第12話 三釁三浴のインキュベーションピリオド

 シュールストレミングのバイオハザードを終えて、不本意にも西校の三人臭という汚名を着せられてしまった晴生、元弥、秀実ほずみの三人。


 三人はその責任を取って残りの三切れのシュールストレミングを食べることになった。


 晴生が行ったように缶詰から出したものをそのまま食べるものではないので、骨と内臓を取り出してしっかりと水や酒類や牛乳で洗ったものを食べる。


「食べ物を粗末にした責任取ってアンタたちが食べなさいよっ!」


「粗末にはしてないと思うが?」


 椿花に攻めれられ、晴生達は泣く泣く食することになった。


 玉ねぎを多めに入れて一気にかぶりつく。


 しっかり下ごしらえをしたがそれでもし大分塩辛さとにおい残っていて、晴生は何とか一口目を呑み込むことが出来たものの、胃が押し出そうとするのを抑えるのに必死で、二口目は口を付けることが出来なかった。


「どうだい、味の方は?」


「一口目は何とか食べられましたが、二口目は駄目です。そもそも塩辛くて良く分かりません」


「うーん、乳酸菌の発酵具合を聞きたかったんだけど、まぁ無理も無いか」


 何とか耐えている晴生と比べ、元弥と秀実は先ほど仕留めたチャラ男衆と同じ末路を辿っていた。


 食べ物の粗末にするわけにもいかないので晴生は覚悟して全て食べ切った。

 

 だが結局、元弥と秀実と同じく机に突っ伏すことにはなった。


「……雪希ちゃん、どうしたの? ぼーっとしちゃって」


「んっ!? 別にっ!? 何でもないよっ!? 少し考え事してただけだよっ!」


「雪希……あんたには考え事なんて似合わないよ。ほら、元気出して」


「そう……だよね……ん? ちょっと待って椿花。それを言うなら悩み事だよねっ!?」


 きゃっきゃっ言い合っている様子を晴生は未だ口の中に広がる度し難い香りに思考が儘らなないまま眺める。


 さっきまで怯えていた雪希の顔に明るさが戻り少しだけ安堵――が出来ず、吐きそうになる。


「それにしたって雪希のモテ期、ますますひどくなっていなってない? 中学の時はあんなにしつこくナンパされること無かったじゃん? ああ、でも、そんなに綺麗になってるんじゃ仕方がないか」


 霧葉が中学の頃の様子を引き合いに出して雪希の揶揄からかいに混ざり始める。


「そうなんですよ。最近の雪希、ますます綺麗になっちゃって、こいつすこし胸も大きくなっているんですよ」


「ちょっ! やめてっ! 椿花ぁっ!」


 雪希の背後から眼光を滾らせ、椿花が雪希の胸をしだき始めた……のだが、椿花の様子がどうもおかしい。


「ん、何これっ! あんたっ! 何つけてんのっ! パットじゃないわねっ!? 何これっ!?」


「ちょっと止めてっ! ほどけちゃうからっ! あっ!」


 雪希のブラウスの裾から白い帯のようなものがこぼれ落ちた瞬間、胸が一回り大きくなり、ブラウスが一気に張り詰めた。


 雪希は耳まで顔を真っ赤にそめ、大きくなった胸の隠すように地面へ蹲ってしまた。


 顔を伏せて泣いているのようにも見える。

 

「雪希ちゃん、これ、もしかしてサラシ?」


 うずくまって愚図ぐずる雪希に弥音ねおんが慰めるように声を掛け、弥音の問いに雪希はコクリと頷く。


「雪希ちゃん。いま、サイズいくつ?」


「……多分、D」


「この前……ゴールデンウィーク前は?」


「B……だった」


 普段表情を見せない弥音の顔が微かに険しくなる。


「産婦人科にはいってみた?」


 突然の急成長に病気を疑うのはごく一般的な反応だった。


「……特に異常はないって」


 散々な光景の前に、全員の視線が椿花に注がれ、あまりのバツの悪さに椿花はとうとう雪希の前に膝を折る。


「ごめん雪希。本当にゴメン。さっきのは本当にやり過ぎた。調子に乗っていた。ゴメン」


 成長したのは雪希だけではなく椿花も、素直に謝れるようになった辺り見上げた成長を遂げていたことに晴生は感心したが――胃からこみ上げてくる臭気に意識が飛びそうになる。


「……上川教授、こういう事ってあるんですね?」


 呆然と見守る上川教授におずおずと霧葉が訪ねる。


「う~ん。僕は医者じゃないからね、詳しいことは分からないけど、女性の美容には腸内砂金が深くかかわっているんだ。最近ではエクオール産生菌なんかが良い例だね。エクオールというのは女性ホルモンであるエストロゲンととてもよく似た働きをして、皮膚の張りなどを促すことは知られているけど……」


「エストロゲンって、つまり……」


「知っての通り、女性の二次性徴期において乳腺の発達に関与しているものだよ。気になるのであれば、エストロゲンは血液や尿を採取して分析してみると良い、僕は男だからね。霧葉君に好きにするといい。じゃあ、僕は明日東京に戻らなきゃいけないのでこの辺で失礼するよ。後の事は合月君に頼んであるからね」


