第5話
真っ直ぐに飛んでくる糸を紙一重で躱す。
数は四つ。
上体を逸らし、首をぐるりと曲げ、倒れこむように前へ一歩踏み出すことで糸の射線を掻い潜る。
背には川がある。
足場が水になったとき、俺の体は瞬く間に糸でぐるぐる巻きにされることだろう。
そうならないように後ろへ下がることはしない。
前へ前へ。
四方八方から乱れ飛ぶ糸を避けながら拾った石を小蜘蛛に投げつける。
狙いの先はルシーの周りをうろついている奴だ。
篭った声に、身じろぎする姿が確認できるから生きていることはわかっている。
同じようにぐるぐる巻きの獣にたかった二匹の蜘蛛は毒かなにかを注入したらしく、簀巻きの獣は動かなくなって久しい。
獣が死んだのかどうかは外側からでは確認できないが、ルシーをあれと同じ目にあわせるわけにはいかない。
だが、この牽制攻撃こそ事態を膠着させていた。
身体は動く。
だんだんと勘が戻ってきたことで奴らに攻撃が当てられる気すらしない程だ。
しかしこちらの攻撃を通す隙がない。
捕えられたルシーに近づかせないために石ころをぶん投げてはいるが所詮は石ころ。
当たったところで大したダメージにもならず、また外れる事の方が多い。
蜘蛛たちは連携を取っているわけではなかった。
各々が好きなように動いている。
こちらへ飛んでくる糸も最大7つまでは同時に飛んでくるのを確認したがそれはたまたまタイミングが同じだっただけのようで、それからは飛んできても四つか五つがせいぜいだ。
十体のうち二匹が獣の側、一体がルシーの側、のこり七体がこちらに敵意を向けている。
そして、もう一つ。
厄介なのは蜘蛛達が出した糸だ。
巣を張り巡らせるように木から木を結ぶ蜘蛛の糸がこちらの移動を阻害する。
奴らは木の上から縦横無尽に糸を吐き出し、攻撃してくる。
吐き出された糸はあちこちへ付着し、ロープを結ぶように木の幹にへばりつく。
奴らはその糸を足場に移動し、こちらをかく乱するかのように木々の間を行き来する。
一匹に狙いを絞ろうにもすばしっこく動く奴らの動きは予想しにくい。
「さて、どうしたものか」
とにかくまずはルシーの安全確保が最優先だ。
あの白い簀巻きから伸びている糸を切って、助けだす。
そのために全速力で突っ込んでみるのも一手。
「ふっ」
力強く地面を蹴り、体勢を低くして加速する。
一つ。
飛んできた糸を半身で躱す。
二つ目は俺の速度に対応しきれず、三つ目もかわすまでもなく足元に当たる。
勢いそのままに上へ跳ぶ。
さらにまとめて三つ。撃ち落さんと飛んでくる糸を身をよじって避け、顔に迫る糸を右手のナイフで受け流す。
いなした糸の先も見ずに、腰から二本目のナイフを取り出して左手に握る。
「っ」
あと少し、目の前まで近づいたところで右手がぐっと引っ張られる。
受け流したはずのナイフの刃。その刃の腹の部分にへばりつくように糸がついていた。
とっさに反対方向に力を加え、糸を引きちぎるも、体勢が崩れた。
遅れて飛んできた糸が空中で動けない俺の腹に直撃する。
少しの衝撃。
腹にぺたりと張り付いた糸はその高い粘着力でもって剥がれることなく俺の身体を捕まえている。
木の上でぶら下がる蜘蛛が顎をわきわきと動かしながらこちらを見据えていた。
随分と丈夫な糸に、顎だなと感心すら覚える。
俺の体重を完全に支えていても千切れる気配すらなく、あの小さな体で俺を引っ張ろうとしている。
完全に勢いが止まり、引っ張られそうになる体を強引にひねる。
腹についた糸を横から刃を押し付けて切断すると、ぶちりと音を立てて支えを失ったからだが落下した。
着地してすぐ周りを確認。
張り巡らされた糸を切り払いながら少し後退する。
「ダメか」
危なかった。
今の攻撃が腹ではなく、腕に当たっていたらまずいことになっていた。
腕を取られれば脱出まで時間がかかり、その隙に二度目の糸の攻撃を食らう恐れがある。
そうなってしまえば身動きできなくなり、あっという間に糸巻き状態になる。
――だが、奴らは俺の速度についてこれなかった
少し気を急ぎすぎた。
地上にいる間にもう少し糸を吐かせ、それらを躱した後で跳ぶべきだった。
空中では糸を回避できたとしても一回。
ギリギリ身をよじらせて避けるのが精一杯だ。
となれば、ルシーの近くにいる蜘蛛を入れて八体。
八回飛んでくる糸をなんとかしなくてはならない。
残りの二匹はこちらの様子など御構い無しに獣に首ったけだ。
やるならば、
「今しかねぇ!」
踏み込みを先ほどより浅く、しかし力強く一歩、地面を蹴る。
地を駆ける俺目掛け、頭上から三本糸が飛ぶ。
――――まだ、まだ溜めるんだ
ジグザグに駆け、糸を躱す。
さらに三本糸が飛ぶ。
先と同じように左右に身体を移動させ、糸を避け――――。
「くっ!」
地面すれすれに張られていた糸に足を引っ掛けてしまった。
体勢が崩れ駆ける。
「っ! おぉぉ!」
根性で引っ掛けた足と反対の足に力を込めて地面を踏み鳴らす。
ドゴっと音を立てて地面が割れる。
素早く足についた糸を斬りはらい、そのまま力づくで体勢をたてなおす。
その隙を狙って追加で二本、糸が迫る。
「っ」
顔面すれすれで顔を仰け反らせ糸を躱す。
最後の糸を流れるように切断し、地面を割った足を曲げ、片足だけで勢い良く跳び上がる。
――今ので八回! 獲った!
