第13話 醇風美俗のスクリーニング
晴生は帰宅して早々、弥音から渡された一枚の紙をソファで眺め始めた。
「ハル、それ何?」
「テストの答案用紙」
覗き込んできた鶲を適当にはぐらかしたのは少しまずかった。
不貞腐れた鶲は晴生の髪をくしゃくしゃにしてからテレビを前にして不貞腐れ始めた。
紙には表計算ソフトで作られた何かの集計表が描かれ、その一つの数値に大きく赤字で丸が書かれている。
この数値を調べろという事なんだろうが、それならそうと口で言えばいいのにと思いはしたが、その数値をスマホでざっくりと調べてみる。
E2 27,000pg/m/
その正体がはっきりとしたので
『はい』
「今川ちょっといいか? 昼間の紙の件だが」
『という事は見たんだね。どう? お気に召したかな?』
「俺にはこんな高度な変態趣味は無いんだが? てかどっちの検体だ……これ」
『それは好きな方を想像していいよ。どっちにしろ裸見られるより恥ずかしいものだから、女体恐怖症の及川には刺激的過ぎたかな?」
「お前は友達のプライバシーとか考えろよ」
『及川はそれを見て、雪希ちゃんは何でそうなったのか気付いている?』
「まぁ、何となくは……」
『できればはっきり気付いて欲しかったんだけど……』
「気付けってあれか、俺の変態性を自覚しろって事か? 確かにこれは少し刺激的かもしれないが……」
「及川……死ね」
冗談で言ったつもりなのにプツリと切られた。本当にこれで性的興奮出来る奴がいたとしたらどうかしている。
結局に自分にどうしろと言うのか晴生は人生初めての事態に当惑するばかりだった。
5月30日。
晴生は雪希の対策の為しばらくの間、自転車通学をやめて雪希と同じくバス通学に変えた。
これによって一緒にいる時間を増えたことで、強引に迫るような男は大分減った。
晴生は職員室でのとある用事を済ませて出てくると、いつにもなく不満げな顔で雪希が待っていた。
「遅い。先生と何話してたの?」
「期末テストの過去問を貰っていただけだよ」
雪希は首を傾げる。
「何でそんなもの必要なの?」
「……これは俺の持論だが、学校のテストって先生の性格が出ると思うんだ。数学の坂本先生は几帳面で真面目な性格だから、クラスの理解度に応じて作成する。平均点60点以上を考えて、易しい問題と難しい問題をバランスよく出す。難しい問題の多くは授業の際質問して答えられなかった人が多い問題を出したりする」
「じゃあ、担任の現代文の弥生先生は、意外とあれだから過去問を使いまわすってこと?」
あれというのは汚机を見て明らかなとおりズボラと言う意味だ。
「いやいや、あの人は結婚願望が強いからな。意外に青春謳歌している奴らに逆怨んだりするからな――」
「ちょっと待って及川君っ!」
「ああいう風のに限って、公私混同して大学受験にも出ない教科書の端っこ突っついた嫌らしい問題を出すんだ。それに自己顕示欲も強いから――」
「ちょ、ちょっと及川君ストップっ! ブレーキ踏んでっ! ブレーキっ!」
「自己顕示欲強いからなんや?」
一瞬で晴生の背筋が凍り付いた。
突然、脳天を掴まれ首がねじ切れんばかり勢いで振り向かされると、晴生の眼前に眼の血走った担任の田中弥生が待っていた。
「及川がうちのこと、よう理解しとってほんま嬉しいわ」
「……そ、そうですか」
「期末テスト。ぎょうさん良問用意しとってやるさかい、楽しみにしとけや、そこまで言ったんや、平均点以上取れなかったらどうなるか、分かっているやろうな?」
弥生のドスの効いた声に晴生は首を縦に振る意外に他無かった。
フンと鼻を鳴らして晴生に一瞥をくれると弥生は去って行く。
「及川君どうするの? 弥生先生怒っちゃったじゃん。及川君のせいで期末テストさんざんだったら責任取ってよね?」
晴生は弥生が良識ある教諭であることを願う他無かった。
「今日はちょっとカフェに寄って行かない?」
晴生は雪希に半ば強引に引きずられるようにして、行く場所も分からずまま下校する。
途中、彼氏に見えないから隣を歩けだの、歩くペースが早いだの無茶苦茶言われながら晴生は
学校付近では割とおしゃれなガラス張りのカフェに到着する。
店を前にして立ちすくむ雪希の様子に晴生は違和感を覚える。晴生にはそれがどことなく怖気づいているように見えた。
「どうした? 入らないのか?」
「ああ、うん、入る……って、こういう時は男の子から先に入るんじゃない?」
何を根拠に……とは思ったものの何となくその理由を察した晴生は肩を竦めつつ、先導して店内に入り、適当な席に腰を下ろす。
店内は落ち着いた雰囲気のモダン調、ガラス張りが広々として開放的、清涼感が溢れ、いかにも女性受けしそうな印象を受ける。
晴生の印象通りに客の大半は社会人女性や近所の奥様方々、友人と勉強に勤しむ他校の女子生徒が占めていた。
都内で某有名カフェチェーンに勉強の為足しげく通っていた晴生は珍しくもなんとも無い光景。
何の気兼ねも無く落ち付くことが出来たが、その一方こういった店が初めてというのが見え見えで怖気づいている雪希はメニューから張り付いて一向に顔を見せないようだった。
