第14話 同病相憐のセレンディピティ

 夕刻になって晴生はるきはある人物に電話した。


 妹のいじめの件で少しだけお世話になった弁護士の先生、向田むこうだ先生だ。


 忙しい人なので繋がるかどうか分からなかったが、晴生はダメもとで電話した。


「やあ、久しぶりだね。晴生君」


「お久しぶりです。先生、お忙しいところ申し訳ありません」


 多少世間話を交わした後、晴生は早々に本題に移った。


「早速で申し訳ありませんが、ストーカー対策に詳しい先生を知りませんか?」


「妹さん。今度はストーカーを受けているのかい?」


「いえ、妹ではなく、僕の友人がストーカーを受けているんです」


「友達って、女の子かい?」


「そうですが? それが何か?」


「いや、別に……本題を話そう。ストーカーというと具体的にはどういった被害を受けているんだい?」


「まだ付きまといぐらいです」


 ストーカーと言っても行為については付きまといから始まり、汚物を送り付けてくるような嫌がらせまであるという事は晴生も調べて分かっていた。


「君の事だから、犯人を特定できるようなものは押さえているんだよね」


「まぁ、一応スマホで犯人を取りましたが……」


「分かっていると思うけど、勝手にネットに上げたら肖像権の侵害になるからね。それをもって一先ず警察に相談するのが定石だね」


「明日、彼女と一緒に警察へ行くつもりです。彼女の父親、いま海外にいるらしくて、僕の母にも付き添ってもらう事になっています」


「それが良いね。後は地元の弁護士に相談するんだ。東京からでは遠すぎるからね。弁護士なら裁判所に所謂いわゆる『禁止命令』を申し立てすることも出来るからね。」


 それから晴生はいくつか向田弁護士からアドバイスを貰い電話を切った。


 弁護士に話したことを自分の部屋にいる雪希に伝えようと赴いたのは良いが、自分の部屋なのにノックしなければならないという状況に晴生は妙な気分だった。


「鬼嶋ちょっといいか」


「うん」


 徐にドアを開けると雪希は何やらそわそわしている。ベッドの下などを見ていたようだったので晴生は気を使ってやった。


「エロ本ならないぞ。パソコンに入っているからな。おかずに使いたいなら――」


「違うよっ!」


 顔を真っ赤にして枕を投げられた様子から、どうやら違ったらしい。


「さっき弁護士に相談したんだけど、まずは明日、警察に被害届を出しに行こう。それとお父さんとは話したのか」


「……うん、さっき……その後、お母様とお話した」


 それなら安心した。晴生は雪希の父、新次郎から嫌われているので間に入ると十中八九ややこしくなるので帰って良かった。


「それじゃ鬼嶋、先に風呂に入って来いよ」


 晴生は特に他意もなく言ったつもりだったが、怪訝な顔で妙に雪希から引かれた。


 及川家では食事の前に風呂に入る家庭なのだが、どうやら引かれている理由がそこではないようだ。もしかして順番かと思い晴生は――


「ああ、なるほど……俺の身体で取った出汁をどうにかしたいと――」


 今度はテレビのリモコンが飛んできた。


 

「新鮮ね。ハルが彼女を連れてくる日が来るなんて」


 わざとらしく涙を見せるような素振りを見せる母、つぐみに晴生は露骨に嫌そうな顔をしてやる。


 及川家の夕食はカレーだ。自衛隊の陸戦にいたつぐみが台所に立つと必然的にカレーが多くなる。


 協力本部勤めになったとはいえ、陸戦時代の習慣からか毎週木曜日はカレーというペースだ。


 さらに量の加減が分からず大抵作りすぎてしまう。そして栄養面を重視する傾向で比較的薄味になる。美味しいか美味しくないかで言えば美味しいので晴生達は特に文句は無かった。


「別に彼女じゃないって言っているだろ」


「まだ告白していないから彼女じゃないって言いたいのね」


「余計な枕詞まくらを付けるなよ。『まだ』もないし、告白もしない、第一、仮に告白をしたとしてOK貰えるかどうかも分からないねーよ」


「という風に言っているけど、雪希ちゃんどう? うちの息子はなかなかの優良物件だと思うけど?」


「……どうっていいますと?」


「本気で告白したら、彼氏のフリはやめて本当に付き合ってもいいって思っている?」


「……え~と、それは……」


 答えづらい質問をされ、雪希はそわそわし始めたので、晴生は気を使ってフォローする。


「母さん。鬼嶋はストーカー被害で精神的に参っているんだから、その辺にしとけよ……悪かったな鬼嶋、気にしなくていいからな」


「ううん。大丈夫大丈夫……こういう賑やかなの久しぶりで驚いているだけだから」


 雪希が首を横に振ってくれたことで晴生はほっとする。


 だかその後目に、身体を寄せ合ってニヤニヤといやらしい表情を浮かべる鶫と鶲の姿が映る。


「見て見てお母さん。ハルってば立派に彼氏しているよ」


「やだわぁ~この子ったら男らしいところあるじゃな~い」


「……お前らなぁ……」


 


