第16話 酒食徴逐のステリリゼイション

 晴生の父親、陽平は母親と同じ自衛官であり、階級は陸将補。


 自宅から車で一時間半のところにある駐屯地を拠点とする師団を統括する師団司令部に勤める将官だ。


 普段は官舎へ寝泊まりしているのだが、週末になるとたまに帰ってくる。


 厳格な父親ではあるのだが、晴生は嫌ってはいなかった。


 しかし、少しだけ馬が合わないというか、少し苦手としていた。


 晴生達は帰宅して早々、待っていた晴生の父親、陽平に雪希を紹介すべく居間へ向かった。


「帰ったか。晴生、早速説明してもらおう」


 その前に着替えて欲しいと晴生は思った。煌びやかな階級章を胸に引っ提げた制服のままで、筋骨隆々の身体が目の前にあると、誰だろうと委縮してしまう。


「えっとこちらは……」


「待って、大丈夫」


 威圧感をじわりじわりと飛ばしている陽平の前に、びくびくと震えて緊張しつつ雪希は三つ指立てて深々と頭を下げる。


「は、初めましてお父様、私は故あって及川家にい揃うさせていただいております。鬼嶋雪希と申します。この度は私事でご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。助力を頂き誠に感謝いたします」


「これはこれはご丁寧に、出来た娘さんではないか……晴生、お前の事だから心配はしていないが、これからも清い交際を続けなさい」


 晴生は言葉が出なかった。


 交際については否定するか、女体恐怖症だからという意味で心配していないという含みのある言葉に、一言うべきかと決めあぐねいている内に結局口が開かなかった。


「雪希さんと言ったね、このような愚息であれば、好きに使ってやってください」


「はい、ありがとうございます」


「ただいま~ってこれ何、結婚の挨拶?」


 車を止めてから帰ってきた鶫に唖然とされる。そこは晴生が買ってきた高いアイスを無断で食べながらくつろいでいるひたきとそっくりだった。


 

 翌日、外に出るのが少し怖い雪希が、着替えと一緒に持ってきた中学時代の着物を、鶲に着付けして遊んでいる中、晴生は自室で状況を整理していた。


 留守電の記録からストーカーは晴生達が付き合っていない事に感づいていて、雪希が言い寄る男たちに少し迷惑していることを知っている。


 そうすると自ずと知っている人物は特定される。


 秀実ほずみ、元弥、弥音ねおん、椿花、そして教師陣。


 クラスメイトの女子の方は付き合っていないと感づいているだろうが、男子の方は大半は付き合っている者だと信じ込んでいるため、クラスメイトが情報源とはなりにくい。

 

 晴生は考えたくはなかったが教師の中に、あるいは教師と関係のある第三者の可能性が浮上してくる。


 喫茶店から見た背格好からして高校生とは考えにくい、そして時間帯からして教師と言うのも考えづらかった。長期療養している教師や元教師という可能性が一先ずのところ有力だろうと踏んだ。


 この手の話に一番詳しいのは椿花か元弥といったところだろう。晴生は早速元弥の方へメッセージを入れてみる。


晴生『元弥に聞きたいことがあるんだが?』


元弥『何だ?』


晴生『鬼嶋がストーカーに狙われていて、どうやら学校の関係者の可能性があるんだが、

長期療養している先生や元教師で鬼嶋と接点がある人物はいないだろうか?』


元弥『何だってっ! ストーカー? どういうことだ?』


晴生『金曜日の帰りに付きまとわれていることを鬼嶋から聞かされて、昨日被害届を警察に出してきた』


元弥『そうか、それで大丈夫なのか?』


晴生『父親が海外にいて、今日帰ってくるんだが、それまでうちで預かっている』


元弥『なら、安心だ。となると長期療養している先生は、産休中の菅原先生か……いや、その人は女性だから……って、ストーカーが女性ってことは無いよな? 最近は同性ストーカーも多いと聞くし」


