第6話

蜘蛛を殲滅し終えた俺たちは一度国に戻ることにした。


手に入れた素材をルシーの隠れ家場所へ置いてから次の素材を集める準備を整える。

蜘蛛の死骸から使えそうな部分だけを回収し、森を抜ける。


「しかし消し水だけなら跳ね魚とあの川の水だけあればいいんじゃないのか? 蜘蛛の糸なんて何に使うんだ?」


「効果時間が延びるの、糸を切り刻んで混ぜ込むことでね」


「時間ね……。初めに作った奴はどんな頭してたんだろうな」


できると知ってから材料を集めている俺からすればどんな偶然があってこの素材を一緒くたにしようとするのか疑問だ。


どう考えても自然には交わらないだろう材料だから何かしら効果を予測したのだろうか。


考えれば考えるほどに発見者がどうやって発見に至ったか興味が湧く。


「私も話を聞いたのはどこだったか忘れちゃった、誰に聞いたんだっけ、たしか南の方にいる時に……」


応えるルシーの声には少し元気がない。

その肩は未だ小さく震え、糸巻状態から解放し、大分調子を取り戻しはしてもまだ身体に残った恐怖が抜けきってはいないようだった。


危うく死ぬところだったと彼女が気づいたのは糸から脱出し、あの蜘蛛の大群を目にしてから。何に襲われたのかを理解したのだろう。


最後の蜘蛛を斬り捨て、ルシーへ声を掛けると青い顔でこちらを見上げていたから素材集めも序盤だというのになかなか初めからハードなものとなってしまった。


だが流石に国堕としを企てようというだけのことはあるのか、こうして帰り道を行く間に随分復調した。


ただ、必死に恐怖を噛み殺そうとする姿は何だかこちらまでぞわりとさせる何かを感じるほどだった。


まぁそれくらいでないと困る。


一度死にかけたことでくじけるようなら彼女の目的は達成できないだろうから。


俺はそんなことを考えながらルシーへと適当な話を振る。


「この消し水手に入れたは良いが、例の欠点についてはどうするんだ?」


いわゆる足元に水が落ちるという問題である。


「あぁそれはキミが後からついてきて地面の水を拭けば……、問題ないんじゃない?」


「いや、潜入もやるのかよ……じゃなくてそんなんむりだろ」


どう考えてもバレる。

俺から垂れる水はどうすればいいんだよ。


「素材集めはそれを仕掛けるまでが大事なんだから、潜入もやって」


むっと口をとがらせるルシー。


「集めるだけじゃねぇのかよ……」


いつのまにか潜入まで一緒に行くことになっているのもそうだが、対策がかなり無理がありそうだ。


「もう……意外と細かいねぇキミ。きっと大丈夫だよ、あんなにいた蜘蛛もバッと倒しちゃうくらいだもの」


普通に戦うのと潜入して爆薬とかを仕掛けるのは大分得意分野が分かれるんだが……。


少し顔が引きつるのを感じ、ルシーをじっと見つめるがそんな俺の表情をルシーはまっすぐに見つめ返してくる。


「…………まぁ努力させてもらうわ」


深く考えるのは止めだ。


本来、もっと緻密に計画的にでもやらないとダメだとは思う。

慎重さに慎重さを重ねるくらいでないと到底国崩しなんてできっこない。


だが、こいつは一人でやろうとしている。

普通にやろうとすれば無理だ、だからいくら正論ぶったことを言ったってそれは無駄なことなんだ。


言うなれば大博打。


大博打をするのに正攻法ではこうするのが良いと言ったとしても仕方ない。


「別に適当言ってるわけじゃないよ、私は本気で、ずっと真剣にやってる。それは信じてほしい」


俺の返事から何か感じたのか、鋭い視線をこちらに送ってくる。


「…………」


なんとも不思議な目だ。

自然と惹かれる、その目。

俺にない、意思の籠った力強い瞳。


「だからこうして協力してるだろ、見返り目的だけどな」


とん、とルシーの額を小突くようにつつき、言う。


きょとんとおでこを押さえ、俺の言葉を飲み込んだルシーがいやらしいものを見るように半目でこちらを睨み、身体を抱くような仕草を取った。