 晴生は自分の部屋を雪希の為貸し出し、晴生自身は居間リビングで眠る。


 ソファーの寝心地があまり良くなかったため、床の絨毯の上で眠ることにして目を閉じていて眠くなるのを待っていた。


 いつもと違う状態からかなかなか寝付けないでいると、人の気配を感じたので目を開く。


「あ、起きた」


「何をしている?」


 晴生は見開くと自分のベッドで寝ている筈の雪希が添い寝をし始めていた。


 火照っているのか雪希の顔がほんのり赤く、白い襦袢姿は体の線が出て妙に生めかしく、晴生は思わず息を呑む。


 『女体恐怖症』のせいで裸は見られないのが返って、晴生は体のラインの出る服を着ている状態に興奮を覚えるようになっていた。


「まだ、及川君にちゃんとお礼言ってなかったっと思って」


「……別に良いよ。そもそも最初に言っただろ、力に成れることがあったら協力するって」


「それじゃあ私の気が済まないよ。いつもいつも助けてもらってるばっかりでちゃんとしたお礼の一つも出来ていない」


「『女体恐怖症』の克服を手伝ってくれるんじゃなかったのか?」


 そんなものは建前に過ぎない。


 白状すれば晴生は雪希にしてあげたいことをしていた。


 晴生は自分の中に芽生えた感情に困惑して認められず、つい揶揄からかってしまうという幼稚な態度から如実に出ている。


 無論自覚はあったが、しかしながらその感情を認めたとしても、やはり女性に恐怖心があることは否めず、本気には成れない。


 結局のところ堂々巡りの末、何があっても雪希の友達で居ようと密かに決めていた。


「……及川君は服を着ていれば大丈夫なんだよね?」


「……何を言っている?」


「パソコンの……最後まで服脱いでいなかった」


「……結局見たのかよ。しかも最後までって」


「男の子だからそういうの見るのは分かるけど、あまりいい趣味とは言えないかな……でも『女体恐怖症』っていうのは本当だったんだね」


「まだ疑っていたのか……」


「だって、男の人の方が好きかもしれないじゃん。ねねちゃんはそういうの好きみたいだけど……」


 そんな腐った情報知りたくはなかった。


 パソコンに入っていたお宝は元弥に厳選してもらったもので、冗談で言ったつもりが本当に見るとは思っていなかったので、晴生は少し恥ずかしい。


 さっきから通りで雪希の顔がほんのり赤いと思えば、そういう訳だったのかと晴生はようやく理解する。


「及川君も男の子だからそういう事したいんだね……少し安心した……ねぇ、及川君……及川君が望むなら、私――」


 突然妙なことを言い出した雪希のおでこに晴生はきつい一発デコピンを入れる。


「痛ったっ! 何すんのっ!?」


「そういうのは本当に彼氏が出来た時に取っておけ、身体で払うなんて時代錯誤もいいところだ。娼婦か?」


「ち、違うよっ! そうじゃなくてキス……なら、してもいいかな……って」


 ガチガチに震えている癖に何言っているんだとは思いつつも、健康的な男児たるが故、晴生は雪希の常夜灯に照らされ濡れ光った唇へ、吸い寄せられるように自然と視線が行ってしまう。


 気が付けば晴生は、瞳を閉じた雪希の顔に近づいていた。晴生の鋼鉄の理性が本能に敗北を期した瞬間だった。


 求めるがまま、欲望のまま、晴生は更に顔を近づけていく。


 雪希のきつく目を閉じた瞬間――


「やっぱり駄目っ!」


 両手で遮られて、晴生はようやく正気を取り戻すことが出来た。


「悪い、調子に乗ってた」


「こっちこそゴメン……ヤバイ。私もしかしたら一生キス出来ないかも……」


 調子に乗ってしまっことで、雪希にトラウマを与えてしまい晴生は酷く罪悪感を抱いた。


「……本当にすまん」


「ううん、違うの。及川君のせいじゃなくて……え~と……ゴメン……ミュータンス菌とかが、うるさくて……」


「……え~」


 歯磨きをしたとしても完全に除去できるわけがないので、それを言ったら産まれたばかりの赤ん坊ぐらいしかキスできる相手はいない。


 便利な能力で密かに憧れを抱いていた晴生は思わぬデメリットに幻滅する。


「分かっているの。このままじゃ駄目だって」


 自分の力に思わぬ欠点に、落ち込んでいる様子の雪希には悪いとは思ったが、晴生は雪希に自分と似通った部分があったことを知り、少し嬉しい気持ちになる。


「裸を見れない男と、キスできない女か……」


「……なんだか似ているね。私達……ごめんね。邪魔しちゃって」


「別に、そんなこと――」


 不意打ちだった。油断していた隙に半身起こした雪希から頬に口づけをされる。


 触れた感触が皮膚にじんわりと残る。


 感覚が脳に伝わる事には晴生の頭は真っ白になり、心臓が早く大きく鼓動を打っていく。


 雪希は照れ臭そうにはにかんだ笑みを向けてくる。


「頬になら出来た」


「お、お前な」


「さてと晴生君の戸惑った顔も見れたから、私もう寝るねっ! お休みっ!」


 真っ赤に染まった顔を隠すように雪希は足早に部屋へと戻っていく。


 火の出ているような顔の熱さのせいで、晴生は殆ど寝付けず悶々としたまま終に朝を迎えることになる。

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