第6話 附贅懸疣のペイシェントゼロ

 雪希との温泉での一件が明けた4月15日。


「おはようっ! 及川くんっ!」


 晴生がいつも通り教室に入ると、笑顔で手を振ってくる雪希の変貌ぶりに絶句した。


 噂が立つのは早いもので、この行為により晴生と雪希が付き合っているという噂は当日の昼休み前には全校生徒に知れ渡っていた。


 運よく生徒指導室に呼ばれるこそ無かったが、晴生と雪希は昼休み担任の田中弥生たなか・やよいに呼び出された。

 

「単刀直入に聞くけど、君たちが付き合うてる言うのはほんまか?」


「いえ、及川君には自分の男避けの為に協力してもらっています」


 真っ先に口を開いたのは意外にも雪希の方だった。


 てっきり教師陣にも嘘つくと思っていた晴生は呆気に取られる。

 

 しかし同時に教師陣も取り込むと言うのは妙案だと感心した。


「田中先生にも自分の体質はお伝えしてあると思います。自分に不純異性交遊は不可能です。ですから、彼女が勉学に勤められるよう先生方にはご協力願えないかと考えております」


「……協力っちゅうんは具体的に?」


「噂をそのままにしてください。同時に火のない所に煙は立たぬと言いますから、不純異性交遊の噂が出回ってくる可能性があるのでそれもそのままにして下さい」


 晴生の饒舌さに弥生は圧倒されたようで、呆れたように溜息を付く。


「噂をそのままにするのは百歩譲って、実際及川君は編入時の面接の際、校長を始めとする複数の教師の前で嘔吐して見してるさかい、心配はしてへんけど、最後のは別や。うちらも仕事として不純異性交遊の噂がったら調べなあかん」


「「わかりました」」


「鬼嶋さんはいってええで、及川君はちょい残って」


 雪希は先に行ってると晴生に耳打ちして職員室を後にした。


「実は及川君頼みがあるんや……鬼嶋さんと今川さん達をこのままクラスに溶け込めるようにしてくれへんか?」


「無理ですね。まずは彼女をどうにかしないとどうにもなりませんね」


「へぇ~、流石は及川君やね」


 やっぱり教師陣はどこも同じだと晴生は溜息を付く。


 田中先生の汚机おつくえの上に見え隠れする写真。そこには凛々しく弾むようで柔らかいバウンスカールをした華やかな印象の女子生徒が写っている。


 柏倉椿花かしくら・ちか。雪希や弥音ねおんとは違ってクラスで一番華やかなグループに属する。


 勉強はクラスで一番、スポーツも優秀。男子からも女子からの慕われるクラスのリーダー的存在。元弥と同じクラス委員を務めている。自己紹介の際、晴生に小声で『不良かと思った』と言った人物だと晴生は認識している。