晴生『いや、それは無い。男だった』


元弥『そうか、そうだとするとやはり、疑いたくはないが、去年の担任の小野寺先生だろうか』


晴生『小野寺先生?』


元弥『そうだ。今の担任の田中先生は今年から担任になったんだ。前は隣のD組の担任だった。小野寺先生は病気で辞めたと聞いた』


晴生『それで、その小野寺先生って言うのはどんな人物だ』


元弥『いい先生だったぞ。鬼嶋がクラスで孤立しはじめて、親身になって相談に乗ったりしてな』


晴生『テンプレ過ぎて、何かやってますって言っているようにしか見えないのだが?』


元弥『俺も打っていてそう思った』


晴生『それでその男は今どこに?』


元弥『分からない。風の噂では北高にいるとか、入院していると聞いたことがあるが』


晴生『ありがとう。よく分かった』


元弥『秀実にもそれとなく聞いてみよう。ネットの噂であれば及川や俺より詳しいだろうからな』


晴生『恩に着る』


 ちょうど切りよく終わったところで晴生は部屋の外へ出ると、雪希に連れられて現れた着物の姿のひたきと鉢合わせる。


「あ、ハル」


 華やかな柄の薄紅色の着物を纏い、恥ずかしそうに俯いているがとてもよく似合っている。


 我が妹ながら可愛いと晴生は素直に思った。


「私の中学の時の着物を着せてみたんだけど、どうかな?」


「良く似合っていると思うぞ?」


「そう……かな」


「可愛い服を着たら、少しは外に出たくなるかなぁと思ったんだけど」


 男にはよく分からない感覚だったが、鶲が喜んでいる様子が久しぶりに垣間見れたので、晴生は雪希に感謝した。


 それとは別に自分の心が弱っているのにもかかわらず、妹の心配をしてくれている雪希に並々ならぬ尊敬の念を抱く。


「鶲ちゃん。5日に私の地元でお祭りがあるんだ。一緒に回らない?」


「え……うん、雪希さんが一緒にいるなら、でも雪希さん大丈夫なの?」


「おいおい、鬼嶋、ちょっとそれは……」


「人ごみに紛れれば相手も追ってこないと思うの。他に浴衣を着ている人も多いよ」


 晴生は難色を示す。紛れて逸れたらはっきり言って逆に危険すぎる気がしてならなかった。


 どうしても行くのであれば、必ず全員でまとまって行動し、防犯ブザーを携帯させる必要があるだろう。


 晴生もこのままストーカーが捕まるまで雪希もじっとさせておくのも忍びないと思いながらも、ふとストーカーの正体を確かめるいい機会なのではないかと考えてしまった。


「俺達だけで決めていい問題じゃない。お父さんと相談すべき話だ」


「ハルが守ってくれればいいじゃん」


「鶲、お前な……」


 鶲が無茶苦茶なことを言い出し、晴生は今までで三番目ぐらいには悩んだかもしれない。リスク対策はやってやれなくも無かった。


「お父さんも地酒の出店でいるから、お父さんの方から組合の方に頼んで巡回を強化してもらうように頼んでみるから」


 雪希の熱心さに折れ、晴生はもう溜息を付く以外なかった。


「その熱心さを伝える相手、間違えているんじゃないか? お父さんに聞いてみろよ」


「……それじゃあ」


「力になるって言ったからな。女の子の力に成れるなら男冥利に尽きるって言うだろ? 俺は俺の出来ることをするだけだ」


「ありがとう。及川君」


「礼を言うなら、お父さんを説得した後、本人にだろ。俺には筋合いが一切ない」


 晴生の言う出来ることをするというのは、文字通りに本当に出来ることをすることだった。


この問題の本質的な部分は雪希の安全で平穏な生活を取り戻し、それを平静とすることにある。


 つまり晴生は雪希の心の安寧を護ることが最優先と考えていた。


 晴生が出来る事は残り数日でストーカーの正体を突き止める事、そうすれば警察の方から祭りの実行員会に対し、不審人物としてお触れが回る事だろうと考えた。


 これは難しいが、運が良ければ祭りの当日には拘留させることが出来るかもしれない。


 晴生は何とかして早めに決着を付けたかった。


「やっぱりハルはハルだね」


「それどういう意味だ? 鶲」


「ううん、何でもない。ねぇ、ところでさぁ」


「二人は名前で呼び合わないの? だってさぁ、一応嘘でも彼氏彼女なわけじゃん。そうしたら名前で呼び合ってないとバレちゃうんじゃない?」


 鶲の言う通り確かに一理はあったが、鶲が露骨にいやらしくニヤつき、冷やかしにきたが晴生は至って冷静に言葉を返した。


「それは人によるだろ? 初心うぶでもどかしい恋人同士を演じているんだよ」


「そ、そうだよ。鶲ちゃんやだなぁ~からかわないでよぉ~もう」


 晴生とは逆、雪希の狼狽している姿に鶲は何かを察したらしく、今度は遠目で晴生達を訝しげに眺め始めた。


「まぁ~確かに初心うぶでもどかしい姿は出てるかなぁ~」


「も~鶲ちゃん、さっきからからかってばっかり。ささ、お母さんに着物姿を見せにこうよ」


 雪希が気まずそうに鶲の背中を押す姿を眺めて、晴生はある事に気付かされ、居た堪れなさに頭を掻く。


「こっちの問題もそろそろ決着付けないとな……」


 天井を仰ぎながら晴生はふとつぶく。


 胸の内を口にしたことで少しだけ胸につっかえたものが取れた。


 心が軽くなっていくのを感じつつ、晴生は芽生え始めた気持ちに整理を付けなくてはいけないと悟った。


 

 その日の晩、及川家の玄関先にはグレーのトレンチコートを羽織い、夜だというのにサングラスをかけ、刈り上げた短髪がいかにもそっち系の人物が現れる。


「この度は娘の件でご迷惑をおかけしやして、誠に申し訳ございませんでした。」


 雪希の新次郎が娘、雪希と共に玄関先で正に任侠映画のように土下座をし始め、晴生の家族のうち父親の陽介以外騒然とし始める。


「頭をお上げください。鬼嶋さん、困ったときはお互い様。このような愚息であれば好きにこき使ってやってください」


「及川さんのその心意気に感謝いたします。せがれさんにもなんと申し上げればよいか……妻とは死に別れ、男手一つで育てているのですが、こいつは母親に似て、変な男に好かれるようでして……その度に……いや、湿っぽい話はやめましょう」


「そうですね。あなたとは気が合いそうだ。こんど落ち着いた時に、酒でも飲みましょう」


「ありがとうございます。それでしたらうちの酒蔵に来てください。飛び切りの酒をご用意いたしましょう」


「それは楽しみです」


 強面の新次郎と笑い合える父親の姿に晴生は久々に尊敬の念を抱いた。


 まだ晴生が小学生の頃、災害救助の為に休暇を返上して、被災地へ向かう父親の背中を見て以来の感情だった。


「それではワシ等はこれで失礼いたします」


 一礼して新次郎に促されるまま、雪希達は立ち上がり踵を返したのだが――


 ふと立ち止まって振り返り、晴生は雪希と目が合った。


「じゃあ、ハルくん。また明日学校で」


「あ、ああ……」

 

 雪希の不意打ちの名前呼びに、晴生はつい生返事をしてしまう。


 反則だろ……


 この時ばかりは晴生も心臓の高鳴りを抑えきれなかった。

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