第9話 隔靴掻癢のサーベイランス

「お父さんっ! その女の人は誰っ!?」


 開口一番、雪希は新次郎の目の前で、父の打ち合わせ相手である真白ましろに食って掛かった。


「雪希っ! 何でお前がここにっ!? 何をしているんだっ!? それにその男は確かっ!?」


「鬼嶋っ! もういいだろ放せって!」


「お前っ! 手を出すなって言っただろうっ!」


「手を出す訳ってそういう……って、そんな訳が無いでしょうっ!」


「お前っ! 俺の娘が可愛くないって言っているのかっ!?」


「いや、それ一体どう言うのが正解何ですかっ!?」


「ちょっと待って、二人とも一体何の話をしているのっ!?」


「すいませんっ! 他のお客さんに迷惑ですから、皆さん一先ず落ち着いてくださいっ!」


 修羅場へ突入しようとしていた中、比較的冷静だった晴生と真白は必死の説得で、一先ず雪希と新次郎を同じ席に着かせることに成功した。


「そんなわけがないだろうっ!」


 雪希が事の経緯を説明するや否や、烈火のごとく怒りをあらわにした新次郎にぴしゃりと怒鳴られ雪希は首をすくめる。


 晴生の推測通り、新次郎がきっぱりと否定し雪希の勘違いだという事が証明された。


「藤生さんも気を悪くされたでしょう? うちのバカ娘が申し訳ありません」


「……申し訳ありません」


 親子揃って深々と頭を下げる。その光景を完全に部外者であるはずの晴生は居た堪れなくなり、わざわざ椿花が持ってきてくれた茶をすする。


「いえ、大丈夫ですよ。別に悪い気はしてませんよ」


「は?」


「え?」


 晴生は茶を零しそうになった。「冗談です」と言って真白は笑って見せる。


 意味深な発言は返って雪希の疑念を深めることになった。


「改めまして、はじめまして雪希さん。私はシュイヴァン・パートナーズ株式会社、海外営業部、アウトソーシング部門の藤生真白と申します」

 

 雪希と共に差し当たって打ち合わせに渋々同席することになった晴生は、徐に真白から名刺を受け取るや否や確信する。


「海外営業部ってことは、つまり……」


「はい、鬼嶋酒造さんから海外販路のご相談を受けまして、それで参った次第でございます」


 晴生の予想通り全て雪希の思い違いだという事だった。


 父、新次郎は海外へ自社の酒を販売しようと目論んでいた。


 近年、海外では日本酒の需要が飛躍的に高まっており、その主な輸出先はアメリカ、韓国、中国だ。どこ国も日本産清酒は非常に高い人気を博している。


 他にもフランスでは、日本の清酒をワインのように香りを重視する傾向が見られている。


「海外……私、何も聞いていない……どういうこと?」


「うちの会社、去年の6月に開かれたアメリカでの日本酒歓評会で金賞を取っただろう? それでうちにはアメリカからの問い合わせが凄くてな。それで組合からのシュイヴァン・パートナーズさんを紹介してもらったんだ。お前も大学行きたがっていたしな、売り上げを上げるいい機会だと思ってな」


 すべては自分の娘の為に新次郎は動いていたという晴生の推測通りだった。


 これで気になっていた雪希と父親との蟠りを解消できたと晴生は安堵するはずだった。


 唐突に雪希は机を叩き跳ねるような勢いで立ち上がる。、顔を顰め父親に対して震える声で激しい怒声を浴びせる。


「ちょっと待ってよ。私、大学行くなんて言ってない。それどころか高校卒業したら会社に入るっていったよねっ!?」


 新次郎は少し渋りながら重い口を開く。


「お前が東京の大学の応用生物学科だったか……そっち方面の大学のパンフレットを見ていたのは知っている。金の事を心配してそう言ってくれてるのも分かっている。だからもう心配することは無い。お前の好きにすればいい」


 新次郎の寡黙で厳つい表情しか見たことが無い晴生は、突然見せた父親らしい娘に向けた微笑みに密かな憧れのようなものを抱いた。


 自衛官である晴生の父も、新次郎に似たところがあって、厳しい顔をすることが多かったからだ。


「なに……何なのっ! 勝手すぎるっ! 何も言わないで勝手に決めてっ! 全部全部勝手すぎるよっ!」


 感情が爆発した雪希が少し涙を浮かばせ、松の間を飛び出す。


「雪希っ!」


「雪希さんっ!」


 こんな青春なんて柄じゃないと思う晴生であったが、雪希を追いかけるべくすぐさま立ち上がる。


「……すいませんっ! 俺追いかけますっ! 必ず連れて帰るのでっ!」


「待て」


「何ですか?」


「……本当に手を出したら責任を取ってもらうからなっ!」


「出しませんよ」


 新次郎の剣幕に冷や汗をにじませながら、晴生は雪希を松の間を飛び出した。



 