 部活に所属しておらず市内の進学塾に通い、中学の成績に比べてかなりレベルが上がっている。典型的な仮想的有能感タイプと晴生は推測した。


 椿花は容姿が少し上をいっているが成績が少し下である雪希を敵視している。それ故集団無視という行動に出た。


「まるで少女マンガ脳の発想……」


「なんか言ったか? 及川君」


「いえ、何でも……」


 晴生はつい思ったことが口に出てしまって焦る。


「そもそもそれは教師の仕事では? 評価が下がるのは理解できますが……」


「それは正論過ぎて耳が痛いんやけど……」


「じゃあ今度飯でも奢ってくれれば、やれるだけの事をやってみます」


「及川君ってなんやサラリーマンみたいやな?」


 晴生は汚机の上に無造作に置かれた大量のレシートがねじ込まれている汚財布おさいふ一瞥いちべつをくれる。


「そんなの慈善事業で誰がやるんですか? まぁ田中先生の汚財布事情は期待していませのでラーメンで良いですよ。こっちに来てまだ食べたこと無いんです」


「……なんやろ? 及川君の接頭辞には嫌味みたいものを感じるんやけど?」


「HAHAHA、マサカマサカ」


「分かったで、それで手ぇ売ったる」


 流石現国教師、良いところ付いてくる。


 婚活アラサー独女教師の執拗な取り調べを無事に切り抜け、晴生は貴重な休み時間の45分しかない内の10分を奪われた対価としては悪くない報酬を手に入れた。


 弁当片手に意気揚々と生物実験室の戸を開く。


 室内には珍しく毎日生徒会で忙しい元弥げんやがいた。


 その後ろに気まずそうにお見合いをしている雪希と弥音ねおん。その二人を前に困惑する秀実ほずみについては無視をした。


 雪希は晴生と目が合うや否や何か言いたげだった。


「遅かったな。及川」


「あれ? 島貫、今日生徒会は?」


「今日は休みだ。それはそれとして田中先生は何の用だったんだ」


「ゼミの件と――」


「ちょっとっ! 及川君っ!」


 気まずさに耐え兼ねた雪希に晴生は元弥の間に乱入される。


「目が合ったのに無視しないでちょっと来て一緒に食べてよ。みんな殆ど話さないの。何とか場を盛り上げてよ」


 様子を見て何となく間を保っていられなかったこと分かったので、晴生はあえてコミュ障美人である雪希のある意味自立支援放置プレイが行っていたのだが、お気に見せなかった様だ。