「言っとくけど、私は成功報酬だからね! まだ襲っちゃダメだから!」


一歩距離を取ったルシーの声は辺りによく響いた。


調子も戻ったみたいだ。



お互い軽口を叩きながら、国に戻る。

入り口で門兵に検査をされるが、今のところバレるような素材ではないために堂々と中身を見せた。


「はい、はい大丈夫そうですね」


直立する俺の体に、真面目そうな青年門兵が丸い球に棒状の柄がついた魔道具のようなものをかざして言う。

この妙な魔道具で何が検知できるのか、頭から足先まで魔道具で熱心に調べる。

やがて危険はないと判断できたのか、「終わりましたよ」と声を掛けられた。


「それ魔道具か?」


「……? はい。騒動以降から支給されまして」


騒動というと確か酒場でルシーが言っていた記念祭の……。


「なんでも危険物を発見すると反応して音が鳴るらしいんですよ、めったに見つからないんで僕はまだきいたことないんですけどね」


「それなら聞かないに越したことないだろ」


「ははっ、そうですね」


確かにと頷く青年門兵は魔道具を握ったまま次の入国者の下へ歩いていく。


小さい国の癖に、便利な魔道具を使っている。

他の国ではあんなもの見たことないのに支給されたとは随分と力が入っている。

小さい故に外部からの侵入者には警戒を強めているのだろうか。


「こんなもん採ってきて金になるのか?」


青年門兵と入れ替わるように髭面の門兵が近づいてきた。

手には預けた荷物。調べ終わったらしい。


男は革袋の跳ね魚の血を見て訝し気に眉をひそめると、俺に聞いてくる。


指でつまんだ革袋を左右に振り、気色悪いものを見たとでも言いたげだ。


「変わり種ってのはそれだけで意外と興味を引くもんなんだよ、普通のもの売っても楽しくないだろ?」


「はっ、興味だけ引いたって売れなければ世話ねえがなぁ」


髭面の門兵が吐き捨てるように言った。


何とも感じの悪い態度。

携えた髭がそよそよと風に揺れてちらちらと映る汚い歯が不快感を煽る。


「門の傍でじっとしてるような仕事よりかは、やりがいはあるがな」


「あぁ?」


「俺はあんたみたいにじっとしてるのが無理だから、たとえ金にならなくても面白いことをしたいんだよ」


先程の青年門兵に魔道具での検査を受けていたルシーが歩き出すのを見て、中に入る。

目に見えて機嫌の悪くなった門兵を放ってルシーの傍へ近づいた。


「国の入り口にあんな奴を配置しておくなんて、印象悪くなるんじゃないか?」


門に携わる者とはすなわちこの国に出入りするすべての人の目に留まる役職。


いわゆる国の顔と言ってもいいだろうに、あんな奴がいたのでは評判も駄々下がりだ。


「あの青年はまともそうだったが」


「……」


「なんだ、どうかしたのか?」


ルシーが少し疲れたような顔をしている。

だがそれよりも苦いものを口に入れた様な表情が気になった。


「関係ないでしょ、だってこの国は――――」


小さくつぶやかれた彼女の言葉は何を言ったのか聞き取ることができなかった。

足早に先を歩いていく彼女の後を追いかける。。


彼女の隠れ家は入り組んだ路地の途中、家と家の間にある隙間のような空間にひっそりと存在していた。


良く言えば雰囲気のある場所。


悪く言えばボロい路地。


家なんて呼べるところではなく、適当な仕切りだけを細い路地に敷き詰めたと言わんばかりの場所だった。


だが隠れ家と聞けば納得する外観である。

何かが隠れているだろうことを想像するに容易い、妙に今の立場とマッチする場所だ。


いや、むしろこの家は今のような状況のために存在しているといってもいい程似つかわしい。


隠れ家に荷物を置いたころには陽もだいぶ落ち。

そろそろ腹もすいてきたと言うことでこの間の酒場へと向かう。

むすっとしたまま口を閉ざしているルシーも腹に何か入れれば機嫌を直すだろう。


――女ってのは気難しいねぇ……。


以前のパーティメンバーにも同じように苦労させられたもんだ。


