今刺された首元もほんのりと疼き始めそうな前兆を感じる。

足元のモグラが俺の顔を見て身体をくねらせる。

くねくねくね、と謎の動作。


しかしその意図ははっきりと伝わっている。

煽っているのだ。


生意気にも俺を挑発しているらしい。

俺は冷静に足を抜く。


そんな挑発に俺が乗ると思ったら、


「大間違いだぁ!!」


抜くためにあげた足をそのまま踏み降ろす。

ズンと足に走る衝撃。


力を込めて震脚した反動は当たった感触を返さない。


「っ……!」


外した。

ちょろちょろとすばしっこい。

試しに足元の、モグラが掘った穴に腕を突っ込んでかき回す。


だが、手に当たるのは泥を掻き分ける感触だけ。

モグラの気配はない。


「カッカッカッカッ」


この音。

視線を向ければ穴をほじくり回す俺を見て、三匹のモグラがケラケラと笑っている。


「グロスト、落ち着いて。確かにムカつくかもしれないけどほっとけばその内飽きてどっかにいくと思うから」


「そうなのか」


俺の顔を見て、ルシーがそんなことを言ってくる。

だが、落ち着いてとはなんだ、俺は落ち着いている。


鼻息が荒いのは少し多めに呼吸をしているからだ。

興奮しているわけじゃない


しかしそれならばわざわざこんなところで時間を使うこともないか。


「はっ、モグラ共! 俺はお前らの相手をしてるほど暇じゃねぇんだ」


そう言い放ち、遠目にこちらを笑っているモグラ共を無視して歩き出す。


「よしルシー。さっさと行こう」


「私は初めからそうしようとしてたけどね」


俺だってそうだ。

もしかしたら危険な魔物かもしれないから牽制攻撃を仕掛けただけに過ぎん。

さて、それじゃあナイフを回収して……。


「ん? さっきのナイフ……確かあそこに刺さったはず」


どこに刺さったかはこの目できちんと確認していた。

足を何かが叩いている。


「カッカッカッ」


モグラが、ナイフを加えながら笑っていた。


「……」


踏み下ろしを一発。

当たらない。


「もう、そんな挑発に乗ってたらキリがないって!」


わかっている。

わかっているとも。


「まぁナイフは新しい奴を買えばいいか」


さほど値が張るわけでもない。

ルシーの言う通りに前を向き、先に進む。

歩き出す俺の足にちょんちょんと何かが当たる。


「……」


無視だ無視。


「計画ではね、素材がある程度集まってきたら国の外に――――」


「…………」


獣の毛がふさふさと肌の上辺を撫でるように当たり続ける。

こそばゆい感覚が続く。


「グロストはあれだよね、思ったより煽り耐性がないというか、気が早いよね」


「……」


落ち着け。

こんな奴らに心を乱されるな。


「短気は損気だっていうし、あんまり挑発に乗りやすいと目的地に着かない――――」


言葉の途中でルシーの声が途切れる。


「んぶっ」


「あ」


足がつんのめり、膝をついた。

膝どころか、頭から地面に突っ込んだ。

その一部始終を俺はばっちり目撃した。


予想していなかったのか、受け身も取れずにそれはもう見事なこけっぷりだ。


そう、俺ではなくルシーの足が土に埋まっていた。

持ち上げようとした足が上がらず、転んだのだ。


隣りで突然転んだルシーを俺は無言で見つめた。


「カッカッカ」


モグラが笑っている。

転んだルシーを見て愉快そうにニヤついている。

さらに近くの穴から出てきたモグラがぺしぺしと倒れるルシーの頭をはたきだした。


俺は思わずその光景を眺めてしまった。

一時的に溜まっていた怒りが驚きに塗りつぶされる。


地面に突っ伏したルシーは静かに体を起こす。

心なしか、フルフルと小刻みに震えているように見える。


「こいつら殺す!!」


顔の泥を拭い、立ち上がったルシーが吠えた。


「グロスト!」


ルシーが鬼の形相で俺を見る。

その表情に少し気圧されながら、俺は頷く。


今、お互いの気持ちは一つになった。

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