「出落ち芸人を素人がどうやって拾えと? 俺はそんな敏腕MCじゃないぞ?」


「誰が出落ち芸人よっ!?」


 実はこの食事会を設けたのには理由があった。


 大人一人の身辺調査など行動範囲が広すぎて一人では不可能なので協力を秀実ほずみ達に協力を求めるためだ。それに関しては雪希も納得していた。


 だが、その為に晴生は共通の話題を探して打ち解けろとあからじめ言っておいたのにも関わらず、雪希は無視していたようで頭が痛くなった。


「そういえば鬼嶋は何で普段着が着物なんだ?」


「はぁ? そんなのただの趣味――」


「着物っ!?」


 ガタっと椅子が鳴り、後ろで弥音ねおんが立ち上がり食いついてきた。


「鬼嶋さん、着付けできるの?」


「それはまぁ、不断から来ているし……もしかして今川さん、着物に興味があるの?」


 少し照れた様子で首を縦に振って見せている弥音は先日和装コスに挑戦したいとSNSで呟いていた。


 そこで晴生は雪希と弥音ねおんを会わせることを思いついた。


 晴生の画策の甲斐があって二人は話が弾み始める。


「ところで及川、さっきゼミがどうとか言っていたが?」


「ああ、島貫と浅沼に聞きたいことがあったんだ。ゼミって何だ? 最初の木曜日の7限目はよく分からず聞き流していたんだが」


「及川氏は普通の進学校だったから知らんのね」


 晴生の通う亀窪西高校はSSHスーパーサイエンスハイスクールという文部科学省の指定校。


 大学と研究施設と連携していて最先端の研究などを体験することが出来る。


 亀窪西高校の場合、近所の大学キャンパスの協力の元、基礎実験や探究活動のサポートを受けているという事を晴生は二人から簡単に説明を受けた。


「それで及川は何にするんだ?」


「一応、生物にしようと思っている」


 晴生は雪希と出会って菌類について興味が沸いた。雪希が言っていた『私が菌の声が聞こえる』という言葉がどうしても気になったという事もあった。


「流石リア充だけあるお。鬼嶋氏と同じ分野を選ぶなんて……爆発しろっ!」


「何だよそれ」


 晴生は二人からいじられるも不思議と悪い気はしなかった。


「及川ちょっといいか? 折り入ってお前に頼みがあるんだ」


「生徒会会計の島貫様が俺に? 奇遇だな。俺もお前たちに頼みがあるんだ」




 全校生徒に晴生達が付き合っている噂が流れた翌日からと言うもの、表面上のクラスでは変化が訪れた。


「鬼嶋さん、数学のここの問題教えて?」


「うん、いいよ」


 授業で分からない事を聞きあっていたりしてクラスに溶け込んでいく様子が垣間見れた。


 成績優秀である雪希が晴生という偽彼氏が現れたことで、徐々にだが今まで『美人でお高く留まっていて存在自体がモテ自慢女』という理不尽な印象が『頭脳明晰で穏やかで優しいという性格まで良い完璧女』という晴生には誇張としか思えない印象が広まっていた。


 だが裏垢女子たちの雰囲気は穏やかではなかった。SNSの裏垢界隈では――


『調子に乗っている』


『善人面して周りを取り込む世渡りする、性格悪すぎ』


『及川を落とすあたりよく選んでいる』


『それって虐められないように必死ってことじゃん』


『取り入るのうますぎ。見返りにヤラセてるんでしょ?』


『まさかの枕営業』


 などという根も葉もない書き込みが溢れかえっていた。


 


 そして4月24日の放課後の事――


 予想が正しければそろそろ何らかのアプローチを仕掛けてくると踏んでいた晴生は、予想通り主犯格である柏倉椿花かしくらちかの呼び出しに応じ校舎裏へと赴いていた。


「急に呼び出してごめんね。及川君」


 晴生は椿花に放課後、校舎裏へ呼び出された。


 亀窪西高校での大事な用向きには古風なシチュエーションを使うのが流行っているのだろう。

 

「及川君に聞きたいことがあってさぁ~、鬼嶋さんと付き合っているってホント?」


 女体恐怖症の晴生にはウザいことこの上ない上目使いで迫っている。


 晴生が一歩下がるたびに椿花が執拗しつように詰めてくるので嫌悪感を抱いた。


「付き合っているとして、柏倉に何の関係があるのか?」


「そういうってことはやっぱり付き合っていないんだぁ~」


 媚を売ってきているのは明らか、晴生は自分がクラスで敵を回すと一番厄介な人間だという自覚はあった。


 ちなみに二番目は弥音ねおんだろう。市内有名建設会社社長の娘で問題を起こせば両親に多大な迷惑が掛かる。絶対首を縦に振るはずがない。


「さっさと本題に入れ。それとその気持ち悪い顔と言葉遣いやめろ」


「あっそう、なんだぁバレちゃってるんだ。流石及川君だね」


 椿花は退屈そうに髪を耳に掛け、目つきが冷たくなり、高飛車な態度に変わっていく。


「私に協力しなさい。そしたら良い思いさせてあげる。特別に10万でしてあげてもいいわ」


 処女ビッチ確定発言に『女体恐怖症』の晴生は虫唾が走る。


 援助交際の相場が10万な訳が無い。高級風俗店でも精々6万前後と言ったところ、何故晴生がこのようなことを知っているかと言えば、前の学校でお世話になった生活安全課の警察官が聞いてもいないのにべらべらと教えてくれたからだ。


 一応念のために聞いてみるかと僅かながらの希望と思い晴生はため息交じりにある単語を口にする。


「柏倉、お前『神待ち』って意味知っているか?」


「はぁ~? 何訳分んないこと言っているの?」 


 駄目だこいつ……早く何とかしないと……


 高校生にもなって下らない事をやっている処女ビッチでいじめっ子、残念を通り越して最早哀れにしか思えない椿花と心底関わりたくないと思った晴生であったが、ある人物の依頼で更生させて欲しいと懇願されて、無下には出来ない。


 さかのぼる事4月17日の放課後、晴生は元弥の依頼で亀窪第一中学校生徒会の交流の場に呼ばれた。


 そこで出会ったのが柏倉綾翔かしくらあやとという亀窪第一中学校生徒会長である椿花の弟だった。

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