やれ、何をしろ何をしてない。


ご飯は今食べたい、食べたくない。


あれは嫌いだこれは不味い、としょうもないことで機嫌を悪くしては一悶着起こす。


そうして機嫌が悪くなっている原因がわかればまだましだ。

中には何で不機嫌になっているかわからないなんてこともままあった。


そして決まってそういう時に話を聞き出そうと威嚇するように怒り出すのだ。


今回もそっとしておくのが良と見た。


その道中だった。


大通りに面する細い路地の曲がり角。

陽が落ちたことによって薄暗く影の落ちたその道に小さな人影が一つ。


「子供?」


それは小柄な少年だった。


恰好は少々みすぼらしいが孤児に見間違うほどではない。


悲痛に染まった顔はここらではあまり見ない顔つきだ。

少なくともこの国のものではないだろう。


そんな少年が背後からやってくる男らに追いかけられている。


衛兵ではない。

柄話の悪そうな三人組。


人でも殺しそうな表情で逃げる少年を追いかけている。


甲高い声は遠ざかり、それを追いかける怒号が俺の横を通り過ぎていく。


「盗みか?」


しかし少年の手には何も無い。

身体に忍ばせるにしてもあの擦り切れた服では隠し通せまい。


するとあれは……。


「人さらいでしょ、多分」


口を閉ざしていたルシーが気分悪そうに一言呟いた。


少年は大声を上げながら大通りを走り続ける。

助けてくれと息を詰まらせそうになりながら必死に叫ぶ。

どれだけ追われているのか、少年の顔は真っ赤になり汗を滝のように流している。


その足は速い。


追ってから逃れるのに必死なのだろう。


全力疾走を続ける少年と追っての距離はぐんぐんと離れる。

彼は人通りの多い大通りをがむしゃらに走りまわることでさらにその差を広げている。


「随分と冷たい国だな、ここは」


しかし、見るからに危機的状況にある少年へ助けの手が伸びることはなかった。


大声を上げる少年に気づかないわけはない。

皆、誰もかれもが声の主を確かめるために足を止めて振り向き、少年の姿を見定めると、まるで何事もなかったかのように歩き出す。


肩にぶつかられ憎らしげに舌打ちをするものもいる。


汚いものに触られたとばかりに裾を払うものも。


大通りにいる人間のうち少年の姿を確認したもの全てが同じ態度を取った。


いっそ不気味なほどに、統率されているかのように同じような態度を。


そんな人々の反応に少年は絶望する。

何で誰も聞いてくれないのか、どうして誰一人助けようとしてくれないのか、そんな言葉が今にも聞こえてきそうだった。


そして少年は誰にも助けてもらえないと悟ったのか、また人気のない路地へ入っていく。


あれなら助けは無くとも逃げ切れるだろう。

そう静観していた俺の目に、少年から引き離されて辺りをキョロキョロと見回す追っての姿が目に入る。


いくら探してもあれだけ離されれば捕まえることなどできない。

そう思ったのだが、


「ん?」


彼らは近くにいた人達に声をかけ始めた。

身振り手振りで何かを伝えている。


誰がお前らみたいなのに教えるんだ、と笑いそうになったのもつかの間。

聞かれた人々は皆、少年が走っていった方向を正確に指差し、追っての連中にその行き先を伝えていた。


思わずその行動を凝視してしまう。


そんなことが、あるのか。


逃げる子供を、差し出すような真似を皆がとるなど……。


そして気づく。


彼らの手に握られたものの存在。


金だ。


大した金額じゃない。

それでも追っての奴らから金を渡された奴は皆等しく、少年が進んでいった方向を教えている。


まるで少年を売るように。


「キミ、この国に来てあんまり経ってなかったんだ」


「初めに会った時そういったろ、お前と会った時はまだ国に来て二、三日くらいだった」


ルシーに会うまで俺はこんなものは見ていない。

こんな胸糞悪い光景は。


「人さらいが認められてんのか……?」


そのあまりにも自然なこととして扱う人々の姿にそんなことを思う。