 晴生には上川教授が何か気付いているように見えたが、消えない口臭に耐えるのが精一杯で問いただす力も出なかった。


 霧葉に含みのある言葉を残し上川教授はその場を後にし、今日のゼミは御開きとなった。



 夜の7時過ぎ


 大学の研究室に一人、霧葉は調べ物をしていた。


 夕方、雪希に起きた出来事について気になることがあったからだった。


 霧葉が調べていたのは雪希の提供してもらった検体。


 医学部の友人から一つだけ検査キットを譲ってもらい分析を行っていた。


 もちろん単位に関係ないのでやる必要など無かったのだが、どうにも胸騒ぎのようなものを感じていた。


 更には検体を採取するだけだというのに雪希が抵抗するのも少し気がかりだった。


「……本当にあの子は馬鹿なんだから」


 パソコンに数値が集計され霧葉は雪希が抵抗した訳がようやく分かった。


 上川教授が意味深な発言をした理由も頷ける。


「……あの爺さん、とんだ狸ね」


「何か分かったんですか?」


「う~ん、まぁ……ねぇ……」


 霧葉の後ろから弥音がパソコンを覗き込んでくる。


 弥音もまた雪希の事が気がかりで霧葉に手伝いを申し出ていた。


 本当は部外者を大学内に残しておくのは駄目なのだが、上川教授と合月教授の計らいにより特別に許可をもらっていた。


「浅沼君、それはそこじゃなくて、あっちにおいて」


「了解しました」


「ちょっと待ったっ! 近づかないで臭いから。その位置で作業して」


 無論、調べ終わったとき弥音を夜道に一人で帰す訳にはいかないので霧葉は元弥にも手伝わせていた。


「弥音ちゃん。良かったの? 付き合ってもらっちゃって、家の人心配しない?」


「別に大丈夫です。いつも両親いないですから」


 逆に霧葉はそれで大丈夫なのかと疑問には思ったが、それよりも心配なのは雪希の方だった。


「弥音ちゃん。ここの数値の意味分かる?」


「えーと、もしかして、上川先生が言っていた?」


「うん、そう」


 ある酵素の数値が常人の数倍になっていった。てっきり癌患者かと思ったほどだ。だが菌と会話できる雪希であれば、やろうと思えばやれる。


 その力を使って雪希はズルをしたのだ。そのズルをしてまでしたいことが雪希にはあったという事だ。


 その理由が霧葉には分かってしまったので責める気も失せた。だが責めてこれ以上のトラブルにならないようにただ祈るほかなかった。



5月24日――


 雪希のモテ期は留まることを知らない、れどころか次の日から胸の大きさを隠すのをやめると、それどころかますます酷くなっていった。 


「なぜ、俺じゃ駄目なんですかっ!」


「だから私には彼氏がいるって言っているだけど……」


「俺は及川先輩より成績もいい、君を幸せにできる自信がありますっ!」


「ごめん、ちょっと何言っているのか分からない」


 晴生が例の如く三階校舎の廊下の窓から下を覗き込むと、雪希は休み時間に一年生から告白を受けていた。


 『その自信の根拠は?』と自分より頭が良いと言い張るのなら説明してみろと言いたくなるほどの頭の沸いた後輩の告白。


 それには流石の晴生も呆れた。


 雪希がうんざりするのを通り越して、強引に迫ってくる後輩に恐怖をにじませてきたのを見かね、晴生は三階窓から割り込む。


「そこの一年生。他人ヒトの彼女に手を出さないっという一般常識すらない程に、知性も理性も品性も無いのかお前は?」


 晴生は一年生を涼しい目で見降ろすが、逆に睨み返される。


 一年生の目は凄みも何にもなかったが、一瞬雪希の少し嬉しそうな表情を見せていた。


「ごめんなさい。そういう人、私は好きにはなれないので、だからごめんなさい」


 誠意をもって雪希が頭を下げるとようやく諦め、一年生は少し涙を浮かべながらとぼとぼと帰って行った。


 雪希の話では、彼が落としたハンカチを彼のクラスまで届けただけの関係だという。


 本当にそれだけで一目惚れされてはたまったものではないと、晴生は雪希に共感する。


 口には出さなかったが晴生は雪希が無防備すぎるのが少し問題じゃないかと男性的な意見として思っていた。


「及川ちょっといい?」


 昼休みいつものように雪希と一緒に空き教室へ弁当を食べに向かっていると弥音に呼び止められる。


「……じゃあ、私、先行っているね」


「すぐ終わるから雪希ちゃんはそこにいて大丈夫」


 淡々とした口調で弥音は徐に一枚の紙を手渡される。


「これはまた古風な愛の告白だことで」


「違うよ」


 そして弥音は雪希に聞こえないように『雪希ちゃんのいないところで呼んで』と囁かれる。


 そんな風に言われて本当に恋文だと思わない奴がいればあってみたいと晴生は思いはしたが、いつにも増して真面目な表情で言われたので恋文じゃないことははっきりと理解した。


「じゃ、私はこれで……雪希ちゃん、彼氏を借りちゃってごめんね」


「う、うん」


 過ぎ去っていく弥音を二人で見送る。


「何だったんだ……」


「……ねねちゃん、なんて?」


「鬼嶋をよろしくねだとさ」


「なにそれ」


「そうだ。今日から放課後デートしないか?」


「何? 急に?」


「いや、形の上でも彼氏なんだからそういう事しないとって思ってさ」


「……そんな言い方、なんかヤダ」


 不満そうに背を向けるという雪希の態度の変化に晴生は確信してしまう。


 以前……具体的にはゴールデンウィーク前までは、『恋人同士であればそういう事も必要だよね』と返し、知的な雪希であれば二つ返事でOKをした筈だった。


 初めての経験で晴生は躊躇とまどいがちながらも、雪希の態度に触発されたのか、晴生は少しだけ己の願望をさらけ出してみる気になってしまった。


「……未だ女の子と手も繋いだことも無い哀れな童貞男に、人生一度でいいのでデートの機会を頂けないでしょうか?」


「哀れとか、別にそこまでは思ってはいないけど……でも、まぁしょうがないから、デートしてあげる」


 雪希は少しはにかみながら、晴生の方へ振り向いた。

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