第50話 実家、もう何も後悔しないぞ!

 実家の草刈りに取り掛かり、10分も経っていない。

 それなのにガーガーと回転する刃を止め、一郎はよっこらせと庭石に腰掛けた。

 それからだ、いかにも自虐的に「2メートル進んで、もうクタクタ。俺は根性なしだ」と吐き、ペットボトルの茶をゴクゴクと飲む。

 それにしてもこの現実をあらためて直視すれば、この空き家で何年も草と戦ってきた。

 だが雑草はお構いなしに生えてくる。そしてヤツらは勢いよく伸び続け、やがて大地を牛耳る。

 その前に刈ってしまわなければ、辺りは廃墟と化す。それを阻止するため、一郎は草刈り機を武器にせめぎ合ってきた。


 しかし、たとえ完璧なまでに刈り込んだとしても、決してその勝利に酔えるものではない。その理由の一つは、生命力の強い雑草には決して勝てないという諦めがある。

 二つ目は、それ以上に、草刈りは――、田舎を捨て、町の暮らしを選択した子孫、一郎への先祖からの面当て、いや容赦しない労役だ、と捻れた思いに心を腐食されてしまっているからだ。


 とは言っても、こんなことは大した話しではない。この男にはもっと憂鬱なタスクがある。

 そう、それは実家の処分。

「この家を、一体どうしたらよいのか?」

 何回もこの自問を繰り返してきた。だが答えは未だ見付かっていない。そして結局は先送りする。

 今回も同じ、「結論はまたにするか」と棚上げし、草刈りの続きへと重い腰を上げるのだった。


 一郎の父は15年前に他界し、母は3年前に逝った。そして残されたものは田舎の屋敷と土地。

 当然そこには膨大な遺品、すなわち思い出の品や価値ある物品、と言いたいところだが、値打ち物は少々で、あとは不要物の山なのだ。

 母が没してからすでにトラック7台分を処分しただろうか。費用もかなり嵩んだ。

 しかし、まだまだ整理が付いていないのが現実だ。

「なぜ、こんなに残したの?」

 父と母に聞いてみたいが、それはきっと、大正、昭和、平成と三時代を生き抜いた両親の、もったいないという心掛けの結果なのだろう。

 一郎は昭和生まれであり、その美徳を充分理解できる。だから両親をなじる気持など微塵もない。


 しかし将来を見据えれば、一郎も、都会で働く子供たちも田舎の家には戻らないだろう。

 されどもそこに家が現存する以上、固定資産税や諸々の費用が掛かり、またメンテも必要だ。ならば売ってしまおう、考えがこう至っても不思議ではない。そこで査定にと不動産屋に来てもらった。

 しかし、結果はまことに非情なものだった。


 不動産屋がにこやかに話す。

 まず、更地にしないと売れません。そのためには屋敷を取り壊し、庭にある大きな石を取り除く必要がありますね。一応試算してみますと、更地にする費用と売却金とがほぼ同額でありまして、言ってみれば価値はゼロに近いでしょうな。それに買い手が付くかどうか、私どもには自信がありません。

 こんな報告を受け、一郎は愕然となる。だがここは踏ん張って、「じゃあ、賃貸にします」と申し出た。

 これに担当者は苦笑いし、賃貸のためには家の中を空っぽにしてください。だけど最寄り駅まで徒歩1時間、バス便なし。これではちょっとね、借り手が付くかどうか、と申し訳なさそうな顔をして項垂れた。そして一郎もガクッと肩を落とすしかなかったのだ。

 不幸にも相談はこんな結末だった。


 しかしそうであったとしても、一郎があえて話さなかった難問中の難問がある。すなわち仏壇問題を抱えていたのだ。

 神々しく光る巾一間の仏壇、一郎の祖父が戦前カナダに出稼ぎし、持ち帰った金で購入した逸品だ。これはじっちゃんの魂が入った形見でもあり、その前で拝めば、一郎の願うことをよく聞いてくれた。そのため手放せない。

 本来なら一郎の今の住居に移すべきだろう。しかし狭くて、大きな仏壇が収まるスペースなどない。

 という諸事情で、実家の売却/賃貸は甚だしく困難、そのため永遠に草刈りが続くという、まことに憂鬱な事態に陥ってしまっているのだ。


 キュン。一郎はさらに2メートル進み、草刈り機を停止させた。

 そして父が育て、母が愛でた薄紅のしだれ梅の枝を折ってみる。

 ポキッ!

 実に空虚な響きがする。きっと春先に撒いた除草剤で枯らせてしまったのだろう。

「あ~あ、俺はこの梅も死なせてしまったのか」と自責の念で心が痛む。されど一郎は思うのだった。

 もう俺も歳だし、そろそろご先祖様のこの家への思いも、ポキッと折ってみるとするか。

 そうだな、俺は鬼となり、父母の生きた証が残る家を始末してしまおう。その役目を果たし、子供たちに呪縛なき未来へのバトンを渡そう。

 そのためには、そっ、これから起こる家の出来事は、もう何も後悔しないぞ!


 こう決意を新たにした一郎には、長年巣くっている憂鬱がほんの少しだけだが、どこかへ消えて行ったような気がするのだった。



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