最終話 羽化登仙のエイセプシス 

 翌日、西高祭二日目――


 校内を敷き詰めていたケサランパラサンは一夜のうちに消え去り、腐敗していた食材は跡形もなく消え去り、昨日の出来事が嘘のような状況に全校生徒の誰しもが唖然とした。


 今日は一般公開。みんないつまでも唖然としている訳にも逝かず、外部の人が見られる前に消えてしまった食材を何とかしなければならないため、登校して早々買い出しに奔走する。


「昨日はごめんネ。代わりにワタシ、お店手伝うヨ」


「こっちはエシーにお願いするから、二人で買い物行ってきなさい」


 大正浪漫喫茶での買い出しを頼まれたのは無論、晴生と雪希。先日の事件の真相を知る者たちの策略に嵌り、もといい気を使われ、二人で仲良く買い出しに出かけた。


 エシーは椿花に昨日の一件の責任を取り、模擬店の手伝いを買って出たことで、晴生達は買い出し後、一日文化祭デートを楽しむことにした。


 しかしその買い出しも新婚ごっこしているような気分で晴生は楽しかったりする。


 雪希の髪には昨日、晴生が贈った簪が煌いていた。


 アップにした髪の合間からすっきりと見えるうなじが、晴生の息が詰りそうなほど本能を騒めかせる。


 雪希の話では菌達は簪を外してくれないという事を聞かないと言っていたらしい。


「え゛?」


「だから、エシーはバイセクシャルでベッキーと付き合っているんだよ」


 雪希は危うく薄力粉を落としかけ、何とか寸で受け止めてほっとする。


「ハルくんは、それを聞いて何とも思わなかったの?」


「あ~まぁ少しは。普通は受け入れがたいよな。だけど俺は前に読んだ本に――」


 晴生は昔、社会的性別と生物学的性別は異なるという内容の本を読んだ話をした。慣習などの社会学的な性別と肉体の生物学的な生物は区別できるという話で、晴生はLGBTに対して一定の理解を得ることが出来た。


「えっと……ハルくん。ハルくんは女の子が好きなんだよね?」


 ただ晴生は逆に女の子が好きで、格好良い服が好きだという認識には至ったわけで、雪希には逆の意味で捕らえられる。


「勘弁してくれ、俺は男をそんな対象には残念ながらに見れない」


「本当かなぁ~」


「本当だって」


「じゃあ、ここで私の事、もう一度どう思っているか言ってみて?」


「はぁっ!? ここでっ!?」


「うん、そう」


 すれ違う奥様の方からから、『若いっていいわね』とか言われながら好奇の視線で見られ、晴生は酷く狼狽する。


 いくらなんでも公衆の面前でと晴生はせめて場所を変えさせてほしいと訴え出たが――


「……本当は嫌いなんだ」


「い、いや、そういう訳じゃ――」


 煮え切らない晴生の態度に雪希が拗ねて背を向けてしまい、焦った晴生は羞恥心を投げ捨てる。


「俺は雪希の事が好きだ。それはこれからもずっと変わらない」


 びくっと肩が跳ね上がった雪希は、肩を震わせ始める。何か様子がおかしいと晴生は近づいて雪希の顔を覗き込む。


「雪希?」


 やられたと晴生は思った。覗き込んだ雪希は単に笑いを堪えて震えていただけだった。


「雪希ぃ~お前なぁ~っ!」


「やだぁ~怒んないでぇ~」 


 一度は揶揄われたことに怒って見せた晴生であったが、軽快なステップを踏んで振り向きざまに雪希から満面の笑みを見せられは、これは敵わなわいと力なく笑うほかなかった。


 

 晴生達は買い出しから戻ってきてみると自分たちのクラスが何やら騒然としていることに気付いた。


 徐に中へと足を踏み入れて早々――


Don't touch me触んじゃねーよっ! so you're VD!!この性病野郎っ!!