飛んでくる糸はもうない。
再度は放つまでにはまだ時間がかかる。
勢いそのままに背中を引き絞り、腕を振りかぶる。
――なっ!?
宙空で構え、攻撃姿勢になった俺の下から不意に糸が飛ぶ。
視界に捉えた糸は二本、狙いは――――。
「腕か!」
振りかぶる俺の腕目掛けて糸が迫る。
搦めとられれば攻撃どころではない。
――――迎撃は、間に合わない!
今まさに振り下ろそうとした刃を制止し、飛んできた二本の糸から腕を守るように身体を丸める。
無理矢理に身体を捩り、身体を捻って向きを変える。
反動に悲鳴をあげる身体が鈍い痛みを発し、その痛みを上書きするように足に衝撃が走る。
右の脛と左のふくらはぎに命中した糸が足に吸着し、主の元へと戻ろうと縮む。
「っくそ!」
攻撃を中断させられた怒りをぶつけるように足の糸を寸断。
水平に腕を振り、糸を切り裂いたナイフの感触を確かめたところで脇に痛みが走った。
――――どういうことだ?
たしかに俺は八回、糸を躱したはず。
初めに攻撃してきた蜘蛛達もまだ糸を繰り出すには時間がかかるはずなのになぜ。
混乱する俺の視界に入ったのは糸巻きの獣。
下から飛んできたのは獣にたかっていたはずの二匹の糸だ。
こちらに微塵も関心を持っていなかった二匹が俺に対して威嚇するように前足を上げている。
タイミングが悪かったか?
しかしたまたまにしても……。
訝る俺は奴らの足元を見て気づく。
糸だ。
――――そういえば……
跳び上がる直前、張り巡らされた糸に足を引っかかけた。
その糸は奴らの近くに伸びていたのだ。
振動が、新たな獲物の存在を知らせ、糸を飛ばした。
もともとこちらに敵意を向けてきていないのはついていたがそれにしたって間が悪い。
いや、糸を引っ掛けたのが原因か。
足にひらひらとついた糸の名残を腹いせに根っこからちぎる。
なんにせよまたしても失敗だ。
いいかげん、ルシーも焦れていることだろう。
むしろ一向に助けられる気配がなくて腹を立てているかもしれない。
中の見えない糸達磨を見やってため息をこぼす。
剣を使えば、もっと楽に戦えていたのだろうか、ナイフでは届かないリーチがあれば、糸の切断にも時間がかからず、無理矢理に特攻を仕掛ける選択も取れたかもしれない。
嘆かわしきはこの鈍った身体、慣れぬ装備。
言い訳がましいが、思うように動けないもどかしさが募る。
考えてる間にも糸は飛ぶ。
二本、四本、七本、乱れ打たれる糸の攻撃は息つく間もなく襲い掛かる。
こちらの慎重さに漬け込むように奴らの攻撃は止まらない。
何か打開策。
何かないかと視線を凝らす。
飛んでくる糸を避けながら石ころを投げて牽制を続け、突破口を探す。
――――もう少し手数さえあれば……
手数……。
ふと、先ほどの光景が頭をよぎる。
思考を巡らす隙に右手に糸が当たる。
べたりと張り付く嫌な感触。
引っ張られる前にこっちから腕を引くと大きく口を開いた蜘蛛が足場の糸を使って踏ん張る。
――――いける
左手のナイフで糸を切る。
後はタイミングを計るのみ。
大きくステップを踏み、糸を避けながら川近くまで下がる。
集中。
耳をすませて、全身の感覚を解放するかのように。
耳に集まる、カサカサと不快な蜘蛛の音。
流れる川の音。
それに混じる音を聞き逃さないように、感覚を尖らせる。
前方から複数の糸が飛んでくる。
数は四。
時間の流れすら間延びして感じるほどの集中はこちらへ向かってくる糸をはっきりと認識させた。
まだ。
まだ待てる。
視線は糸、しかし意識は背後の川に向ける。
――――来た
跳ね魚がやってきたのを察知できたのは言葉にはできない、気配を掴んだとでもいうべきか。
跳ね魚がきたのを捉えた俺はその瞬間、地面を粉砕した。
震脚、ひび割れる地面は地響きとは言わないまでも大きな音を鳴らす。
その音に、跳ね魚は驚いた。
驚いた跳ね魚は習性によって、水面を飛び出る。
同時に放たれた糸が俺の元へ到達する。
――――ここだ!
