第47話 秘宝・意到筆随(いとうひつずい)の壺

「あ~あ、まったくダメだ!」

 早起きし、朝日に映える紅葉の中を散策しても、昼に新蕎麦をズルズルッとすすり上げても……。

 夜に四分六のちょっと濃いめの焼酎お湯割りに、南高梅を二つ落として呷ってみても。

 あとは酔い醒ましにと、40度の柚子風呂に浸かったとしても、ただただ浮かぶのは黄色い柚子の皮だけ。

「こん畜生、ストーリーなんて、ぜんぜん浮かんでこないや!」

 ふーと大きく溜息を吐いた角蔵かくぞう、多忙で満身創痍のサラリーマンであっても、己の時間を見付けてはここ5年小説を書き続けてきた。今はすっかり物書きに嵌まってしまってる。


 なぜ、夢中になってしまったのだろうか?

 理由は自分でもよくわからない。

 だが執筆中にはすべての雑念が飛んで行き、ドーパミンが脳内に溢れることだけは確か。そのお陰で心地よいハイテンションになれる。

 しかし、ある日突然に、物語が浮かばなくなったのだ。結果、何も書けず、ドーパミンの禁断症状にさいなまれる。

 それでも苦し紛れに筋書きを組み立ててみる。だがあちらこちらで辻褄が合わない。

 遂にその修復に、禁じ手、そう、いくつもの奇跡を起こし、各節を無理矢理繋ぎ合わせてしまう。

 こんな小説、当然面白くもない。最後に悲鳴、「ああ、書けないんだよ!」と涙が滲む。

 事ほど左様な病、それは明らかに――『書けない病』だ。

 まさに唐突な患い。そのせいで執筆ドーパミンの放出は断たれ、この禁断症状によって酷い自己嫌悪に陥るのが一般的だ。

 まことに悲運だが、もう手の施しようがない。ただただ治癒して行くのを待つしかないっていう所だろうか。


 されどもこの男の場合、角蔵、カクゾウと名乗るだけあってか、こんな事態に突入しても、「絶対に書くぞー!」とネタ探しのためネット内を彷徨う。

 言ってみれば、ドーパミン欲しさだけのやる気。どこぞが壊れてしまっているのかも知れない。

 しかし、この変人以上に、この世はもっと珍奇だ。

 神はこの男のために、秘宝・心願成就の壺なるものを検索ヒットさせてやるのだから。

 これって神様の意地悪、それとも救いの手? まあ、曖昧なところだが。

 いずれにしても画面には、

 ―― 何でも叶う心願成就の壺、多種有り。一欲貫徹山に登り来たらば、進ぜよう!―― とある。

 ただ今の角蔵は、書きたい、しかし書けない、いや書かなければならない、というような心持ち。

 執筆ドーパミン依存症から生じるこんな強迫観念により、何はともあれ飛びついた。そして早速会社に休暇届を出し、一欲貫徹山へと向かったのだった。


 角蔵が這い登ってきた山中に登り窯がある。

 一本の白煙が立ち昇ってるが、それはすぐに辺りを包む霞みへと同化して行く。当然太陽光は届かず、薄暗い。

 角蔵は不気味で少しビビったが、朽ち掛けた陶芸工房の門を叩いた。すると長い白髭に杖をついた山爺やまじじいと、やけに皺の多い山姥やまんばが現れ出て来た。

 角蔵の背筋に冷たいものが走る。だが踏ん張って自己紹介を終える。

 これに二頭の妖怪、いや山爺と山姥がニニと笑い、「人は金銭欲、性欲、食欲、睡眠欲、名誉欲の五欲に翻弄されながら生きている。手前どもはその苦しみからの解放、と言えば烏滸おこがましいが、もっと具体的に、一つだけだが、その強欲を実現させてやろう。それは心願成就の壺、身辺に置けば必ずその欲は叶う。さっ、ここに目録がある。お前はどの欲壺が欲しいのだ?」と紙を渡された。

 そこには以下の秘宝の壺が紹介されてあった。


一攫千金の壺 :

  宝くじに当たりたいと祈る者向け

物見遊山の壺 :

  死ぬまでに世界一周したいと思う輩向き

容顔美麗の壺 :

  美人になりたいと必死な娘さん向き

美酒佳(か)肴(こう)の壺 :

  グルメ通向け、など


 角蔵は目を通したが、自分の願いはこの一覧にない。

「私は小説を書きたい、そんな他愛もない欲望の成就ですが」と要望すると、山爺は「それは珍しい欲だが、ならば、心のままにスイスイと筆が進む『秘宝・意到筆随いとうひつずいの壺』、これは如何かな?」と古びた壺を角蔵に差し出してきた。

 角蔵は藁にもすがる思いで、一欲貫徹山に登ってきた。何が何でも書けない病から決別したい。

 あとは山姥に「ボーヤ、筋書きバッチシ、文章スラスラよ」と後押しされ、大枚3万円で売買成立となった次第である。


 意到筆随の壺、今デスク上に鎮座する。

 角蔵はこれを前にして、先日の体験をネタにして、秘宝・意到筆随の壺という物語を書き終えた。そして読み直す。

 うーん、どことなく書けない病からは抜け出せたような気がする。

 が、意到筆随とは言い難しだ。果たして3万円の壺のご利益はあったのだろうか? と首を傾げる。

 その時だった、角蔵の目の前にピカッと閃光が走る。なぜなら、ハタと気付いてしまったからだ。

 そう、山爺と山姥が焼く壺は連中の金銭欲だけのための、ひょっとして――秘宝『思う壺』だったのでは、と。



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