第7話 杯酒解怨のサッカロミケス

 柏倉綾翔かしくらあやととは度々姉、椿花の時線タイムラインやステメを同級生の女子から見る機会があり、雪希の陰口を叩いているのを知った。


 どうにかしたいと考えた綾翔は前の学校の出来事で評判の立つ晴生に相談してきた。


 綾翔という少年は男が見てもつい護ってしまいたくなるような初々しく可愛らしく、晴生は一瞬変な欲望が出てきそうになったぐらいの中性的な顔立ちの少年。


『姉を止めて欲しいんです。及川先輩に力を貸してほしいんです。』


 綾翔の必死の懇願と、先輩と言うフレーズに酔って首を縦に振ってしまった晴生は、綾翔に椿花の時線タイムラインやステメのスクショを抑えておくように頼んでおいた。


 晴生はタイムラインのスクショを見せびらかせると、椿花は何かを察したようで顔の血の気がさっと引いていく。


 椿花の家庭は連れ子同士の再婚家庭で、父親の再婚相手である母親には多少の感情のすれ違いこそあれ、その子供、弟である綾翔には心を許していたようだった。


「綾翔の奴、今年受験で、受験先有名な私立校らしいじゃないか。今問題になると受験に響くだろうなぁ」


「な、何っ!? 脅す気っ!? プライバシーの侵害よっ! そんなものいつの間にっ!? あんた恐喝強要しているの分かっているっ!?」


「そういうお前は名誉毀損罪、侮辱罪、信用毀損罪をコンプリートしているからな?」


 手札が弱ければ積極的にレイズするようにしてる晴生は強気な口調で言ってみた。


 恐喝強要で罰の悪いのは自分の方だという事は晴生も分かっていた。そして良心が痛む。


 むしろそっちの方が重要だった。こうなってしまうと晴生は最後のカードを切らざるを得ない。


 心を許しているどころかスキンシップが激しくて困っていることまで綾翔から聞いていた。


 晴生が妹のひたきにやろうものなら、確実に顔面を拳で殴られる程のドン引きする内容だった。例えば――


「あと色々聞いた。地震とか雷とかあると弟の部屋に潜り込むらしいな。しかもベッドの中にまで……あと去年開かれたイベントで『呪いの廃病棟』とかいう――』


「そ、それ以上言うなっ!」


 狼狽して顔を真っ赤にした椿花が手で口を塞ぎにかかったので晴生は払いのけ落ち着かせる。


 晴生の思惑通り椿花にはこっちの方が思いのほか堪えたようだった。


「それじゃあ取引だ。鬼嶋と面と向かって言え、そうしたらデータを削除するし、それと綾翔がゴールデンウィークに二人っきりでどっか行こうって言っていたぞ?」


「……本当? あっくん――じゃなかった、綾翔がそう言っていたの?」


 晴生は徐に首を縦に振る。それは効果的と踏んで綾翔との話し合いで予め用意していた報酬だった。


 椿花は火照った頬を手で押さえ『どうしよう』と口走っているのを見て晴生は勝利を確信する。


「詳しくは帰ってから聞いてみるといい」



 4月25日。ゴールデンウィークが始まる前の最後の登校日。


「鬼嶋、お前それ……」


 晴生が四限目の移動教室から戻ってくると雪希の左頬が赤くなっていた。


「大丈夫っ! 行こっ!」


 晴生は何事も無かったような雪希に生物室へと連れて行かれる。


 そこで一向に口を割らない雪希に変わって弥音から保健授業での出来事、厳密にいうと男子が移動し終わって教師が来る前の出来事を聞くことになった。


 口火を切ったのは椿花だったという。


 弥音の印象ではクラスの女子たちから質問を受け持てはやされる姿に椿花は苛立っていたとのことだった。


「鬼嶋さんって及川君と付き合っているのも嘘なんだって? イジメられないようにする為に及川君を選んだ辺りほんとあざといよね? ねぇ教えてよ、どうやって及川君に取り入ったのか」