 大正浪漫衣装姿のエシーが汚い言葉を吐きながら一般客の股を蹴り上げるというとんでもない光景が目に飛び込んできた。


 騒然とする教室内。エシーの顔は女の子がしちゃいけない凄い剣幕。蹴られた男は股間を抑えて蹲り悶絶している。


「柏倉、いったい何があったんだ」


「あっ、及川、雪希……実はね――」


 今、床に蹲っている見るからにチャラい男が、命知らずにもエシーの尻を触るという破廉恥な行為に及んだとの事だった。


 他の客も生徒たちも見ている中、白昼堂々と行われ犯行で、弁明の余地も無いどころか、する暇さえ与えられず制裁を喰らった。


 兎にも角にも事態を収拾しなければならないので、晴生は動こうと思った矢先、雪希から袖口を引っ張られる。


「ハルくん。あれ、本当にヤバイと思う」


「え? どういうことだ?」


「う、ん……え……っとね……」


 恥ずかしそうに俯きながら雪希の耳打ちに晴生は応じると――


「なん……だと……」


 本当に性病らしかった。雪希が言うのだから間違いはない。


 さっきのエシーの言動から、もしかしたらという考えが晴生の脳裏によぎる。


 だとしたら何て恐ろしい女なんだと、自行自得とはいえ蹴り上げられた男に晴生は少しだけ同情を抱いてしまった。


 直ぐに騒ぎを聞きつけた教師連中が集まってきて、晴生の出る幕もなく事態の収拾に乗り出していった。男は男性教諭に担がれ強制退場。エシーの方は英語の指導員メイディに職員室へ連行されていった。


 流石にやり過ぎたと思ったのか、教室を出ていくエシーは少し寂しげだった。



 時間が過ぎるのは早いもので、エシー達の帰国しなければならない時間が訪れる。


「二日間アリガトウっ! ユキっ! ハルっ!」


「うんっ! またね、エシーっ!」


「ベッキーもエシーも元気でな!」


 来客用の玄関前での昼過ぎの事、晴生達はエシー達を見送りに集まっていた。


「アメリカに来ることがあったら連絡シテ。これワタシの番号とID」


「うん、きっと」

 