身体は滑らかに動いた。
手に当たりそうな糸を敢えてナイフの柄で受ける。
さらに左手に握ったナイフでも二つ、糸を巻き取る。
合わせて三本。残りの一本は半身で躱す。
しっかりと糸が吸着したタイミングで、素早く後ろに振り向いた。
一時的に蜘蛛たちに背を向けることも構わず、水面から飛び出た跳ね魚向けて糸付きナイフを投合する。
狙いすました投合は跳ね魚の腹を突き破り、貫通した。
体を貫かれバタバタと暴れる跳ね魚が糸に引っ張られ、蜘蛛の元に引き寄せられる。
続けてナイフを投合。
全身の力を使い、放ったナイフがさらにもう一匹の身体を射止める。
蜘蛛の下へ引っ張られた二匹の跳ね魚が木々の間に張られた糸に絡まる。
激しく動く跳ね魚の下へ蜘蛛たちがたかっていく。
「成功……」
蜘蛛は本能で動いている。
自分たちの糸に引っかかる獲物がいれば、その獲物を糸で簀巻きにすることを優先する。
先の獣のように、獲物が動けなくなるようにして毒を注入するのだ。
釣れた蜘蛛は合わせて四匹。
注意が俺から離れたのを確認して、駆ける。
予備のナイフを取り出し、さっきと同じように頭上から迫る糸を避けながら前進。
ステップを刻み、奴らを翻弄する。
跳躍。
攻撃の数が減ったことで先ほどよりも加速した俺を蜘蛛たちはまるで捉えることができない。
「返してもらう!」
ルシーのぶら下がる木の裏から一匹の蜘蛛がとびかかってくる。
自分の獲物を獲られまいと口を開き、牙を鳴らしながら。
しかし一匹程度ならば障害にもならない。
速度を維持したまま一閃。
手に返ってくる反動はない。
足の付け根から胴体を真っ二つにした一撃はそのままルシーと木を結ぶ糸ごと切断する。
するりと、刃の通った跡には一筋の空間が生まれた。
反動はないが、手ごたえはある。
――――そう、この感じだ。
かつての冒険が頭を巡る。身体があの時を思い出すかのようにじんわりと熱を帯びた。
忘れていたこの感覚。
支えを失って落下する糸巻きのルシーを中空で捕まえ、着地。
急な浮遊感にもがいているルシーを抑えつけるようにして地面へ横たえる。
「ふぅ」
ようやくルシーを回収できた。
傷つけないように気をつけて、糸を切り裂く。
目を閉じて、口をむすっと曲げていたルシーがおそるおそるといった風に目を開けた。
「……はぁ」
意外にも、目を開き俺の姿を見とめたルシーは怒るわけでも、叫ぶわけでもなく心底安心したようにほっと息を吐いた。
「ははっ、相当応えたみたいだな」
視線をやれば、ルシーの手は小刻みに震えていた。
「手に何か当たったと思ったら、急にふわっと浮いて、真っ暗になって……」
張られた糸にひっかかったのか。
おそらく自分が何に襲われてどうなったのかを理解する前にあの状態になったのだろう。
小さく怯える姿は先の憎たらしい顔で笑っていた人物とは思えない。
「まぁ、安心しろよ」
俺は適当に声を掛けながら蜘蛛たちの方を見据える。
人質さえいなくなればあんな連中を倒すなどわけない。
「サクッと倒してやるからよ」
ナイフを構える。
俺の言葉に、顔を上げ口元を少し上げるとルシーは小さく頷いた
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