「別に互いに弱味を握り合っているだけだよ」


「……へぇ~、あの及川君から弱味を握るなんて凄いじゃん。どうせその容姿で取り入ったんでしょ? 美人ってそういうところ得するよね」


「……貴女が言う通り自分の容姿に頼っている部分は少なからずあるから、貴女が気に入らないのも良く分かる。及川君の弱味に付け込んでいる時点で性格悪いことも自覚してる。だとしたら貴女は裏垢を使いながら、すぐ消せるタイムラインやステメで陰口を叩くの? その匿名性を利用している時点で貴女だって相当性格悪いよ?」


「……何のことを言っているのか分からないわ」


「及川君が知っていて私が知らない訳がないよね? 気に入らないのなら直接そういえば良いじゃない。私は貴女と違って自分を棚に上げて非難がするなんてとてもじゃないけど出来ないなぁ」


「……」


「凄いね? どうだった?クラスのみんな味方につけて勝った感想は? 嬉しかったかな? 楽しかったかな? 気持ち良かったかな?」


 頬を打つ音が教室内に響き渡った。

 


 挑発的な雪希の言葉に激怒した椿花は雪希の頬を平手打ちをして出て行ってしまった。そのまま四限目は出ずに保健室で寝ているらしい。


「まぁ、そんな感じ、みんな授業が終わると雪希ちゃんに謝っていた」


「もういいじゃん。食べよ食べよ」


 早く忘れたいと言った様子でせかせかと弁当を広げていく。


「及川氏……柏倉の奴、全然こりてないお」


「だけどみんな柏倉に嫌気がさしている内容だな」


「……まぁ、そんなところだろうな」


 秀実ほずみが見せてくるスマホの画面には、ほんの数分前の椿花とクラスメイト達とやり取りが映し出されている。


 男三人が覗き込むとスマホの画面が少し陰ると思いながら、晴生はふと一人存在が増えているのに気が付く。


「なんだかんだ言って、鬼嶋もきになるんじゃ――」


「うるさい」


 なんだかんだ言いながら気になるようで雪希が横から覗き込んでいた。


ちか『あの子の母親中学の時亡くなってるらしいんだ。だからあんな風になっちゃったんだよねw』


hiina『椿花さぁ、いい加減にしなよ。もう椿花が鬼嶋さんの気に食わないだけなのみんなに分かってるからね』


るりか『みんな椿花と同じになりたくないから無視はしないけど、まだ続けるなら一人でやって、うちらはもうやらない』


あずさ『もうみんなで鬼嶋さんに謝ったから、許してくれたよ。母親の事がどうとか言うの椿花どうかしてるよ。みんな裏垢消すって』



 ネットに強い友人がいるとこういう事には事欠かない。秀実ほずみはいつの間にか裏垢を作って覗いていた。


 ガタンと理科室特有の背もたれの無い木椅子が鳴り雪希が床を蹴るようにして立ち上がった。


 蟀谷こめかみから額に青筋を漲らせ、雪希の顔は怒りの色を宿して、まさに赤鬼のような形相になっていた。


「ごめん、ちょっと用事思い出した」


 食べかけの弁当をそのままに生物室から雪希は飛び出していく。


 暫くして外が騒然としてくる。女子たちの悲鳴が晴生の耳に刺さってくる。


「悪い。俺ちょっと見てくる」


 外の雰囲気が尋常ではない様子にやや寒気を感じ、不安に突き動かされ晴生は雪希の後を追った。


 女子たちの悲鳴を頼りに晴生は雪希を探す。


 SNSの内容は雪希も見ていたが、いまいちどこが沸点だったのかがよく分からなかったが、このままだと本当に喧嘩になるかもしれないと察し晴生は気が気じゃなくなってくる。