「表向きは勿論ダメ。でも、衛兵は積極的に捕まえようともしない」


驚く俺を見て、ルシーが冷めたように言う。


「あの光景が、この国では当たり前。珍しいことでもなんでもないんだよ。……ほらご飯、食べに行こ」


ルシーは目を伏せながら、そう言って歩き出す。


逃げ惑う子供を無視するだけでなく、あんな奴らに協力して手助けするなど国全体で弱いものをいじめているようだ。

誰一人、顔色一つ変えないこの異常な景色がこの国では当たり前……。


俺は正義漢ではない。


人助けが趣味というわけでも、ましてそれをすることでリスクがあるならば見て見ぬふりをするときもある。褒められた人間ではない。


だからこれは気まぐれに過ぎない。


「何をっ――」


胸糞悪い気分を晴らすように、気づけば俺は駆け出していた。

何か言いかけるようなルシーの声を置き去りに、人の流れを縫うように走る。


道順は覚えている。


時折何人かに腕を掠めながら細い路地に入る。

幸い路地は曲がりくねってはいるが、道なりだった。


奴らの元へはすぐにたどり着いた。

組み伏せられる少年の姿に、先ほどの追って3人組。

小太りの男に、背の高い筋肉男。さらにすばしっこそうな細身の男。


筋肉男が麻袋を持っているから、あれに入れて運ぶつもりだったのだろう。

男達は唐突に現れた俺を見て怪訝な顔を見せた。


「なんだおめぇ」


じろじろと不快な視線が足元から順に頭まで上がる。まるで珍しいものを見る目。

自分達の行為が見咎められるなんてちっとも考えてないといった態度。


「もしかしてとは思うが、このガキを助けにきた、ってわけじゃねえよなぁ?」


俺の手にあるナイフを見て、威嚇するように筋肉男が吠える。

隆々とした筋肉を見せびらかすように拳を掌にぶつけている。


その言葉に細身が小さく身構えた。

そして小太りがジロリと俺を一瞥した後、納得したような声を出した。


「なるほど、旅人か。いいか兄ちゃん。この国ではいちいちこんなことに首を突っ込んでたらあっという間

に身包みはがされちまう。だから俺としてはさっさと元の道に戻ることをオススメしよう」


にやりと笑った小太りが大通りを指して俺に忠告する。

嫌味ったらしく、人を見下したような態度が鼻につく。


囃し立てるように筋肉男が言う。


「おら、返事はどうした! 情報量としてさっさとそのナイフと、それから荷物も置いていけ!」


近くに他の仲間の気配はない。

乱入される心配は捨てる。


奴らは完全に気を抜いている。

狙うなら、まずは……。


「っし!」


高速で投げつけたナイフが嘲るように笑っていた筋肉男の脇腹へ深々と突き刺さった。


「いっ、あぁあああ!」


身体に走った激痛に驚愕した顔を見せると、大きく悲鳴を上げた。

細身が動揺し、少年を押さえる力が緩む。


あまり騒ぎにならないうちに速攻で片づける。

叫ぶ筋肉男の方を驚いた表情で見る小太りは何が起きたのかすら理解出来ていない。


ならば次は細身の男だ。


強く一歩、素早く距離を詰める俺を見て細身が慌てて戦闘態勢に入る。 


斜めに肩から腰にかけての振り下ろし。

虚をついたかと思ったが、細身の反応も遅くはなかった。

少年を解放し、腰から抜き放った小剣で俺のナイフを受け止めた。


――――リーチが短いか


ナイフでは相手の体に当てるまでの難易度が段違いだ。

刀身の短いナイフは小剣や普通の剣よりも距離を詰めなければ相手を切れない。

リーチの分だけ不利を被る。


今の一撃も、剣ならば防がれる前に肉を切り裂いていたはずだ。


――――やっぱり失敗だったな


けじめのつもりで武器屋に出した剣がこんなにも早くまた必要になるとは思いもしなかった。


俺は受け止められたナイフをずらし、男の手を狙う。

が、その動きを察知してか、細身は剣を大きく振り上げてナイフを打ち払い後ろへ下がる。


何が起きたのかようやく理解した小太りが細身が下がるのを見て、何か懐に手をやった。