「くそっ! めんどくさいっ!!」


 弥音の情報を頼りに駅の方へと向かう晴生。


 本当にこっちに来てからと言うものろくなことが無いと晴生は嘆いた。


 実のところ、晴生は雪希への恩返しのつもりで今まで動いていた。


 盲腸の件だけじゃない。雪希の『過去のことを気にするより、未来の事で不安になるより、今この瞬間を楽しくなる方法を考える』という言葉は晴生の、妹をイジメていた子達を不登校に追いやってしまった罪悪感を晴らしてくれた。


 それに勝手ながら恩を感じていた。


「結局、俺も同じかくそっ!」


 結局雪希の父親と似たようなことをしているこに晴生は気付いた。


「すいませんっ! ここに着物を着た高校生くらいの女の子見ませんでしたっ!?」


 息を切らせて晴生は駅員に駆け込む。そして意外なほど早く見つかった。


 駅員は晴生に尋ねられるや否や、徐に指を差す。


 雪希が駅中のベンチで顔を抑えて蹲っているのを発見して晴生はほっとした。


「定期も金も忘れてどこへ行く気だったんだ?」


 晴生は雪希が置いていっていた巾着をそっと彼女の頭に置く。


「……うるさい」


 煙たがれられながらも晴生は雪希の隣に座る。着物の袖口が濡れていたので泣いていたのが分かる。


「……ねぇ、及川君……私への借り後いくつの残っているかな」


「そりゃあ……」


 数えきれない程たくさんあるとは言いたかったが、晴生は言葉を濁す。


 自分が恩返ししている事をこの状況ではまだ雪希に悟らせるわけにはいかなかった。


「じゃぁ、付き合ってほしい場所があるの……」


 ようやく顔上げた雪希の目元には泣き腫らした跡が見える。


「形だけでも彼氏らしいこと、まだ何一つしていないからな。全然付き合うよ」


 


 電車とバスを乗り継いで、再び雪希に引きずられるようにして着いたのは、桜祭りが行われた公園の山の上にある展望台。


 陽光に照らされた市街地の景色を雪希はただ静かに佇んで眺めている。


 着物の後ろ姿も中々情緒あふれる雪希の姿を晴生はじっと眺める事、凡そ10分ほど経過した頃。


「よしっ! 反省終わりっ!」


 雪希は指を組んで深呼吸をはじめぐ。


 思いっきり息を吸いながら背筋を伸ばすと、溜息を付くように吐き出して、晴生の方へ振り返る。


 さっきまで気落ちしていた顔はどこかに去り、雪希の顔は普段の穏やかな顔に戻っていた。


「及川君。今日はありがとう。背中を押してくれて、私、お父さんともう一度ちゃんと話す。進路の事とか全部」


「……いいんじゃないか、それで」


 晴生は雪希の隣に立って景色を眺める。中々悪くない景色。これが更に夜景になるともっといいだろうと晴生は思った。


「私、悩んでいることがあると良くここに来るんだ」


「……なんか鬼嶋には似合わないな。そういうの」


「ちょっと、それどういう意味?」


「そう、それ。そうしている方が良い、鬼嶋にノスタルジックな雰囲気なんて似合わないって俺は思う」


「何それ」


 悪戯っぽく微笑む雪希は、晴生にこの場所が生前雪希の母親が良く連れて来てくれた場所なのだということを話をする。


 その思い出話をいつものように皮肉ひにく揶揄やゆも挟まず晴生は静かに聞き入った。


「ねぇ、私、及川君にどうすれば恩返しができるかな?」


「恩返し? 何言っているんだ。恩を返さなきゃならないのは俺の方だろ?」


「そんなことを言って……本当は裏でこそこそ動いていたんでしょ? 私は分かっているんだから、椿花とのことだって、今日のことだって」


「……なんのことだか、柏倉の件は校内鬼ごっこして自分で解決したろ?」


 晴生は驚きを隠してとぼけて見せた。


 正直今日については何もしておらず、殴り込みの前に一言言っただけに過ぎない。


 椿花の件については絡んでいるというより絡まれた。全て意図としてやったわけではなく、晴生は少し矢印の方向をずらしただけと言える。


 少し計算したのは否めないが――


「……及川君がそういうなら、そういう事にしておいてげる」


 微笑む雪希の傍らで、晴生は空を仰ぐ。


「鬼嶋は『女体恐怖症』を治してくれるんじゃないのか?」


「そういえばそうだったね」


「……まぁ~期待していないけどな」


「そこは嘘でも期待しているって言ってほしいんだけど」


「そういえばまだ飯食っていなかったなぁ~」


「話をらないでよ。でも確かにお腹空いちゃった。近くにお父さんの知り合いのラーメン屋があるんだけど、そこでいい? もちろん及川君のおごりね」


「……まあいいけど、本当にここの人たちってラーメン好きだよな」


「そりゃそうだよ。ここの人たちの血液はラーメンスープなんだからっ!」


「1%以上の塩分濃度でよく血管が破裂しないな?」


「もう、またそういうこと言うっ! 本当にひねくれているんだから」


 元気を取り戻した雪希。小突かれても晴生は自然と嫌な気がしなかった。

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