「鬼嶋……見栄を張りたい気持ちも分からんではないが……」
「……見栄なんか張ってない」
周囲からは『絶対自分のこと綺麗だと思っている』『絶対性格悪いよね』『あれ、彼氏?』『何であんな冴えない男と』などなどの陰口が飛び交っている。
晴生も自分が冴えない事は理解していたので陰口などなんとも思わないが、立ち去り際に舌打ちまでしてくる女性までいたからだろう、雪希の顔はもう不機嫌を越えて悲し気にさえ見えた。
「選ばれしものの悩み――どうした?」
言いかけた言葉を晴生は呑み込む。どうも雪希の様子が少し変だった。
メニューを握る手や足がガクガクと震えている。緊張していると言った様子でないことは明らかだった。
「……外に」
外というまるで独り言のような小さい声を辛うじて拾った晴生は意図がつかめず首を傾げつつ、ガラスの向こう側を眺める。
人通りのまばらな外の通りに一人だけ右往左往している見るからに怪しい男がいる。年齢は30代くらいで痩せ型。
「鬼嶋、何で早く言わないんだ」
「……ごめん」
雪希の声は今にも泣き出しそうなくらい震えている。
毎日一緒にいる晴生も気付かなかった。完全な自分の落ち度に晴生は自らの苛立ちを隠せない。
晴生の思うところ、結局雪希と一緒にいることがなんだか楽しくなってきてしまって完全に油断してしまったところに原因がある。
「いつからだ?」
「……気付いたのは3日ぐらい前、ゴメン、及川君には迷惑かけたくなくて」
「俺も気付いてやれなくて悪かった。それでお父さんに迎えに来てもらう事は出来ないのか?」
「……お父さん、いないの」
「いない……ってどういうことだ?」
雪希は新次郎が6月初頭に開かれる全米日本酒勧平会に出国してしまったとのこと、最近ずっと調子が変だとは晴生も思っていたが晴生の中でようやく合点がいった。
さぞ家では一人きりで怖い思いをしていたのだろうと晴生はせめてメッセージのやり取りでもするんだったと後悔した。
「一先ずは俺がお世話になった弁護士さんに相談するとして、今日のところは弥音か椿花の家に泊めてもらうとか? でも弥音も両親は滅多に帰ってこないようだから、椿花はどうだろうか?」
「……あ、うん。そうだね、ちょっとメッセージを送ってみる」
直ぐに返信が返ってきた。一応弥音にもグループメッセージで送っていたらしい
ちか『今絶賛親と喧嘩中、私が泊めて欲しいぐらいなんだけど? 弥音は?』
Neon『今日、両親いない。うちでもいいけど、女三人しかいないって分かったら逆に危険だと思う。及川は?』
なぜそこで自分の名前が出たのか、晴生は首を傾げるばかりだったのだが、見るに見かねて、つい魔が差してしまった。それ以外考えられ無い。
「じゃあ、うちに来るか?」
どさくさに紛れて晴生は自分の口が勝手に先走り、晴生は酷く後悔する。
「……でも」
「うちにはお袋も妹もいるし安心だろ?」
「……いいの? 迷惑じゃない?」
乗り掛かった舟。言った言葉は呑み込めないので覚悟を決めて晴生は首を縦に振る。
「……じゃあ、今日だけいいかな?」
「よし、そしたらここからどうやって抜け出すか――」
晴生は思考を巡らせる。晴生がいるのにもかかわらず付け回すという事はまず、晴生が攻勢に出た場合、刺される可能性はある。
「だとすれば、すいませんっ!」
晴生は定員を呼んで、事情を説明して従業員出入口にタクシーを呼んでもらう様に頼んだ。
オーナーからの連絡が来るまでの間、晴生は母、
暫くして晴生はカフェのオーナーと思われる温厚そうな年配の男性からタクシーが来たと耳打ちされる。
オーナーに招かれるがまま、二人は従業員出入口で待機していたタクシーに乗り込みストーカーを巻くことが出来た。
カフェのオーナーの協力で事なきを得た二人は、一度雪希の自宅に寄って着替え等を準備し晴生宅へと向かった。
雪希が一旦自宅に寄ったのは自分の着替えの他、粗品を用意するためだった。
晴生は別に畏まる必要はないと
「ただいま」
「お邪魔いたします」
聞きなれない声に反応したようで、帰宅して早々晴生の母、
「ちょ、ちょっと待って、まだ何も準備できていないのっ!」
鶫がひどく狼狽した様子だったが、雪希が三つ指ついて間髪入れず膝をついたので、鶫は逃げるに逃げられなくなる。
「いつも晴生君にはお世話になっております。初めまして鬼嶋雪希と申します。本日は私事で恐縮ですが、ひとかたならぬご厚意を頂き感謝を申し上げます。これはつまらないものですが」
「こ、これはこれはご丁寧にどうも――こちらこそ先日は愚息が大変お世話に成りましてありがとうございます。不肖の息子ですが、これからもよろしくおねがいします」
杓子定規な場の光景に、晴生は一瞬何のために来たのか分からなくなる。
「えっと、これ何? 結婚の挨拶?」
後ろから現れた
「ごめんなさいな。変な挨拶に成っちゃったわね。あ、私まだ夕飯の準備したままだった。ゆっくりしていてね」
「あっ! 私、お手伝いしますっ!」
手伝いを名乗り出る雪希は、まるで姑に媚を売る嫁の如く甲斐甲斐しいものだった。
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