視界に映ったその行動を見て、俺は後ろへ下がった細身へ追撃を仕掛けるようにステップを踏み、ナイフを逆手に持ち替え横に大きく薙いだ。


大きい振りはその分隙を生む。

横振りは容易く細身に避けられる。


にやりと笑う細身。


だが、すぐにその顔が驚愕に変わる。


薙いだことで小太りと細身の間に距離ができた。

薙ぎから体勢を整え、勢いを利用するように体を回転させる。


地面を一度強く蹴り、小さく跳躍した俺は動きを目で負えていない小太りの首元へナイフを突き入れた。


中空から差し込んだナイフはするりと皮を引き裂き、肉を掻き分ける。


手に感じる感触と共にぐっとナイフを体の外側へ押しやると、小太りの首から勢いよく血が流れ出す。


ビクンと震えた小太りが声もなく地面へ崩れ落ちる。


「うわ、わ!」


少年の近くへ倒れ込んだ小太り。

噴いた血で身体を血まみれにした少年が焦ったような声を上げる。


「う、嘘だ」


脇を押さえ、地面を這いつくばっていた筋肉男が小太りの姿を見て信じられないといった声を出す。


腹部を真っ赤に染め、顔を引きつらせている。


「目でみたことぐらい信じられねぇのか?」


「っ」


細身の男を見ればそちらも筋肉男と同じような表情をしている。

と、細身ははっと我に返るような仕草をとると背なかを向けて逃げ出した。


「あ……」


追う体勢になる前に駆け出した細身は路地の奥へと走り、いっそ見事なまでの逃げ足で細身の男はあっという間に見えなくなった。


残されたのは俺と少年、そして絶望したような表情でこちらを見上げてくる筋肉男。


「ちょっと、待て! おい、なぁ!」


右手で腹を押さえ、左手を前に出して待ったをかける男。

尻もちをついたまま後ずさりする男に向けてその無防備な首元を切り裂いた。


喉を押さえて倒れ込む男。

思いのほかあっけなく終わった戦闘に鼻を鳴らしながら、怯える少年の下へ近寄る。


「ほら、立て。」


困惑した様子の少年はまだ状況が飲み込めないと、目を白黒させている。


「腰でも抜けたか?」


ゆっくり、少年が落ち着くのを待っていると後ろからルシーがやってきた。


「殺したんだ」


血だまりに沈む二つの死体を見て、ぽつりとつぶやく。


「一人には逃げられちまったけどな」


獲物さえ違っていれば逃がすこともなかった。やはり武器が必要だ。


「悪いな、勝手なことして」


衝動的にやってしまったがこれでもしも国の中で動きづらくなったとしたら完全に俺のせいだ。


ルシーがしようとしていること考えれば騒ぎなんて起こさない方が良いのはわかっている。


そう、理屈ではわかっていたのに結局動いてしまった。


だが胸糞悪い気分はスッと晴れた。


「あんまり悪いと思ってないのが顔に出てるけど? ……別にいいよ」


ルシーが小さく口元に笑みを浮かべて言う。

顔に出てたか。


「私も少し毒されてたみたい……。どうせ助けても意味ないと思い込んで、結局この国の奴らと同じような態度をとっちゃってた」


言葉の端に後悔の念が透ける。


「仕方ないさ」


そして同時に、この国に対する憎しみも。


『私と一緒にこの国を壊さない?』


こんなことを言いだすのにはやはり理由があるのだ。俺にはわからない理由が。


何か言葉を掛ける前にルシーは軽く頭を振るとその表情を明るくした。


「だからグロストがそうやって動いたのを見て私スッとしたよ。後のことなんて気にしないで今の状況をなんとかするために動くのだってきっと大事なことだと思う」


だから気にしないで、とルシーが笑う。


それで良いのかと拍子抜けした気分だが、ひとまず今は置いておくことにしよう。


「大通りの方が少しざわついてきたな」


「叫び声と、戦闘音がしたからね。路地へ入るところは何人か野次馬が顔をのぞかせてたよ」


ということはこのまま元の道には戻らない方が良いか。


「少年、家はどこだ?」


少年に問うと、彼は少し怯えながらも口を開いた。