 背後からどたどたと騒がしい音が聞こえて振り返ると――


「待てやゴラァっ!! ケツ割ってんじゃねぇーぞっ!! おんどれっ!!」


「ヒーーッ!!」


 以前に見せた般若の形相を通り越して真蛇しんじゃの形相と化している雪希が、泣き喚く椿花を追いかけまわしてる姿が晴生の目の前を駆け抜けていった。


「私を本気マジで怒らせたねっ! 私を怒らせたらどうなるか目にも見せちゃるわっ!!」


「イヤーーっ!!」


 女子高生が言っちゃいけない業界用語をぶちまけていく雪希の姿に晴生は心の底から引いた。


 体育の成績の一位二位の成績を争う二人の鬼ごっこは凡そ10分間続いた。


 雪希は椿花を校舎の端まで追い詰めていた。息を切らせ絶望的な顔色の椿花に対して顔色一つ変えずに雪希は腕を組んで立ちはだかる。


 張り詰める雪希達の様子を緊張した面持ちで晴生は物陰から見張る。


「随分と陰湿なこと言ってくれるじゃない。まさかお母さんのことまで言われるとは思わなかった」


「……だったら何だっていうのよ」


「私に何しようと構わないっ! だけど亡くなったお母さんのことを悪く言うのは絶対に許さないっ!」


 雪希は足取り荒く椿花へと近づいていく。


「……あぁもうっ! 面倒くさいっ! これだけはやりたくなかったけど――」


「お、大声を上げるわよっ! 暴力なんて振ったら停学じゃ――」


 まずい――


 これ以上は流石に冗談では済まなくなる。


 胃の焼けるような焦燥感に耐えきれなくなった晴生は二人の喧嘩を止めるべく飛び出し――


「……ちょ、ちょっとっ! な、なにしてんのっ!」


「うるさい。黙って」


 晴生は目の前の光景に唖然とした。


 何とも理解しがたい光景。


 状況だけ説明をするなら、雪希が神妙な面持ちで椿花の下腹部に抱き着いていると言えばいいのだが、その意図するところが晴生には皆目見当が付かない。


「お前達、なにしてんの……」


「お、及川っ! ちょっと助けてっ!」


「しっ! 聞こえないでしょっ! 及川君も黙ってっ!」


 晴生は目を凝らして再び様子を伺う。雪希はどうやら椿花の下腹部に耳を当て何かを聴いているようにも見えた。


「……やっぱり」


「えっ!? えっ!?」


 神妙な面持ちで立ち上がった雪希は、困惑している椿花の肩に手をポンと置く。


「明日、一緒に産婦人科に行ってあげる。心配しないで、まだ初期症状だから」


「はぁっ!? な、何言ってんのっ!?」


「隠さなくても平気だよ。だって痒いんでしょ?」


「◎△$♪×¥●&%#ーーッ!?」


 ぶわっと一気に顔を朱に染め上げた椿花が声にならない声を上げる。


 つまり、所謂いわゆるアレか――


 男の晴生にはピンとこなかったが、『菌の声が聞こえる』という雪希の能力からなんとなーく状況を察することが出来た。


 わなわなと震える口で椿花が必死に振り絞ろして出た言葉は――


「じ、実は彼氏にうつされちゃって……」


 この期に及んでバレバレの嘘だった。動揺して視線が定まらないのが良い証拠だった。


 目がまるでまぐろに追い立てられるいわしの如く右往左往と泳ぎ回っている。


「大丈夫だよ。これは未経験、経験関係なしに罹る普通の風邪みたいなものだから、恥ずかしがること無いんだからね」


 憐みに似た目でふっと微笑む雪希の姿は本当に良い性格をしていた。


「それに男性では発症しくいものだから、うつされることは非常に少ないかな」


 さらに雪希は追い打ちをかけるように性交渉では起きにくいことを説明する。


「な……しょしょしょ、処女ちゃうわーーーっ!!」


 耳まで真っ赤にして怒っても遅かった。それは逆に自分が処女と言っているようなもので、逆に椿花の残念処女ビッチの名は校内に広まる事になった。



 ようやく目まぐるしい桜の季節が終わりを継げ、晴生達のゴールデンウィークが始まる。

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