第11話 無病呻吟のバイオハザード

 霧葉きりはは食料生産学科の教授、合月あいつき教授のプレゼミ生という事で、研究室に訪れていた。


「へぇ~、発酵について調べることにしたんだぁ~……これもしかして雪希の力を見ていんですか?」


「うんそうなんだ。それで雪希君。これがどこの店のパンか分かるかな?」


「わかるって……うちの店の酒粕酵母パンじゃないですか。これ」


 雪希はパンの酵母菌が自分の名前を呼ぶので分かったという。


「酒粕酵母パンか……自分の家でパンを作ると酸っぱくなるだよな……」


「及川君。それはパン酵母以外の菌が入っちゃっているからだよ。特に空気中の乳酸菌や酢酸菌が活発になっちゃって酸味が出ちゃうんだよ」


「酒蔵の場合、その辺の管理はお手の物だからね。こういう風に酸味を抑えることが出来る。うん、美味しい。これ僕が買ってきたものだから、みんなも食べなさい」

 

 差し出されたパンをみんなで遠慮なく食していく。


「だけど俄かには信じがたいね。普通に考えてあり得ないよ。自分の家のパンだから見分けられたってこともあるし」


 上品にパンを小さくちぎって食べている弥音は疑っていた。


 晴生も最初はそうだっが雪希がいるところで菌やら微生物やらの織り成しているのでいつしか信じられるようになっていた。


「……誰だってそういうよね。じゃあ他にも見せて貰おうかな」


「ところで先生……あの冷蔵庫大丈夫なんですか? さっきから凄い落としていますけど……」


 雪希が指を差す方向には研究室の奥の方に業務用サイズの冷蔵庫が見える。


 しかし雪希が言うほど、晴生にはコンプレッサーの音は気にならない。


 雪希以外の全員が首を傾げているのを見て晴生は雪希が聞いているのは微生物の声だという事を確信する。


「あ~ちょうどいいかもしれないね。今出してあげよう」


 雪希に指摘され上川教授が冷蔵庫の中から取り出してきたのは、テレビで稀によく見るパンパンに膨らんだものすんごいヤバイ缶詰と、厳重そうに包装された何かを取り出してきた。


「ひぅっ!!」


 突然声にならない悲鳴を上げた雪希は顔面蒼白で研究室の外へ逃げ出した。


 ドアの隙間から覗かせている雪希の顔は何か恐ろしいものを見たかのように心底怯えきっている。


「教授? これもしかして……」


「うん、皆の知っている通り世界一臭い食べ物、シュールストレミングと、三番目に臭い食べ物ニュージーランドのチーズの缶詰、エピキュアーチーズだよ」


「キタコレ\(^o^)/ やばいやつやっ!?」


「それにしても凄いな。鬼嶋さんの能力は缶に詰められていても聞こえるなんてなぁ」


 秀実と元弥が感心する中、晴生は教授の説明で雪希が逃げ出した理由がようやく分かった。


 晴生は嫌な予感がして、恐る恐る教授に尋ねる。


「教授……もしかして食べるんですか?」


「うん、今日は君たちのゼミが結成した日だ。言わば御目出度い日だしね。せっかくだし食べて見よっか?」


 教授のとどめの一言で、わずかに開いていた研究室の扉がバタンと音を立てて閉じられる。


「ちょっと雪希っ! なに閉じ込めてんのよっ! 開けなさいよっ!」


「雪希ちゃんっ! 開けてっ! おねがいだからここを開けて」


「ゴメンっ! 椿花っ! ねねちゃんっ! バイオセーフティーレベルが更新されたのっ! 隔離しないといけないのっ! だから運命を受け入れて心安らかに死んで?」


 ようやく築かれた友情はどこへやら、パニック映画さながらの緊迫感と形相で椿花と弥音がドアを引っ張るが、一向に開く気配が無い。


「流石高校生。青春を謳歌しているね」


果敢かかんな時期ですからね」



 結局、研究室内で食べる訳にはいかないので、大学の中庭で食する事になってしまった。


「何で俺が……」


 じゃんけんをして、運悪く負けてしまった晴生がシュールストレミングを開けることになった。


 ポンチョと手袋を貸して貰い缶詰を斜め45度にして缶切りの歯を立てる。


 斜めにする理由は45度で小さく穴を開ければガスだけが飛び出して、内容物が出ないという。


 説明書に書かれてあるスウェーデン語を上川教授が訳して晴生に教えた。


 晴生以外のメンバーは少し離れたところで、半分固唾かたずを呑み、半分面白がっている。だがその中には雪希はいない。


「雪希ちゃん、もっとこっち来なよ」


「雪希。さっきから自分だけ逃げて卑怯よ」


「絶対にイヤっ! だってそれすんごい声がするもんっ!」


 雪希は遥か後方、20メートル以上先の樹木の影に隠れていた。


 椿花と弥音の呼びかけにも応じず、まるで駄々を捏ねる子供のように、木陰から一行に出ようとしない。


「じゃあ、開けちゃって及川君」


 そういって上川教授だけはコンビニのビニール傘を広げてしっかりガードする。


 ポンチョと手袋とマスクとして完全防備した晴生は恐る恐る缶切りの刃を立てた。


「――っ!!!」


 最臭兵器リーサルうぉえポンが解き放たれ、内容物が噴き出て晴生の顔面に被弾する。


「臭っ!! くっさっ!!! うぉえぇ――っ!!!」


 強烈な臭気が鼻腔を直撃した晴生は吐き気を催しのたうち回る。


 名状しがたい臭さだが、あえて表現するならば真夏の公衆便所並みの臭さだ。


「くっさっ!! 結局、これテレビと同じですしおすしっ!」


 晴生だけではなく、慣れている教授以外、風下にいた全員が鼻と口を押えて晴生と同じようにのたうち回った。

 