「トレミ村……」


それからつらつらと事情を聞きだすとどうやら出稼ぎにこの国に入ったらしい。

大通りから外れた路地に入ったところで奴らに襲われたと。


「どうするか、一旦俺たちが面倒みるにしても」


ルシーの方を見る。

素材集めはまだまだ終わっていない。


ここで別れればまたひとさらいに襲われる可能性もある。


気持ち的にはせっかく一度助けたんだ、このまま無事に家に帰ってほしいところだが。


そんな俺の考えはルシーに伝わっている。


顔をしかめ、どうしようかと唸っている。


「っ! なんだ!? これは……」


そんな俺たちの耳に驚愕する声が一つ届く。


声の方を向けば一人の老人が血だまりの死体を見て声を上げていた。


「あれ、武器屋の親父じゃねぇか」


その顔には見覚えがあった。

ガラの悪そうな目つきに鼻に線を引くような傷跡。


俺の剣を出した武器屋の店主だ。


なんでこんなところにいるんだ。


「お前がやったのかこれ」


死体を指さして武器屋の親父が言う。その表情は意外なものを見た様な、そんな顔をしていた。


「へっ、存外腕は悪くなかったんだな」


「人さらい程度に負けるようじゃやっていけねぇからな」


ルシーは突然やってきた人物に訝し気な視線を向けている。


「誰?」


「武器屋の親父。俺の剣、このおっさんの店に売ったんだ」


「剣を?」


意味が分からないといった顔をしている。


それはそうだ。

俺はパーティを抜けるまでは剣士をやっていたから、剣とはすなわち俺の相棒。


商売道具なわけだ。


だがあの時、俺は一つのけじめとして剣を使った仕事はしないとそう決めた。


だから、これまでの自分と決別するつもりで剣を売ったのだが、まさかこんなに早く後悔することになるとは思っても見なかったのだ。


「なぁ親父。店に出した剣なんだがやっぱり必要になってな。売った値段とは言わないが何とか買い戻せねぇか?」


俺の問いに親父は顔を顰めた。


「あぁ? そりゃ無理だ。もう売れちまったからな」


「は!? 売れた!?」


早すぎる。

手放しからまだ数日しかたってないはずだ。


「何驚いてるんだ、ありゃなかなか良い剣だったからな。すぐに買い手がついたよ」


あっけらかんと言う親父の言葉に俺は衝撃を受けた。

そりゃある意味決別すると決めて剣を売ったが、売れた……。

改めて聞かされる言葉に急に喪失感が生まれる。


「なんだ、そんな顔するなら売らなければいいだろうが」


それはもちろんそうなんだが……。


「剣は、売れちゃったら仕方ないよ。ひとまず今はこの子をどうするか決めなきゃ」


ルシーが話をまとめようと手を二回叩いた。


「いや、まあそうだが……」


そうか、もう戻ってこないのか……。

自分で手放しておいてなんだが、こう、なんというか。


「はぁ……」


思わずため息が出る。

剣を売る前にルシーと出会っていれば……。


なんと間の悪いことか。


「ん?」


俺が少し落ち込んでいるとちょいちょいと服を引っ張られる感覚。


振り返ると、不安げな少年が心配そうに俺を見上げていた。


「あぁ、悪い。そうだな、今はお前をどうするかを考えねぇと」


「なんだ、その坊主がどうかしたのか」


がしがしと少年の頭を撫でていると武器屋の親父が問うてくる。


「人攫いに持っていかれかけてな、助けたはいいんだがこれからどうしたもんかって状態なんだよ」


「どうするも何も、助け終わったならもう坊主の好きにすればいいだろ」


「せっかく助けたんだ、また攫われたら気分悪りぃだろ? ただ俺たちも少年を家まで送ってやってる暇がなくてな」


言うと親父はなるほどなと、考え込むように顎をさすった。


「ん?」


再び服を引かれる。


「僕、このまま帰れない。お金、稼がないと」


悲壮な表情を浮かべて少年が言う。

縋るようなその瞳は少年なりに切羽詰まった事情があるのだろう。


「そう、言われてもな……」


