第47話 秘宝・意到筆随(いとうひつずい)の壺
「あ~あ、まったくダメだ!」
早起きし、朝日に映える紅葉の中を散策しても、昼に新蕎麦をズルズルッとすすり上げても……。
夜に四分六のちょっと濃いめの焼酎お湯割りに、南高梅を二つ落として呷ってみても。
あとは酔い醒ましにと、40度の柚子風呂に浸かったとしても、ただただ浮かぶのは黄色い柚子の皮だけ。
「こん畜生、ストーリーなんて、ぜんぜん浮かんでこないや!」
ふーと大きく溜息を吐いた
なぜ、夢中になってしまったのだろうか?
理由は自分でもよくわからない。
だが執筆中にはすべての雑念が飛んで行き、ドーパミンが脳内に溢れることだけは確か。そのお陰で心地よいハイテンションになれる。
しかし、ある日突然に、物語が浮かばなくなったのだ。結果、何も書けず、ドーパミンの禁断症状に
それでも苦し紛れに筋書きを組み立ててみる。だがあちらこちらで辻褄が合わない。
遂にその修復に、禁じ手、そう、いくつもの奇跡を起こし、各節を無理矢理繋ぎ合わせてしまう。
こんな小説、当然面白くもない。最後に悲鳴、「ああ、書けないんだよ!」と涙が滲む。
事ほど左様な病、それは明らかに――『書けない病』だ。
まさに唐突な患い。そのせいで執筆ドーパミンの放出は断たれ、この禁断症状によって酷い自己嫌悪に陥るのが一般的だ。
まことに悲運だが、もう手の施しようがない。ただただ治癒して行くのを待つしかないっていう所だろうか。
されどもこの男の場合、角蔵、カクゾウと名乗るだけあってか、こんな事態に突入しても、「絶対に書くぞー!」とネタ探しのためネット内を彷徨う。
言ってみれば、ドーパミン欲しさだけのやる気。どこぞが壊れてしまっているのかも知れない。
しかし、この変人以上に、この世はもっと珍奇だ。
神はこの男のために、秘宝・心願成就の壺なるものを検索ヒットさせてやるのだから。
これって神様の意地悪、それとも救いの手? まあ、曖昧なところだが。
いずれにしても画面には、
―― 何でも叶う心願成就の壺、多種有り。一欲貫徹山に登り来たらば、進ぜよう!―― とある。
ただ今の角蔵は、書きたい、しかし書けない、いや書かなければならない、というような心持ち。
執筆ドーパミン依存症から生じるこんな強迫観念により、何はともあれ飛びついた。そして早速会社に休暇届を出し、一欲貫徹山へと向かったのだった。
角蔵が這い登ってきた山中に登り窯がある。
一本の白煙が立ち昇ってるが、それはすぐに辺りを包む霞みへと同化して行く。当然太陽光は届かず、薄暗い。
角蔵は不気味で少しビビったが、朽ち掛けた陶芸工房の門を叩いた。すると長い白髭に杖をついた
角蔵の背筋に冷たいものが走る。だが踏ん張って自己紹介を終える。
これに二頭の妖怪、いや山爺と山姥がニニと笑い、「人は金銭欲、性欲、食欲、睡眠欲、名誉欲の五欲に翻弄されながら生きている。手前どもはその苦しみからの解放、と言えば
そこには以下の秘宝の壺が紹介されてあった。
一攫千金の壺 :
宝くじに当たりたいと祈る者向け
物見遊山の壺 :
死ぬまでに世界一周したいと思う輩向き
容顔美麗の壺 :
美人になりたいと必死な娘さん向き
美酒佳(か)肴(こう)の壺 :
グルメ通向け、など
角蔵は目を通したが、自分の願いはこの一覧にない。
「私は小説を書きたい、そんな他愛もない欲望の成就ですが」と要望すると、山爺は「それは珍しい欲だが、ならば、心のままにスイスイと筆が進む『秘宝・
角蔵は藁にもすがる思いで、一欲貫徹山に登ってきた。何が何でも書けない病から決別したい。
あとは山姥に「ボーヤ、筋書きバッチシ、文章スラスラよ」と後押しされ、大枚3万円で売買成立となった次第である。
意到筆随の壺、今デスク上に鎮座する。
角蔵はこれを前にして、先日の体験をネタにして、秘宝・意到筆随の壺という物語を書き終えた。そして読み直す。
うーん、どことなく書けない病からは抜け出せたような気がする。
が、意到筆随とは言い難しだ。果たして3万円の壺のご利益はあったのだろうか? と首を傾げる。
その時だった、角蔵の目の前にピカッと閃光が走る。なぜなら、ハタと気付いてしまったからだ。
そう、山爺と山姥が焼く壺は連中の金銭欲だけのための、ひょっとして――秘宝『思う壺』だったのでは、と。
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