 雪希はエシーから一枚の紙を手渡されると、ぎゅっとハグをされる。バイセクシャルと聞いていた雪希が何とも微妙な表情を浮かべていたのを晴生は生温かく見守る。


 エシーから何かを耳打ちされて、雪希は少し驚いた表情を見せる。


「ねぇ……エシー……あなた本当はもしかして……」


「ん? ナンノコト?」


「ううん、何でもないよ」


「そう、じゃあ、元気デネ、少しの間だったケド、楽しかったヨ」


「うん、私もエシーと会えて良かった」


 そしてエシーは母国へと帰っていった。雪希と同じ満面の笑みを浮かべて、大きく手を振り、その瞳には微かに光るものを浮かべて――




 エシー達を見送った後、晴生と雪希の二人は残り少ない時間の中、文化祭を謳歌する。


 縁日でヨーヨーすくいや、中庭でボーリング、脱出ゲームを解くのに二人で初めての共同作業をしたりして楽しんだ。


 お化け屋敷では特別に二人で行くことが許されたので、怯える雪希から腕を絡まれるという役得を得ることが出来た晴生だったが――


「いやぁぁぁっ!! ハルくぅぅんっ!! 助けてぇっ!!」


「お、お前等っ! リアルに追いかけてくんじゃねぇよっ! お化け屋敷だろっ!?」


「女連レハ殺スッ!!」


 本当で殺気だったピエロが模造刀を振り回して追いかけてきたので、晴生は咄嗟に雪希を抱えるようにして必死に逃げ回る。


 被り物のピエロが表情一つ変わらず追いかけてくる様は流石の晴生もリアルに怖かった。


 それだけならまだよかった。


「これで終了です。ご苦労様でした、お手をどうぞ」


「……あぁ怖かった、ありがと――」


 最後に案内役の生徒キャストのエスコートする手をほっとした雪希が握るとポロリと落ち、ゴキブリの詰まった手に変わった瞬間、雪希が立ったまま気絶した。


 おかげで晴生は雪希を背負って出ることになった。当然生徒キャスト達に舌打ちされ、『男、死ね』などの暴言を浴びせられながら――



「あれは法律で禁止すべきよ」


 落ち着きを取り戻した雪希が図らずもエシーと同じことを言ったことに晴生は思わず苦笑してしまった。


 疲れ切った晴生と雪希の二人は後夜祭が始まるまでの間、誰も来ない3階の隅の空き教室で二人肩を寄せ合い、手を握り合い、壁に背もたれがら床にぼんやりと座っていた。


 夕日の差し込み、茜色に染まる教室で、晴生と雪希は二人っきりだった。


 そこへ無粋にも文化祭終了のお知らせが校内放送で流れる。


「もう、西高祭も終わりだね」


「だな」


 ふっと雪希は力が抜けたように溜息を付く。


「なんか疲れちゃったな」


「俺も……ここ数ヶ月いろいろあったからな、雪希と最初に会ったのは駅前だったなぁ」


「ゴメンね。それあんまり覚えていないの。私は……そう、忘れもしない、『いい性格している』なんて言われたっけ」


「まだ、覚えていたのか?」


「当然だよ。それに温泉で、裸見られて吐かれたのなんて一生忘れない」


「……それを言われると本当にぐうの音もでない」


「その件に関して言えば、まぁチャラにしたことにしよっか……いろいろ助けてくれたし」


「……中でも昨日のあれは大変だった、やきもちを妬かれて危うくゾンビにされかけるし」


「……もう、それは謝ったじゃない。それに自分と同じ顔をした女の子が自分が出来ないことをしようとしたら、誰だって妬くよ……揶揄っているって分かっていたら尚更……」


「だけど俺、咄嗟に雪希の顔が浮かんで、踏みとどまったんだ……って言ってもいい訳に聞こえるな。ゴメン」


「そうだったんだね。そう思ってくれたのは、なんだか少し嬉しい」


 肩を付け合う雪希の髪に輝く雪華のかんざしが晴生の目を惹く。


「本当はその簪、後夜祭で告白して渡すつもりだったんだ」


「え? そうだったの? じゃあ……後夜祭でもう一回言って」


「え~」


 雪希と付き合うには、羞恥に耐えるために心臓を鋼鉄にしなければならないらしいと晴生は悟った。

 

 駅前で雪希に助けられ、恩を返そうと彼女の力に成っている内に晴生は雪希に惹かれていった。成績はいいのに計算が高くなく、終始前向きな癖にうじうじ悩んだり、理解力があるのにも関わらずその癖意外とやきもち焼き、本当は初心なのに無理しているところも、みんな晴生は好きだった。


 そんなことを考えている内に晴生はある事に気付いた。


「そういえば……」


「え? どうしたの?」


「俺、雪希からどう思っているのか聞いていないなぁ~って」


 晴生は雪希の口からちゃんとした言葉を貰っていない事に気付いた。もちろん気持ちには気付いているが、自分だけに言わせておいて言わないのは少し釈然としないものを感じた。


「なに、いまさら……そんなの決まっている」


「どう思っている?」


「それは……」


 雪希は晴生の耳元に近づいて囁くのかと思いきや、不意を突かれた。


 左の頬に柔らかい感触が当たった。


「これで分かったよね?」


 はにかみながら俯いた雪希の顔は耳の付け根まで真っ赤なっていた。そんな雪希の姿に晴生は胸の高鳴りを覚える。


「雪希」


「……なに?」


「好きだ」


「……知ってる」


「俺はちゃんと口でしてもらえるように、バイトして中歯菌の除菌治療を受けるよ。その場合、ちょっと夏休み一緒にいられる時間が少なくなるかもしれない」


 晴生はネットで調べて大体3万~5万ぐらいで出来ることを知った。時給1000円のバイトをいくつか見つけたので、課題もあるが何とか稼げると晴生は踏んでいた。


「別にそこまでしなくて――あっ! そうだっ! うちでバイトすればいいよっ! そしたらま毎日一緒にいられるっ!」


「……それはつまり、お父さんと毎日顔を突き合せろと?」


「なに? 嫌なの? 心配しなくても大丈夫。お父さん最近ハルくんの事気に入っているし、それにこの前挨拶に来いって言ったよね?」


 晴生には逃げ場がないようだった。観念した晴生は雪希の申出を甘んじて受けることにした。


 誰もいない教室で、二人は誰にも邪魔されず、自分たちの時間を過ごす。


 唇を重ねることこそまだ出来なかったが、純粋に精神的に、清らかなままに手を絡め合い繋がる晴生と雪希。


 茜色の残映が消え、星辰が顔を見せ始め、二人は微睡まどろみの淵に沈んでいく。


 安らかな寝息を立て、分かり合える人が傍にいるという安らぎに包まれながら――


 痺れを切らした野暮な友人たちに乱入されるまで、二人はずっと手を握り合っていた。

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青恋アウトブレイク 朝我桜(あさがおー) @t26021

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