だが、俺たちにもやることがある。


少年を連れてはいけないし、ルシーの隠れ家に置いておくのも憚られる。


「なら、俺の店にしばらくいるか?」


と、困り果てた俺にそんな声が聞こえる。


「いいのか?」


見れば武器屋の親父がニヤリと笑いながら胸を叩き、


「一人くらい面倒見るなんてわけねぇ」


傷跡の残る鼻を擦り、親父は言う。


「ただし飯代は自分で稼いでもらう。当然な」


親父が少年に目を向ける。


ぴくりと身を震わせた少年はその眼光に怯えているのか、一歩下がり、俺の服を掴んだ。


「なんだ、嫌だってのか」


ヘソを曲げそうな親父の気配を感じ、俺は少年に向き直る。


「何ビビってんだ、大丈夫だって。お前、まだ家に帰るわけにはいかないんだろ?」


こくりと少年が頷く。


「なら――」


言いかけた所でどたどたと慌ただしい足音が聞こえてきた。


「貴様ら、そこで何をやっている!」


顔を上げると、大通りの方からやってきた男が二人。

手に持った槍を今にも構えんと剣呑な雰囲気を漂わせている。


――衛兵か


ここらの見回りかもしくは先程の戦闘音を聞いて、通りの奴らが呼んだのだろう。


「何って、人助けだ。この子が今人攫いにあいそうになってな」


くっ、と俺は死体を指差す。


「あんたらがもう少し早く来てりゃあこうして殺す必要もなかったんだがな」


衛兵達はむすりと黙って人攫いの死体を一瞥し、

そして少年へと視線を向けた。


「その子供がそうか?」


「あぁ、今この子をどうするかで俺たちは忙しいんだ。わかったらさっさと」


失せろ、そう言うつもりだった。


「ふん、なら我々がその子を預かろう」


「あ?」


そう言って衛兵は手を差し伸べる。


「どうするか話し合っていたのだろう。なら我々がその子を預かると言っている」


冷めた目で、なんのこともないと衛兵は繰り返し言った。


そして一歩前に出ると俺のそばにいた少年の腕を掴もうと手を伸ばしてくる。


「おい、何勝手に――」


「お、おいこら!」


その手を払い除けようとすると武器屋の親父が慌てたように俺に飛びついてくる。


「何してんだっ」


「お前こそ何してるんだ! 相手はこの国の兵士だぞ」


だからなんだと言い返そうとすると親父は耳元でぼそりと、


「あまり事を大きくするな。変に目をつけられたらたまらん」


「だが、あんたが預かってくれるって――」


「国が面倒見てくれるならそれに越した事はないだろう? 流石に俺だって国に逆らってまであの坊主の面倒は見られん」


その言葉を聞いて、俺は身体に入れていた力を抜いた。


親父にそう言われてしまえば、俺が面倒を見るわけでもない話にあーだこーだと言うわけにもいかない。


「ほら、こっちに来なさい」


衛兵は不安げな少年の手を引くと


「今度からはもう少し警備を増やすとしよう」


俺たちへ向かい、そう言った後、大通りの方へと戻って行く。


「……」


その途中、一度少年が俺の方へと振り返ったが何も言葉を発する事なくそのまま何処へ連れて行かれた。


俺はただ、その姿をじっと見ているだけだった。


さすがにいくら評判が悪かろうと親父の言う通りすぐにどうにかなるわけでもないだろう。


ただ、そんな風に思う他なかった。


「全く肝が冷えた……」


親父は心底ほっとさたような表情を浮かべると、俺の方を向いて言う。


「なーに、とって食われるわけでもなし、そう心配することないだろう」


親父はそう言ってぽんぽんと俺の肩を叩く。


「じゃあな。あの剣はもうないが他の武器ならあるからよ、気軽に寄りに来い」


そうして親父も帰っていった。


「俺たちも行くか」


消化不良のような、どうにも気分はすっきりとしない。


しばらくの間、俺たちは何を言うわけでもなくただ黙々と隠れ家への帰路を歩いた。

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