 その中でも弥音はあまりにも臭さに本気で泣き出してしまった。


 臭気漂う空間の中、晴生は何と起き上がり臭気に悶えながら缶詰を開き切るという、見せなくてもいい男気を見せる。


「アレを開き切るとは及川。お前って凄い奴だったんだな」


 元弥からお褒めの言葉を頂くが晴生はちっとも嬉しくない。


「多分、嗅覚疲労のお陰で、多少は耐えられるようになっただけだ、それでも臭いものは臭い」


「なんで……上川先生は耐えられるんですか」


 涙目の霧葉がよろよろと立ち上がって山川教授へと近づいていく。


「まぁ、僕は成れているからね。缶詰も開いたことだし、早速食べてみようか、そのままだと塩からすぎるから、洗って、付け合わせの玉ねぎなどの野菜とオリーブオイルを掛けて、パンで挟んで食べるといいよ」


 缶詰を開ける前に用意していた付け合わせの数々を眺め、晴生はスウェーデン人は付け合わせの食材で匂いを誤魔化しているだけなんじゃないかと疑った。


「……ところで鬼嶋はどこに行ったんだ?」


 さっきまで木陰で隠れていた雪希が見当たらない。晴生は周囲をぐるりと見渡すが忽然と姿を消す。


「今川と柏倉は知らないか?」


 まだ口を開けられない弥音は首を横に振ってこたえる。


「……私は知らないわよっ! どうせ逃げたんでしょっ!? それにしてもくっさっ!!! 及川臭っ!!!」


「俺が臭いみたいに言うんじゃねぇよっ!! こいつを口に突っ込むぞ?」


 晴生は冗談半分で脅してみたら、椿花に本気で引かれたのですぐにやめた。


 忽然と姿を消した雪希に段々心配になってきた晴生はちょっと探しに行こうとした矢先――


「ちょっと止めてくださいっ! 私、彼氏がいるんでっ! 困りますっ!!」


 大学の校舎の奥の方から雪希の大声で叫んでいる声が聞こえ、晴生の脳裏に緊張感が走る。


 晴生はシュールストレミングを置くのを忘れ、晴生はその声の方角へと向かった。


「この子めっちゃ可愛いじゃん、ねぇ、俺らと遊ぼうよ」


「1時間だけでいいからさ、カラオケ行かない?」


「合コンがキャンセルに成っちゃって俺らも寂しいのよ。付き合ってくれるだけでいいからさぁ」


 いかにも遊んでいそうな大学生が二人、雪希の周りを取り囲んでいる光景が目に入る。


 その光景に晴生は自分でも良くわらかなかったが、胸の内から怒りがこみ上げてきていてもったってもいられなくなり、晴生はその男たちの背後にゆっくりと近づく。


「なんか、臭くね?」


「お前、ウ●コもらしたんじゃねぇ?」


「んな訳ねーだろ」


「おい」


「あっ?」


 晴生は睨みを利かせて振り返った男の、その間が抜けた半開きの口にシュールストレミングを突っ込んだ。


「っ!!」


 晴生は悶絶する男の口を吐き出させないようそのまま手で塞ぎ、地面へと組み伏せる。


 男は結構頑張った末、凡そ10秒ほど悶え苦しんだ後、パタリと動かなくなる。

 

 もう既に晴生はシュールストレミングの臭気を克服し、向かうところ敵なし、無敵となった晴生は両手にニシンの切り身を装備して残りの二人へと詰め寄る。


「こいつくっさっ!!」


「なんだこいつっ! くっせーっ!! 一体何を持っているんだっ!」


 まだ付着した内容物が滴り落ちる様はコズミックホラーに出てくるエイリアンを気分を味わっているようで、晴生の気分は次第に高揚していった。


 騒ぎを聞きつけて教授たちが駆け付けてきたものの、気分に酔いしれている晴生にはまるで眼中なく男二人へとにじり寄る。


 次第に追い詰められた男たちの背後に壁が出現してしりもちを付いた。


「島貫君っ!」


「浅沼っ!!」


 晴生が壁だと思っていた二人の男は、椿花と弥音が叫んだお陰でようやく元弥と秀実だと分かった。


 しりもちを付いたチャラい男を秀実と元弥が引き上げ、ヘッドロックを決め頭蓋を固定すると、男たちの口を無理矢理こじ開ける。


「さぁっ! やるんだっ! 及川氏っ!」


「俺らも慣れたっ! 構わずやれっ!」


 二人のその言葉が合図となり、晴生はニシンを振り上げ、そして――


「ホワッチャア!!!」


 世紀末救世主風にシュールストレミングをナンパ男たちの口に押し込む。


 吐き出させないように元弥と縁之がしっかりと顎をロックすると、凡そ10秒間バタバタと藻掻もがいた挙句、事切れたように動かなくなった。


「「「成敗っ!!!」」」


 しっかりと三馬鹿トリオはポーズを決める。三人の間に更なる友情が深まりし瞬間だった。

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